goo

説明

Von Neumann

2021-02-09 09:06:45 | DSM
ジョン・フォン・ノイマン(ハンガリー名:Neumann János(ナイマン・ヤーノシュ、[ˈnɒjmɒnˌjɑ̈ːnoʃ])、ドイツ名:ヨハネス・ルートヴィヒ・フォン・ノイマン、John von Neumann, Margittai Neumann János Lajos, Johannes Ludwig von Neumann, 1903年12月28日 - 1957年2月8日)はハンガリー出身のアメリカ合衆国の数学者。数学・物理学・工学・計算機科学・経済学・気象学・心理学・政治学に影響を与えた20世紀科学史における最重要人物の一人とされ、特に原子爆弾やコンピュータの開発への関与でも知られる。

Contents
1 生い立ち
2 活動
2.1 数学
2.2 物理学
2.2.1 戦争への協力
2.3 気象学
2.3.1 背景と数値予報に関わるまでの経緯
2.3.2 気象プロジェクト
2.3.3 実験的な数値予報の成功
2.3.4 まとめ
2.4 経済学
2.5 計算機科学
2.6 核兵器開発への加担
3 逸話
4 日本語訳
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
生い立ち[edit source]
1903年にブダペストにて3人兄弟の長男として生まれた。名はヤーノシュ。愛称はヤーンチ。父は銀行の弁護士ノイマン・ミクシャ(英語名:マックス・ノイマン)、母はカン・マルギット(英語名:マーガレット・カン)で、ともにハンガリーに移住したユダヤ系ドイツ人だった[1]。
幼い頃より英才教育を受け、ラテン語とギリシャ語の才能を見せた。6歳で7桁から8桁の掛け算を筆算で行い[2]、父親と古典ギリシャ語でジョークを言えた[3]。8歳で微分積分をものにした。[要出典]興味は数学にとどまらず、家の一室にあったウィルヘルム・オンケンの44巻本の歴史書『世界史』を読了した[4]。好んで読んだもの、特に『世界史』やゲーテの小説などに関しては一字一句間違えず暗唱できた。長じてからも数学書や歴史書を好み、車を運転しながら読書することもあった[3]。
1910年ごろには父親がフェンシングの先生を招き、家族でフェンシングに取り組んだ。もっとも、ノイマンはまったく上達せず、先生も匙を投げてしまう。また、音楽の先生にピアノやチェロを習わせたが、これもまったく上達しなかった。実はレッスンの最中に譜面の裏に歴史や数学の本を隠して読んでいたことが後から判明した[3]。
1913年に父親が貴族の称号をお金で購入した(オーストリアのユンカーに相当する位)。この段階で「ノイマン・ヤーノシュ」は「フォン・ノイマン・ヤーノシュ」になり、さらにドイツ語のヨハン・フォン・ノイマン(Johann von Neumann)に変わることになる[5]。
1914年にはブダペストにあるルーテル・ギムナジウム「アウグスト信仰の福音学校」へ入学[6]。ノーベル物理学賞受賞者ユージン・ウィグナーとはルーテル校で学友だった[7]。入学したルーテル校のラースロー・ラーツ(en:László Rátz)がノイマンの数学の才能を見抜き、父親に「ご子息に普通の数学を教えるのはもったいないし、罪悪とすらいえるでしょう。もしもご異存がなければ、私どもの責任でご子息にもっと高度な数学を学べるように手配いたします。」と話し、父親が承諾すると、ラーツはブダペスト大学の数学者にノイマンを引き合わせた。その数学者のひとりであるヨージェフ・キルシャーク教授がセゲー・ガーボル講師にノイマンの家庭教師を頼んだ。セゲーは最初の授業で試しに出題した問題をノイマンがみごとに解いたので、その夜自宅で涙を浮かべて喜んでいたと、セゲーの妻は記憶している[8]。
1915年から1916年にセゲーはノイマンの家庭教師を続けた。その後、ブダペスト大学の数学者たちが個人教授をうけもった。そのうちのミヒャエル・フェケテとリポート・フェイエールが最もよく付き合った[9]。
1920年に17歳のギムナジウム時代に、数学者フェケテと共同で最初の数学論文「ある種の最小多項式の零点と超越直径について」を書く。その論文は1922年にドイツ数学会雑誌に掲載される[10]。
1921年にラーツは父親との約束を守り、ノイマンが数学以外の科目を勉強するように指導した。ノイマンはギリシャ語、ラテン語や歴史、そして数学の授業も他の生徒と同じように受けていた[10]。同窓生のウィルヘルム・フェルナーやウィグナーによると、ノイマンはみんなから好かれようと懸命に努力しており、いばるそぶりや自分の殻に閉じこもって周りを無視するようなことは無かった。しかし、体育は何をしてもまったくダメで、どうしても周りの学生といっしょになることはできなかった[11]。ギムナジウムでは首席であり、当時の成績表によると、ほとんどの科目は「優」であった。いっぽう、例外的に習字・体育・音楽の成績は落第すれすれの「可」であった[12]。6月に受験した卒業試験「マトゥーラ」では首席であり、さらにエトヴェシュ賞にも合格した[13]。
1921年から1926年にかけてブダペスト大学 (Eötvös Loránd Tudományegyetem) の大学院で数学を学んだ。数学よりも金になる学問をつけさせようと望んだ父親は友人のセオドア・フォン・カルマンに相談し[14]、ベルリン大学とチューリッヒ工科大学を掛け持ちして化学工学 (chemical engineering) を学ぶことになった。授業を欠席しても試験では非常に優秀な成績だった。23歳で数学・物理・化学の博士号を授与された。1926年、論文がドイツのダフィット・ヒルベルトにいたく気に入られ、ゲッティンゲン大学でヒルベルトに師事した。ヒルベルトも彼に感心するばかりで、瞬く間にヒルベルト学派の旗手となり、1927年から1930年に最年少でベルリン大学の私講師 (Privatdozent) を務めた。しかし、1930年代はナチス政権を避けて、ノイマン一家はアメリカ合衆国に移住することになり、ジョンというアメリカ風の名前に改名した。兄弟はみな異なった姓の表記に変え、ヤーノシュは、フォン・ノイマンvon Neumannという貴族風の匂いが強く残る苗字に、彼の兄弟たちはVonneumannとニューマンNewmanにした[15]。
1930年にプリンストンに招かれ、プリンストン高等研究所の所員に選ばれた(4人のメンバーのうち2人はアルベルト・アインシュタインとヘルマン・ワイルであった)。1933年以降、この研究所で数学の教授を務めた。ノイマンは、1937年にアメリカに移住してほどなく応用数学を研究し始め、ドイツとの戦争には数値解析が必要であると考えた。そこで、アメリカ合衆国陸軍に自ら志願するが、不採用になった(当時の弾道研究所の責任者をしていたのはカルマンであり、彼は、ノイマンに化学の道を開いた張本人であったため、ノイマンが応用数学の領域に進むのを阻止したかったからであると言われている)。しかし、程なくして爆発物の分野での第一人者となり、アメリカ合衆国海軍に対するコンサルティングの仕事をした。また、ロスアラモス国立研究所でアメリカ合衆国による原子爆弾開発のためのマンハッタン計画に参加していた。さらに弾道研究所が担当していたENIACのプロジェクト開始から1年後、マンハッタン計画に従事していたノイマンもこの電子計算機のプロジェクトに気付いて関わることとなった[16]。
1950年代にはアメリカ合衆国国防総省・中央情報局(CIA)・IBM・ゼネラル・エレクトリック・スタンダード・オイルなど大企業や政府の顧問などさまざまな仕事を引き受け[17][18][19]、特にアメリカ合衆国空軍へのコンサルティングが増え、1953年に発足した通称「フォン・ノイマン委員会」の答申によって合計6種の戦略ミサイルが開発された[20]。しかし、太平洋での核爆弾実験の観測やロスアラモス国立研究所での核兵器開発の際に放射線を浴びたことが原因となって、1955年に骨腫瘍あるいはすい臓がんと診断された(同僚のエンリコ・フェルミも1954年に骨がんで死亡している)。癌は全身に転移。その後も精力的に活動を続け、合衆国政府の相談役として重要な役割を果たし続けていた。原子力委員会初代委員長ルイス・ストラウスの回想によれば「あるとき国防総省がノイマンに相談することになった…移民だった彼のベッドはいまや国防長官、副長官、陸海軍の長官や参謀長達に囲まれていた」という。
1956年1月にワシントンD.Cのウォルター・リード病院に入院。死が間近になると、以前は信仰に熱心でなかったにもかかわらず、一度目の結婚時に改宗したカトリック教会の司祭と話すことを望んで、周囲を驚かせた。1957年2月に53歳で死去。ニュージャージー州のプリンストン墓地に埋葬されている[21]。
活動[edit source]
数学[edit source]
純粋数学では、数学基礎論、集合論や測度論、作用素環論、エルゴード理論
ゲーム理論の成立に貢献。特にミニマックス定理の証明は数学の分野だけでなく、企業経営における戦略の理論や、軍事戦略の基礎理論(オペレーションズ・リサーチ)、ゼロサムゲームにおける戦略(将棋やチェスなどのコンピュータプログラムを含む)などに指針を与え社会に大きな影響を与えた。
数学基礎論ではゲーデルとは独立に、第二不完全性定理を発見している。公理的集合論における正則性公理を提唱した。
モンテカルロ法を考案したうちの一人で、名付け親だとされている。
擬似乱数生成器の開発にも貢献している[22]。
物理学[edit source]
物理では量子力学を形式的に完成させた『量子力学の数学的基礎』で知られる(詳細はリンク先記事を参照)。
戦争への協力[edit source]
兵器である砲弾や爆弾は、爆発さえすれば目標になんらかの影響を与えることはできるが、その威力は単純に爆薬量だけに依存するわけではない。威力は爆発方法や弾体の形、構造などによっても大きく異なる。
フォン・ノイマンは、1930年代半ばから爆発時の空気や液体などの流体の衝撃波に興味を持った。彼は1940年頃から衝撃波の理論構築を進め、平面だけでなく球面衝撃波の問題も研究した。1941年からは国防研究協議会(NDRC)の顧問、後に委員となり、爆発時の噴流を特定方向に集中させて威力を増す指向性爆薬(成形炸薬)の爆発も研究した[23]。この炸薬を漏斗状に成形すると爆発力が中心の空間に集中して厚い装甲板を貫通する効果は、ノイマン効果とも呼ばれている。これらの成果は、第二次世界大戦において、対戦車バズーカ砲の砲弾や魚雷の爆発に応用された[24]。
また、爆発時に衝撃波がどのように発生するかは、流体力学の非線形偏微分方程式を何らかの手段で解く必要があり、この必要性が彼が電子計算機に関わるきっかけの一つとなった。
気象学[edit source]
ジュール・グレゴリー・チャーニー、フョルトフトとともに気象力学の草分けの一人。気象学や気象予報において数理モデルとコンピュータを使う斬新な手法を持ち込み(数値予報)、天気を操るアイディアも提案し[25][26]、地球温暖化も予測した[27][28]。
背景と数値予報に関わるまでの経緯[edit source]
1944年8月に、フォン・ノイマンは数学者ハーマン・ゴールドシュタインと偶然に知り合いになった。その際に彼はゴールドシュタインから初の汎用電子コンピュータENIACのことを聞いた。彼は高速での計算が可能になれば、さまざまな分野の非線形偏微分方程式を数値的に解くことができ、そうなれば、さまざまな分野に全く新しい革新をもたらすことを知り抜いていた。フォン・ノイマンは素早く電子コンピュータの本質を理解し、ENIACの演算回路の改良とともに次に計画されていた計算機EDVACの性能を格段に上げるため新しい発想を練り上げた。彼はENIACを知ってわずか2週間でプログラム内蔵型コンピュータの概念を作り上げ、翌年3月には現在のコンピュータの基本構成となる案を作り上げた[29]。 
 フォン・ノイマンは、1945年にプリンストンの高等研究所(IAS)でENIACの後継の独自の新型コンピュータ開発のためのプロジェクトである電子コンピュータプロジェクト(Electronic Computer Project)を立ち上げた。この膨大な資金を必要とする電子コンピュータの開発には、資金集めのためのわかりやすい目的が必要だった。彼は1945年頃にシカゴ大学の気象・海洋学者であるカール=グスタフ・ロスビー(Carl-Gustaf Rossby)から、気象予測が主観的な職人芸となっていることを知った。電子コンピュータによる気象予測やその結果を用いた気象改変は人々にとってわかりやすい目的だった。彼は気象予測のための非線形偏微分方程式(プリミティブ方程式)を電子コンピュータを使って数値計算すれば、職人芸ではなく客観的な予報(数値予報)ができると考え[30]、電子コンピュータプロジェクトの一つに数値予報の開発を加えた。
気象プロジェクト[edit source]
ものごとをとにかく前に進めることが得意なフォン・ノイマンは、さっそく1946年に海軍などを説得して資金を集めた。そして、電子コンピュータを使った数値予報を研究するために「気象プロジェクト(Meteorology Project)」を立ち上げ、世界の主な気象学者を集めて会議を開いて、気象学者たちをまとめた。これによってプロジェクトは実現へと踏み出した[31]。しかし、数値予報はイギリスの気象学者ルイス・リチャードソン(Lewis Richardson)が第一次世界大戦中に手計算で行って失敗しており、単に偏微分方程式を差分形にして電子コンピュータで計算するだけではうまくいかないことははっきりしていた。その打開のために、1948年にアメリカの気象学者ジュール・チャーニー(Jule Charney)が気象プロジェクトに招かれた。チャーニーによってリチャードソンによる失敗の回避が行われ、電子コンピュータを用いた数値予報のための手法が切り開かれていった[32])。
数値予報の実験は、当初ENIACではなくその後継マシンで行う予定であったが、後継マシンの開発が遅れたため、1950年からENIACを使って、順圧モデルという気象の移流のみを予測する簡単化された気象予報モデルで予報の再現実験が行われた。この際に、モデルを内部記憶装置が小さいENIACで計算できるようにするために、フォン・ノイマンがその手法を開発した。この結果は1950年に発表され、数値予報が実現可能であることを実証した記念碑的な論文となった。この論文の3名の著者の一人としてフォン・ノイマンも入っている[33]。
実験的な数値予報の成功[edit source]
フォン・ノイマンが高等研究所で開発していたコンピュータ(IASマシン)が1951年に完成した。この高速の計算機を利用して、1952年にはチャーニーらは、複雑な傾圧モデルを用いて低気圧発達の再現に成功した。これを受けて、現業運用のための数値予報モデルの開発のために、1954年にアメリカに「合同数値予報グループ(Joint Numerical Weather Prediction Unit: JNWPU)」が設立された。これは後に、現在アメリカで数値予報を行っている国立環境予報センター(National Center for Environmental Prediction: NCEP)となっていった。
一方で、1956年にはシカゴ大学の気象学者ノーマン・フィリップス(Norman Phillips)が、大気大循環モデルの計算実験を行って、地球上の大気の典型的な気候学的循環パターンの再現に成功した。その将来性に気付いたフォン・ノイマンは、早速大循環モデルのその後の発展のための会議のお膳立てをした。しかし、がんが進行していたフォン・ノイマンは、1957年に亡くなってしまった。しかし、気象プロジェクトから始まった数値予報モデルと大循環モデル(気候モデル)は、現在日々の天気予報やIPCCなどで議論されている地球温暖化の将来予測に欠かせないものである[34]。
まとめ[edit source]
気象予測モデルは、観測結果の入力から予測の計算結果の導出までにかかる時間が、気象の発現時刻(予測時間)より速くないと意味がない(予測に使えない)という特殊事情がある。フォン・ノイマンは自身でコンピュータを改善して(プログラム内蔵などにして)数値予報が実用化できるほどにコンピュータを高速化しただけでなく、コンピュータ開発のために気象プロジェクトを立ち上げて主導した。彼は電子コンピュータと非線形流体力学方程式の両方に詳しかったからこそ、電子コンピュータの開発のために数値予報に目を付けることができたと考えられる。当時の気象学の分野は小さかったうえに、ほとんどの気象学者は電子コンピュータを扱えなかった。もしフォン・ノイマンがいなければ、電子コンピュータを用いた数値予報開発のために、大規模に人とお金を集めたプロジェクトを立ち上げることは困難だったと思われる[35]。。
経済学[edit source]
フォン・ノイマン多部門成長モデルによる経済成長理論への貢献。
生産集合・再生産の生産システム概念の導入。
ブラウワーの不動点定理を使い均衡の存在を証明。
経済学での最も大きな貢献として、オスカー・モルゲンシュテルンと共に経済学にゲーム理論を持ち込んだことが挙げられる。この応用がゲーム理論の本格的な幕開けとされ、現在、経済学ではミクロ経済学・マクロ経済学と並ぶ重要な分野として確立している。
計算機科学[edit source]

IASマシンの前で並ぶノイマンとロバート・オッペンハイマー(右)
EDVAC開発に参加した際、プログラム内蔵方式に関して書いた文書(EDVACに関する報告書の第一草稿)にフォン・ノイマンの名前しか書かれていなかったため、ストアードプログラム方式の考案者であると言われていた。その方式は「ノイマン型コンピュータ」とも言われ、現在のほとんどのコンピュータの動作原理である。アラン・チューリング、クロード・シャノンらとともに、現在のコンピュータの基礎を築いた功績者とされている。EDVAC開発チームのジョン・プレスパー・エッカートとジョン・モークリーが技術面を担当し、ノイマンが理論面を担当したと言われている。ノーマン・マクレイはプログラム内蔵方式に関してクルト・ゲーデルが不完全性定理の証明で用いたゲーデル数化のアイデアを応用したものと説明している[36]。
セル・オートマトンの分野をスタニスワフ・ウラムと創出し、(当初はろくにコンピュータもなかったにもかかわらず)実に方眼紙とペンだけで、自己増殖の概念を証明してみせた。ここでユニバーサル・コンストラクタの概念が考え出された。この分野については、彼の死後『自己増殖オートマトンの理論』Theory of Self Reproducing Automataが出版されている。この自己増殖マシンはDNAの自己複製の発見やコンピュータウイルスの先駆けであるとされる[37][38]。この貢献によりノイマン没後30年後に立ち上がった「人工生命」と呼ばれる分野の父とも呼ばれている[39]。また、カリフォルニア工科大学でノイマンが行ったオートマトンに関する講演は計算機科学者のジョン・マッカーシーに影響を与え、マッカーシーはノイマンから研究の助言を受けた[40]。1956年にダートマス会議で「人工知能」を確立したマッカーシーはノイマンも招くことを計画していたが、既にノイマンは故人となっていた。ノイマンは「コンピュータと脳(英語版)」と題した著書で人間の頭脳とコンピュータを比較する試みを行っていた。
アルゴリズムの研究にも貢献。ドナルド・クヌースは、ノイマンがマージソートの発明者であると指摘している。
クヌースは数値流体力学の分野にも挑戦したことも指摘している。R.D.Ritchmyerとともに、"人工粘性"artificial viscosityを決定するアルゴリズムを開発し、その成果により人類の衝撃波についての理解が進歩することになった。その後の天体物理学の分野の進歩や、高度なジェットエンジンやロケットエンジンの開発に、この研究は大いに貢献している。流体力学・空気力学の問題をコンピュータで計算するときには、計算すべき格子点(グリッド)が多くなりすぎるという問題があるのだが、この"人工粘性"という数学的な道具を用いることで、基本的な物理学特性を損なわずに、衝撃の伝播をコンピュータで計算しやすい形で表現することができるようになったのである。
核兵器開発への加担[edit source]

原子爆弾開発に参加したころのIDバッジ写真
「原子爆弾」、「広島市への原子爆弾投下」、および「長崎市への原子爆弾投下」も参照
彼の主要な業績には、「大きな爆弾による被害は、爆弾が地上に落ちる前に爆発したときの方が大きくなる」というものがある。この理論は、広島と長崎に落とされた原子爆弾にも利用された。
長崎に投下されたプルトニウム型原子爆弾ファット・マンのための爆縮レンズの開発を担当し、1940年代に爆轟波面の構造に関するZND理論を確立し、この理論を元に10ヶ月にわたる数値解析によって、爆薬を32面体に配置することによって、原子爆弾が実際に実現できることを示した。
ソ連のスパイだったクラウス・フックスと水素爆弾を共同で開発していた。
日本に対して原爆投下の目標地点を選定する際には「京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっているからこそ殲滅すべき」だとして、京都への投下を進言した。このような側面を持つノイマンは、スタンリー・キューブリックによる映画『博士の異常な愛情』のストレンジラヴ博士のモデルの一人ともされている。
逸話[edit source]
その驚異的な計算能力[41]と映像記憶力[42][43]、特異な思考様式、極めて広い活躍領域から「悪魔の頭脳」「火星人」「1000分の1インチの精度で噛み合う歯車を持った完璧な機械」[44]と評された。
圧倒的な計算能力については数々の逸話が残っている。
電話帳の適当に開いたページをさっと眺めて、番号の総和を言って遊んでいた。
八桁と八桁のかけ算を暗算で行う。
座ってぶつぶつ独り言を言いながら放心したように天井を見つめて暗算し、数分間目を泳がせた後おもむろに口を開き、それを解くことは不可能だと主張する研究者の目の前でスラスラと問題を解いてみせた。
頭にめぼしい定数や方程式をどっさり覚えていて、それらを総動員して電光石火で問題を解き、(他人の)着想をみるみる膨らませていった。「誰かが一つ提案しようものなら、ひっつかんで、あっという間に五ブロック先まで行ってしまう」、「自転車で特急を追いかける気分でした」と言わしめた。[1]
ロスアラモスにおけるフォン・ノイマンとエンリコ・フェルミによる議論はちょっと変わった競争形式をとっていて、めいめいが問題となっている事柄を一番早く解こうとするものだった。しかし、フォン・ノイマンの稲妻のような分析能力に太刀打ちできる者はなくて、彼が常に勝ちを納めるのだった。[45]
さる抜群の実験物理学者とエミリオ・セグレが、ある積分によって定まる問題のことで悪戦苦闘していたところ、部屋の開きっ放しになったドアからフォン・ノイマンが廊下を歩いてくるのが見えた。二人が助けを求めると、彼はドアのところまで来て黒板をチラリと眺めると、その場でいきなり答えを書き取らせて彼らを仰天させた。このような例が1ダースではきかなかったという。[46]
語学にも非常に優れ、幼少期に習ったギリシャ語とラテン語の他、ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語を身につけ、母語のハンガリー語と合わせて七つの言語を扱うことが出来た。また、これらの内のどの言語で話しても、一つの言語しか話せない人よりも速く話せたと言われている。[47]
幼少時代、深い思考に入るときに部屋の隅へ行き壁と壁の継ぎ目を凝視するクセがあった[48]。
入院後は、車椅子で救急車に乗ってまで、アメリカ原子力委員会の会合に出席したりした[49]。
後にノーベル経済学賞を受賞するジョン・ナッシュは、学生時代にノイマンにナッシュ均衡に関する考えを紹介している。この時ノイマンは理論の結論を聞く前に「それは注目に値するほどのことかね、要は不動点定理を適用しているだけじゃないか。」と一蹴した。なお、ナッシュ均衡に関してはナッシュ自身も「私の業績の中でも特に目立たぬもの」と評している[50]。
1930年9月7日にケーニヒスベルクで開催されていた「厳密科学における認識論」についての第2回会議においてクルト・ゲーデルが第一不完全性定理を発表すると、発表の後にノイマンはゲーデルと個人的に会話を行い、定理の内容を直ちに理解した。その会議の後、ゲーデルは第二不完全性定理を得て論文にまとめ、論文は11月17日に受理された。いっぽう、ノイマンは独力で第二不完全性定理を導き、その結果を11月20日付けの手紙でゲーデルに知らせた。ゲーデルはすぐに返答の手紙を書き、論文の別刷を添えて返送した[51][52]。この分野で自分に先んじたゲーデルのことは例外的に尊敬しており、生涯高く評価し続けた[53]。
何十年も居住している家の棚の食器の位置すら覚えられなかったほか、1日前に会った有名人の名前すら浮かばなかったことも。興味がないものに対しては全く無関心であると評された。またこれらの事は、ノイマンが事柄の記憶にひきかえ、意外にも画像の記憶が不得手であったことに由来しているとも言われる。親友であったスタニスワフ・ウラムの自伝にも、そのことを表す記述が見られる。「ジョニーは与えられた物理的状態の下でどんなことが起こっているかを推測する直観的常識や、十分な感覚あるいは趣味を、ほとんど持ち合わせていなかった。彼の記憶は主に耳からのもので、目からのものではなかった」。 [54]
日本では意外と知られていないが、LIFE誌が1999年に選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に選ばれているほど移民の国らしいアメリカでは著名な人物であり、科学技術が歴史とかみ合っていることに驚かれる。
政治での立場はタカ派であった。
青年期に経験したハンガリー革命、アーサー・ケストラーの『真昼の暗黒』やスターリン政権下のソビエト連邦への短い旅行などを通じて、ナチズムと共産主義を「左右の全体主義」と嫌っていた[55]。ソ連への先制攻撃を強く主張し、後に『ライフ』誌が掲載した死亡記事によれば[56]、1950年に「明日彼らを爆撃しようではないかと言われたら、なぜ今日爆撃しないのかと言う。今日の5時にと言うなら、なぜ1時にしないのかと言う。」("If you say why not bomb them tomorrow, I say why not bomb them today? If you say today at 5 o'clock, I say why not 1 o'clock?") という発言をしたとされる。
ハト派だったノーバート・ウィーナーとは性格から政治信条まで好対照だったため、比較に出されることが多い[57]。ウィーナーとは1945年以降にサイバネティックスの分野で共同研究をした。1940年代後半にノイマンが生物学の研究のためには細胞を研究すべきだという手紙をウィーナーに出した結果、ウィーナーの怒りを買い、共同研究は終わりを告げた[58]。

Von Neumann

2021-02-09 09:02:31 | DSM
Best known are the musical prodigies, such as Wolfgang Amadeus Mozart, Franz Schubert, and Felix Mendelssohn, all of whom began to compose before the age of 12; Johann Nepomuk Hummel, Frédéric Chopin, and Yehudi Menuhin, who had given public concerts by age 11; and Johannes Brahms, Antonín Dvořák, Richard Strauss, and the performer and composer Stevie Wonder, all of whom distinguished themselves through music early in their lives. Prodigies in other disciplines have included the authors Emily and Charlotte Brontë and the mathematician Norbert Wiener.


Early Life And Education

Von Neumann grew up in an affluent, highly assimilated Jewish family. His father, Miksa Neumann (Max Neumann), was a banker, and his mother, born Margit Kann (Margaret Kann), came from a family that had prospered selling farm equipment. Von Neumann showed signs of genius in early childhood: he could joke in Classical Greek and, for a family stunt, he could quickly memorize a page from a telephone book and recite its numbers and addresses. Von Neumann learned languages and math from tutors and attended Budapest’s most prestigious secondary school, the Lutheran Gymnasium. The Neumann family fled Béla Kun’s short-lived communist regime in 1919 for a brief and relatively comfortable exile split between Vienna and the Adriatic resort of Abbazia (now Opatija, Croatia). Upon completion of von Neumann’s secondary schooling in 1921, his father discouraged him from pursuing a career in mathematics, fearing that there was not enough money in the field. As a compromise, von Neumann simultaneously studied chemistry and mathematics. He earned a degree in chemical engineering (1925) from the Swiss Federal Institute in Zürich and a doctorate in mathematics (1926) from the University of Budapest.

computer chip. computer. Hand holding computer chip. Central processing unit (CPU). history and society, science and technology, microchip, microprocessor motherboard computer Circuit Board
BRITANNICA QUIZ
Computers and Technology Quiz
Computers host websites composed of HTML and send text messages as simple as...LOL. Hack into this quiz and let some technology tally your score and reveal the contents to you.
European Career, 1921–30

Von Neumann commenced his intellectual career at a time when the influence of David Hilbert and his program of establishing axiomatic foundations for mathematics was at a peak. A paper von Neumann wrote while still at the Lutheran Gymnasium (“The Introduction of Transfinite Ordinals,” published 1923) supplied the now-conventional definition of an ordinal number as the set of all smaller ordinal numbers. This neatly avoids some of the complications raised by Georg Cantor’s transfinite numbers. Von Neumann’s “An Axiomatization of Set Theory” (1925) commanded the attention of Hilbert himself. From 1926 to 1927 von Neumann did postdoctoral work under Hilbert at the University of Göttingen. The goal of axiomatizing mathematics was defeated by Kurt Gödel’s incompleteness theorems, a barrier that was understood immediately by Hilbert and von Neumann. (See also mathematics, foundations of: Gödel.)


[edit]
Nobel Laureate Hans Bethe said "I have sometimes wondered whether a brain like von Neumann's does not indicate a species superior to that of man",[19] and later Bethe wrote that "[von Neumann's] brain indicated a new species, an evolution beyond man".[188] Seeing von Neumann's mind at work, Eugene Wigner wrote, "one had the impression of a perfect instrument whose gears were machined to mesh accurately to a thousandth of an inch."[189] Paul Halmos states that "von Neumann's speed was awe-inspiring."[18] Israel Halperin said: "Keeping up with him was ... impossible. The feeling was you were on a tricycle chasing a racing car."[190] Edward Teller admitted that he "never could keep up with him".[191] Teller also said "von Neumann would carry on a conversation with my 3-year-old son, and the two of them would talk as equals, and I sometimes wondered if he used the same principle when he talked to the rest of us."[192] Peter Lax wrote "Von Neumann was addicted to thinking, and in particular to thinking about mathematics".[193]

When George Dantzig brought von Neumann an unsolved problem in linear programming "as I would to an ordinary mortal", on which there had been no published literature, he was astonished when von Neumann said "Oh, that!", before offhandedly giving a lecture of over an hour, explaining how to solve the problem using the hitherto unconceived theory of duality.[194]

Lothar Wolfgang Nordheim described von Neumann as the "fastest mind I ever met",[195] and Jacob Bronowski wrote "He was the cleverest man I ever knew, without exception. He was a genius."[196] George Pólya, whose lectures at ETH Zürich von Neumann attended as a student, said "Johnny was the only student I was ever afraid of. If in the course of a lecture I stated an unsolved problem, the chances were he'd come to me at the end of the lecture with the complete solution scribbled on a slip of paper."[197] Eugene Wigner writes: "'Jancsi,' I might say, 'Is angular momentum always an integer of h? ' He would return a day later with a decisive answer: 'Yes, if all particles are at rest.'... We were all in awe of Jancsi von Neumann".[198] Enrico Fermi told physicist Herbert L. Anderson: "You know, Herb, Johnny can do calculations in his head ten times as fast as I can! And I can do them ten times as fast as you can, Herb, so you can see how impressive Johnny is!"[199]

Halmos recounts a story told by Nicholas Metropolis, concerning the speed of von Neumann's calculations, when somebody asked von Neumann to solve the famous fly puzzle:[200]

Two bicyclists start 20 miles apart and head toward each other, each going at a steady rate of 10 mph. At the same time a fly that travels at a steady 15 mph starts from the front wheel of the southbound bicycle and flies to the front wheel of the northbound one, then turns around and flies to the front wheel of the southbound one again, and continues in this manner till he is crushed between the two front wheels. Question: what total distance did the fly cover? The slow way to find the answer is to calculate what distance the fly covers on the first, southbound, leg of the trip, then on the second, northbound, leg, then on the third, etc., etc., and, finally, to sum the infinite series so obtained.

