「もの」から「心」へ。物質的な豊かさから、精神面での充実に価値を置く時代を迎えていると言われている。それをアカデミックに説明してくれる本に出会った。広井良典氏の著作『創造的福祉社会―「成長」後の社会構想と人間・地域・価値』ちくま新書2011年。
広井氏は、過去人類は、特定の社会構造が拡大・成長を遂げたのち環境や資源の制約に行き着くと、「定常化」(拡大をやめて留まると私は理解した)を始め、ベクトルを社会の内面に向けて文化的な充実期を迎えるという仮説をたてている。狩猟・採集時代、農耕社会の時代にもそれぞれ「拡大」と「定常化」の時代があり、定常化の時代にさまざまな宗教や文化的に素晴らしい産物がもたらされたという。
最初の定常化時代は、狩猟・採集時代の「心のビッグバン」。今から約5万年前のこの頃、加工された絵画や彫刻などの芸術作品が一気に現れたらしい。次の定常化は紀元前5世紀前後。この時期に「普遍的な原理」を志向する思想・宗教が地球の各地で同時に誕生した。ギリシャ哲学、インドの仏教、中国の儒教や老荘思想、中東での旧約思想などである。これらの思想は、人類が自ら属するコミュニティーを超えて「人間」というものを普遍的に見始め、同時に「欲望の内的規制」を説いている点で共通している。今に至る壮大な宗教や思想の草創期のこの時期のことを、歴史学者は「枢軸時代(ヤスパース)/精神革命(伊東俊太郎)」と呼ぶそうだ。
数百年前から始まった工業化社会の限界につきあたっている今が、第三の定常化の時代だと広井氏は言う。ここ数百年、産業化、工業化、情報化、金融化と社会の姿を変化させて拡大路線をたどってきた我々の社会が、先進国を中心に行詰まっているというのは、世界の情勢を見れば周知の事態だ。この閉塞状況を、広井氏は「定常化」の時代ととらえ、新しい社会像を構築していく時期が来たと前向きに考えているのである。
それでは広井氏はどのような社会像、価値観を提案しているのであろうか?『創造的福祉社会』に詳しく述べられているが、学術的で回りくどい表現が多く、私には大雑把な理解しかできなかった。ただ、内容は参考になるものが多いので、彼が示したことをポイントにして何点か述べてみたいと思う(→以下が私のコメント)。
①時間(歴史)」に対して「空間(地理)」が問題解決をする社会
高度成長期のように、やがてくる豊かな未来のために今の労働を辛くても頑張るという一方向の生活の仕方(拡大する経済成長が将来の幸せを生む)、つまり時間の経過が幸せを生むことは見込めない時代になった。むしろ、空間(地理的環境)の違いの多様性を重要視すべき時代になっている。多様な地域の豊かな特性が共存し、各地域の固有の資源や価値、伝統、文化を再発見していくことが人々の幸せを生む社会になっている。
→「時間」と「空間」という対比は理解しにくい表現。自分が住む地域の豊かさを、住民が享受しながら、他の地域の素晴らしさも認め合い(国内外問わず)、他の地域と文化面や経済面その他さまざまな領域において上手に交流・連携し合いながら、「今」を同時に豊かに生きることが、多様な「地域」の併存の価値ということではないかと思った。
②ローカルからグローバルへの多層な社会の構造
人々の帰属単位は地域(ローカル)でありながら、生活に関わることすべてがローカルで解決するわけではない。生産/消費の重層的な自立と分業が必要と広井氏は言う。
・食糧生産および「ケア」はローカルで
・工業製品やエネルギーについてはナショナル~リージョナル(ただしエネルギーも
究極的には自然エネルギーを中心にローカルで)
・情報の生産/消費ないし流通はグローバルで
・時間の消費 自然やコミュニティー精神的な充足に関わる時間の過ごし方はローカルで
→地産地消の生活。エネルギーの自立など、今後目指したいところ。しかし、情報についてはグローバルでと提案されている。となると共通言語の英語の力は必要だ。
③「都市型コミュニティー」の養成
