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刹那の夢、永遠の狂気:…みんなでツラい現実を忘れようよ!?


「家族のため働いている」
「妻と子供のため働いている」
「家を守るために働いている」

自分を、そんな“物語”の存在へとしていくことで、
厳しい現実を耐えている人たちは、かなり多いと思われるけど。
そう見えるのは、独り身(ひとりみ)ゆえの、ひがみなのだろうか?


もう15年以上も前のこと。
当時、大型ディスカウントストアの業務にかかわることがあり。
その日、担当業務が、ひと息ついたところで、
夜の店舗をまわってみることにした。
スーツ姿であったことからなのか?
何度か、来店客から、店舗のエラい人とカン違いされ、呼び止められたもの。
店舗の簡単な案内(トイレや商品の場所を知りたい)などであり。
そのまま、アルバイトや社員を呼ぶことなく、対応することとなった。
※そのような対応も、了承されている。
しばらくして、1人の中年男性が近づいてきた。
「お店の関係者の人ですよね?どうか店長と会わせてください?」
ちょっと強引な口調もあってか、戸惑うものがあったもの。
「失礼ですが、事情も知らない状況では、ご要望に応じられません」
「もし差しつかえがなければ、どのようなことなのか?を、
お伺いしてもよろしいでしょうか?」
…と、出来るだけ丁寧な対応したように覚えている。
中年男性が言うには…、
「警察から、息子が、この店で万引きをしたと聞いたのですけど…、
そのことで話し合いをさせてもらえないでしょうか?」

どうやら、簡単に応じられるものではなかったようだ。
「息子は、悪い連中に、唆(そそのか)されただけなんです!」
「その事情も、どうか考えてもらえないでしょうか?」
深夜帯まで営業している店舗であり、すでに店長は帰宅しており。
この状況のまま、勤務中のマネージャに押しつける訳にいかなかった。
「残念ながら、私では判断しかねますので、
明日、店長が出勤したとき、事案が伝わるよう致しますので、
お名前と、ご連絡先をいただいてもよろしいでしょうか?」

「それでは遅いんですよ!もっと早い対応はできないでしょうか?」
どのような事情があるのか?
中年男性の言動には、かなり強引なものがあった。
それは、不快な気分にもさせたが、
(当時のNAより)年上のオジさんからの切実な言葉を無視できなかった。
「事情があるのは分かりましたが、
店舗として“できること”と“できないこと”がございます」
「いま、責任ある立場のものがいない以上、
私たちにできることは限られていることは、ご理解ください」
…と、ここまでスラスラとした言葉ではなかったもの。
こちらの事情を、なんとか説明をして、その場は帰っていただくこととした。
さてと、明日以降、この事案を引き継いでもらうためにも、
マネージャに報告しておく必要もあり。
3~4日前の報告事項なども見直すことにした。
それによると、この事案は、複数の少年たちが、
店内の万引きGメン(私服警備員)らの世話になってから、
そのまま警察へと引き継いでもらったものとなり。
今さら、店舗として、どうにかできるものではなかった。
どうやら、店長には、イヤな役回りを押しつけることとなりそうだった。
取り敢えず、マネージャに報告しておくことにした。
中年男性と対応することとなった経緯と状況、
この“万引き事案”については、書類上で分かる範囲内のことで伝え。
その上で、店舗の責任者との話し合いを望んでいることを伝えたところ。
「あのオジさん、また来たのかよ!」と、かなり乱暴な口調での反応があった。
「あ、あなたは知らなかったのですよ、ね」
マネージャが言うには、中年男性の息子は、唆(そそのか)されて、
万引き行為へと加わったような人物ではなく。
むしろ主犯格とも言うべき存在だった。
「あのオジさんは、理解できないのか、受け入れられないのか知らないけど、
何度も、店(ウチ)の品物(もの)を、買いもしないで、もっていきながら、
今さら許してもらえると思えるんだから、どうかしているぜ!」
マネージャの言葉には、かなりの怒りがあった。
…と、ちょっと驚かされる状況でもあった。
この話は、多少の誇張こそあるもの、ほとんど事実になる。




マネージャが言うように、中年男性は事実を受け入れられなかったのだろう。
ある日、突然、自分の息子が、仲間をひきつれて、
犯罪行為を行なう人物であると知ったのか?
それとも、息子のほうが巧妙だったのか?
それらの事実を受け入れきれないため、自身をとりまく状況から、
自分が受け入れられる“物語”を思いつき。
その物語こそが、事実であるとしたかったのかも知れない。
その後、この中年男性と、彼の息子が、どうなったのかは確認していない。
おそらく、彼の息子には、それなりの処罰があり。
自分の“物語”としてでなく、受け入れがたい事実として
彼は、自分の息子と向き合うことになったかと思われる。



蛇足:

ここ半年ほど…、
統一教会(世界平和統一家庭連合)に関連した記事をアップしており。
以前には…、
「俗性の汚(けが)れを捨て、無心となって
この壺(ツボ)を得るのです(買うのです)」
そして…。
「教祖様(まことの、お父さま)に、
すべてを捧げるのです(献金しなさい)」とでも言われたら、
たぶらかされもするのだろうか?…とも記しているけど。

結局のところ、信者(信徒?)たちが、
信仰へと、のめり込んでいく心情などは、いまだに理解できない。
しかし、多様化する価値観と、細分化されていく社会は、複雑な問題ばかり。
そんな世の中で、厳しい現実と向き合うことより、
何も考えることもない物語(夢)の中にいたいのは、不思議でもなく。
現実逃避や中二病などの話も、そこそこに聞くところ。
現実に戻れなくなるほどの、夢へと誘い込まれるのは怖い話だけど、
それを望んでいる部分は、誰でもあるように思える。
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