あんなこといわないほうがよかったかなあ。
きのうの読者、13 人。なんてこったい。倍増どころか半減です。
まあ、読者がひとりでもいれば、私のやっていることには意義があるので、今後は一喜一憂せず淡々と描き進めていきます。
とはいえ、私は無口なほうではないので(ものすごく極端にいってます。以前にしゃべるのを仕事にしていました)、どうしても口か指で何かを話したくてしかたがないんですよ。
兼高かおるさんがあっちに行きました。90 歳といいますから大往生でしょう。
「兼高かおる世界の旅」は私が生まれた年に始まった番組で、まだまだ海外旅行など雲の上の存在だった頃に世界中を飛び回って紹介を続けました。
終わったのが 1990 年ですから、平成生まれの人はほぼ知らないでしょう。
女手ひとつで企画からプロデュース、自ら出演、ナレーションとまさに才女というかエネルギーの塊のような人でした。
子供心に「ああ、海の向こうにはこんな街があり、こんな人たちが暮らしているのだなあ」と、学校の社会の授業よりはるかに理解が頭に入ってくるのを感じました。
また昭和がひとつ終わったといえるでしょう。
きのうの読者、13 人。なんてこったい。倍増どころか半減です。
まあ、読者がひとりでもいれば、私のやっていることには意義があるので、今後は一喜一憂せず淡々と描き進めていきます。
とはいえ、私は無口なほうではないので(ものすごく極端にいってます。以前にしゃべるのを仕事にしていました)、どうしても口か指で何かを話したくてしかたがないんですよ。
兼高かおるさんがあっちに行きました。90 歳といいますから大往生でしょう。
「兼高かおる世界の旅」は私が生まれた年に始まった番組で、まだまだ海外旅行など雲の上の存在だった頃に世界中を飛び回って紹介を続けました。
終わったのが 1990 年ですから、平成生まれの人はほぼ知らないでしょう。
女手ひとつで企画からプロデュース、自ら出演、ナレーションとまさに才女というかエネルギーの塊のような人でした。
子供心に「ああ、海の向こうにはこんな街があり、こんな人たちが暮らしているのだなあ」と、学校の社会の授業よりはるかに理解が頭に入ってくるのを感じました。
また昭和がひとつ終わったといえるでしょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます