「SMAPがCDデビュー20周年イヤーに突入しました」
と言うことで始まった、2011年最初のわっつ。
昨日がちょうど、誕生日。
<1995年1月7日>
昨日で、16年が過ぎ、17年目に突入。
大切な拓哉君を感じる場。
言ってはいけないこともあるだろうけど、それでも、偽らないで話してくれる。
わっつのおかげで、どれだけの思いを伝えてもらっただろう。
直接・・・その絆が嬉しくて。
あほ兄ちゃんだけど、どこまでも生真面目で、あたたかい拓哉君。
ずっとずっと、この場がありますように。
お誕生日、おめでとう!!!
そして、ありがとう!!
今朝、書き初めを楽しみに献立をみて、あれ?
おさむさんが来るんだ。
20周年ということで、俺のビジネスチャンス到来ってことできたのか?
ってからかっていたけど、ほんと、昨年は来なかったね。
拓哉君は2回って意識しかなかった。
ホントは、4回らしい。
でも、はじめってからの最少記録。
確かに、おさむさんの声は聞きたくないって気持ちで始まった2010年だから、
私的には回数の少ないのは、そんなに気にならなかったけど
放送作家なのにね。
なんだか、このところ、全然関わってないような。
くりりんと、拓哉君で進めてるよね。
「自分の担当してる仕事の現場にはちゃんと来るっていう」
それは、自分の仕事に対して基本的な責任じゃないかなと思う。
拓哉君は、そんないい加減さを一番嫌うよね。
くりりんとおさむさんというスタッフに、
拓哉君、そして、そばには福ちゃん。 同い年4人。
腹の探り合いのない関係が伝わってきて好きだったなぁ。
おさむさんが来たから急遽読むことにしたというメッセージは
「なんでおさむ先生と仲が良いんですか?」って、15才のリスナーからの質問。
若いリスナーの皆さんって、この番組よりも若いんですよねっていう拓哉君の言葉に、
ああそうだって改めて思った。
で、拓哉君からの説明。
僕の方から、説明させていただきますと、
僕とおさむが知り合ったのは、このわっつです。
今度TOKYO FMでラジオ始めますってことで・・・その打ち合わせで。
1994年の年末。若者のすべてのドラマをやっているとき。
おさむは僕と同い年なんだけど、
その頃の僕は年上のスタッフとしか仕事してなかったので、
縁の下の仕事をしている人で、俺と同い年の人がいるんだ、え~って思った。
拓「あの頃は、でもね。ぎらぎらしていましたね。」
お「お前がな。おれはだって、今も昔もかわらない。」
「あの頃は、怖かったと思うんですよ。」
「全然怖がってなかったじゃん。」
「おれは同じ年だからあれけど。この年になって、23で、
「22だって」
「22でこういう奴が出てきたって判ったら、テレビ局で、それて歩くと思う。」
「突っ張ってたっていうのは、役のイメージとかがあって、
確かにね。現場ではね、「アイドルはアイドルの芝居してればいいんだよ 」
っていわれて、俺が、現場で、ヤナ空気をひたすら作ってた。」
拓「わっつ、が始まって1年ぐらい経って、
スマスマって言う、番組が始まりますって時に
ちょっと、一緒にやりたい奴がいて、呼んでいいんですか?って聞いて
おさむが、スマスマに参加するようになった。
そのすべてというか、スタート地点は、このスタジオ。
僕以外のSMAPのメンバーと仕事をしたのも、スマスマが初。
わっつが、おさむとSMAPの関係性の紀元的なものになってるらしい。」
拓「くりりんと修ってまえから知り合いだったの?」
お「知り合いじゃないんですよ」
拓「違うの?」
お「日本放送で、仕事していてFMの仕事をしたくて・・・凄いいってたの。
それをすごいいってたら、両局をやってた人が、聞いてくれた。
口にしてたら、ちゃんと紹介してたら、くりさんだった。」
お「同じ年って話になって。」
拓「くりりんがおさむでってごり押ししたんですか?
ホントは違う作家が入ってたの?今からでも、その作家さんにしませんか?」
お「ディレクターさんが若いスタッフで行こうってことで。」
拓「くりりんのかけですね。」
お「そうですね。」
なんて話の後に、弁当が有ればおさむさんが来るという話になってきたら・・・
なんと、おさむさんがこの間、帰れま10の楽屋にあった拓哉君のお弁当を内緒で食べたという。
帰れま10の放送の中で言ってたのだね。
カウントダウンイベントの後に、収録に来た拓哉君。
番組が番組だから、お昼に出た、特上のウナギ弁当を我慢してきたって
それで、楽屋にいったら、まい泉の弁当があって、でも、それも我慢したって。
それなのに・・・・。
と言う話の後、書き初め。
今年は、「20ぴゅ~年」
たっぷりだすっていう言葉は嬉しいけど
う~~ん、拓哉君としてのお仕事もと思って良いかな。
と言うことで始まった、2011年最初のわっつ。
昨日がちょうど、誕生日。
<1995年1月7日>
昨日で、16年が過ぎ、17年目に突入。
大切な拓哉君を感じる場。
言ってはいけないこともあるだろうけど、それでも、偽らないで話してくれる。
わっつのおかげで、どれだけの思いを伝えてもらっただろう。
直接・・・その絆が嬉しくて。
あほ兄ちゃんだけど、どこまでも生真面目で、あたたかい拓哉君。
ずっとずっと、この場がありますように。
お誕生日、おめでとう!!!
