上野・御徒町といった、東京の中心に近い街にもかかわらず、ガード下やバッタ屋など、かなりカオスな商店街として位置する「アメ横」。
古い町並みというわけでもないですが、情緒あるセピア調で仕上げてみようと意気込んだものの、私の中で上品なイメージであるセピア調とアメ横の雰囲気が合致しなかったので、ここはモノクロで仕上げることにしました。
タイトル写真にある「アメ横」の看板。上野駅から御徒町駅まで続くアメ横商店街ですが、上野側の看板は「アメヤ横丁」の看板であるとのこと。
アメ横の名称の由来は様々在りますが、戦後の闇市を発端として上野側では「飴屋」が多かったため「アメヤ横丁」と呼ばれた説。かたや御徒町側はアメリカ軍の生活用品(横流しか?)を取り扱っていたため「アメリカ横丁」と呼ばれてた説がありますが、その二つを合わせて「アメ横」の名称におさまった説が一番有力のようです。
ちなみに私の小学校時代の記憶だと、アメ横のことを「アメヤ横町」と言っていたことはあっても「アメリカ横丁」と言った覚えはないですね。
横須賀のように外国人が多ければ、「アメリカ横丁」もしっくりきますが、記憶にあるのは高校時代の違法テレホンカードを売りつけるイラン人の方々くらいしか思い出せません。
ちなみに今のアメ横に「飴屋」があるかは不明です。
小学生の頃のアメ横は「臭い」「汚い」イメージがありました。
魚介類を扱っている店や乾き物を扱う店が多いので生臭いのは致し方ないと思いますが、汚いのは、いただけませんでした。
歩く人の身なりが汚い、道路にポイ捨てが多くて汚い、建物自体が汚い等々の記憶がありますが、ボンタンや中ランなどの改造学生服を販売していたのもアメ横しか無かったため、足しげく通った覚えがあります。
右側見切れていますが「二木の菓子」では駄菓子や乾き物を箱売りしており、小学生の頃は夢のような店に映りました。
当時はディスカウントストアも珍しかったゆえに、後ろに写るドンキホーテが時代を感じさせます。
※Amazonより引用
駄菓子の定番(だと思う)「クッピーラムネ」が箱で売られていました。今はAmazonでも購入できるため、希少価値はあまりありませんが、当時は一般消費者が問屋扱いのものを目の当たりにする機会が少なかったため、かなり衝撃を受けたことを覚えています。
御徒町から秋葉原に向かう住宅街の路地裏です。今にも電線の重みで倒れそうな電信柱など、中小及び零細企業が集まるエリアになります。
東京の中心に近くなるにつれ、このような風景が目についてくるのが東京下町の面白いところだと思います。
上野・御徒町を初めとする台東区は昔から大きな公園や空き地が少ないため、私が小学生の頃は路地をテクニカルに使った遊びが沢山ありました。
家と家との30cm程度隙間は子供達の秘密通路やダンジョンに。
整備が足りないガタガタのアスファルトの道路は「ろう石」によるキャンパスになったり。
野球をするスペースも無いため「ゴロベース」「カドぶつけ」※が日常的に行われていたり。(※かなりレア度高いワードなので読み流していただければ....)
などと思い出にふけりながら、アメ横と御徒町の町風景をブラブラしました。