
連投すみません。
どうにもこうにも沙也加ちゃんのことがショックだったらしく
ピク散歩しながらあれこれいろいろと考えてしまいました。
で、忘れないように(忘れるなよ・・・)
備忘録的に書いておこうかと。
私たちはなぜこの世界に生きているのか?
それは「学びのため」だと。
ではいったい何を学ぶのか。
人それぞれに課題はいろいろとあるのだろうと思います。
で、とりあえず今の私がたどりついた結論はこちら。
「ゆるすことを学ぶため」です。
ゆるすことは本当に大きな愛がないとできないこと。
究極の愛かもしれませんね。
平和な世界ではゆるすもゆるさないもきっと愛で満ち足りた世界。
ゆるす必要なんてないわけで・・・。
平和ではなく、対立している世界だと「ゆるす」ことは
本当に本当に大きなエネルギーが必要となるかと・・・。
対立する相手をゆるす、
これは思考の大変革ですよね。
私たちは一生をかけて
ゆるすことを学んでいっているのかもしれません。
一生でなく、何生もかけてかもしれませんね。
何度も何度も生まれ変わって。
そしてゆるすのは相手だけでなく、
自分のことをゆるさないといけないのかもしれませんね。
とても難しい課題です。
けれどもクリアできるときっと大きな広い世界を見ることができるのでしょうね。
どうにもこうにも沙也加ちゃんのことがショックだったらしく
ピク散歩しながらあれこれいろいろと考えてしまいました。
で、忘れないように(忘れるなよ・・・)
備忘録的に書いておこうかと。
私たちはなぜこの世界に生きているのか?
それは「学びのため」だと。
ではいったい何を学ぶのか。
人それぞれに課題はいろいろとあるのだろうと思います。
で、とりあえず今の私がたどりついた結論はこちら。
「ゆるすことを学ぶため」です。
ゆるすことは本当に大きな愛がないとできないこと。
究極の愛かもしれませんね。
平和な世界ではゆるすもゆるさないもきっと愛で満ち足りた世界。
ゆるす必要なんてないわけで・・・。
平和ではなく、対立している世界だと「ゆるす」ことは
本当に本当に大きなエネルギーが必要となるかと・・・。
対立する相手をゆるす、
これは思考の大変革ですよね。
私たちは一生をかけて
ゆるすことを学んでいっているのかもしれません。
一生でなく、何生もかけてかもしれませんね。
何度も何度も生まれ変わって。
そしてゆるすのは相手だけでなく、
自分のことをゆるさないといけないのかもしれませんね。
とても難しい課題です。
けれどもクリアできるときっと大きな広い世界を見ることができるのでしょうね。
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