今日は、ゴルフプラネットの篠原さんから興味深いお話しがありましたので、
共有したく引用させて頂きます。
人は自分だけの器を持っている。普段その器は家宝のように奥深くに隠されていて、
表に出るものではないがゴルフでは、しばしば、意図せずその器が露出してしまう。
骨董品のような茶碗の人もいるだろうし、透明なコップ、ビールジョッキ、プラスチックの
バケツのような人もいる。 「自分はそんな器じゃないです」
器は生涯変わらないものらしい。大人になるということは、自分の器を知ることなのかもしれない。
器の大小ばかりを気にしすぎるのは困ったものである。器の価値は大小ばかりではないのだ。
その目的を果たせるかが問われるものなのだ。
骨董のような茶碗に、なみなみと一杯まで水を入れるのは無粋である。お茶を点てるための器には、
適量のお茶が似合う。透明なコップならきれいな色のジュースだって良いし、冷たい水だって良い。
応用範囲が広い反面、常にきれいに洗っておかなければ使いたいときに恥をかく。
透明なコップほど、汚れが目立つからだ。
ビールジョッキは冷やして使いたい。冷たいビールでも、ジュースでも良い。渇いた喉を潤すには最適な
器である。プラスチックのバケツは量で勝負だ。飲み物には向かないが、その分、液体ではなくとも受け
入れることができる数少ないアイテムだ。使用法さえ間違えなければ、他の器にはできない芸当ができる。
抽象的な話である。 自分の器は何なのか? 想像してみようという話である。
器は大小だけが勝負じゃないと書いたが、どのくらいの量を受け止めるか、ということばかりを
考えすぎてはつまらない。ゴルフを通して、その人の器はよくわかる。
だから、膨大な量をこなす人が必ずしも大きな器だというわけではないことも知っている。
小さな器でも、中身を飲み干してしまうなどすれば、何回も使うことで量はこなせたりする。
そんな器じゃないという言い訳は、謙遜であれば辛うじて通じるが、単に努力が足りないだけの
浅さを暴露してしまっていることにもなるので十分に注意したい。
ゴルフで器が出てしまうのは、器を使ってゴルフをしているところがあるからだ。
それだけゴルフは自分の内側に向き合ってするものだということもあるだろう。
わかりやすい例で言えば、小心者はどんなに普段大物ぶっても小心者特有のゴルフをするものだ。
小さい器しかないのに、それ以上のものを注ぐから溢れてしまっていたり、器に合っていない液体を
入れたことで、器も、液体も、両方を駄目にしてしまう。
逆に、溢れることを恐れて、中身が半分にも満たないのに注ぐのを止めてしまうもったいない例もある。
無限に入る器だと自慢する人は、器に入ったヒビに気が付いていないし、何でも受け入れたことを
自慢する人は中身が混じって目もあてられないということもある。
器のことを才能だという人もいる。器を知って、上手に使えば、ゴルフは簡単になるからだ。
その器が最も力を発揮する方法をゴルフに活かせば良い。
自分のゴルフを冷静に振り返ってみれば、自分の秘めたる器が見えてくるはずである。
器を理解すれば、あとはセンスであり、私はむしろ才能はこちらで発揮されるものだと考えている。
シンプルなほうがゴルフを楽しみやすいという理屈は、こういう部分でも証明できる。
量ではなく質で勝負なのである。
私のイメージでは…… 私の器は非常に薄いガラスでできたシャンパングラス。
目に見えないような小さな傷があることで、美しく安定した泡が出る。透明なので、とりあえず、
何でも入れることができるが、温度差があるものは割れてしまうので避けているし、常に
受け入れたものが合わなければ、中身を捨て、グラスをよく洗うようにする。
最適なシャンパンであっても、注がれて時間が経てば気が抜けてしまう。
だから、常に新しい中身を求めている。
ちょっと格好良すぎるかぁ、と照れながら、10月の夜長に色々な器を想像しては楽しんでいるのである。
さて 皆さんは、どんな器でしょう?
