悪(あ)しきことを作(な)す者は
ここに憂い
かしこに憂い
ふたつながらともに憂う
おのれの
けがれたる業(ふるまい)を見て
彼は憂い
彼はなやむ (法句経第15番)
悪いことをした人は、
この世で憂え、
あの世でも憂え、
ずっと憂える。
悪いやつは、
自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。
善きことを作(な)す者は
ここによろこび
かしこによろこび
ふたつながらによろこぶ
おのれの
きよらなる業(ふるまい)を見て
彼はたのしみ
彼はよろこぶ (法句経第16番)
善いことをした人は、
この世で喜び、
あの世でも喜び、
喜びはずっと続く。
行いのいい人は、
自分の行為が浄(きよ)らかなのを見て、
喜び、楽しむ。
あしきを作(な)す者は
いまにくるしみ
のちにくるしみ
ふたつながらにくるしむ
「あしきをわれなせり」と
かく思いてくるしむ
かくて
なやましき行路(みち)を歩めば
いよいよ心くるしむなり (法句経第17番)
悪いことをするやつは、この世で悩み、
あの世でも悩み、
ずっと悩む。
「わたくしは悪いことをしました」といって悔いに悩み、
苦難のところ(地獄)におもむいてさらに悩む。
善きことを作(な)す者は
いまによろこび
のちによろこび
ふたつながらによろこぶ
「善きことをわれなせり」と
かく思いてよろこぶ
かくて幸(さち)ある行路(みち)を歩めば
いよいよこころたのしむなり (法句経第18番)
善いことをなす者は、
この世で歓喜し、
あの世でも歓喜し、
ずっと歓喜がたえない。
「わたくしは善いことをしました」といって歓喜し、
幸あるところ(極楽)におもむいてさらに喜ぶ。
この4つの法句は、悪いことをすれば永遠に苦しむ、よいことをすれば、永遠に喜ぶことができるという単純なことを言っているのだと思います。しかし、私は釈尊の教えからすれば、自分の中の「悪」を自覚しなさいとうけとっています。悪を自覚している人が、本当に救われる人なのだと。親鸞聖人は、悪人とは悪を自覚している人のことで、善人より先に救われると説きました。自分をみつめることが、幸せへの第一歩なのです。
ここに憂い
かしこに憂い
ふたつながらともに憂う
おのれの
けがれたる業(ふるまい)を見て
彼は憂い
彼はなやむ (法句経第15番)
悪いことをした人は、
この世で憂え、
あの世でも憂え、
ずっと憂える。
悪いやつは、
自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。
善きことを作(な)す者は
ここによろこび
かしこによろこび
ふたつながらによろこぶ
おのれの
きよらなる業(ふるまい)を見て
彼はたのしみ
彼はよろこぶ (法句経第16番)
善いことをした人は、
この世で喜び、
あの世でも喜び、
喜びはずっと続く。
行いのいい人は、
自分の行為が浄(きよ)らかなのを見て、
喜び、楽しむ。
あしきを作(な)す者は
いまにくるしみ
のちにくるしみ
ふたつながらにくるしむ
「あしきをわれなせり」と
かく思いてくるしむ
かくて
なやましき行路(みち)を歩めば
いよいよ心くるしむなり (法句経第17番)
悪いことをするやつは、この世で悩み、
あの世でも悩み、
ずっと悩む。
「わたくしは悪いことをしました」といって悔いに悩み、
苦難のところ(地獄)におもむいてさらに悩む。
善きことを作(な)す者は
いまによろこび
のちによろこび
ふたつながらによろこぶ
「善きことをわれなせり」と
かく思いてよろこぶ
かくて幸(さち)ある行路(みち)を歩めば
いよいよこころたのしむなり (法句経第18番)
善いことをなす者は、
この世で歓喜し、
あの世でも歓喜し、
ずっと歓喜がたえない。
「わたくしは善いことをしました」といって歓喜し、
幸あるところ(極楽)におもむいてさらに喜ぶ。
この4つの法句は、悪いことをすれば永遠に苦しむ、よいことをすれば、永遠に喜ぶことができるという単純なことを言っているのだと思います。しかし、私は釈尊の教えからすれば、自分の中の「悪」を自覚しなさいとうけとっています。悪を自覚している人が、本当に救われる人なのだと。親鸞聖人は、悪人とは悪を自覚している人のことで、善人より先に救われると説きました。自分をみつめることが、幸せへの第一歩なのです。