―――はじめに
これは、境目についての本です。生と死、正気と狂気、強者と弱者など、私たちが相反するものとし認識している言葉と言葉の境目について考えました――――
第一章 生む・生まれる
(出生前診断について)
―――技術があるからといって、使わなければならないということではない。そのことは絶対に保証されねばならないのだ。なぜなら、出生前診断は遺伝学の進展によって判明したごく一部の病気や障害とそれ以外をより分ける技術に過ぎないのだから――
第二章 支える・支えられる
災害時に過酷な働きを強いられる職業、消防士、自衛隊、警察官、医療関係者、そして行政職員の心のケアについての章。
この中には東日本大震災の殉職者の慰霊祭を行ったことは、阪神大震災以降に取り入れられたPTSD予防として必要な「弔いと労い」の、大切な儀式であるという文章がある。
そして
―――しかし口惜しいのは、福島第一原子力発電所の事故後の対応である。収拾にあたった作業員たちは危険を伴う職務のストレスに加え、マスコミの批判や住民の非難のために自分たちの窮状を外に訴えることができずにいた――――(協力会社から派遣された60代の作業員が亡くなった時)外国人の友人に「国民の命を守るために、いま、日本でもっとも重要な仕事に就いている人たちが、なぜあんな劣悪な環境で働いているの」と訊ねられて、私には返す言葉がなかった――――
―――東日本大震災で行われている心のケア活動の中で、過去に例を見ない困難を抱えているのが福島県である。2014年9月の時点で(本の発行が2015年1月)長引く避難生活などで体調が悪化して亡くなる震災関連死は十の都道府県で三千人超、そのうち福島県が1758人と全体の半数以上を占め、津波や地震など直接的な影響で亡くなった人の数を上回った―――
これらの文章がとりわけ深く印象に残った。
考えなければならない、と、自分の中のスイッチを押された。
第三賞 狂う・狂わされる ~ では正気と狂気の境を
第四章 絶つ・絶たれる ~ では研究者の置かれている立場と自死について
第五章 聞く・聞かれる ~ ではコミュニケーションを聴覚によって考えている
第五章 愛する・愛される は少し異質で田宮虎彦とその妻の愛情について書かれている。
最相葉月は、硬質な言葉で冷徹な事実をもするすると紡ぐ作家だと思う。
この本もエッセイとされているが、ルポルタージュのような読後感だ。
――――こちらとあちらは紙一重だったと思い知らされます。こちらとあちらではいったい何が違うのか、何が両者を分け隔てるのか、問わずにはいられなくなります――――
はじめに の中にあるこの思いを共有できる人が少ない気がして、それがこの日常の息苦しさに繋がっている気がする。
これは、境目についての本です。生と死、正気と狂気、強者と弱者など、私たちが相反するものとし認識している言葉と言葉の境目について考えました――――
第一章 生む・生まれる
(出生前診断について)
―――技術があるからといって、使わなければならないということではない。そのことは絶対に保証されねばならないのだ。なぜなら、出生前診断は遺伝学の進展によって判明したごく一部の病気や障害とそれ以外をより分ける技術に過ぎないのだから――
第二章 支える・支えられる
災害時に過酷な働きを強いられる職業、消防士、自衛隊、警察官、医療関係者、そして行政職員の心のケアについての章。
この中には東日本大震災の殉職者の慰霊祭を行ったことは、阪神大震災以降に取り入れられたPTSD予防として必要な「弔いと労い」の、大切な儀式であるという文章がある。
そして
―――しかし口惜しいのは、福島第一原子力発電所の事故後の対応である。収拾にあたった作業員たちは危険を伴う職務のストレスに加え、マスコミの批判や住民の非難のために自分たちの窮状を外に訴えることができずにいた――――(協力会社から派遣された60代の作業員が亡くなった時)外国人の友人に「国民の命を守るために、いま、日本でもっとも重要な仕事に就いている人たちが、なぜあんな劣悪な環境で働いているの」と訊ねられて、私には返す言葉がなかった――――
―――東日本大震災で行われている心のケア活動の中で、過去に例を見ない困難を抱えているのが福島県である。2014年9月の時点で(本の発行が2015年1月)長引く避難生活などで体調が悪化して亡くなる震災関連死は十の都道府県で三千人超、そのうち福島県が1758人と全体の半数以上を占め、津波や地震など直接的な影響で亡くなった人の数を上回った―――
これらの文章がとりわけ深く印象に残った。
考えなければならない、と、自分の中のスイッチを押された。
第三賞 狂う・狂わされる ~ では正気と狂気の境を
第四章 絶つ・絶たれる ~ では研究者の置かれている立場と自死について
第五章 聞く・聞かれる ~ ではコミュニケーションを聴覚によって考えている
第五章 愛する・愛される は少し異質で田宮虎彦とその妻の愛情について書かれている。
最相葉月は、硬質な言葉で冷徹な事実をもするすると紡ぐ作家だと思う。
この本もエッセイとされているが、ルポルタージュのような読後感だ。
――――こちらとあちらは紙一重だったと思い知らされます。こちらとあちらではいったい何が違うのか、何が両者を分け隔てるのか、問わずにはいられなくなります――――
はじめに の中にあるこの思いを共有できる人が少ない気がして、それがこの日常の息苦しさに繋がっている気がする。