日本の社会をウチとソトを使い分ける内向きの「農村型コミュニティー」。内部の結束力は高いが、グループ内での序列に従って行動する必要があり、暗黙の規範に従わなければならず(空気を読む)、息が詰まるコミュニティーでもある。それに対して「都市型コミュニティー」を増やしていきたい。そこでは集団を超えた普遍的な規範原理、日常的なレベルでの節度を保った誠実なコミュニケーション、コミュニティーを豊かにする活動を行うNPOなどの存在などが重要になる。
→都会にいても田舎にいても、日本では閉じた狭いグループ社会に属さないといけないことを痛感する。個人の自由が認められつつ、帰属感も持てる都市型コミュニティーの概念は面白い。人々の関係性も「定常化」とともに進化させていきたい。
④コミュニティー醸成型の空間構造を持つ街づくり
コミュニティー感覚(人々のゆるやかなつながり意識)を持って暮すことの豊かさを大事にする。街の中心部の便利な場所に高齢者や子育て世代、若者などが住みやすいように公共住宅を建設し、買い物の利便性を上げるだけでなく、コミュニティーとしての質もあげる(市場を中心とした歩行者天国、カフェテラスでの交流、住民のニーズにきめ細やかに対応できるNPOの活躍など)。地域づくりのまとめ役として「地域総合プランナー」を置く。
→都市型コミュニティーによる街づくりの案。秋田でも住民が集って生活が豊かになる場を作れたらと思うが、時間はかかるだろう。縦割り行政を廃止して、「地域総合プランナー」というような行政政策横断的な役割を担う人が欲しい。
⑤「福祉と環境と経済」あるいは「平等と持続可能性と効率性」
広井氏は少ない労働力で多くの商品を生産するという従来の生産性を見直すべきだと言う。これからの時代は「人余り(失業)」「資源不足(有限で貴重な環境資源)」となるため、「人」を多く活用し、「自然資源」を節約した社会を作っていくのが重要。具体的に言うと、今までは生産性が低いとされていた教育や福祉の分野(ケア分野)に労働力を投入するということだ。こうしたケア分野に人的資源を割り当てる新しい労働集約社会は、資源を多く使わないという点で環境に優しい。また、経済的にも効率が良いと言う(教育に力を入れることで、人生のスタートラインをできるだけ平等に置くことができる。また優秀な人材の育成は、質の高い労働者を生み、結果的には経済を活性化させる力となり、それは経済効率性を上げる。ケア分野への人材投入は、労働力を多く必要とする点で、失業の解消につながる)。新たな労働集約型社会は、さまざまな点で相乗効果が期待されるというのだ。
→抽象的な3つの単語を並べて説明するのは広井氏が得意な手法。しかし、ポイントの羅列は行間を自分で読み込まないといけないのでわかりにくい。ケア分野に多くの人材を投入するのは理想的だし、労働者も創造的に働けてやりがいにつながると思う。それの相乗効果が、環境面にも経済面にもあるというのは、画期的な考え方だ。この広井氏の提案を、さらに具体的に案を練って実現できたらと願う。
今の閉塞状況を「創造的福祉社会」と呼んで前向きにとらえる広井氏の考え方に賛同したい。ローカルの良さを生かすことを後押しされ、秋田というローカル色が濃い地域に住む人間として嬉しく思う。
さて、私ができることは何であろうか。彼が提唱するような大きな政策的な問題には、今のところは関われない。できるのはせいぜいローカルの生活の充実だろうか。先日、朝日新聞で広井氏が「多極集中」を薦めていたが、多極の豊かさを感じ取ることなら出来るかも知れない。私が住むこの場所でできることを考える。まずは、ここ秋田の魅力を色々発掘してみたい。美味しい食材の発見。豊かで魅力的な地域の訪問。伝統的な祭りの再発見などなど。秋田を見て、聞いて、感じて楽しむ。それを、私ならさしずめブログで発信。このニュースレターも発信源になってくれるだろう。発信した後にすることについては、もっともっと考えていきたい。