The quick way is to observe that the bicycles meet exactly one hour after their start, so that the fly had just an hour for his travels; the answer must therefore be 15 miles.

When the question was put to von Neumann, he solved it in an instant, and thereby disappointed the questioner: "Oh, you must have heard the trick before!" "What trick?" asked von Neumann, "All I did was sum the geometric series."[18]
Eugene Wigner told a similar story, only with a swallow instead of a fly, and says it was Max Born who posed the question to von Neumann in the 1920s.[201]

Von Neumann was also noted for his eidetic memory (sometimes called photographic memory). Herman Goldstine wrote:

One of his remarkable abilities was his power of absolute recall. As far as I could tell, von Neumann was able on once reading a book or article to quote it back verbatim; moreover, he could do it years later without hesitation. He could also translate it at no diminution in speed from its original language into English. On one occasion I tested his ability by asking him to tell me how A Tale of Two Cities started. Whereupon, without any pause, he immediately began to recite the first chapter and continued until asked to stop after about ten or fifteen minutes.[202]
Von Neumann was reportedly able to memorize the pages of telephone directories. He entertained friends by asking them to randomly call out page numbers; he then recited the names, addresses and numbers therein.[19][203]



名探偵コナン

2021-02-09 06:00:35 | Comic
江戸川コナン

登録日:2010/02/21(日) 11:14:09
更新日:2021/02/07 Sun 21:18:22
所要時間:約 16 分で読めます

▽タグ一覧
あれれ~おかしいぞ~ クールキッド コナン サッカー シャーロキアン ハワイで親父に バーロー 主人公 伊達メガネ 名探偵 名探偵コナン 名探偵コナン登場人物項目 小学生 少年探偵団 工藤新一 帝丹小学校 幼児化 日本警察とFBIとCIAと公安と海自にコネをもつ小学生 死神 江戸川 江戸川コナン 真実はいつもひとつ! 絶対音感 見た目は子供、頭脳は大人 音痴 高山みなみ



俺の名は江戸川コナン

探偵さ




もしかして:工藤新一















●目次
【概要】
【来歴】
【コナンになるまで】
【コナンになってから】
【探偵アイテム】
【運動神経】
【推理力】
【性格】
【乗り物】
【家族構成】
【その他】
【彼の正体を知る人物】


【概要】

『名探偵コナン』の主人公。
彼の正体は高校生探偵として有名な工藤新一。

父・工藤優作
母・工藤有希子

CV:高山みなみ、山口勝平(青年期)
演:藤崎直(コナン)

作中で示されている通り、「江戸川コナン」の名は小説家「江戸川乱歩」と「アーサー・コナン・ドイル」から名付けた偽名。

小学生と高校生という年齢差故か、アニメではコナンを高山みなみ氏、新一を山口勝平氏が分担して演じている。
ただし、日本版ではコナンのモノローグは高山氏がそのまま演じているのに対し、
海外版ではコナンであってもモノローグは新一役の声優が担当し、コナンと新一が同一人物ということを強調している。


【来歴】

【コナンになるまで】

蘭と一緒に行ったNYに向かう飛行機の中で初めて殺人事件に遭遇。
見事解決して以来高校生探偵として活躍。両親は3年前からNYにおり一人暮らしであったが小遣い制であった。

『工藤新一水族館事件』で事件解決後、毛利蘭が買ってもらったばかりの携帯電話を推理に夢中になっていた新一のせいで溝に落として紛失してしまったため、
新一が代わりの携帯を買うほか、空手の都大会で優勝したらお詫びに今度東京にできるトロピカルランドに連れて行くと約束した遊園地でデート中に闇取引を目撃し、
『黒ずくめの男』ジンによって試作段階の毒薬 (APTX4869) を飲まされ、一命を取り留めた*1ものの、子供の姿にされてしまう。

なんとか無事に家に戻った矢先に蘭と遭遇。
名前を聞かれた際、本棚の『江戸川乱歩全集』『コナン・ドイル傑作選』を見て、とっさに江戸川コナンと名乗り、情報収集のために毛利探偵事務所の居候となる。

以後、コナンとして帝丹小学校に入学、小学生生活をしながら、元の体を取り戻すために黒ずくめの男達の真実を突き止める為に情報収集を始める。
工藤新一は事件の調査のために遠くに出かけていることになっているが(心配する蘭には「解決したら戻る」と答えている)、世間からは死亡説も出ている。
ただし、「新一からの伝言」と称して真犯人に繋がるヒントを伝えたり、一時的に元の姿に戻った時にちょくちょく顔を合わせたりしているため、
目暮警部や小五郎といった新一と近しい関係の人々は新一が生きていることを知っている(新一の頼みで彼が探偵として活動を続けている(=生きている)ことは内密にしている)。「最近謙虚だな君は…。」



【コナンになってから】

小学生として振舞いながら、探偵である毛利邸に潜り込む事で黒の組織の情報収集に努めている。
…が、組織とは無関係の殺人事件などにやたらと巻き込まれている。
時には帝丹小学校の元太・光彦・歩美ら三人組の少年探偵団と協力して事件を解決したり、
探偵の毛利小五郎の立場を利用するなどして警察の情報を入手するように。
黒の組織の調査に関しても、FBIと協力体制を取るようになってから一気に前進した。

また少年探偵団として事件を解決したり、怪盗キッドの犯行を幾度も阻止したことなどから、作中の時系列上、江戸川コナンも急速に有名人になりつつある。
ぶっちゃけ組織とか関係なく素で素性を調べられそうな気が…。


【探偵アイテム】

使い捨てカメラからスマホが当たり前になる、そんな連載から約20年たった今でも、オーバーテクノロジーの産物だらけである。ファックス付き弁当箱

蝶ネクタイ型変声機
誰の声でも出せる高性能変声機。(知らない声は出せないので本人の声を聞いておく必要があるが)
推理を披露する時等、「コナン」の発言では説得力がない場合に使用する。
ただしこの機械のみでは不十分で、その本領は女優である母親譲りの演技力があってのもの。
「眠りの小五郎」や「推理クイーン園子」を演じる時の他、目暮警部の声で事件現場にコナンを同行させるよう小五郎に指示する・小五郎の声で警察から捜査情報を聞き出す等の使い方をしている。
後ろで隠れているコナンのことは(稀にかなり近くにいても)ばれないが、少年探偵団は「コナン君、また違う人の声出してる」と疑問に感じている。
実際に沖矢昴(赤井秀一)は新一の声で蘭に電話するのを見てコナンの正体が新一だと見破っていた。

蘭が心配しないようにコナンは時折新一の声で電話しているが、ロンドン編(同時期を描いたOVA含む)では体が元に戻っていたため、逆に新一が変声機でコナンの声を出している。
コナンがジャケット姿でいる事が減ってからは蝶ネクタイとして使用する事はなくなり、普通にポケットに入れて持ち歩くようになった。

腕時計型麻酔銃
主に小五郎を眠らせたり、犯人を攻撃・拘束する為のもの。針は1本しかない。
小五郎の首筋には無数の針痕があるはずだがその描写はない。
また、健康診断などで針が体内に大量に残っているとか、睡眠薬多用による健康被害も見つかった形跡もない。
これは、「(麻酔)針は体内で溶け、睡眠薬も検査に引っかからないモノを博士が開発した」から。悪用したら完全犯罪ができるレベルの発明である。
なお、これが発明される前は灰皿で殴るなどして小五郎を気絶させていた。
たいていの人物はこれを撃たれると揺り起こされるなどしないとしばらく起きないレベルの効果があるが、
ルパン三世VS名探偵コナンでこれを撃たれた銭形警部は数分で起きていた。
バーボンこと安室透はこれを小五郎に撃とうとしている瞬間を目撃し、眠りの小五郎のトリックを暴いた。そのため以後コナンは安室の前で眠りの小五郎を行うのは控えている。
一発で相手を無力化できるために緊急避難用のアイテムとしても使われており、コナンや灰原はこれを用いて体格的に敵わない犯人の脅威から逃れたことも。
アニメ903話『似た者同士が犬猿の仲』では、慣れからかとうとうノールックで小五郎に当てている。

犯人追跡メガネ
犯人を追跡する為に使用され半径20kmが表示可能。コナンが持つシール型の発信器と併用して使われる。内蔵電池式で肝心な時に限って電池が切れる。
また後から赤外線望遠鏡機能、防弾ガラス、盗聴器が加わる。
精密機械故にすぐ調子が悪くなるらしく、阿笠博士の家には予備の眼鏡があり、コナンが行方不明になったりすると博士や灰原が持ち出すことも。
「目が悪いから」と誤魔化すものの、コナン(新一)自身の視力は良いため、レンズに度は入っていない伊達眼鏡。
コナンの素顔は幼少期の新一そのものであり、正体を隠す変装用でもある。
コナンはこの眼鏡を灰原に貸し出す際、「これをかけてると何故か正体がバレねーんだ」と笑っていた。
これは原作者の青山が好きな『スーパーマン』が正体を隠すために普段、クラーク・ケントが眼鏡をかけていることへのオマージュ。
クラーク・ケントのように眼鏡がかけている間は正体がばれることはまずないが、眼鏡を外した際は蘭に正体がばれかけた他、
ベルモット・世良真純は幼少期の新一の顔を知られているために正体がばれてしまった。

探偵バッジ
少年探偵団との共通装備。ホームズのシルエットとDBのロゴでデザインされたバッジ。
DBの意味は「Detective Boys(少年探偵団)」。
バッジ同士での長距離の通信機能、犯人追跡眼鏡と連携した発信機機能を有する。
その便利さからか、必要な時に限って博士に預けた等の理由で手元にない事が多い。

伸縮サスペンダー
高い伸縮性を持ったサスペンダー。スイッチを押すことで縮ませることもでき、重いものを動かす際に使える。
アニメ版では初登場以降出番はほとんどないが、劇場版では出番が多い。
劇場版では最大で100mまで伸びるようになり、これを応用してヘリコプターを破壊したことも。

キック力増強シューズ
ツボを刺激してキック力を上げる靴。驚くべき事に機械的な力ではなくあくまで本人の脚力を強化している。
主に犯人確保の為に何かを蹴って使用。
小学生並みの脚力のコナンが、大の大人をノックアウトできる程度には脚力が強化され、初めて使用した際には、体育の授業中にゴールを破り木をなぎ倒し、キーパーを泣かせた。
またボールなど関係なくヘルメットなど硬いものでも思いきり蹴るが、本編では足の骨を折るなどのケガはしていない(蹴ってから痛がることはあるが)。*2
ボールがないと真価を発揮しづらいため、前述のベルトからすぐにサッカーボールを出現させ、自前で調達できるようになっている。
また威力の調節もでき、元サッカーGKの犯人を追い詰める際にはわざと高校生程度に威力を下げ、薬物に手を染めていたことを発覚させた。
ちなみに上記の初使用時の威力設定は『中』である。……その上になったらどんな威力になるんだ……。
映画では演出も相まって、なにかのビームかはかいこうせんのようになっていることも。
犯人を追跡する際にこの靴を使用して生垣を乗り越えるなどジャンプ力の増強や,地面を蹴ることでスタートダッシュのブーストをかけるためなどにも使用している。

どこでもボール射出ベルト
ベルトのバックル上部のボタンを押す事で中央部から、収縮したサッカーボールが特殊ガスで膨張され、一瞬で通常サイズに戻る。
ただし10秒ほどで縮んでしまう。
キック力増強シューズとのセット運用が基本となる。
この発明品が出てきた時のコナンの第一声は「これなら何人でも犯人をぶっ飛ばせるな!」
…サッカーボールを出す道具だと言っているのに人に使う事を当然のように想定してる辺り物騒にもほどがある。
犯人確保・退治の他、ビルから落ちてきた人をぶっ飛ばす、崖から飛び降りた人に下から当てて打ち上げる等、ギャグシーンのような一幕を演出するのにも使われた。
映画はさらに強化され、大幅に膨張させて飛行船を傾けさせたり、サスペンダーと組み合わせて観覧車の倒壊を時間稼ぎしたことも。

花火ボール
劇場版でよくお見受けする言わば「必殺のボール」。どこでもボール射出ベルトから出るまでは普通のサッカーボールと変わらないが(ベルトでボールの入れ換えが可能)、キック力増強シューズで蹴り飛ばすと光を纏って飛来し、数秒たつと花火のように爆発するというものである。(爆発までの時間もベルトで調整可能)
暗闇に乗じ、暗視ゴーグルを使って殺害を企てていた犯人の視界を奪ったり、黒の組織のヘリコプターを爆発による気流で操作困難にしたり、宇宙から落ちてくる(しかも蘭がいるタワーに落ちてくるとされる)宇宙カプセルの軌道を爆発を使って強引に変えたりと、初登場時から劇場版22作目まで獅子奮迅の活躍を見せる。
……だが、23作目である男の正拳突きにより爆発前に吹き飛ばされる(文字通り雲散霧消)。あれが花火ボールだという確証はないが、あの怪物の足止めをするなら使わなければならないだろう。(使わなければ足止めできないあの男はもはや人間ではない)

弁当型携帯FAX
その名の通り弁当箱型のファックス。
その実態は、市販のファックスを弁当箱に取り付けただけのものだが。
なお、オカズは本物でそのまま食べられるらしい。

イヤリング型携帯電話
イヤリング…というには少し大きい(大きめのブローチサイズ)携帯電話。
意外にもスマホが登場してからもちょくちょく出番はある。
当然だがコナンがこれをイヤリングとして装着した事はない。

ターボエンジン付きスケートボード
主に犯人追跡に使われる。
車と同じかそれ以上のスピードも出せるハイテクマシン。
当初は太陽電池式で夜には使えなかったが、バッテリーで夜も動くよう改造された。
慣性と接地面との抵抗・風などの関係でボードから吹き飛ばされないことに触れてはいけない。
よく壊れる。
劇場版では水陸両用化したりスノーボードになったり改造エンジンで法定速度を軽く越えたりとバリエーション品が良く出てくる。
そして大抵壊れる。
エンジン付きなら本来ナンバープレートが必要だとか、ターボエンジンかと思いきやバッテリー駆動なのかハッキリしろとかツッコミどころは多い。

伸縮サスペンダー・ボール射出ベルト・ターボエンジン付きスケートボードの三つは派手なアクションシーンを売りの一つとする劇場版では三種の神器として特に出番が多い。


その他、阿笠博士の発明品を数多く使っている。

これらのアイテム使えば完全犯罪できそうなのは秘密だ!
(実際この点に関しては、劇場版ルパンvsコナンでルパンから「子どもになんてもん持たせるんだ」と突っ込まれている)


また、灰原哀手製の解毒薬を飲む等、何らかの要因でたびたび工藤新一の姿に戻っている。



【運動神経】

サッカーが好きで自身も選手顔負けの技術をもつ。
蹴ったボールを的確に相手に当てる等神がかったセンスを持っている。もちろんオーバーヘッド等はお手のもの。
道具で脚力を増強させているとは言え、ビル風や高速で動く対象なども何のその。
体が子供になったとはいえ運動神経は抜群である。高校生というかもはや人間とは思えないが……。

走力、跳躍力もあり、『迷宮の十字路』で義経と称されたことも。
高速で走るボートからボートへ飛び移ったりもしているので、この例えはあながち間違いでもない。

壁に刺さった矢の上に飛び乗る等『フルメタル・パニック!』のラムダ・ドライバ顔負けの能力も見せつけた。
どこのスタントマンだお前。


【推理力】

頭脳は高校生探偵・工藤新一の頃のままである為推理力は抜群。
小さくなってからは小五郎につまみ出されながらも現場入りして事件を解決する。

基本的に小五郎を麻酔銃で眠らせて変声機を使って推理を披露するが、小五郎の他に園子や阿笠博士が行う場合もある。
園子には容赦なく麻酔銃を撃ち込むが、事情を知っている阿笠博士には麻酔銃を撃たず、自身の推理に合わせて口パクなどの演技をしてもらっている。

