元亀元年(1570年)6月、姉川合戦において織田信長軍に敗退した浅井軍は、小谷山城に籠城。織田信長は、横山城に前線基地を置き、浅井氏攻略を計りましたが、元亀3年(1572年)7月以降は、小谷城の眼前にまで包囲網を縮小し、標高約230mの虎御前山に城を構え、持久戦に備えました。7月27日から築城を開始し、8月中に城は完成しました。虎御前山は、四方の見通しがきく独立丘陵で、小谷城のすぐ南面に位置するため最前線基地を築くのに適していました。虎御前山の尾根上には古墳が点在しているため、織田信長はこれらの古墳をうまく利用して砦を築きました。尾根の南から多賀貞能砦・蜂屋頼隆砦・丹羽長秀砦・滝川一益砦・堀秀政砦・織田信長本陣砦・木下秀吉砦・柴田勝家砦と虎御前山の稜線にそって砦が築かれてました。こうして最初の攻撃からおよそ3年の月日を要した小谷城攻略ですが、天正元年(1573年)8月浅井氏滅亡、小谷城落城後、虎御前山城は廃城となりました。現在、虎御前山の約2kmのハイキングコースが整備されています。
[所在地]滋賀県長浜市湖北町別所~中野町
<アクセス>JR北陸本線・虎姫駅又は河毛駅下車徒歩約15分
▼虎御前山
▼虎御前山城略図
▼矢合神社
▼瀧川一益陣地跡
▼堀 秀政陣地跡
▼織田信長陣地跡 ▼織田信長陣地想定図
▼織田信長陣地略図
▼織田信長本陣跡より望む
この織田信長陣営は、秀吉の砦以外はすべて小谷城を背(南向き)にして攻撃の構えがある。木下秀吉の砦が一番堅固であった
▼木下秀吉陣地跡(砦跡) ▼大曲輪
▼土塁 ▼かざし堀
▼木下秀吉陣地跡(砦跡)より小谷山(小谷城跡)を望む
2014/05/09 訪城