行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

天命

2013年10月04日 | 禅の心
子曰、吾十有五而志乎学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。

子曰く、吾(われ)十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う(したがう)。七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰えず(こえず) 。


 中学校、高校の国語の時間に必ず習う、論語の中でも有名な一節です。この中には孔子の思想を理解する上で重要なキーワードが出てきます。それは「天命」です。
「天命」とは、天から与えられた使命と考えがちですが、私は天命とは人間の努力ではどうすることもできない「大いなる意思のはからい」と考えています。50歳になって、これからがんばろうというのではなく、自分には何ができて何ができないかがわかるということです。努力は報われるとはいいますが、実際には努力が報われないことも多くあります。どんなに努力をしても病気になるときには病気になるし、死ぬときには死ぬのです。総理大臣になりたくても努力してなれるものではありません。
 釈尊は、老いること、病気になること、死ぬことは苦しみであると説きました。ここでいう苦しみとは、「どうにもないことを、何とかしようとすること」なのです。自分の力ではどうにもならないことを、儒教では「天」、道教では「道(たお)」浄土真宗では「阿弥陀仏」にお任せすることがわかるのが「天命を知る」ということなのです。

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