が、ほんの僅かではあるが推理における弱点もあり、まだ実年齢17歳であることから高齢の犯人の心情を理解しきれず、その人生経験から小五郎が導き出した正解に驚かされたことがある。
また犯人は基本的に合理的な理由のある行動をとるという固定観念のせいで、アニメオリジナルではド天然犯人の不合理な行動を全く予測できず、少年探偵団に完全に出し抜かれてしまった事もある。

コナンの正体を知っている平次や灰原、阿笠と一緒に行動している場合は話し方が新一に戻っている。
しかし、『毒と幻のデザイン』では米原桜子に話し方が皆の前にいる時と平次の前では違う事に気づかれている。
他にも『ゾンビが囲む別荘』では被害者のスマホに新一口調で話している様子が動画として残っていた事で蘭達に怪しまれていた。
いずれも平次のフォローで誤魔化されている。

推理物の主人公という立場である為とても博識なのだが、アニオリ回では脚本家が毎回違う為か話の都合上持っていた知識を別の話では失っているという事もままある。
(水没した携帯電話はショートする恐れがあるからすぐに電源を入れてはいけない、という事を人に教えているのに別の話では水没した小五郎の携帯電話を発見した時にすぐ電源をつけようとしていた。)


【性格】

基本的には推理小説とサッカーをこよなく愛する善良な少年で「犯罪は見過ごせない」正義感も持ち合わせているが、
使命感が強いというよりは、好奇心・知的探究心と自己顕示欲・英雄願望に限りなく忠実でもある。

それがたまたま事件の犯人確保に役立っているという事で大目に見られる事があるだけで、
その欲求の矛先が少しでも違っていたら大犯罪者になっていた可能性もある。
特に自分に甘い所があり、未成年飲酒・盗聴・パスポート偽造といった殺人等に比べれば軽度な犯罪行為には抵抗がない模様(『歩美ちゃん誘拐事件』に至っては、早合点の推理の結果、道交法違反・器物破損・暴行・傷害を起こしたにも拘らず、(ギャグっぽく描かれているが)謝らないで逃げようとしてしまった)。
事件捜査に関しても、現場を勝手に荒らしたり被害者の遺品を勝手に使う、
警察であると詐称したり小五郎の名前を勝手に出して、
周りの人間を動かしたり話を聞いたりと完全アウトな行為を繰り返している。

某警部殿と同様に、「人が人の命を奪う」ことに対しては一貫して否定の態度を取っており、
無関係な人間を巻き込んだり、犯行を軽視・正当化する場合は、動機の質に関わらず犯人を責め立てるような言動を取る場合もある。
特定の目的を果たすための自殺や諸事情から犯人の復讐を受け入れて命を絶った被害者に対しても苦言を呈している。

また、事件に巻き込まれてしまった関係者を慮り、警察と連携した上で真実を明かす際に配慮したり、
やむを得ない事情から犯罪に手を染めてしまった人間に対しては、罪を償って再出発してほしいと励ます、
幸いにして事件そのものが大事に至らず犯人が猛省しており、更に被害者側からも赦す意思が見られた場合には、
殺人未遂や殺人予備であっても口裏を合わせて真相を伏せるなど、思いやりの心や優しさも人一倍に持っている。
推理ショーを開始する前にも、事件の真相がとある関係者にとって辛いものになりそうだった場合は、蘭等に頼んでその人物を推理ショーの席から外すようにしている。
ただし、見た目が子供なので流石に不可能なのか、事件解決後に収容先の施設に行って犯人と面会し、犯人もしくはその身内の救済に当たるという事は一切していない(特別編では一度だけ犯人と面会している)。
…まあ、行けたところで小学生の姿では説得力はないと思われるが。
そもそも犯人視点からすれば、自分の犯行を暴いたのは小五郎であってコナンではない。

初期の頃は「犯人を追いつめるスリルがたまらねーんだ!!」などとのたまったり、
自殺しようとした犯人に対して「死にたきゃ勝手に死ね!!」などとブチ切れたりしていたが*3、
後にとある人物の影響から「犯人を追いつめて自殺させるのは殺人者と同じ」という考えを持つようになる*4。
コナンとなったことは、結果的に新一を探偵として大きく成長させることとなった。

犯人の自殺を阻止する為には基本的に麻酔銃やボール+シューズを使って阻止している。
とはいえ毎回完璧という訳ではない為、誰かがいなかったら犯人の自殺を確実に許している事もあり、特に『代役・京極真』では京極真がいなかったら完全にアウトだった事もある。

幼児化してすぐは非力な子供の姿を嫌っていたのか、「早く元に戻りたい」とかなり焦っていたが、子供ということで蘭と一緒に風呂に入られる等、役得もある。
クラスメイトとなった少年探偵団(歩美、元太、光彦)のことも初期の頃は邪険にすることもあったが、
幾度となく共に修羅場を潜り抜けていく中で親友と呼べる絆で結ばれている。
彼らの前では頼れる兄貴分としての姿を見せることも多い。

一方、女性の機微に関してはKYかつ無神経な性格でもあるため、女性陣に余計な発言をしてひどい目に合うこともある。あるいは女性陣の思わせぶりな発言の意図に悩んだり。

……こうして並べていくと、実は部分的には毛利小五郎と瓜二つの性格の持ち主*5であり、作中でも何かと気の合う場面を見せていたり、意外な部分で行動や発言がシンクロしたりといった描写がなされている。
実際劇場版では記憶喪失になった蘭に対し、小五郎が英理にプロポーズしたときの言葉をそのまま言っているし*6。

【乗り物】

様々な乗り物を操縦できる。
ヘリコプター、ボート、スポーツカー、ジャンボジェット等々何でもありで、ほとんどは「ハワイで親父に教わった」ですまされている。*7
拳銃もハワイで親父に教えてもらいました。
工藤親子にとってハワイ=訓練基地という認識らしい。
ただこれらの技能が発揮されているのは劇場版のみである事を留意しておく。


【家族構成】

工藤優作と工藤有希子の間に生まれた一人っ子。
コナンのパーソナルは元々が架空の人物のため存在しないが、両親のことを小五郎や蘭が不審がった際には、
たまたま日本に帰国していた有希子が変装して江戸川文代なる「コナンの母親」になったことで事なきを得ている。
しかし有希子が「コナンは2人目(の息子)」とも一部に紹介してしまっており、時にややこしくなる。

家族仲は良いようで、夫婦揃って体が縮んだ新一をからかったり、(主に有希子から)ちょくちょく国際電話がかかってきたりしている。
新一としても両親を慕ってはいるようだが、悪ふざけに全力だったり年甲斐もなく痴話喧嘩をしたりすることには辟易としている様子。

ちなみに父親の仕事は世界レベルで売れっ子の推理小説家で、母親は元美人女優というかなりの勝ち組。
資産もあるようで、日本から飛行機で発つ際ノリで「このまま世界一周しちゃうか」とか言えるレベル。
工藤家もかなり大きな洋館で、優作の書斎はどこの図書館なのかと突っ込みたくなるほどの大量の推理小説が並んでいる。

推理力は父親、演技力(とハッタリの利いた大仕掛けの好きな性格)は母親からそれぞれ受け継いだようだ。
ただ、推理力は父親に、演技力や悪戯好きな性分は母親にそれぞれ一歩及ばない様子。

祖父以外は一般人の「彼」とはえらい違いである。


【その他】

長期連載という事もあり、時折設定に矛盾が生じる。

初期の頃は現場の遺留品に素手で触る、事件のトリック解説の際に現場をそのまま使うなど現場保存に反する行為を当然のようにしていた。
また、特に悪質な行為として現場にあった証拠を勝手に持ち出して一人で調べ、後から証拠として提出するという行為が挙げられる。
現場にあった物を勝手に動かした時点で証拠能力は失われてしまう為(それが許されるならいくらでも証拠の捏造ができてしまう)、犯人が動揺せず突っぱねていたら証拠不十分で迷宮入りとなってしまう。

演技力は女優だった母親譲り、と灰原に評されていたがややワンパターンの傾向がある。
口癖は「バーロォ」(よく間違えられるがバーローではない)。
他にも灰原には「あれれぇ~?」「おっかしいぞぉ~?」、次元大介には「僕ちょっとトイレ~」などを指摘されている。

黒の組織のボスのメールアドレスが、携帯のプッシュ音で曲(七つの子)になっていることを突き止める。
が、プッシュ音で無理矢理それっぽく聞こえてるようにしている(正しい音程とは多少ずれている)せいで絶対音感の彼には逆にその音が曲になっている事を気付くのが遅れてしまった。
しかし、とある事件では燃え盛る家の中で犯人が弾いているピアノ(この事件ではピアノの音が暗号になっている)を聴いただけで完全に暗譜していた。
また、映画でもリコーダーを用いた音のメッセージも瞬時に判断できている。

なお、「絶対音感持ちなのに音痴」という点については公式ガイドブックである「コナンドリル」でフォローされており、後に原作でもフォローされた。
簡単に言うとインプット面では優れているのに、アウトプットが苦手というタイプということである。
詳しく言うと、音感は問題ないが声帯のコントロールが上手くできないために歌うと音痴になってしまうタイプ。
このタイプは自分の出す音が音程からずれてる事・正しい音程に合わせられない事を自覚してしまい苦悩するタイプのはずなのだが、特にそういう面は見られずカラオケなどでは気持ちよさそうに歌っている。

しかし劇場版では「手の届かない場所にある電話をかけるために、プロの歌手と協力してプッシュ音の音程を声で再現する」という芸当をしている。
…お前音痴じゃなかったのか。
また、ホームズ贔屓故にバイオリンは弾ける(ただし蘭曰く「特徴的な弾き癖がある」)が、音楽記号の「D.C.」や有名なピアノ曲「G線上のアリア」を知らないなど、音楽面の知識が多少乏しい様子。

また音楽面以外ではTVゲームも下手なようで、作中では少年探偵団や蘭に負けている。光彦曰く「案外不器用」

世間的には小学生であるため同じ推理漫画の高校生と違いスケープゴートにされたことはない。
(工藤新一としてなら一回ある)

怪盗キッドが主人公であるまじっく快斗1412でもゲストとして登場しており、キッドこと快斗視点からコナンの裏側を体験できる貴重な回が5話ぐらい存在している。
その為、コナン及び新一は快斗の一から考えたマジックを見破り追い詰めて行く強敵ライバルとして描かれており、彼のモノローグ描写が存在しない事から一般視点から見たコナンの姿を見る事ができる。

近年のアニオリ回のタイトルに「コナン」というワードが登場すると、解体中のビルの地下に閉じ込められたり、霊柩車に閉じ込められたりするなど命の危機に晒される事が増えている。

みんなからは「コナン」「コナン君」と言われる事が多いが、園子からは「ガキんちょ」、アニメオリジナルキャラで玉之助一座の座長の伊東玉之助からは「おちびちゃん」と言われている。


【彼の正体を知る人物】

阿笠博士(理解者)
服部平次(ライバル兼親友。コナンの為なら火の中、水の中と言わんばかりに連絡が来れば大阪からバイクで駆けつけてくれる)
灰原哀(コナンの相棒)
黒羽快斗/怪盗キッド(宿命のライバル。原作よりも先にアニメ劇場版で正体を知ったが、後に原作でも正体を知っている描写があり、コナンもそれを認めている)
寺井黄之助(快斗の協力者)
ベルモット(フラグ建てちゃった☆)
両親(たまにからかわれている)
本堂瑛祐
沖矢昴(赤井秀一)
世良真純、領域外の妹(名言はされていないものの、『さざ波の魔法使い』などでコナンの正体を知っているような節を見せている)
ルパン一味
宮野明美(故人)
アイリッシュ(同じく故人)
ノアズ・アーク(一応故人…人?)
アラン・スミシー(故人)
読者




追記・修正はハワイで親父に習った方のみお願いします。

名前

2021-02-09 05:52:14 | 価値観
DQNネーム

登録日:2010/12/28 Tue 17:42:37
更新日:2021/02/07 Sun 16:08:45
所要時間:約 14 分で読めます

▽タグ一覧
DQN DQNネーム DQN親 あああああ あとたまごクラブ いじめ ここに家庭裁判所を建てよう だいたい親のせい オンリーワン(笑) キラキラネーム キラキラネーム(笑) グレなかった人は表彰すべき スイーツ(笑) マジキチ 不幸 厨二 厨二病 名前 呪い 子供はペットじゃねぇぞ 就活にはかなりの痛手 屑親 恥 悪魔ちゃん 歪んだ愛情の産物 珍名 現代病 生き地獄 生まれの不幸を呪うがいい 芸能人の子供 虐待 被害者 親の顔が見てみたい


概要

DQNネームとは人名におけるDQNな名前、つまり一般社会の常識と照らし合わせると明らかに逸脱した名前のことである。
発祥は不明だが、いつ頃からか自然発生的に誕生し、そのまま定着した。

類語に「キラキラネーム」がある。
こちらは命名した当事者にとってはポジティブな意味合いとなり、メディアなどではこちらが使われる。

だが、どの道多分に皮肉を含んだ表現であるのには変わりはない。
最近ではキラキラネームの方がよりストレートに馬鹿にした感じがして通りがいいかもしれない。



タイプ

大きく分けて「字の使い方」か「名前の由来」のどちらかまたは両方に原因がある場合が多い。
なお、後述するように実際にいる名前をDQNネームの具体例として出すのはいじめでしかないため、架空人物の例のみ取り上げる。


字の使い方

文字の使い方の分類としては大きく6つに分かれ、

◆人名に不適切な字や単語を使う
例:「岳画殺(たけが さつ)」や「平沢憂(ひらさわ うい)」、「悪魔田死神」、「飯塚甲子園」*1等

◆大げさな名前や外国人のような名前をつける
例:「板垣天使(いたがき えんじぇる)」や「西園寺世界」、右代宮一族

◆ヤンキーもびっくりの当て字を用いる
例:「田中眼蛇夢(たなか がんだむ)」、「美来斗利偉・拉麵男(ビクトリー・ラーメンマン)」、「毒狼拳蛾蛇虫(どくろけんがんだむ)」 等

◆『読めるか阿呆!』と言いたくなるほどに無理矢理な当て字
例:「目太門比科忠(めたもん ぴかちゅう)」、「保可炉衣土(ほかろ いと)」 等

◆本来の漢字の読みを途中で勝手に切る豚切りを使う
例:「心愛(ここあ)」 等

◆どうやっても普通はそう読まない読みを当てる
例:月(らいと) 等

おまけ
◆名付けに悩んで、考えてもらった案を全乗せする
例:「寿限無」「山神ルーシー(以下略)」「寿限無寿限無ウンコ投げ機一昨日の新ちゃんのパンツ(中略)ぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺおあとがよろしいようでこれにておしまいビチグソ丸」

◆明らかに本人の性別とは逆の名をつける(「かおる」、「つかさ」、「なぎさ」「ひろみ」等男女兼用名は除外)
例:「吉永さゆり(ニックネーム:ヒゲゴジラ)」、「藤波竜之介」等