それから私が大事にしたいと思っているのは、身の回りの人同士で支え合い、お互いの活動を認め合うこと。小さな齟齬には片目をつぶり、人との出会いを大切にしたい。ローカルで暮らすということは、狭い人間関係の中で暮らさないといけないということだ。状況によっては、嫌な思いを経験することもある。その相手と、間をおかずに会わないといけないこともある。ウチとソトを使い分けないといけないムラ社会の日本、そして秋田で、自分を救ってくれる個人的なセーフティーネットになるもの。そのひとつは、心のポケットをたくさん持つことだと思う。例えば帰属集団をたくさん持つこと。ひとつの関わりで嫌な思いをしても、他のグループでの自分を保持することができれば、人間は心のバランスが保て、安心した気持ちになる。日本の社会が、「都市型コミュニティー」になるのはすぐには難しいと思うが、自分が属するコミュニティーの中で、回りの人達と楽しく関わるすべを磨いていけたらなと思う。
広井氏は、『創造的福祉社会』を“一人ひとりが自らの関心にそくして多様な活動を行っていく。そのような試みと具体的な実践のプロセスの一歩一歩の中に、これからの「創造的福祉社会」は確実に展開していくことになるだろう”と結んでいる。それは、素晴らしい社会だ。しかしその実現のためには、一人ひとりの営みの多様性を、素晴らしいもの、価値あるものと認め合う心の広さが必要だ。個人的には、自らの営みを楽しみながら、他人の営みも尊重できるようなバランスの良い心の状態を保っていきたいと思っている。
<著者紹介>
広井 良典(ひろい・よしのり)
1961年岡山市生まれ、東京大学・同大学院修士課程修了後、厚生省勤務を経て96年より千葉大学法経学部助教授、2003年より同教授。この間マサチューセッツ工科大学客員研究員。社会保障や環境、医療、都市・地域に関する政策研究から、時間、ケア等をめぐる哲学的考察まで、幅広い活動を行っている。
『コミュニティーを問なおす』(ちくま新書)で第9回大佛次郎論壇賞を受賞。
『ケアを問いなおす』『死生観を問いなおす』『持続可能な福祉社会』(ちくま新書)
『日本の社会保障』(エコノミスト賞受賞)
『定常型社会』(岩波新書)
『グローバル定常型社会』『生命の政治学』(岩波書店)
『ケア学』(医学書院)など多数
広井氏は、過去人類は、特定の社会構造が拡大・成長を遂げたのち環境や資源の制約に行き着くと、「定常化」(拡大をやめて留まると私は理解した)を始め、ベクトルを社会の内面に向けて文化的な充実期を迎えるという仮説をたてている。狩猟・採集時代、農耕社会の時代にもそれぞれ「拡大」と「定常化」の時代があり、定常化の時代にさまざまな宗教や文化的に素晴らしい産物がもたらされたという。
最初の定常化時代は、狩猟・採集時代の「心のビッグバン」。今から約5万年前のこの頃、加工された絵画や彫刻などの芸術作品が一気に現れたらしい。次の定常化は紀元前5世紀前後。この時期に「普遍的な原理」を志向する思想・宗教が地球の各地で同時に誕生した。ギリシャ哲学、インドの仏教、中国の儒教や老荘思想、中東での旧約思想などである。これらの思想は、人類が自ら属するコミュニティーを超えて「人間」というものを普遍的に見始め、同時に「欲望の内的規制」を説いている点で共通している。今に至る壮大な宗教や思想の草創期のこの時期のことを、歴史学者は「枢軸時代(ヤスパース)/精神革命(伊東俊太郎)」と呼ぶそうだ。
数百年前から始まった工業化社会の限界につきあたっている今が、第三の定常化の時代だと広井氏は言う。ここ数百年、産業化、工業化、情報化、金融化と社会の姿を変化させて拡大路線をたどってきた我々の社会が、先進国を中心に行詰まっているというのは、世界の情勢を見れば周知の事態だ。この閉塞状況を、広井氏は「定常化」の時代ととらえ、新しい社会像を構築していく時期が来たと前向きに考えているのである。
それでは広井氏はどのような社会像、価値観を提案しているのであろうか?『創造的福祉社会』に詳しく述べられているが、学術的で回りくどい表現が多く、私には大雑把な理解しかできなかった。ただ、内容は参考になるものが多いので、彼が示したことをポイントにして何点か述べてみたいと思う(→以下が私のコメント)。
