昨日は「特別展 長谷川等伯」を見にいきました。
特別招待チケットが当選したので嬉々として行ってきました。
一般観覧が終わったあと、閉館後に観覧できる特別招待チケットです。
かなりの人でにぎわっていたのですが、
それでも「狩野永徳展」「国宝阿修羅展」の人の多さを体験した私には
本当に天国のようでした。
間近ですばらしい作品をじっくりと見ることができ、
本当に本当にうれしかったです。
実は当選しなければ今回の等伯展はあきらめようと思っていたのですが、
よかったです。見なければ後悔するところでした。
それほどまでに感動したのです。
見終わった直後はなんだか宙に足が浮いている、そんな感じになってしまいました。
何に感動したかというといちばん感動したのは水墨画です。
「松林図屏風」は圧巻でした。
日本人らしい美を感じました。
水墨画なので当然限られた材料。
最小限の色・動きで最大限の美を描き出した等伯。
ふと思い出したのが「縮み」志向の日本人。
そう、箱庭・扇・茶室といった「縮み」というキーワードです。
能・俳句・茶道そういったものにつながっていくのではないか、
そう思いました。
竹林図では竹林の中に光を与え、
松林図では松林の中に風を与えた―、
そんな目に見えないものを描き出した等伯のすばらしさは
本当にことばでは言い表せないですね。
水墨画なのに色が見えるのです。
その風景が浮かんでくるのです。
特に竹林は実家が竹山の近くにあるので
郷愁を呼び覚ますモチーフなのです。
等伯の竹林図を見て
子どもの頃に見た竹林の風景を思い出しました。
なぜ大人になってからの竹林の風景でなく、
子どもの頃に見た竹林の風景なのかは謎なのですが・・・。
水墨画なのに色鮮やかな風景が浮かんでくるというのは
本当に作者の力量なのでしょうね。
さて水墨画中心のお話になってしまいましたが
金碧画も素晴しかったです。
緻密で表情豊かで・・・。
狩野永徳の金碧画が金色中心で光の世界(極楽浄土?)にいるような感覚だとすると
長谷川等伯の金碧画は碧が中心で光はやさしく寄り添っている感じがしました。
どちらかというと現実に近い感じ。
こういう現実があるといいな、そういう感じを覚えました。
色鮮やかな金碧画の世界の次に登場したのが
水墨画の世界だったのでそのギャップには驚かされました。
狩野永徳の作品が水墨画→金碧画へと展示されていたのに対して
長谷川等伯の作品は金碧画→水墨画と展示されてありました。
ほぼ同時期に現れた二人。
永徳の最盛期が金碧画の世界だとすると
等伯の最盛期は水墨画の世界になるのでしょうか。
永徳の作品が完璧なものをめざしたとするなら
等伯の作品は完璧なるものに対する余白を残したものなのでしょうか。
美術に関してまったく知識のない私なので
いろいろなことを想像して楽しんでます。
永徳の絵がキムヨナ選手なら
等伯の絵は浅田真央選手、なんて思っちゃいました。
今日の真央ちゃん、本当に感動しました。
(なんのかんのいっても結局フィギュア、しっかり見てた私です。)
あの迫真の演技・気迫に心奪われてしまいました。
本当に美しかったです。特にクライマックスがすばらしかったですね。
・・・話がそれてしまいました。
とにかくいろいろなことを考えさせてくれる展覧会でした。
松林図がすばらしすぎてほかのものの存在が薄れがちですが、
かわいらしい動物たちの姿も魅力的でした。
特におさるさんが描かれた「枯木猿猴図」はお気に入りでメモ帳まで買っちゃいました。
「海棠に雀図」も雀の親子の会話が聞こえてきそうなほど
緻密でかわいらしくて大好きな作品です。
作品も非常に大胆な筆遣いのものもあれば
非常に繊細な筆遣いのものもあり、
その違いによって作品が生き生きとしてくるようです。
本当に素晴しい作品を見ることができて感動しました。
夜の博物館・美術館も素敵でした。
ライトアップされていて
昼とはちがった姿を見ることができました。
招待券、本当に感謝です。
早めに帰宅して子どもたちの面倒を見てくれたダンナにも感謝。(いちおう)
あ、昨日の画像は今噴水前で開催されている、
佐賀県の陶器市のテントです。
佐賀県といえばやっぱり陶器。(とお菓子とお茶)
子どもたちにお茶碗を買って帰りたかったけれど
陶器を持って観覧するのも・・・と思いあきらめました。
でも陶器って見てるだけで楽しいですよね。
上野駅に着いたときになんでこんなに人が多いの!?って思っていたら
この陶器市が開催されていたからなんですよね。