名前の由来

由来にもいろいろあるが、実際には由来がどうであれ自然な名前であれば問題は無い。

◆漫画やアニメやゲームのキャラクターからそのまんま引用する

◆人間ではなく動物のキャラクターの名前をつける

◆国際的な人に育ってほしいと外国人っぽい(あくまで“それっぽい”)名前をつける

◆「かわいいから」とペットのような名前をつける

◆外国の単語を意味も分からず持ってくる

◆個性ある人に育ってほしいと変にひねくった名前を付ける

◆音の響きを重視して使う漢字の意味を全く考えない


等々…様々なタイプが存在する。


ここ十年の明治安田生命の子どもの名付けランキングをみると、

どうみても新しいエロゲーかギャルゲーか特撮ヒーローの登場人物一覧か何かかと疑いたくなる光景が広がっており、
特に女児の名前は概ねパソコンかテレビのモニター越しに会った彼女達から付けたであろう名前が連なっている。

アニメやゲームのキャラクターの場合、個性的なネーミングにすることでそのキャラの名前を覚えてもらいやすくしたり、
悪役なので現実で同じ名前の子供がいじめられないように…等の理由で奇抜な名前がつけられることは珍しいことではない。

ただしそれはあくまでも創作に登場する架空の人物だから許される話であり、
その名前を親が真似して自分の子供に付けてしまうというのは正直なところあまり褒められた行動とは言えない。

それが「翼」などの現実でも珍しくない名前ならともかく、「月(ライト)」のようなDQNネームを付けてしまうというならなおさらである。

DEATH NOTEにおいて、原作者のガモ…もとい大場つぐみは、

「同じ名前の子どもがいじめられないように」

という理由で非現実的な名前を数多く登場人物に名付けたが、その後月やらキラやらの名付けが増えたらしい。
……大場先生の配慮が台無しである。

さて、アニヲタwikiにあんまり関係ない項目に思われるだろうが我々の場合、俺の嫁というのがいる。
名前自体は普通の名前でも、もし俺の嫁の名前を子どもにこっそりつけてそれがリアル嫁にバレたら…

「加奈の悲劇」としてよく知られているので調べてみよう*2。


西洋の名前の方についても、殆どは聖書に出てくる聖人や偉人の名前を引用しているため、安直にマリアとかジョンとかジェームズとか付けると、
そちらの国の人から「なんでクリスチャンでもないのに聖人の名前つけてんの…?」と思われたりするとか。例えるならブッダ神父やニチレン牧師みたいな感じか。
(なお、マリアにちなんで「まり」「まりえ」「まりか」等とつけるという事は割とある)

単純に見た目と名前の響きがミスマッチという問題もある。みなさんも、金髪碧眼のアメリカ人が太郎とか花子という名前だったら驚くだろう。つまりそういう感じである。




何故DQNネームがつけられてしまうのか?

原因のひとつに親世代が自分の親(祖父母世代)と疎遠である場合が挙げられる。
普通の親であれば子どもにとんでもない名前を付けはしないし、間違って付けようとしてもその上の親が止めてくれる。
しかし、最近は親世代と祖父母世代の交流が少なく、親がマタニティハイの状態のまま誰も止めずに名付けてしまうことがまま見られる。

しかし最近は爺婆世代ですら脳内お花畑なことも少なくはない。
世も末である。

また、由来にも挙げた通り個性的な名前や国際的な名前を!と変な名前をつけることを煽る一部の無責任な育児雑誌の存在も大きい。

海外は海外で「Google」や「Excel」などを届け出る親がいたり*3、中国では漢字でなくアルファベットを使おうとするなどの例がみられ、各国で問題視されている。

また近年のインターネットやSNSの発達でそうした例が目につきやすくなり、かつ個々の事例を一覧にしてまとめやすくなったのも問題視されるようになった要因の一つに挙げられる。

何故かDQNネームをつけてしまう親は極端に教養がないか、逆に教養がありすぎる人間が多い。
前者は目立つことを考えるからだろうが、後者においては自分の教養を示したいという欲求が強すぎたのだろう。
つまり森鴎外自重しろ。

教育関係者や児童福祉関係者の間においてはDQNネームの子どもは虐待される確率が高いことがよく知られている。
最近報道された虐待死亡事件でも大体がDQNネーム。
子どもをモノやペットのように扱う親にDQNネームをつける傾向があるらしい。
また、名門学校への進学や就職においてもDQNネームというだけでハネられることもある等不利に働くことも多い。

間違っても自分に子供が出来ても「愛歌と書いてラブソングと名付けたい」とか言ってはいけない。

因みに名前を付けるのはお役所仕事なので、ビチグソとか肉便器とか酷すぎる名前でなければあっさり通る。
名前は出生届で届けられるが、名前を理由に出生届を不受理とした場合、役所としては守るべき子どもを把握できなくなりかねない。
そのため、名前を理由に突っ返す訳にはいかないという面がある。
(悪魔くんのケースでも、亜区馬くんや阿久魔くんに字を変えても「読み:あくま」は不可であると役所は不受理にしたが、
 裁判では受理するように判決が出てたりする。
 ただし役所は上告したが親が「阿久」で届け出て受理されて終わったので、「漢字:悪魔」や「読み:あくま」に最終的な決着は付いていない)

名前に使える漢字は決まっているが、戸籍や住民票にそもそも読み仮名はなく、出生届では事務処理上の理由で「よみかた」を書く必要はあるものの、
漢字をどう読ませても良いし、後で自発的に読み方を変えるのも自由。
ただし漢字の音・訓・字義などに全く関係ない読みの場合は受理できないというのも戸籍法にあり、
漢字の読みから豚切りレベルでも字義から連想ゲームレベルでもいいので出生届では漢字に基づいた読みは最低限求められる。
代表例として「高」と書いて「ひくし」と読ませるのは意味が逆なので不受理になっている。


ちなみにドイツでは子供に名前を付ける際、かなり厳格な規制があるという。
具体的には「名前で性別を識別でき、尚且つ子供に悪影響を与えない名前であること」という条件があり「適切でない」と判断されると却下されることもある。

他にもアイスランドでは子供につけて良い名前のリストがあり、それ以外の名前をつけようとする場合には政府に申請する必要がある(そのため大抵の親はリストから選ぶとか)。

フランスではフランス革命の時に子供にとんでもない名前をつける親が続出し、その結果「子供には歴史上の人物などの名前でなければならない」という法律ができた。

なお、1951年、日本で新生児の命名に際し当用漢字以外の使用が禁止された時、
「命名権は基本的人権であり、漢字を制限するのは憲法違反だ」という主張が出て、
国会に「戸籍法の一部改正案」(漢字制限の撤廃)が提出されたことがあった。
それを止めたのが、当時の官房副長官であり、後に文部大臣にもなった「剱木 亨弘」(けんのき としひろ)であった。
彼は、自由党国対委員長の小沢佐重喜に対し、

「私の下の名前が読めますか? 生まれてから今日まで、誰からも一度も正確に読んでもらったことはありません。
親は自分の子供だからといって、人から読まれない名前を勝手に付けてよいのでしょうか?」

と懸命に訴えた結果、法案採決自体が取りやめになったという。
小沢も「佐重喜」(さえき)の名前をなかなか正確に読んでもらえず、大臣の任命式の際に昭和天皇が総理に対して「この名前はどのように読むのか」と質問したというエピソードが残っている人物である為、名前による苦悩が理解できたと思われる。
同時に、息子である小沢一郎が絶対に間違えようがないシンプルな名前になった理由でもあると言われている。
難読の人が、更なる難読が発生するのを止めたわけである。



改名で解決できるか?

一度決まった名前を改名するのは家庭裁判所の許可が必要で、「改名するに足る理由」が必要。
名前をあまりころころと変えられると、周囲も「この人誰だっけ?」となりやすく迷惑するし、時には悪用される可能性もあり、簡単に変えさせないことがルールになっている。

改名するに足る理由としては

①あまりにも奇妙な名前

②読みが難しすぎる

③身近に同姓同名がいるなどの理由で不便である
作中で完全な同姓同名の義弟を持つことになった幽☆遊☆白書の蔵馬(南野秀一)は希望すればこれを理由に変更できた可能性が高い。

④性別が紛らわしい
女性なのに「●男」「●雄」「●太」など。「●美」「●香」など、男女とも使う名前では困難。

⑤外国人と紛らわしい
外国人が日本に帰化した場合などもこれになると思われる。

⑥出家して僧となり僧としての名前を名乗りたい
逆に還俗(僧から一般人に戻ること)で普通の名前に戻るのもあり。

⑦何年も通称の名前で暮らしてきており周囲にも通称の名前が本名と知れ渡っている
芸能人の芸名や営業名など、その中でも特に多いのが力士であろうか。
また、出生届に書き間違いがあり、自分で本名と思って長い間使ってきた氏名と戸籍がずれている場合などもある。

⑧同姓同名の犯罪者などがいて差別・いじめが発生してしまっている
改名が認められた有名な例としては田中角栄(子ども)の例がある。
田中角栄(総理大臣)にちなんで田中さんが子どもに名前を角栄とつけたら、田中角栄(総理大臣)がロッキード事件で有罪になり、田中角栄(子ども)がいじめの対象となったので改名できたというものである。

いわゆるDQNネームは①②に当てはまる可能性が高く、申請すれば改名自体は認められる可能性が高い。
とはいえ、最後は裁判官が決めることであり、緩い裁判官に当たるとあっさり改名できるのに頑固な裁判官に当たるとなかなか改名が認められないことも少なくないとか。
また、15歳以上でないと自分では名前の変更ができないため、親がDQNネームに固執し続けて「そんなの許さない!お前は一生この名前であるべきだ!」となると子どもとしてはお手上げになる。
15歳以上になったとしても、親元で暮らしている限り親が拒否すれば改名が難しいのは変わらないだろう。

従来は「どうやって手続きをしたらいいのかわからない」と途方にくれてそのままになっている人も多かったが2010年代以降、ネットの普及に伴い改名する方法や必要な書類の情報がテンプレート化されて広められ、そのおかげで普通の名前を得られた喜びの体験談もいくつか投稿されている。
2019年に「王子様」という名前を母親につけられた18歳の男性が改名した経緯をtwitterに写真付きで投稿し、新聞やニュースサイトでも取り上げられ大きな話題となった。

また、あまりに読みにくい名前をつけて失敗したと考えた親御さんは、放置せずできる限り早く家庭裁判所に行って改名の手続きを取ってあげること。
子どもが大きくなって幼稚園・学校に通い始めると改名はどんどん難しくなるし、また改名できたとしても子どもに負担を強いることになる。


実は昔からあった?

かの有名な「徒然草」の第百十六段を開くと、

お寺の名前や、その他の様々な物に名前を付けるとき、昔の人は、何も考えずに、ただありのままに、判りやすく付けたものだ。
最近になって、よく考えたのかどうか知らないが、小細工した事を見せつけるように付けた名前は嫌らしい。
人の名前にしても、見た事のない珍しい漢字を使っても、全く意味がない。
どんな事も、珍しさを追求して、一般的ではないものをありがたがるのは、薄っぺらな教養しかない人が必ずやりそうな事である。

といった内容の文がある。
どうやら700年昔の鎌倉時代の人々も似たような思考だったらしい。
流石兼好と言うべきか、人の営みは700年経っても変わらないと言うべきか…


時代は下って、江戸時代の国学者・本居宣長の随筆「玉勝間」巻十四には、

最近の人の名前には、名前にふさわしくない字を使う事が多く、読み方も普通ではないものが多い。
最近の名前は、特に奇妙な字や奇妙な読み方が用いられていて、非常に読みづらいものを多く見かける。
全ての名前は、よく知られている文字で、読み方も分かりやすいものが良い。

という内容の文がある。
江戸時代でもそれなりにいたようだ。

「とうり」(糸瓜or唐瓜)を「へちまうり」(と=「いろはにほへ と ちりぬるを」の「へち間」)と呼び変えたり、
酒屋に「春夏冬二升五合」(秋無い升升半升=あきないますますはんじょう=商い益々繁盛)と書いてあったり、
歯の絵と逆さになった猫の絵で箱根(はこね)をあらわしたり、
麻と書いて魔-鬼=ことわざ「鬼の居ぬ間に洗濯」で洗濯と読んだり、
十と五を組み合わせた嘘字(創作漢字)で元服と読んだり、
武士である「高梨」家の分家が本家と字を変える際に「小鳥遊」(小鳥が遊ぶ=鷹無し=たかなし)にしたり、
武士である「山梨」家の分家が「月見里」(月がよく見える里=山無し=やまなし)にしたり、
こういうノリの言葉遊びが流行していたせいもあるが。

実際、本居宣長の門下生の名前も
「稽古」なので「けいこ」かと思ったら「とほふる」(「稽=とどこほる・古=ふる」に読みを寄せつつ「稽古=刀振る」)だったとかフリガナ無しには読めない名前が何人も居たという。


子供のその後

付けられた子供はどう思うのか?

現在ほど多くない(かもしれない)とはいえ、兼好の言うとおりDQNネームをつけたがる親というのは昔からいるので、その名前を持った人が成人している場合もある。
そういう人たちがインターネットなどで書き込んだ、その名前に対する思いだが、『恥ずかしい』『いじめられた』というのがほとんどである。
「外国人のような名前を付けられても見た目が純日本人なんだから似合うわけないに決まっている」「変な名前だから絶好のからかいの対象にされた」など、
もう被害者としか言い様のない声が探せばいくらでも出てくる。
DQNネームを付けるような親に言っても仕方ないかもしれないが、子どもは親の所有物でもペットでもなく、親と同じ人間なのである。
そんなこともわからないのなら、そもそも子どもを作るべきではない。

だがまれにだがDQNネームが役に立つ例があり、俳優の下條アトムは「アトム」繋がりで『鉄腕アトム』の作者手塚治虫と対面出来たという。
…ただし大抵レアケース中のレアケースなので、期待はしないこと。大抵は不利益ばかりです。

ちなみに、DQNネームを付ける気満々な母親の子どもを不憫に思い、『付ける予定という名前+ママ』というあだ名でその母親を呼び続け、
その恥ずかしさに気付かせてDQNネームを付けるのを止めたというママ友の話がある。
こういう人がもっと増えればDQNネームも、その名前で苦しむ子どもも減るかもしれないが、未だ全く聞かなくなるまでには至らないのが現状である。ままならないものだ。

そして2000年9月、53歳の男が「女の名前を付けられたせいで人生がうまくいかなかった」として73歳の父親を包丁で刺すなどして失血死させるという事件が起きた。
(なお、父親が名付けて字が難しくて女みたいなのでイジメられたと本人が恨んだ名前は「鼎(かなえ)」で、30代になって「要(かなめ)」に改名していた)

子供に限らず自分が名前をつける側に回ったとき、それが本当にいい名前か考えたいものである。

自分の子でないにせよ、「それはちょっと…」と思う機会があったら声を上げよう。余計なお世話と言われても、それで子供の将来を守れるのなら安いものだろう。

また、稀にだが名付けた当初は普通の名前だったはずなのに、年代が下った結果DQNネームになってしまったというパターンもある。
光宙(みつひろ)と名付けられた推定40代ほどの人がピカチュウと名付けられたと勘違いされたという小噺である。


DQNネーム批判への批判

他方で、安易なDQNネーム認定や批判も考え物である。

よく聞く普通の名前でも、知らないと読みづらい名前や、読みにいくつものパターンがあるものは結構多い。
本人や親から聞かないと読めない名前は珍しくもなんともないのだ(例:「文子」→「ふみこ」「あやこ」 「勝一」:「まさかず」「しょういち」「かつひと」 「裕」:「ひろし」「ひろ」「ゆう」「ゆたか」)。
「主税」→「ちから」など、実際知らないと読みにくい名前のひとつだが、「百官名」とよばれる奈良時代の役職名にちなんだ由緒ある名前で、忠臣蔵で有名な大石内蔵助の息子の名前でもある。
自分が知らないから直ちにダメな名前だ、という考え方はあまりにも短絡的である。

また、漢字の意味も多義的だ。「悪」という漢字も、「強い」「勇猛である」というような意味合いにも使われる言葉である。平安時代には、自ら「悪源太」と名乗った人物すらいた。
もちろん、現代においてその解釈を主張することはいかがなものか、という批判は考えられる。
だが、漢字の意味や名前の意味を知らないままにDQNネームと認定し嘲笑するのは、逆に自分に教養がないことを嘲笑される結果となる可能性があることは忘れてはならない。

そしてどんな名前であれ、本人が気に入っているかもしれないのだ。
傍目に見れば奇抜でもバカバカしくてもあるいは普通でも、自分の名前に誇りを持っているという人に対して、それ以上言うべきこともないだろう。



それだけでなく、DQNネーム批判は、時に現実にDQNネームをつけられてしまった子どもたちを辱めてしまうという側面もある。
DQNネームを付けるのは親の問題であり、それによって不便を被った子どもたちは被害者である。
DQNネーム批判の過熱は子どもたち自身にとってそれこそ追い討ちに等しく、当の子どもたちの立場を危うくしてしまうことは忘れてはならない。
名付けでやらかした親についても、子どもたちにとってはかけがえのない親である。名付けの失敗以外では愛情を注いできちんと養育している場合も多いだろう。
名前を慎重に付けることは確かに大切であり、珍妙な名前をつけることは子どもに悪影響があると呼びかけるのも重要なことかもしれない。
だが、呼びかけるのに、今生きている子どもの具体的な名前を出して、その名前を持つ人と、その両親を笑いものにし、その心を傷つけることが必要なんだろうか?

