REDLINEのブログからお知らせがあって行ってみたら
1月29日(土)~2月4日(金)シネマート六本木で上映とありました。
お知らせの中に、HPのURLがあったのでシネマート六本木ってどんなところかなと覗いてみたら
上映スケジュールにヤマトとREDLINEがあって、
スクリーン2と3で並んで上映になってた。
ヤマトの航海が続く中、こうやってJPに逢えることもあるんですね。
今日も、南極観測隊の記録などを読んでました。
同じ時にポチッとした、原作と言われる本は、まだ届かないので
netでも、いろいろ探して読んでいるのだけど、
そこに描かれている、第一次からの南極観測隊の記録は、
「宗谷」に関しても、南極にたどり着いてからの出来事も
どの一つでも起こったら、諦めても仕方ないという位の出来事で
それでも、進んでいくんだよね。
「宗谷」は、昨日も書いたように、昭和11年に作られ、13年に進水した船。
南極への船を探した(新しく作るお金も期間もなかったため)時
宗谷丸など潜水能力や船体の大きさも大きな船が候補が挙がったけれど、
何度も戦火をくぐっても助かっているという船の運の強さもあって「宗谷」になったという。
この、「運の強い船」って意義、
敗戦国で何もないところから南極に立ち向かっていく人たちにとって大きかったんだろうな。
「宗谷」の南極への船としての設計は、戦艦「大和」を設計した牧野茂氏。
同じように宗谷について読んでいた友達もすぐにお知らせをくれたけれど
大和の設計の方が・・・・って、繋がってるんだね。
そう思うのは、古代君つまり拓哉君ファンだから何だろうけどね。
「ヤマト」のあとに「宗谷」に乗りますって拓哉君の言葉がいっそう、繋がってる感じがする。
本で改造の様子を読んでると、
大型機械を有しての作業ではなく、職人の腕を頼りに進めたとか
作業の大きな壁に、横浜中に号令をかけて人を集めたとか、
持って行く機器・機材にしても、オイルが凍らない発電機や、寒さの中でも使える受信機
釘の使えない南極で、木組みの組み立ての建物を作り上げるなど
たくさんの民間の会社が協力してる。
朝日新聞が呼びかけて始まった南極へ向けての運動。
朝日新聞も南極観測に1億円寄付したけれど、
読者に基金を呼びかけたらその当時で1億円集まったという。
その中には、子ども達からの寄付もあったという。
拓哉君が、毎回、ぐぐっと来るところがあるというのは、こんな状況もあるんじゃないかな。
”当時の日本は南極のニュースを熱狂的に歓迎した”というのは、
私が今読んでいる本の見出しだけれど、
昨日の日記にいただいたレスにも、その様子を伝えてくださる文があった。
遠いところの話じゃないんだよね。
今度の南極大陸の話で、拓哉君は、副隊長の「倉持岳志」という人になるという。
原作と言われてる本をまだ読んでないのだけど
実際の第一次南極観測隊の副隊長は、西堀栄三郎さん。
隊長さんが永田武(たけし)さん。
永田さんが、冬山登山経験者というかスペシャリストとして頼りにした西堀さん。
越冬隊は、西堀さんが責任者だった。
その西堀さんと、あと、犬の係だった人の役を兼ねてるのかな。
ドラマが始まるのは、10月。
それまでに、私も含め、たっくん大好きのみんな、南極っていうと
北海道って言うとアンテナ立てて詳しくなるんだろうな。
1月29日(土)~2月4日(金)シネマート六本木で上映とありました。
お知らせの中に、HPのURLがあったのでシネマート六本木ってどんなところかなと覗いてみたら
上映スケジュールにヤマトとREDLINEがあって、
スクリーン2と3で並んで上映になってた。
ヤマトの航海が続く中、こうやってJPに逢えることもあるんですね。
今日も、南極観測隊の記録などを読んでました。
同じ時にポチッとした、原作と言われる本は、まだ届かないので
netでも、いろいろ探して読んでいるのだけど、
そこに描かれている、第一次からの南極観測隊の記録は、
「宗谷」に関しても、南極にたどり着いてからの出来事も
どの一つでも起こったら、諦めても仕方ないという位の出来事で
それでも、進んでいくんだよね。
「宗谷」は、昨日も書いたように、昭和11年に作られ、13年に進水した船。
南極への船を探した(新しく作るお金も期間もなかったため)時
宗谷丸など潜水能力や船体の大きさも大きな船が候補が挙がったけれど、
何度も戦火をくぐっても助かっているという船の運の強さもあって「宗谷」になったという。
この、「運の強い船」って意義、
敗戦国で何もないところから南極に立ち向かっていく人たちにとって大きかったんだろうな。
「宗谷」の南極への船としての設計は、戦艦「大和」を設計した牧野茂氏。
同じように宗谷について読んでいた友達もすぐにお知らせをくれたけれど
大和の設計の方が・・・・って、繋がってるんだね。
そう思うのは、古代君つまり拓哉君ファンだから何だろうけどね。
「ヤマト」のあとに「宗谷」に乗りますって拓哉君の言葉がいっそう、繋がってる感じがする。
本で改造の様子を読んでると、
大型機械を有しての作業ではなく、職人の腕を頼りに進めたとか
作業の大きな壁に、横浜中に号令をかけて人を集めたとか、
持って行く機器・機材にしても、オイルが凍らない発電機や、寒さの中でも使える受信機
釘の使えない南極で、木組みの組み立ての建物を作り上げるなど
たくさんの民間の会社が協力してる。
朝日新聞が呼びかけて始まった南極へ向けての運動。
朝日新聞も南極観測に1億円寄付したけれど、
読者に基金を呼びかけたらその当時で1億円集まったという。
その中には、子ども達からの寄付もあったという。
拓哉君が、毎回、ぐぐっと来るところがあるというのは、こんな状況もあるんじゃないかな。
”当時の日本は南極のニュースを熱狂的に歓迎した”というのは、
私が今読んでいる本の見出しだけれど、
昨日の日記にいただいたレスにも、その様子を伝えてくださる文があった。
遠いところの話じゃないんだよね。
今度の南極大陸の話で、拓哉君は、副隊長の「倉持岳志」という人になるという。
原作と言われてる本をまだ読んでないのだけど
実際の第一次南極観測隊の副隊長は、西堀栄三郎さん。
隊長さんが永田武(たけし)さん。
永田さんが、冬山登山経験者というかスペシャリストとして頼りにした西堀さん。
越冬隊は、西堀さんが責任者だった。
その西堀さんと、あと、犬の係だった人の役を兼ねてるのかな。
ドラマが始まるのは、10月。
それまでに、私も含め、たっくん大好きのみんな、南極っていうと
北海道って言うとアンテナ立てて詳しくなるんだろうな。