P・チュティチャイ選手の優勝は、5日日曜日のBSジャパンでライブ放送され、彼女の優勝
インタビューが最後まで流れましたので、良かったですネ。 こういうことは滅多にありませんヨ。
ちょっと感動的なシーンでしたネ。 30歳という年齢での初優勝、日本のことも言葉も
分からない日本に一人でやって来て、ゴルフ以外の苦労なども思い出したのでしょう。
そしてお父さんのブンチューさんの死。「安定しているツアーに行きなさい」 と日本ツアーを勧めてくれ
コーチでもあったお父さんのことを聞かれると、やはり涙ぐんでインタビューに応えていました。
お父さんには11歳で本格的にゴルフを始め時から教わっていましたが、2012年から日本ツアーに本格
参戦して、14年に向けたサードQT戦の中、病魔に蝕まれたお父さんは死去したそうです。 お母さんの
サタヤさんは、ファイナルQTを控えているので伝えなかったといいます。 「でも、周りの反応で
なんとなく分った」 と 当時を思い出し、目に涙を浮かべながらも 微笑んで語っていました。
でも本当に良かったです。 プレーオフの相手はツアー通算10勝で米国ツアーも経験している
百戦錬磨の上田桃子プロです。 しかも4勝4敗とプレーオフの戦いにも慣れており、年齢は
30歳と一緒でも経験が違いますから、正直 勝てるとは思っていませんでした。
プレーオフの2ホール目で、今年 素晴らしく調子のいいパッティングを決め、バーディーを奪い勝ちました。
プレーオフは全く緊張しなかったようですが、日本での優勝を約束したお父さんが後押ししてくれたんでしょう。
ポラニという名前は 「星から来た子」 という意味があり大事にしているそうですが、O・サタヤ選手のように、
オナリン・サタヤパンポットでは日本人には発音しにくく分りずらいと、チュティチャイ選手も登録名を変える時、
あえて父の家族名を残してP・チュティチャイにしたとか。 よほどお父さんを愛し尊敬もしていた
のでしょうネ。 そう言えば 確か、サタヤ選手も名前を変えてから初優勝していましたねぇ~
サタヤって、チュティチャイ選手のお母さんと同じ名前だね ・・・
<日本へ行った11年のシンハでのパーティでのチュティチャイ選手>
そして、もう一つ忘れてはならないのが、日本でも “タイのビール” として知られるシンハの
サポートでしょうネ。 彼女はアマチュア時代の14歳から今まで援助をしてもらって、腕を磨いて
きており、この手厚いサポートがなければ、日本でシード権なしで5年間も戦えなかったでしょう。
今でもシンハはアマ・プロ問わず、ゴルファーだけでも200人はサポートしています。 タイの
ゴルフを語る時には、シンハを抜きには語れないほど、タイのゴルフに大きく貢献しています。
チュティチャイ選手も日本に来て、日本人の熱心な練習量を学んだそうですから、ノンビリしている
国民性を変えて もっと練習すれば、この200人から多くの優勝が生まれると、彼女も語っていました。
日本ツアーに本格参戦して5年目での優勝でしたが、「ここからがスタート」 と、さらなる
快進撃を誓っています。 もう1勝して、舌を噛みそうな チュティチャイ という名前を、
誰もがスムーズに言えるよう頑張ってほしいですネ ・・・
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