はっきり言おう、それはいじめでしかない。例え言っている側にいじめるつもりがなくともである。
そもそも、DQNネーム自体、DQNネームに目をつけていじめを行う人物さえいなければ、特に社会問題にもならないことである。
(読み方が複数ある名前は別に社会問題にはなっていない)
名前を理由に目をつけていじめる人物と名付けで失敗した親。どう考えたって親よりいじめる人物が非難されるべきだろう。

そういったことを意識できずにDQNネームを笑いものにするような人物に、DQNネームをつけた両親を批判する資格はない。そういう人物こそ本物のDQNであると言えよう。
大勢の前でその話をするとき、周りにDQNネームの人がいないと言えるだろうか?
DQNネームをネタにするのは、アニメや漫画の世界だけにしておくべきであろう。

「将来の夢」

大きくなったら総理大臣になります。
そして、子どもに変な名前をつけちゃいけないっていう法律を作ります。
変な名前だと子どもはイヤです。
大人は、子どもがイヤなことをしたらいけないと思います。
子どもに変な名前をつけた大人は罰金にします。
それから、変な名前の人は自分で変えてもいいっていう法律を作ります。

発達障害

2021-02-09 05:44:55 | DSM
発達障害を正しく知る
私のこと(ご本人のおはなし・ノンフィクションなど)
大切な家族のこと(ご家族のおはなし・子育て体験記)
大人の発達障害
子どもの発達障害と育ち
子育てのヒント
保育や教育などの現場で
療育・進学・就労・将来のサポート
ともに暮らすために知っておきたいこと
じょうずに暮らすためのレッスン
印刷用PDF
◆ 発達障害を正しく知る
書名 著者名 出版者 出版年
ニューロダイバーシティと発達障害 『天才はなぜ生まれるか』再考 正高 信男/著 北大路書房 2019.12
誤解だらけの発達障害 岩波 明/著 宝島社 2019.10
「キレる」はこころのSOS 発達障害の二次障害の理解から 原田 謙/著 星和書店 2019.5
天才と発達障害 岩波 明/著 文藝春秋 2019.4
薬に頼らず家庭で治せる発達障害とのつき合い方 ロバート・メリロ/[著] クロスメディア・パブリッシング 2019.2
発達障害グレーゾーン 姫野 桂/著 扶桑社 2019.1
アスペルガー・ADHD発達障害シーン別解決ブック 司馬 理英子/著 主婦の友社 2019.2
よくわかる女性のアスペルガー症候群 人づきあいが苦手、空気が読めない、誤解されやすい  司馬 理英子/著 主婦の友社 2019.1
やさしい発達障害論 高岡 健/著 批評社 2018.11
わが子の「発達」が気になったときの本 不安に思ったときの第一歩は「知ること」から! - 洋泉社 2018.1
発達障害がよくわかる本 本田 秀夫/監修 講談社 2018.1
自閉くんのマニュアルがありません! 不思議な息子が教えてくれる楽しい暮らし方 岡野 ゆかり/著 学研プラス 2018.9
公認心理師のための発達障害入門 黒田 美保/著 金子書房 2018.9
「ウチの子、発達障害かも?」と思ったら最初に読む本 広瀬 宏之/著 永岡書店 2018.7
マンガでわかる発達障害特性&個性発見ガイド 福西 勇夫/著 法研 2018.1
ASD<アスペルガー症候群>、ADHD、LDお母さんが「コレだけ」は知っておきたい発達障害の基礎知識 宮尾 益知/監修 河出書房新社 2017.12
自閉スペクトラム症を抱える子どもたち 受身性研究と心理療法が拓く新たな理解 松本 拓真/著 金剛出版 2017.11
発達障害の基礎知識 0歳から大人、進学から就職への対応がすべてわかるハンドブック  宮尾 益知/著 河出書房新社 2017.9
夫婦の危機は発達障害が原因かもしれない 離婚を考える前に読むカップルセミナー入門 宮尾 益知/著 河出書房新社 2017.8
最新図解自閉症スペクトラムの子どもたちをサポートする本 理解を深め、支援する 榊原 洋一/著 ナツメ社 2017.7
自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実 スティーブ・シルバーマン/著 講談社 2017.5
人付き合いが苦手なのはアスペルガー症候群のせいでした。 コミックエッセイ 吉濱 ツトム/著 宝島社 2017.5
感情への自然主義的アプローチ 自閉症スペクトラムへの発達支援 須田 治/著 金子書房 2017.4
人間脳の根っこを育てる 進化の過程をたどる発達の近道 栗本 啓司/著 花風社 2017.4
発達障害 岩波 明/著 文藝春秋 2017.3
子どもの発達障害と支援のしかたがわかる本 基本から理解したい人のための 西永 堅/著 日本実業出版社 2017.2
自閉症と感覚過敏 特有な世界はなぜ生まれ、どう支援すべきか? 熊谷 高幸/著 新曜社 2017.1
発達障害事典 日本LD学会/編 丸善出版 2016.1
発達障害の子どもの心がわかる本 赤ちゃん〜学童期 笠原 麻里/監修 主婦の友社 2016.1
もしかして、うちの子、発達障害かも!? 岡田 俊/著 PHP研究所 2016.1
14歳からの発達障害サバイバルブック 発達障害者&支援者として伝えたいこと 難波 寿和/著 学苑社 2016.8
発達障害とはなにか 誤解をとく 古荘 純一/著 朝日新聞出版 2016.8
走れ!児童相談所 安道 理/著 アイエス・エヌ株式会社コミュニティ・パブリッシング事業部 2016.8
心の病気ってなんだろう? 松本 卓也/著 平凡社 2019.7
発達と障害を考える本 3 ふしぎだね!?LD(学習障害)のおともだち 新版 - ミネルヴァ書房 2019.7
小中学生のための障害用語集 みんなに優しい学校と社会を願って 柘植 雅義/編著 金剛出版 2019.2
新しい心のバリアフリーずかん きみの「あたりまえ」を見直そう! 中野 泰志/監修 ほるぷ出版 2018.9
みんなのバリアフリー 2 障害のある人が困っていることを知ろう 徳田 克己/監修 あかね書房 2018.4
知ろう!学ぼう!障害のこと [1] LD(学習障害)・ADHD(注意欠如・多動性障害)のある友だち - 金の星社 2017.2
知ろう!学ぼう!障害のこと [2] 自閉スペクトラム症のある友だち - 金の星社 2017.2
目次へ
◆ 私のこと(ご本人のおはなし・ノンフィクションなど)
書名 著者名 出版者 出版年
発達障害の内側から見た世界 名指すことと分かること 兼本 浩祐/著 講談社 2020.1
こちら、発達障害の世界より 生きやすく生きることを求めて 難波 寿和/著 本の種出版 2019.12
発達障害 僕にはイラつく理由(ワケ)がある! かなしろ にゃんこ。/著 講談社 2019.8
先生、ぼくら、しょうがいじなん? 「特別支援教育」という幻想 成沢 真介/著 現代書館 2018.11
片付けられないのはアスペルガー症候群のせいでした。 マンガ版 吉濱 ツトム/著 宝島社 2018.11
こんなに毎日やらかしてます。 トリプル発達障害漫画家がゆく 沖田 ×華/著 ぶんか社 2018.8
私たちは生きづらさを抱えている 発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音 姫野 桂/著 イースト・プレス 2018.8
ヘン子の手紙 発達障害の私が見つけた幸せ 伊藤 のりよ/著 学研プラス 2018.7
発達障害の僕が「食える人」に変わったすごい仕事術 借金玉/著 KADOKAWA 2018.5
ぼくはアスペルガー症候群 仕事と人間関係編 権田 真吾/著 彩図社 2018.3
15歳のコーヒー屋さん 発達障害のぼくができることからぼくにしかできないことへ 岩野 響/著 KADOKAWA 2017.12
明日も、アスペルガーで生きていく。 国実 マヤコ/著 ワニブックス 2017.11
どうして普通にできないの! 「かくれ」発達障害女子の見えない不安と孤独 こだま ちの/著 協同医書出版社 2017.4
COCORA 1 天咲 心良/著 講談社 2017.1
COCORA 2 天咲 心良/著 講談社 2017.1
発達障害者の才能をつぶすな! 齊藤 祐作/著 幻冬舎メディアコンサルティング 2016.10
発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由 栗原 類/著 KADOKAWA 2016.10
ぼくが発達障害だからできたこと 市川 拓司/著 朝日新聞出版 2016.6
社会の中で居場所をつくる 東田 直樹/著 ビッグイシュー日本 2016.1
じゅぎょうにしゅうちゅうしたいのに… 感じ方のちがい NHK Eテレ「u & i」制作班/編 ほるぷ出版 2020.1
ジヘーショーのバナやん 成沢 真介/文 少年写真新聞社 2018.12
そらをとびたかったペンギン だれもが安心して存在できる社会へ 申 ももこ/作 学苑社 2017.7
自閉症の僕が跳びはねる理由 東田 直樹/著 KADOKAWA 2017.6
ぼくはスーパーヒーロー アスペルガー症候群の男の子のはなし メラニー・ウォルシュ/作 岩崎書店 2017.1
レイン 雨を抱きしめて アン・M.マーティン/作 小峰書店 2016.1
めざせスペシャルオリンピックス・世界大会!  (文研じゅべにーる ノンフィクション) 沢田 俊子/著 文研出版 2016.4
テンプル・グランディン自閉症と生きる サイ・モンゴメリー/著 汐文社 2015.2
ボクはじっとできない  バーバラ・エシャム/文 岩崎書店 2014.11
目次へ
◆ 大切な家族のこと(ご家族のおはなし・子育て体験記)
書名 著者名 出版者 出版年
うつと発達障害 最新医学からの検証 岩波 明/著 青春出版社 2019.7
うちの火星人 続 全員発達障がいの家族から学ぶ、個性とともに生きる知恵 平岡 禎之/著 光文社 2019.3
うちのでこぼこ兄妹 発達障害子育て絵日記 寺島 ヒロ/著 飛鳥新社 2019.3
生きづらいと思ったら親子で発達障害でした 入学準備編 モンズースー/著 KADOKAWA 2019.2
発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年 松永 正訓/著 中央公論新社 2018.9
カサンドラのお母さんの悩みを解決する本 発達障害の夫に振り回されないために 宮尾 益知/監修 河出書房新社 2018.9
発達障害をもつ我が子たちが教えてくれたこと 「ストレスケア」がもたらす幸せ 松下 美樹/著 ラピュータ 2018.7
ブレない子育て 発達障害の子、「栗原類」を伸ばした母の手記 栗原 泉/著 KADOKAWA 2018.6
発達障害の暮らし日記 森山家の泣いたり笑ったり 森山 和泉/著 神戸新聞総合出版センター 2018.6
手作り弁当は、ママから発達障害の娘へのラブレター 桜井 奈々/著 宝島社 2018.3
私小説 市川 拓司/著 朝日新聞出版 2018.3
発達障害だって大丈夫 自閉症の子を育てる幸せ 堀田 あけみ/著 河出書房新社 2018.3
鉄塔少年Hの遡上 小川 俊明/著 文芸社 2018.2
されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間 鈴木 大介/著 講談社 2018.1
母、ぐれちゃった。発達障害の息子と娘を育てた16年 あじろ ふみこ/著 中央公論新社 2017.12
コーヒーはぼくの杖 発達障害の少年が家族と見つけた大切なもの 岩野 響/著 三才ブックス 2017.12
うちの子はADHD 反抗期で超たいへん! かなしろ にゃんこ。/著 講談社 2017.1
旦那(アキラ)さんはアスペルガー アスペルガーと知らないで結婚したらとんでもないことになりました 野波 ツナ/著 コスミック出版 2017.9
生きづらいと思ったら親子で発達障害でした 入園編 モンズースー/著 KADOKAWA 2017.9
孫がASDって言われたら?! おじいちゃん・おばあちゃんだからできること ナンシー・ムクロー/著 明石書店 2017.7
小さなモネ-アイリス・グレース- 自閉症の少女と子猫の奇跡 アラベラ・カーター・ジョンソン/著 辰巳出版 2017.7
自閉症スペクトラム 家族が語るわが子の成長と生きづらさ 診断と支援にどう向き合うか 服部 陵子/著 明石書店 2017.6
話せない、聞こえない。それはさておき、息子カムは今日もゆく。 しおり/著 セブン&アイ出版 2017.5
こぼんちゃん日記 自閉症の息子と育つ 小亀 文子/著 クリエイツかもがわ 2017.5
カサンドラ症候群でした アスペルガーな夫との生活と、これから えどがわ 理恵/著 文芸社 2017.2
うちの子は育てにくい子 発達障害の息子と私が学んだ大切なこと アマミ モヨリ/文・絵 KADOKAWA 2016.1
かわいいけどちょっとこわいアスペルガーのおとこのこ 玉置 祐子/著 パレード 2015.7
ボクの彼女は発達障害 2  くらげ/著 学研教育出版 2015.7
聖奈の絵はコトバ 聴覚障害+発達障害の子がイラスト作家になるまで 杉本 香苗/著 中央法規出版 2014.7
すずちゃんののうみそ 自閉症スペクトラム(ASD)のすずちゃんの、ママからのおてがみ 竹山 美奈子/文 岩崎書店 2018.1
目次へ
◆ 大人の発達障害
書名 著者名 出版者 出版年
#発達系女子の明るい人生計画 宇樹 義子/著 河出書房新社 2019.9
最新図解女性の発達障害サポートブック 本田 秀夫/著 ナツメ社 2019.3
発達障害のある女の子・女性の支援 「自分らしく生きる」ための「からだ・こころ・関係性」のサポート 川上 ちひろ/編著 金子書房 2019.3
大人の発達障害 生きづらさへの理解と対処 市橋 秀夫/監修 講談社 2018.11
この先どうすればいいの?18歳からの発達障害 「自閉症スペクトラム症」への正しい理解と接し方 宮尾 益知/監修 大和出版 2018.11
大人の発達障害のための段取りノート術 見るだけでわかる! 吉濱 ツトム/著 宝島社 2018.10
もしかして、私、大人のADHD? 認知行動療法で「生きづらさ」を解決する 中島 美鈴/著 光文社 2018.9
大人の発達障害に気づいて・向き合う完全ガイド 黒澤 礼子/著 講談社 2018.6
隠れアスペルガーさんの才能・仕事の見つけ方 コミックエッセイ 吉濱 ツトム/著 宝島社 2018.6
大人の発達障害と就労支援・雇用の実務 山下 喜弘/編著 日本法令 2018.3
大人の自閉スペクトラム症 他の人とは「違う」特徴との向き合い方 備瀬 哲弘/著 SBクリエイティブ 2017.12
ASD<アスペルガー症候群>、ADHD、LD大人の発達障害 日常生活編 18歳以上の心と問題行動をサポートする本 宮尾 益知/監修 河出書房新社 2017.10
オトナの発達障害大図解 ASDとADHDの基礎知識から社会復帰の方法まで 藤田 潔/著 幻冬舎メディアコンサルティング 2017.9
