machaの浅学妄想

今、感じたことや想うことを書いておく。

天理に行ってきた

2012-02-27 | Weblog
土曜日の早朝6時、エスティマに乗って高齢の男五人で天理に向かった。新潟から福井辺りまでは雪模様。
三時頃に本部に到着。本部は広大な敷地に豆砂利を敷いた広場の中央に立派なお社がある。無事到着のお参りをして宿舎に向かう。

天理教の本部の周辺には各地の教会のマンションのようなアパートのような宿舎が100ほど散在して所属教会傘下のお参りの人を受け入れている。
宿舎から再び、年寄り二人を残して今度は三人で車で出かけた。私を案内してくれるのは天理教の教会長の家に生まれた市会議員先生とその弟の土建屋社長。
本殿は吹き抜けの「おじば」を中心として四方の正面から入って畳の間から拝み御神楽歌を歌いまた拝む、教祖の霊に拝み、代々の教主達を拝む。

天理大学の柔道部に知り合いがいるので行ってみたくて車で探していたら坊主頭の体格の良い青年が走っていたので聞いたら三原君という柔道二段の一年生だったので場所を聞いた。後で体育学部の武道場に行ってみるとその三原君が汗びっしょりで湯気を立てていた。土曜日は半日ですでに練習は終わり、明日日曜日朝9時から練習があるとのことだった。篠原監督は出張しているとのこと、四年生の酒井君はいるかと聞いたら練習に来ているとのこと。次の朝9時に行くと練習が始まったところだった。はったり屋の議員先生は道場に入るとき「オス」と大声を出したので部員がびっくりして何人かが「オス」と小声で返事をしていた。畳の周りを走っていた三原君が気付いて椅子を出してくれ、酒井君に伝言を囁くと酒井君は私を見てにっこりと笑って挨拶に来た。先生も社長も酒井君と偶然同じ高校だった。酒井君は190cm100kgのイケメン。県大会優勝程度の実力はあるのだが、気が優しいのが弱点。しばらく見学して、帰るとき又、はったり先生が大声で「オス」と叫んだので今度は全員で「オス」と大声で返事をくれた。「オリンピック頑張れ」なんて大きな態度で言って帰ってきた。後で車の中で「もし篠原監督がいたら、俺ら怒鳴られたな」なんて言って笑った。酒井君はサッカーの酒井高徳選手の一つ違いの兄。

それから本部に行きお参りして、回廊を膝当てをして雑巾掛け、200m位四つんばいで大勢で進むのだが、いつも大勢で磨いているので200m拭いても雑巾は全く汚れない。教祖殿では冷たい空気と厳粛な雰囲気で身が引き締まる。再び礼拝場での儀式に時間が許すまで参加し土産を買って大食堂で昼食を食べて本部を後にした。

帰りに42年ぶりに百済観音を見るために法隆寺に寄ってもらった。高校の修学旅行の時に見た百済観音には深く感銘を受け時間を忘れて見入っていて迷子になりかかった。百済観音の平安な世界に癒され慰められ理想の世界にあこがれと懐かしさを感じていた。

あのころ百済観音のあった位置は吹きさらしの廊下の隅に低く手の届くような近くにあった。本当に時空を超越して没頭して観音様に癒されていた。

今では百済観音堂という鉄筋コンクリートの色鮮やかなお堂にガラス張りで高々と展示されてしまっている。お顔の表情は変わってしまったように見えたが、両の手の指に新しい表情を発見した。何度も右から左から長い時間堪能した。

外人さんで足の悪い旦那さんの夫婦が杖を突いて前を歩いていた。はったり先生と社長はハローとか外人さんに声をかけるとハローとかハーイとか返事をくれたが、私は恥ずかしくて声をかけられなかった。あとで思うと話しかければ良かったなと思った。外国から我が国に来てくれているのだから日本へのお客様として「ウェルカムトゥジャパン」という気持ちを日本人として持ち言葉に表さなければいけないと思った。家に来れば我が家のお客様、会社に来れば我が会社のお客様、日本に来れば我が国のお客様である。

帰りは先生と社長と私の三人だけで遠路帰ってきた。先生と社長が最後まで交代で運転してくれた。