風がヴギウギ

自由気ままな風の様に毎日を切り取っていく

曾良庵 一太郎立像

2015年10月21日 | 曾良庵ヴギ

今日は思考を変えて 曾良庵に戻ってみます

これは 中村 七十氏が作った 曽爺さんの立像

僕は 祖父:自由也の像だと思い込んでいたが どうやら 曽祖父:一太郎であるらしい

小さいときから 客間の床の間に飾られていたので覚えていた像であり 

わけもわからずテカテカに磨いていたような記憶がある

今回 プロンズ像は母から 書簡をは兄から貰い 色々見てくうちに改めて発見した事であるが

製作者:中村七十氏と曽爺さんを結びつける記録が無い

*作るときの はがきは残っているんですけどね

 

何故 一太郎の像を中村七十が作成したのか?

中村姓から 不折との関係を追ってみたが不明

政友会がらみでの 関係とも考えられ検索したが不明

長野県上伊那郡朝日村平出には 有賀喜左衛門・中村吉治がいる

共通するキ-ワ-ドは 「柳田国男」・・・ 柳田氏には父も会った事が

有るということなので 無理やり 柳田氏とこの二人 

そして七十を結びつければ 考えられるが無理がありすぎる

もう一つは 中村家は代々の宮大工という事から 岡谷と繋がりがあり

紹介をうりたという考え方であるが いずれも すごい推測の域を脱していない

勿論 中村不折氏との関係は見つからない

これについては 今後も調べて行きたいので 中村七十氏の情報のみ掲載しておきます

中村七十 (彫) 昭和16年10月20日没

中村七十(なかむら・しちじゅう)は、本名を中村永男(なかむら・ながお)といい、

明治44年(1911年)に長野県上伊那郡朝日村平出(現在の上伊那郡辰野町)に生まれた。

第14、15回帝展に、塑像作品が入選。美校では建畠大夢に師事した。

わずか30才と8ケ月の人生だった。

非常に 珍しい象らしいです

 

 

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身辺整理でぇす《*≧∀≦》

2015年10月21日 | 日常ヴギ

来月部署の場所が下の階に移るんで引っ越しの準備をしてまぁす

まぁ、実際は来月末を最終出勤日にしている私としては

時間があるときに少しずつ片付け始めてたんですけどね

ペーパーレスといいながら、整理せずたまった紙の資料

今まで期の終わりやレイアウト変更のときに整理はしたつもりですが

ヤッパリ!ありましたねぇ~!

パソコンだいを机にして早10数年、、、

でも、袖机の引き出し3段とロッカー一台を開けると(@ ̄□ ̄@;)!!

いやーーー!はやーーー!紙が、、、

整理し始めて1ヶ月、現在の状態はというと

袖机の引き出し2段にコソット入っているだけ

改めて見ていくと、賞味期限切れの資料が山ほどありました

でも、基本的な記事や考え方の書いてある資料はやっぱり捨てられなかっです

これから使うかわからないですが、人間って不思議ですよね

まあ、約20年関わってきた部署ですし

ほぼ創業したと同じ何で思い入れはありますが

流石に肩の荷が降りた感じがして

新しい事にチャレンジしていこうって感じてますね

皆には、いつか強豪としてかおあわせる時が来るかもって冗談半分にいってますがあ半分は本気なんですけどね(●^o^●)

まあ、新しい自分を発見できればってね、、、

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