おとなの発達障害かもしれない!? 森島 明子/著 イースト・プレス 2017.9
大人の“かくれ発達障害”が増えている 発達障害は万病のもと! 岩橋 和彦/著 法研 2017.6
最新図解大人の発達障害サポートブック 小野 和哉/著 ナツメ社 2017.5
よくわかる大人のアスペルガー 自分勝手、わがまま…と思われがちな人たち。もしかしたら、アスペルガー? 梅永 雄二/監修 主婦の友社 2017.2
夫がアスペルガーと思ったとき妻が読む本 誰にもわかってもらえない“カサンドラ症候群”から抜け出す方法 宮尾 益知/著 河出書房新社 2016.7
発達障害に気づかない母親たち 星野 仁彦/著 PHPエディターズ・グループ 2016.2
女性のADHD イラスト版 宮尾 益知/監修 講談社 2015.12
これでわかる大人の発達障害「生きづらさ」解消のヒントが満載! 林 寧哲/監修 成美堂出版 2015.5
大人のADHD もっとも身近な発達障害 (ちくま新書) 岩波 明/著 筑摩書房 2015.7
目次へ
◆ 子どもの発達障害と育ち
書名 著者名 出版者 出版年
「発達障害」だけで子どもを見ないでその子の「不可解」を理解する 田中 康雄/著 SBクリエイティブ 2019.12
発達の気になる子の「困った」を「できる」に変えるABAトレーニング 小笠原 恵/著 ナツメ社 2019.12
凸凹子どもがメキメキ伸びるついでプログラム 井川 典克/監修 クリエイツかもがわ 2019.11
未来に飛び立て!発達の気になる子の大人になるためのチャレンジ 学齢期編 鹿野 佐代子/著 翔泳社 2019.11
ロックで療育 ロカビリー★キッズライヴと発達障害の子どもたち ビリー諸川/著 人間と歴史社 2019.10
ふれあいペアレントプログラム指導者用ガイド 社会的コミュニケーション発達が気になる子の育て方がわかる 尾崎 康子/編著 ミネルヴァ書房 2019.9
子どもが発達障害といわれたら 幼児期から大人になるまでのQ&A70 中田 洋二郎/監修 中央法規出版 2019.8
発達性協調運動障害 不器用さのある子どもの理解と支援 辻井 正次/監修 金子書房 2019.8
子どもの発達が気になったらはじめに読む発達心理・発達相談の本 加藤 弘通/著 ナツメ社 2019.7
お母さんと僕のまほうの砂箱 発達障害と母子同時箱庭療法 大住 誠/文 ゆまに書房 2019.6
もしかして発達障害?「気になる子ども」との向き合い方 嶋野 重行/著 幻冬舎メディアコンサルティング 2019.6
子どもの発達が気になるときに読む心理検査入門 特性にあわせた支援のために 改訂新版 安住 ゆう子/編著 合同出版 2019.2
子どもの発達障害事典 新版 原 仁/責任編集 合同出版 2019.2
その子、発達障害ではありません IN-Childの奇跡 韓 昌完/著 さくら舎 2019.2
保育者のための発達障がい相談室 橋場 隆/著 小学館 2019.1
学習障害のある子どもを支援する 宮本 信也/編 日本評論社 2019.1
困っている子の育ちを支えるヒント 発達の多様性を知ることでみえてくる世界 井澗 知美/著 ミネルヴァ書房 2018.9
「子どもの発達障害」に薬はいらない 井原 裕/著 青春出版社 2018.5
知っておきたい気になる子どもの手先の器用さのアセスメント PWT描線テストの手引と検査用紙 尾崎 康子/編著 ミネルヴァ書房 2018.3
発達障害の女の子のお母さんが、早めに知っておきたい「47のルール」 藤原 美保/著 健康ジャーナル社 2018.3
子どもの臨床発達心理学 未来への育ちにつなげる理論と支援 西本 絹子/著 萌文書林 2018.2
発達障害かも!?うちの子って お母さんの心がかるくなる62の処方箋 遠藤 雄策/著 シャスタインターナショナル 2018.1
0歳からの発達が気になる赤ちゃんにやってあげたいこと 気づいて・育てる超早期療育プログラム 黒澤 礼子/著 講談社 2017.11
自閉症スペクトラム 家族が語るわが子の成長と生きづらさ 診断と支援にどう向き合うか 服部 陵子/著 明石書店 2017.6
発達障害の子の健康管理サポートブック 梅永 雄二/監修 講談社 2017.6
人間脳の根っこを育てる 進化の過程をたどる発達の近道 栗本 啓司/著 花風社 2017.4
発達障害あんしん子育てガイド 幼児から思春期まで - 小学館 2017.3
発達障がいの子どもが自分らしい大人になる10歳からの準備60  スマートキッズ療育チーム/編著 唯学書房 2017.1
発達障害の子を育てる親の気持ちと向き合う 中川 信子/編著 金子書房 2017.1
発達障害の子どもたち、「みんなと同じ」にならなくていい。 長谷川 敦弥/著 SBクリエイティブ 2016.12
発達障害のある子の育ちの支援 家族と子どもを支える 辻井 正次/著 中央法規出版 2016.11
あっくんはたべられない 食の困難と感覚過敏 あっくん/作 世音社 2019.3
あの子の発達障害がわかる本1 ちょっとふしぎ 自閉スペクトラム症ASDのおともだち - ミネルヴァ書房 2019.3
あの子の発達障害がわかる本2 ちょっとふしぎ 学習障害LDのおともだち - ミネルヴァ書房 2019.3
あの子の発達障害がわかる本3 ちょっとふしぎ 注意欠如・多動症ADHDのおともだち - ミネルヴァ書房 2019.3
あの子の発達障害がわかる本4 ちょっとふしぎ 吃音・チック・トゥレット症候群のおともだち - ミネルヴァ書房 2019.6
あの子の発達障害がわかる本5 知ってほしい 発達障害とこころのふしぎ - ミネルヴァ書房 2019.10
目次へ
◆ 子育てのヒント
書名 著者名 出版者 出版年
発達障害&グレーゾーンの小学生の育て方 井上 雅彦/監修 すばる舎 2020.1
発達障害の子を育てる本 スマホ・タブレット活用編 中邑 賢龍/監修 講談社 2019.12
ASD<自閉症スペクトラム障害>、ADHD、LD入園・入学前までに気づいて支援する本 幼児期〜入学期の問題行動の見つけ方と対応策 宮尾 益知/監修 河出書房新社 2019.11
発達障害は食事でよくなる 腸から脳を整える最新栄養医学 溝口 徹/著 青春出版社 2019.9
発達障害児の偏食改善マニュアル 食べられるってうれしいね 藤井 葉子/編著 中央法規出版 2019.9
幼児期の発達障害に気づいて・育てる完全ガイド <対象>幼児期4歳〜就学前まで 新版 黒澤 礼子/著 講談社 2019.9
発達障害から知る子育て 岡田 和美/著 マガジンランド 2019.8
障がいのある子を育てるのが楽になる本 お母さんの不安と悩みが解消 川岸 恵子/著 現代書林 2019.6
月齢別発達が気になる子どもの早期療育・育児支援ガイドブック ママ&パパと医療者のための 岩井 正憲/編集 メディカ出版 2019.5
発達障害の子どもを伸ばすビジョントレーニング 1日5分!親子で楽しみながらできる 小松 佳弘/著 実務教育出版 2019.4
発達障害は栄養で良くなる 新時代に希望をもたらす未来医療 サリー・カーク/著 ヒカルランド 2019.3
子育てレシピ 健全な脳を育む働きかけ 田中 真紀/著 論創社 2019.2
食事でよくなる!子供の発達障害 たんぱく質と鉄分不足が子供を蝕む ともだ かずこ/著 マキノ出版 2019.3
発達障害の子の遂行機能「何度言ったらわかるの?」を「できた!」に変える上手な伝え方 グズグズ・ソワソワ・イライラを解消するちょっとした工夫 本多 和子/著 学研教育みらい 2018.12
イラストでわかる発達が気になる子のライフスキルトレーニング 幼児期〜学童期編 「できた!」を増やす対応法 平岩 幹男/著 合同出版 2018.1
子育てで一番大切なこと 愛着形成と発達障害 杉山 登志郎/著 講談社 2018.9
無理なくできる!発達障害の子が伸びるいちにちいっぽの育て方 miki/著 学研プラス 2018.9
読み聴かせの奇跡 発達障害児の子育て 森川 ひろ子/著 文芸社 2018.8
発達障がいの子どもが伸びる笑顔の子育て あっぴー/著 秀和システム 2018.7
LD<学習障害>のある子を理解して育てる本 竹田 契一/監修 学研プラス 2018.7
子育て支援と心理臨床 子育て支援合同委員会/監修 福村出版 2018.6
誤学習・未学習を防ぐ!発達の気になる子の「できた!」が増えるトレーニング 橋本 美恵/著 翔泳社 2018.5
発達凸凹を感じたらタッチライフをはじめよう! 育てやすく・生きやすく おーこ/著 エスコアール 2018.5
発達障害の子どもがぐんぐん伸びるアイデアノート お母さん、もう怒らなくていいんです。 吉濱 ツトム/著 メディカルパブリッシャー 2018.4
発達障害の子の子育て相談1~6 - 本の種出版 2018.4
発達障害の子の「励まし方」がわかる本 有光 興記/監修 講談社 2018.1
発達障害の子どもと上手に生き抜く74のヒント 保護者に役立つサバイバルブック<小学生編> 小林 みやび/著 学研プラス 2018.1
発達が気になる子へのスモールステップではじめる生活動作の教え方  鴨下 賢一/著 中央法規出版 2018.1
ASD<アスペルガー症候群>、ADHD、LDお母さんが「コレだけ」は知っておきたい発達障害の基礎知識  子どもの特性を理解してサポートする本 宮尾 益知/監修 河出書房新社 2017.12
発達障害の子の「会話力」を楽しく育てる本  藤野 博/監修 講談社 2017.11
発達障害の子どもの「できる」を増やす提案・交渉型アプローチ (学研のヒューマンケアブックス) 武田 鉄郎/編著 学研プラス 2017.9
育てにくい子どもを楽しく伸ばす17のコツ  発育が悪い・言葉が遅い・学習できない 発達障害&グレーゾーンのわが子がぐーんと育つヒントがいっぱい   鈴木 昭平/著 コスモ21 2017.8
ASD<アスペルガー症候群>、ADHD、LDお母さんができる発達障害の子どもの対応策  問題行動を理解してお母さんと子どもをサポートする本 宮尾 益知/監修 河出書房新社 2017.7
イマイキテル自閉症兄弟の物語 知ろうとするより、感じてほしい 増田 幸弘/著 明石書店 2017.7
発達が気になる子のステキを伸ばす「ことばがけ」  一番伝わりやすいコミュニケーション手段、それがその子の“母国語”です   加藤 潔/著 明石書店 2017.5
アスペルガー症候群・ADHD子育て実践対策集 (育ちあう子育ての本) じょうずなつきあい方がわかる   司馬 理英子/著 主婦の友社 2017.4
子どものための発達トレーニング  岡田 尊司/著 PHP研究所 2017.4
発達障害の子どもを伸ばす脳番地トレーニング  加藤 俊徳/著 秀和システム 2017.3
発達が気になる子の脳と体をそだてる感覚あそび  あそぶことには意味がある!作業療法士がすすめる68のあそびの工夫  鴨下 賢一/編著 合同出版 2017.3
発達障害あんしん子育てガイド - 小学館 2017.3
発達障害の子のための「すごい道具」 安部 博志/著 小学館 2017.1
目次へ
◆ 保育や教育などの現場で
書名 著者名 出版者 出版年
これからの特別支援教育の進路指導 共生社会に向けたネットワークづくり 宮崎 英憲/監修 ジアース教育新社 2019.12
発達障害のある子の学びを深める教材・教具・ICTの教室活用アイデア 金森 克浩/著 明治図書出版 2019.12
気になる子もみんないきいき保育 ここからはじめよう、幼稚園の特別支援教育 増補新版 星山 麻木/著 河出書房新社 2019.10
子どもを笑顔にする療育 発達・遊び・生活 池添 素/著 全国障害者問題研究会出版部 2019.10
通級指導教室発達障害のある子への「自立活動」指導アイデア110 喜多 好一/編著 明治図書出版 2019.10
「継次処理」と「同時処理」学び方の2つのタイプ 認知処理スタイルを生かして得意な学び方を身につける 藤田 和弘/著 図書文化社 2019.9
今ひきこもりの君へおくる踏み出す勇気 吉濱 ツトム/著 ベストセラーズ 2019.8
自閉症児・発達障害児の教育目標・教育評価 1 子どもの「ねがい」と授業づくり 三木 裕和/編著 クリエイツかもがわ 2019.8
自閉症児・発達障害児の教育目標・教育評価 2 「行動障害」の共感的理解と教育 三木 裕和/編著 クリエイツかもがわ 2019.8
心理学でわかる発達障害「グレーゾーン」の子の保育 杉山 崇/著 誠信書房 2019.7
発達が気になる子への水泳の教え方 スモールステップでみるみる泳げる! 酒井 泰葉/著 合同出版 2019.7
気になる子が活きるクラスづくり 発達特性を踏まえた保育のコツ 福岡 寿/著 中央法規出版 2019.3
合理的配慮ハンドブック 障害のある学生を支援する教職員のために 日本学生支援機構/編著 ジアース教育新社 2019.3
発達が気になる児童生徒の理解と指導・支援 これだけは知っておきたい 阿部 利彦/著 金子書房 2019.2
ユーモア的即興から生まれる表現の創発 発達障害・新喜劇・ノリツッコミ 赤木 和重/編著 クリエイツかもがわ 2019.2
保育者のための発達障がい相談室 橋場 隆/著 小学館 2019.1
「発達障害」という個性 AI時代に輝く-突出した才能をもつ子どもたち 大坪 信之/著 幻冬舎メディアコンサルティング 2018.12
ASD<アスペルガー症候群>、ADHD、LDみんなといっしょにまなぶ・あそぶ発達障害のお友だち 宮尾 益知/監修 河出書房新社 2018.11
気になる子の保育「伝わる言葉」「伝わらない言葉」 保育者が身につけたい配慮とコミュニケーション  守 巧/著 中央法規出版 2018.1
教室でできる気になる子への認知行動療法 「認知の歪み」から起こる行動を変える13の技法 松浦 直己/著 中央法規出版 2018.1
支援が困難な事例に向き合う発達臨床 教育・保育・心理・福祉・医療の現場から 別府 悦子/編著 ミネルヴァ書房 2018.1
学校心理学にもとづく教育相談 「チーム学校」の実践を目指して 山口 豊一/著 金子書房 2018.1
発達につまずきがある子どもの輝かせ方 通常の学級の特別支援教育 川上 康則/著 明治図書出版 2018.9
特別な配慮を必要とする子どもが輝くクラス運営 教える保育からともに学ぶ保育へ 松井 剛太/著 中央法規出版 2018.9
教師と学校が変わる学校コンサルテーション 奥田 健次/編著 金子書房 2018.9
発達障害に気づいて・育てる完全ガイド <対象>小学生 中学生でも活用できます 黒澤 礼子/著 講談社 2018.8
発達障がい児の感覚を目覚めさせる運動発達アプローチ タイプ別やる気スイッチが入る運動あそび 森嶋 勉/著 合同出版 2018.5
「気になる子」が変わるとき 困難をかかえる子どもの発達と保育 木下 孝司/著 かもがわ出版 2018.5
