「 看護婦の母は休みに雛納め 」
今の私の住むマンションでは考えられないけれど、実家の座敷には毎年お雛様が飾られていた。
あれだけの物を、段を組み並べるのは手間がかかる。
面倒くさいと母も思っただろう。
それでも、娘姉妹のことを思って飾ってくれた。
今こうして母のよい思い出をブログに書けるのも奇跡のよう。
昨年春から一年間、絶縁状態にあった。
コロナ禍の母との絶縁は相当な心労で、いつも心臓あたりにしこりが固まっているようで呼吸も苦しかった。
息子の受験のことで娘である私の生い立ちから子育てまで、論文のような批判文が届き、そのことがもつれて母から絶縁状が届くに至った。
結局、息子の合格により母から和解しようという申し出があった。
コロナ禍、何度か体調を崩したが、この心労が根底にあったから、崩れやすかったのかもしれない。
複雑な家庭環境、いつも両親がけんかをし、祖父母もそこに加わり、いざこざが絶えなかった。
母には母の苦労があり、娘には娘の苦労があり、お互いに身体を壊した時期もあった。
一言では語れない歳月。
あれだけの雛壇を組んで並べてくれた母。
その行為に感謝しよう。
未熟な息子、もちろん、それが当たり前なのだが、息子にいろいろ世間について教えよう、教えようとしてしまう。
必要だとも思い、放っておいた方がよいとも思い、迷う。
押しつけないで、母としてよいと思うことをさりげなく伝えるだけ、
それをどう捉えるかは息子次第、そういうことだろうか。
一年前の母からの手紙はすべてを壊した。
でも、お雛様を並べていた母には愛があったのだと思う。
口では伝えられない、行為でしか伝えられない、そういうことだろうか。
私は息子に自分の生活や人生で語ってゆかなければ。
(子どものころの私にとって母は看護師ではなく看護婦だったので、看護婦としました。)
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