①時間(歴史)」に対して「空間(地理)」が問題解決をする社会
高度成長期のように、やがてくる豊かな未来のために今の労働を辛くても頑張るという一方向の生活の仕方(拡大する経済成長が将来の幸せを生む)、つまり時間の経過が幸せを生むことは見込めない時代になった。むしろ、空間(地理的環境)の違いの多様性を重要視すべき時代になっている。多様な地域の豊かな特性が共存し、各地域の固有の資源や価値、伝統、文化を再発見していくことが人々の幸せを生む社会になっている。
→「時間」と「空間」という対比は理解しにくい表現。自分が住む地域の豊かさを、住民が享受しながら、他の地域の素晴らしさも認め合い(国内外問わず)、他の地域と文化面や経済面その他さまざまな領域において上手に交流・連携し合いながら、「今」を同時に豊かに生きることが、多様な「地域」の併存の価値ということではないかと思った。
②ローカルからグローバルへの多層な社会の構造
人々の帰属単位は地域(ローカル)でありながら、生活に関わることすべてがローカルで解決するわけではない。生産/消費の重層的な自立と分業が必要と広井氏は言う。
・食糧生産および「ケア」はローカルで
・工業製品やエネルギーについてはナショナル~リージョナル(ただしエネルギーも
究極的には自然エネルギーを中心にローカルで)
・情報の生産/消費ないし流通はグローバルで
・時間の消費 自然やコミュニティー精神的な充足に関わる時間の過ごし方はローカルで
→地産地消の生活。エネルギーの自立など、今後目指したいところ。しかし、情報についてはグローバルでと提案されている。となると共通言語の英語の力は必要だ。
③「都市型コミュニティー」の養成
日本の社会をウチとソトを使い分ける内向きの「農村型コミュニティー」。内部の結束力は高いが、グループ内での序列に従って行動する必要があり、暗黙の規範に従わなければならず(空気を読む)、息が詰まるコミュニティーでもある。それに対して「都市型コミュニティー」を増やしていきたい。そこでは集団を超えた普遍的な規範原理、日常的なレベルでの節度を保った誠実なコミュニケーション、コミュニティーを豊かにする活動を行うNPOなどの存在などが重要になる。
→都会にいても田舎にいても、日本では閉じた狭いグループ社会に属さないといけないことを痛感する。個人の自由が認められつつ、帰属感も持てる都市型コミュニティーの概念は面白い。人々の関係性も「定常化」とともに進化させていきたい。
④コミュニティー醸成型の空間構造を持つ街づくり
コミュニティー感覚(人々のゆるやかなつながり意識)を持って暮すことの豊かさを大事にする。街の中心部の便利な場所に高齢者や子育て世代、若者などが住みやすいように公共住宅を建設し、買い物の利便性を上げるだけでなく、コミュニティーとしての質もあげる(市場を中心とした歩行者天国、カフェテラスでの交流、住民のニーズにきめ細やかに対応できるNPOの活躍など)。地域づくりのまとめ役として「地域総合プランナー」を置く。
→都市型コミュニティーによる街づくりの案。秋田でも住民が集って生活が豊かになる場を作れたらと思うが、時間はかかるだろう。縦割り行政を廃止して、「地域総合プランナー」というような行政政策横断的な役割を担う人が欲しい。
⑤「福祉と環境と経済」あるいは「平等と持続可能性と効率性」
広井氏は少ない労働力で多くの商品を生産するという従来の生産性を見直すべきだと言う。これからの時代は「人余り(失業)」「資源不足(有限で貴重な環境資源)」となるため、「人」を多く活用し、「自然資源」を節約した社会を作っていくのが重要。具体的に言うと、今までは生産性が低いとされていた教育や福祉の分野(ケア分野)に労働力を投入するということだ。こうしたケア分野に人的資源を割り当てる新しい労働集約社会は、資源を多く使わないという点で環境に優しい。また、経済的にも効率が良いと言う(教育に力を入れることで、人生のスタートラインをできるだけ平等に置くことができる。また優秀な人材の育成は、質の高い労働者を生み、結果的には経済を活性化させる力となり、それは経済効率性を上げる。ケア分野への人材投入は、労働力を多く必要とする点で、失業の解消につながる)。新たな労働集約型社会は、さまざまな点で相乗効果が期待されるというのだ。