よくわかる障害児保育 尾崎 康子/編 ミネルヴァ書房 2018.2
あそトレ 発達に不安がある子が遊びながら学べる22のトレーニング 子育て応援隊むぎぐみ発達・療育支援部門Flos/著 健康ジャーナル社 2017.12
発達障害児を救う体育指導 激変!感覚統合スキル95 根本 正雄/編 学芸みらい社 2017.12
教室で使える発達の知識 発達が凸凹の子どもたちへの対応 山田 章/著 クリエイツかもがわ 2017.11
こうすればうまくいく!自閉症スペクトラムの子どもの保育 イラストですぐにわかる対応法 水野 智美/著 中央法規出版 2017.10
「気になる子ども」と共に学ぶ家庭科 特別な支援に応じた授業づくり 伊藤 圭子/編著 開隆堂出版 2017.10
事例で学ぶ発達障害者のセルフアドボカシー  「合理的配慮」の時代をたくましく生きるための理論と実践  片岡 美華/編著 金子書房 2017.9
「気になる子ども」保護者にどう伝える? 佐藤 慎二/著 ジアース教育新社 2017.9
気になる子の本当の発達支援  市川 奈緒子/著 風鳴舎 2017.8
学童保育に作業療法士がやって来た 糸山 智栄/編著 高文研 2017.6
中学校・高等学校発達障害生徒への社会性指導  桑田 良子/編著 ジアース教育新社 2017.5
発達障害の「教える難しさ」を乗り越える  幼児期から成人期の自立へ 河野 俊一/著 日本評論社 2017.5
発達障害の子をサポートする生活動作・学習動作実例集 腰川 一惠/監修 池田書店 2017.3
発達障害のある子/ない子の学校適応・不登校対応     小野 昌彦/編著 金子書房 2017.3
通級指導教室発達障害のある子を伸ばす!指導アイデア  夏目 徹也/著 明治図書出版 2017.2
教室の困っている発達障害をもつ子どもの理解と認知的アプローチ 非行少年の支援から学ぶ学校支援 宮口 幸治/著 明石書店 2017.2
ココロとカラダほぐしあそび 二宮 信一/著 学研プラス 2017.1
発達が気になる子どもの行動が変わる!保育者のためのABI<活動に根ざした介入>実践事例集 七木田 敦/編著 福村出版 2017.1
こんなときどうする?ストーリーでわかる特別支援教育の実践 川上 康則/著 学研プラス 2016.12
新しい特別支援教育のかたち 吉利 宗久/共編著 培風館 2016.11
発達障害のある大学生への支援 高橋 知音/編著 金子書房 2016.11
「合理的配慮」とは何か? 清水 貞夫/著 クリエイツかもがわ 2016.10
再考!「気になる子」〜保育者の気づきを深め、ニーズに応じた支援のために〜 馬場 広充/著 ジアース教育新社 2016.10
気になる子もみんないきいき保育 星山 麻木/著 河出書房新社 2016.10
特別支援の必要な子に役立つかんたん教材づくり29 武井 恒/著 学芸みらい社 2016.9
よくわかる!自閉症スペクトラムのための環境づくり 梅永 雄二/監修・著 学研プラス 2016.9
発達の視点で保育をとらえる 林 美/著 新読書社 2016.9
発達障害のある子が育つ150の学習課題&学び術 添島 康夫/著 明治図書出版 2016.9
自立と希望をともにつくる 湯浅 恭正/編著 クリエイツかもがわ 2016.8
知的障害・発達障害の教材・教具117 三浦 光哉/編著 ジアース教育新社 2016.7
中学生・高校生 学習・行動が気になる生徒を支える 酒井 貴庸/編著 明石書店 2016.7
保育士・教師のためのティーチャーズ・トレーニング 上林 靖子/監修 中央法規出版 2016.7
はじめよう!障害理解教育 水野 智美/編 著 図書文化社 2016.7
保育士のための発達障害児の見つけかた 久我 利孝/著 同成社 2016.6
特別支援教育をサポートする読み・書き・計算指導事例集 梅田 真理/編著 ナツメ社 2016.6
特別支援教育と博物館 駒見 和夫/編 同成社 2016.6
学校でのICT利用による読み書き支援 近藤 武夫/編著 金子書房 2016.6
感覚統合を活かして子どもを伸ばす!「音楽療法」   柿崎 次子/著 明治図書出版 2016.6
目次へ
◆ 療育・進学・就労・将来のサポート
書名 著者名 出版者 出版年
発達障害の人が働くときに知っておきたい10の基本 男性も女性も、新入社員もベテラン社員も仕事が辛いと思ったら自分を点検してみる 宮尾 益知/著 河出書房新社 2019.7
発達が気になる幼児の親面接 支援者のためのガイドブック 井上 雅彦/著 金子書房 2019.6
発達障害の人の「就労支援」がわかる本 梅永 雄二/監修 講談社 2019.3
発達障害のバリアを超えて 新たなとらえ方への挑戦 漆葉 成彦/編著 クリエイツかもがわ 2019.2
飼い殺しさせないための支援 障害者が自立していく現場のリアル  高原 浩/著 河出書房新社 2018.12
人材紹介のプロがつくった働く発達障害の人のキャリアアップに必要な50のこと 石井 京子/著 弘文堂 2018.11
高校・大学における発達障害者のキャリア教育と就活サポート 小谷 裕実/編著 黎明書房 2018.11
発達障害を職場でささえる 全員の本領発揮を目指すプレゼンティーズムという視点 宮木 幸一/著 東京大学出版会 2018.1
発達分野のコンサルテーションスキル 地域で働く作業療法士に役立つ 岡田 貴富/監修 三輪書店 2018.8
発達障害の人の「私たちの就活」 発達障害者の自立・就労を支援する会/編 河出書房新社 2018.8
発達障害のある子を担任!どんな準備をするか 『向山洋一は障害児教育にどう取り組んだか』に学ぶ 向山 洋一/著 学芸みらい社 2018.8
発達障害の人が就職したくなる会社 発達障害者の自立・就労を支援する会/編 河出書房新社 2018.6
ケアとしての就労支援 斎藤 環/監修 日本評論社 2018.5
自閉スペクトラム バディ・システムスタートブック 仲間づくりとコミュニケーションの支援 藤野 博/編著 学苑社 2018.5
事例でわかる発達障害と職場のトラブルへの対応 伝わらないわからない困った!を解決するための工夫 谷原 弘之/著 法研 2018.5
専門キャリアカウンセラーが教えるこれからの発達障害者「雇用」 採用から働き方まで 木津谷 岳/著 小学館 2018.5
発達障害と結婚 吉濱 ツトム/著 イースト・プレス 2018.4
発達障害と仕事 発達障害者の自立・就労を支援する会/編 河出書房新社 2018.4
発達障害のある高校生・大学生のための上手な体・手指の使い方 笹田 哲/著 中央法規出版 2018.3
発達障害の子どもたちの進路と多様な可能性 「学びづらい」「学びにくい」中学生・高校生の未来 日野 公三/著 WAVE出版 2018.3
Q&A発達障害・うつ・ハラスメントの労務対応 布施 直春/著 中央経済社 2018.1
発達障害支援の実際  診療の基本から多様な困難事例への対応まで   内山 登喜夫/編集 医学書院 2017.11
発達障害の基礎知識  0歳から大人、進学から就職への対応がすべてわかるハンドブック   宮尾 益知/著 河出書房新社 2017.9
発達障害を仕事に活かす 星野 仁彦/著 朝日新聞出版 2017.9
会社の中の発達障害 いつも嫌なことを言う上司、いつも迷惑をかける部下 星野 仁彦/著 集英社 2017.9
隠れアスペルガーでもできる幸せな恋愛 恋愛難民もトレーニングで救われる 吉濱 ツトム/著 ベストセラーズ  2017.7
発達障害の子のためのハローワーク 鈴木 慶太/監修 合同出版 2017.7
最新図解自閉症スペクトラムの子どもたちをサポートする本 (発達障害を考える 心をつなぐ)  榊原 洋一/著 ナツメ社 2017.7
人材紹介のプロがつくった発達障害の大学生のためのキャンパスライフQ&A  石井 京子/著 弘文堂 2017.6
「はたらく」を支える!職場×発達障害 五十嵐 良雄/編著 南山堂 2017.6
ASD〈アスペルガー症候群〉、ADHD、LD職場の発達障害 職場内での悩みと問題行動を解決しサポートする本 宮尾 益知/監修 河出書房新社 2017.5
ちょっとしたことでうまくいく発達障害の人が上手に働くための本 對馬 陽一郎/著 翔泳社 2017.5
部下がアスペルガーと思ったとき上司が読む本 信じられない言動をする部下の心がわかる 宮尾 益知/著 河出書房新社 2017.4
障がい青年の大学を拓く 田中 良三/編著 クリエイツかもがわ 2016.12
人材紹介のプロがつくった発達障害の人の転職ノート 石井 京子/著 弘文堂 2016.11
0〜4歳の脳を元気にする療育 浅野 幸恵/著 築地書館 2016.10
目次へ
◆ ともに暮らすために知っておきたいこと
書名 著者名 出版者 出版年
知的障害や発達障害のある人とのコミュニケーションのトリセツ 坂井 聡/著 エンパワメント研究所 2019.12
職場の発達障害 ADHD編 太田 晴久/監修 講談社 2019.11
事例で学ぶ発達障害の法律トラブルQ&A 鳥飼 康二/著 ぶどう社 2019.11
発達障害の私が夫と普通に暮らすために書いているノート ななしのうい/著 G.B. 2019.8
ケーキの切れない非行少年たち 宮口 幸治/著 新潮社 2019.7
職場の発達障害 自閉スペクトラム症編 太田 晴久/監修 講談社 2019.4
あなたの隣の発達障害 本田 秀夫/著 小学館 2019.2
この人なんて言ってるの?!気持ちを理解するためのスキルアップワーク 落合 由香/著 明治図書出版 2018.9
発達障害のある子と家族が幸せになる方法 コミュニケーションが変わると子どもが育つ 原 哲也/著 学苑社 2018.9
小児発達障害について非専門医の先生に知っておいてほしいこと、まとめてみました 高貝 就/著 日本医事新報社 2018.9
発達障害サポート入門 幼児から社会人まで 古荘 純一/著 教文館 2018.5
発達障害のある子と家族の支援 問題解決のために支援者と家族が知っておきたいこと 中田 洋二郎/著 学研プラス 2018.3
発達障害のある方と働くための教科書 石井 京子/著 日本法令 2018.3
もし部下が発達障害だったら 佐藤 恵美/[著] ディスカヴァー・トゥエンティワン 2018.3
あなたを悩ます困った人 障害やこころの病気を理解する 柴田 豊幸/著 幻冬舎 2018.1
発達障害と環境デザイン わくわくな未来をつくる 暮らしデザイン研究所/編 かもがわ出版 2017.11
発達障害支援の実際 診療の基本から多様な困難事例への対応まで 内山 登紀夫/編集 医学書院 2017.11
会社の中の発達障害  いつも嫌なことを言う上司、いつも迷惑をかける部下 星野 仁彦/著 集英社 2017.9
人間関係の理解と心理臨床 家庭・園・学校・施設・職場の問題解決のために 吉川 晴美/編著 慶應義塾大学出版会 2017.9
発達障害の子の健康管理サポートブック 梅永 雄二/監修 講談社 2017.6
発達障害のある人とのコミュニケーションに役立つコミュニケーションパートナーハンドブック     佐竹 恒夫/編著 エスコアール 2017.5
職場で出会うユニーク・パーソン 発達障害の人たちと働くために   原 雄二郎/著 誠信書房 2017.5
発達障害のリハビリテーション  多職種アプローチの実際 宮尾 益知/編集 医学書院 2017.3
もっと知ろう発達障害の友だち 1 ADHDの友だち - 合同出版 2017.3
もっと知ろう発達障害の友だち 2 自閉症の友だち - 合同出版 2017.3
もっと知ろう発達障害の友だち 3 LDの友だち - 合同出版 2017.3
アスピーガールの心と体を守る性のルール  デビ・ブラウン/著 東洋館出版社 2017.3
改正発達障害者支援法の解説  正しい理解と支援の拡大を目指して   発達障害の支援を考える議員連盟/編著 ぎょうせい 2017.2
目次へ
◆ じょうずに暮らすためのレッスン
書名 著者名 出版者 出版年
ちょっとしたことでうまくいく発達障害の人が上手にお金と付き合うための本 村上 由美/著 翔泳社 2019.12
発達障害の人の会話力がぐんぐん伸びるアイスブレイク&ワークショップ 冠地 情/著 講談社 2019.12
まんがでわかる発達障害の人のためのお仕事スキル 楽しく働くためのヒント&セルフアドボカシー 鈴木 慶太/監修 合同出版 2019.11
と見こう見 長谷川美和子のカウンセリング 長谷川 美和子/著 創風社出版 2019.9
発達障害 精神科医が語る病とともに生きる法 崎濱 盛三/著 ミネルヴァ書房 2019.1
子どもの未来を変えるお母さんの教室 発達障害とグレーゾーン 吉野 加容子/著 青春出版社 2018.7
ふれあいペアレントプログラム 社会的コミュニケーション発達が気になる子の育て方がわかる 尾崎 康子/著 ミネルヴァ書房 2018.5
発達障害の人のための上手に「人付き合い」ができるようになる本 吉濱 ツトム/著 実務教育出版 2018.5
コミュニケーション発達の理論と支援 藤野 博/編著 金子書房 2018.4
ちょっとしたことでうまくいく発達障害の人が会社の人間関係で困らないための本 對馬 陽一郎/著 翔泳社 2018.4
エピソードで学ぶ子どもの発達と保護者支援 発達障害・家族システム・障害受容から考える 玉井 邦夫/著 明石書店 2018.4
ちょっとしたスペースで発達障がい児の脳と感覚を育てるかんたん運動 森嶋 勉/著 合同出版 2018.2
発達が気になる子へのスモールステップではじめる生活動作の教え方 鴨下 賢一/著 中央法規出版 2018.1
発達障害の子どもの「できる」を増やす提案・交渉型アプローチ 叱らないけど譲らない支援 武田 鉄郎/編著 学研プラス 2017.9
発達障害のある人とのコミュニケーションに役立つコミュニケーションパートナーハンドブック 佐竹 恒夫/編著 エスコアール 2017.5
発達が気になる子のステキを伸ばす「ことばがけ」 一番伝わりやすいコミュニケーション手段、それがその子の“母国語”です 加藤 潔/著 明石書店 2017.5
アスペルガー症候群・ADHD子育て実践対策集 じょうずなつきあい方がわかる 司馬 理英子/著 主婦の友社 2017.4
発達が気になる子の脳と体をそだてる感覚あそび あそぶことには意味がある!作業療法士がすすめる68のあそびの工夫 鴨下 賢一/編著 合同出版 2017.3
どうしたらいいかわからない君のための人生の歩きかた図鑑 石井 光太/著 日本実業出版社 2019.6
発達障害 思春期からのライフスキル 平岩 幹男/著 岩波書店 2019.11

図書館では発達障害に関する資料は、主に378(障害児教育)、493.76(心因精神病、機能的精神病)、493.93(内科的疾患)に並んでいます。
「378」、「493.76」の数字は『日本十進分類法』という図書館で資料の分類(内容)をあらわす数字です。