「タイでゴルフ友達になりましょ」 のホームページです
タイ・ゴルフを何でもランキングで紹介する情報サイト
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人は自分だけの器を持っている。普段その器は家宝のように奥深くに隠されていて、
表に出るものではないがゴルフでは、しばしば、意図せずその器が露出してしまう。
骨董品のような茶碗の人もいるだろうし、透明なコップ、ビールジョッキ、プラスチックの
バケツのような人もいる。 「自分はそんな器じゃないです」
器は生涯変わらないものらしい。大人になるということは、自分の器を知ることなのかもしれない。
器の大小ばかりを気にしすぎるのは困ったものである。器の価値は大小ばかりではないのだ。
その目的を果たせるかが問われるものなのだ。
骨董のような茶碗に、なみなみと一杯まで水を入れるのは無粋である。お茶を点てるための器には、
適量のお茶が似合う。透明なコップならきれいな色のジュースだって良いし、冷たい水だって良い。
応用範囲が広い反面、常にきれいに洗っておかなければ使いたいときに恥をかく。
透明なコップほど、汚れが目立つからだ。
ビールジョッキは冷やして使いたい。冷たいビールでも、ジュースでも良い。渇いた喉を潤すには最適な
器である。プラスチックのバケツは量で勝負だ。飲み物には向かないが、その分、液体ではなくとも受け
入れることができる数少ないアイテムだ。使用法さえ間違えなければ、他の器にはできない芸当ができる。
抽象的な話である。 自分の器は何なのか? 想像してみようという話である。
器は大小だけが勝負じゃないと書いたが、どのくらいの量を受け止めるか、ということばかりを
考えすぎてはつまらない。ゴルフを通して、その人の器はよくわかる。
だから、膨大な量をこなす人が必ずしも大きな器だというわけではないことも知っている。
小さな器でも、中身を飲み干してしまうなどすれば、何回も使うことで量はこなせたりする。
そんな器じゃないという言い訳は、謙遜であれば辛うじて通じるが、単に努力が足りないだけの
浅さを暴露してしまっていることにもなるので十分に注意したい。
ゴルフで器が出てしまうのは、器を使ってゴルフをしているところがあるからだ。
それだけゴルフは自分の内側に向き合ってするものだということもあるだろう。
わかりやすい例で言えば、小心者はどんなに普段大物ぶっても小心者特有のゴルフをするものだ。
小さい器しかないのに、それ以上のものを注ぐから溢れてしまっていたり、器に合っていない液体を
入れたことで、器も、液体も、両方を駄目にしてしまう。
逆に、溢れることを恐れて、中身が半分にも満たないのに注ぐのを止めてしまうもったいない例もある。
無限に入る器だと自慢する人は、器に入ったヒビに気が付いていないし、何でも受け入れたことを
自慢する人は中身が混じって目もあてられないということもある。
器のことを才能だという人もいる。器を知って、上手に使えば、ゴルフは簡単になるからだ。
その器が最も力を発揮する方法をゴルフに活かせば良い。
自分のゴルフを冷静に振り返ってみれば、自分の秘めたる器が見えてくるはずである。
器を理解すれば、あとはセンスであり、私はむしろ才能はこちらで発揮されるものだと考えている。
シンプルなほうがゴルフを楽しみやすいという理屈は、こういう部分でも証明できる。
量ではなく質で勝負なのである。
私のイメージでは…… 私の器は非常に薄いガラスでできたシャンパングラス。
目に見えないような小さな傷があることで、美しく安定した泡が出る。透明なので、とりあえず、
何でも入れることができるが、温度差があるものは割れてしまうので避けているし、常に
受け入れたものが合わなければ、中身を捨て、グラスをよく洗うようにする。
最適なシャンパンであっても、注がれて時間が経てば気が抜けてしまう。
だから、常に新しい中身を求めている。
ちょっと格好良すぎるかぁ、と照れながら、10月の夜長に色々な器を想像しては楽しんでいるのである。
さて 皆さんは、どんな器でしょう?
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