→抽象的な3つの単語を並べて説明するのは広井氏が得意な手法。しかし、ポイントの羅列は行間を自分で読み込まないといけないのでわかりにくい。ケア分野に多くの人材を投入するのは理想的だし、労働者も創造的に働けてやりがいにつながると思う。それの相乗効果が、環境面にも経済面にもあるというのは、画期的な考え方だ。この広井氏の提案を、さらに具体的に案を練って実現できたらと願う。
今の閉塞状況を「創造的福祉社会」と呼んで前向きにとらえる広井氏の考え方に賛同したい。ローカルの良さを生かすことを後押しされ、秋田というローカル色が濃い地域に住む人間として嬉しく思う。
さて、私ができることは何であろうか。彼が提唱するような大きな政策的な問題には、今のところは関われない。できるのはせいぜいローカルの生活の充実だろうか。先日、朝日新聞で広井氏が「多極集中」を薦めていたが、多極の豊かさを感じ取ることなら出来るかも知れない。私が住むこの場所でできることを考える。まずは、ここ秋田の魅力を色々発掘してみたい。美味しい食材の発見。豊かで魅力的な地域の訪問。伝統的な祭りの再発見などなど。秋田を見て、聞いて、感じて楽しむ。それを、私ならさしずめブログで発信。このニュースレターも発信源になってくれるだろう。発信した後にすることについては、もっともっと考えていきたい。
それから私が大事にしたいと思っているのは、身の回りの人同士で支え合い、お互いの活動を認め合うこと。小さな齟齬には片目をつぶり、人との出会いを大切にしたい。ローカルで暮らすということは、狭い人間関係の中で暮らさないといけないということだ。状況によっては、嫌な思いを経験することもある。その相手と、間をおかずに会わないといけないこともある。ウチとソトを使い分けないといけないムラ社会の日本、そして秋田で、自分を救ってくれる個人的なセーフティーネットになるもの。そのひとつは、心のポケットをたくさん持つことだと思う。例えば帰属集団をたくさん持つこと。ひとつの関わりで嫌な思いをしても、他のグループでの自分を保持することができれば、人間は心のバランスが保て、安心した気持ちになる。日本の社会が、「都市型コミュニティー」になるのはすぐには難しいと思うが、自分が属するコミュニティーの中で、回りの人達と楽しく関わるすべを磨いていけたらなと思う。
広井氏は、『創造的福祉社会』を“一人ひとりが自らの関心にそくして多様な活動を行っていく。そのような試みと具体的な実践のプロセスの一歩一歩の中に、これからの「創造的福祉社会」は確実に展開していくことになるだろう”と結んでいる。それは、素晴らしい社会だ。しかしその実現のためには、一人ひとりの営みの多様性を、素晴らしいもの、価値あるものと認め合う心の広さが必要だ。個人的には、自らの営みを楽しみながら、他人の営みも尊重できるようなバランスの良い心の状態を保っていきたいと思っている。
<著者紹介>
広井 良典(ひろい・よしのり)
1961年岡山市生まれ、東京大学・同大学院修士課程修了後、厚生省勤務を経て96年より千葉大学法経学部助教授、2003年より同教授。この間マサチューセッツ工科大学客員研究員。社会保障や環境、医療、都市・地域に関する政策研究から、時間、ケア等をめぐる哲学的考察まで、幅広い活動を行っている。
『コミュニティーを問なおす』(ちくま新書)で第9回大佛次郎論壇賞を受賞。
『ケアを問いなおす』『死生観を問いなおす』『持続可能な福祉社会』(ちくま新書)
『日本の社会保障』(エコノミスト賞受賞)
『定常型社会』(岩波新書)
『グローバル定常型社会』『生命の政治学』(岩波書店)
『ケア学』(医学書院)など多数