そして、ありがとう!!
今朝、書き初めを楽しみに献立をみて、あれ?
おさむさんが来るんだ。
20周年ということで、俺のビジネスチャンス到来ってことできたのか?
ってからかっていたけど、ほんと、昨年は来なかったね。
拓哉君は2回って意識しかなかった。
ホントは、4回らしい。
でも、はじめってからの最少記録。
確かに、おさむさんの声は聞きたくないって気持ちで始まった2010年だから、
私的には回数の少ないのは、そんなに気にならなかったけど
放送作家なのにね。
なんだか、このところ、全然関わってないような。
くりりんと、拓哉君で進めてるよね。
「自分の担当してる仕事の現場にはちゃんと来るっていう」
それは、自分の仕事に対して基本的な責任じゃないかなと思う。
拓哉君は、そんないい加減さを一番嫌うよね。
くりりんとおさむさんというスタッフに、
拓哉君、そして、そばには福ちゃん。 同い年4人。
腹の探り合いのない関係が伝わってきて好きだったなぁ。
おさむさんが来たから急遽読むことにしたというメッセージは
「なんでおさむ先生と仲が良いんですか?」って、15才のリスナーからの質問。
若いリスナーの皆さんって、この番組よりも若いんですよねっていう拓哉君の言葉に、
ああそうだって改めて思った。
で、拓哉君からの説明。
僕の方から、説明させていただきますと、
僕とおさむが知り合ったのは、このわっつです。
今度TOKYO FMでラジオ始めますってことで・・・その打ち合わせで。
1994年の年末。若者のすべてのドラマをやっているとき。
おさむは僕と同い年なんだけど、
その頃の僕は年上のスタッフとしか仕事してなかったので、
縁の下の仕事をしている人で、俺と同い年の人がいるんだ、え~って思った。
拓「あの頃は、でもね。ぎらぎらしていましたね。」
お「お前がな。おれはだって、今も昔もかわらない。」
「あの頃は、怖かったと思うんですよ。」
「全然怖がってなかったじゃん。」
「おれは同じ年だからあれけど。この年になって、23で、
「22だって」
「22でこういう奴が出てきたって判ったら、テレビ局で、それて歩くと思う。」
「突っ張ってたっていうのは、役のイメージとかがあって、
確かにね。現場ではね、「アイドルはアイドルの芝居してればいいんだよ 」
っていわれて、俺が、現場で、ヤナ空気をひたすら作ってた。」
拓「わっつ、が始まって1年ぐらい経って、
スマスマって言う、番組が始まりますって時に
ちょっと、一緒にやりたい奴がいて、呼んでいいんですか?って聞いて
おさむが、スマスマに参加するようになった。
そのすべてというか、スタート地点は、このスタジオ。
僕以外のSMAPのメンバーと仕事をしたのも、スマスマが初。
わっつが、おさむとSMAPの関係性の紀元的なものになってるらしい。」
拓「くりりんと修ってまえから知り合いだったの?」
お「知り合いじゃないんですよ」
拓「違うの?」
お「日本放送で、仕事していてFMの仕事をしたくて・・・凄いいってたの。
それをすごいいってたら、両局をやってた人が、聞いてくれた。
口にしてたら、ちゃんと紹介してたら、くりさんだった。」
お「同じ年って話になって。」
拓「くりりんがおさむでってごり押ししたんですか?
ホントは違う作家が入ってたの?今からでも、その作家さんにしませんか?」
お「ディレクターさんが若いスタッフで行こうってことで。」
拓「くりりんのかけですね。」
お「そうですね。」
なんて話の後に、弁当が有ればおさむさんが来るという話になってきたら・・・
なんと、おさむさんがこの間、帰れま10の楽屋にあった拓哉君のお弁当を内緒で食べたという。
帰れま10の放送の中で言ってたのだね。
カウントダウンイベントの後に、収録に来た拓哉君。
番組が番組だから、お昼に出た、特上のウナギ弁当を我慢してきたって
それで、楽屋にいったら、まい泉の弁当があって、でも、それも我慢したって。
それなのに・・・・。
と言う話の後、書き初め。
今年は、「20ぴゅ~年」
たっぷりだすっていう言葉は嬉しいけど
う~~ん、拓哉君としてのお仕事もと思って良いかな。