鳥取砂丘の後は、鳥取市内にある、歴史ファンには有名なお二人のお墓参りへ
なぜに鳥取まで来てマニアックを攻めるかはツッコまないでください
まずは景福寺。後藤又兵衛のお墓(遺髪)があるお寺です。
後藤又兵衛は、元は黒田官兵衛(如水)に仕えていた武士で、豪傑として名が知れた武将です。
如水の息子の長政と非常折り合いが悪く、如水が亡くなると黒田家を出奔。
大阪の役の前に家康から法外な恩賞を条件に誘われますが、断って豊臣方へ。
家康の条件に感激はしていたようなので、長政が徳川方だったので、断ったんじゃないかと。
大阪夏の陣で片倉の鉄砲隊に銃撃されて戦死したといわれています。
このお寺にあるお墓に埋められているのは又兵衛の遺髪。
妻の実家である三浦家は岡山だったのですが、岡山の城主だった池田家が鳥取を領することになった時、それに順じて景福寺も鳥取に移動。家臣であった三浦家と後藤一族も一緒に移り住み、そこで初めて菩提寺をこのお寺にしたんだとか。
その際、遺髪をこの地に埋葬。
又兵衛の墓の周囲には妻子の墓が並び、さらに周囲には9代の子孫の墓が並んでいます。
これが又兵衛と妻子のお墓です
本堂が見れるわけではなかったので本当にお墓参りだけでしたが、この日はお盆の入りだったので、普通にお墓参り客多数
なんだかこんな日にミーハーですいませんって思いながらお参りしました
その次は玄虫寺へ。
景福寺から歩いて3分くらいの場所です。
ここにあるのは荒木又右衛門のお墓。
門入ってすぐ左にあります。
荒木又右衛門と言えば鍵屋の辻の決闘
仇討で有名なのは赤穂浪士だけじゃないんだぜぃ
荒木は、元は伊賀服部郷の荒木村の出身。剣客として有名で、岡山池田家に召し抱えられます。
その時知り合ったのが荒木の生涯を左右する渡辺家の、渡辺数馬(初代)。
それから数年、娘を妻に貰い、渡辺家の義兄弟になった荒木。
妻には2人の弟がいて、下の弟は源太夫と言う名の美男子。岡山藩主池田忠雄の寵童になるのですが、そんな源太夫に懸想したのが河合又五郎という同僚。
源太夫に振られた腹いせに、源太夫を殺してしまいます。
兄である渡辺数馬(2代)は忠雄公の上意討ちという名目を掲げ、仇討の旅へ。
荒木も誘い、河合たちと勝負となったのが、伊賀の鍵屋の辻。36人斬りなんて逸話も残る決闘です
この勝負、もちろん荒木たちが勝ち、池田家の面目を勝ち取ります
この頃には池田家は岡山から鳥取に移っていたので、荒木たちも鳥取へ。
そんなわけでここにお墓があるんですね
玄虫寺には荒木の遺品も残っているんですが、この日は遺品館はお盆により休館残念
このお寺は本堂の中の羅漢さんの襖絵も有名。
なんというか…くだけてる絵なの。それが本当に面白い
めちゃめちゃ愛嬌があって、見ていて楽しい。
その上勢いがある筆なんですよ
墨絵なんですけど、ちょっと水木しげる先生のらくがき絵を思い出させる感じ
結構な枚数の絵なので、堂内なかなか見応えあって楽しかったですよ
なぜに鳥取まで来てマニアックを攻めるかはツッコまないでください
まずは景福寺。後藤又兵衛のお墓(遺髪)があるお寺です。
後藤又兵衛は、元は黒田官兵衛(如水)に仕えていた武士で、豪傑として名が知れた武将です。
如水の息子の長政と非常折り合いが悪く、如水が亡くなると黒田家を出奔。
大阪の役の前に家康から法外な恩賞を条件に誘われますが、断って豊臣方へ。
家康の条件に感激はしていたようなので、長政が徳川方だったので、断ったんじゃないかと。
大阪夏の陣で片倉の鉄砲隊に銃撃されて戦死したといわれています。
このお寺にあるお墓に埋められているのは又兵衛の遺髪。
妻の実家である三浦家は岡山だったのですが、岡山の城主だった池田家が鳥取を領することになった時、それに順じて景福寺も鳥取に移動。家臣であった三浦家と後藤一族も一緒に移り住み、そこで初めて菩提寺をこのお寺にしたんだとか。
その際、遺髪をこの地に埋葬。
又兵衛の墓の周囲には妻子の墓が並び、さらに周囲には9代の子孫の墓が並んでいます。
これが又兵衛と妻子のお墓です
本堂が見れるわけではなかったので本当にお墓参りだけでしたが、この日はお盆の入りだったので、普通にお墓参り客多数
なんだかこんな日にミーハーですいませんって思いながらお参りしました
その次は玄虫寺へ。
景福寺から歩いて3分くらいの場所です。
ここにあるのは荒木又右衛門のお墓。
門入ってすぐ左にあります。
荒木又右衛門と言えば鍵屋の辻の決闘
仇討で有名なのは赤穂浪士だけじゃないんだぜぃ
荒木は、元は伊賀服部郷の荒木村の出身。剣客として有名で、岡山池田家に召し抱えられます。
その時知り合ったのが荒木の生涯を左右する渡辺家の、渡辺数馬(初代)。
それから数年、娘を妻に貰い、渡辺家の義兄弟になった荒木。
妻には2人の弟がいて、下の弟は源太夫と言う名の美男子。岡山藩主池田忠雄の寵童になるのですが、そんな源太夫に懸想したのが河合又五郎という同僚。
源太夫に振られた腹いせに、源太夫を殺してしまいます。
兄である渡辺数馬(2代)は忠雄公の上意討ちという名目を掲げ、仇討の旅へ。
荒木も誘い、河合たちと勝負となったのが、伊賀の鍵屋の辻。36人斬りなんて逸話も残る決闘です
この勝負、もちろん荒木たちが勝ち、池田家の面目を勝ち取ります
この頃には池田家は岡山から鳥取に移っていたので、荒木たちも鳥取へ。
そんなわけでここにお墓があるんですね
玄虫寺には荒木の遺品も残っているんですが、この日は遺品館はお盆により休館残念
このお寺は本堂の中の羅漢さんの襖絵も有名。
なんというか…くだけてる絵なの。それが本当に面白い
めちゃめちゃ愛嬌があって、見ていて楽しい。
その上勢いがある筆なんですよ
墨絵なんですけど、ちょっと水木しげる先生のらくがき絵を思い出させる感じ
結構な枚数の絵なので、堂内なかなか見応えあって楽しかったですよ