四季・彩

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物理学賞もか・・・

2021年10月06日 | 環境問題
平和賞が金銭のやり取りや特定の政治的な考えによって歪められて価値を毀損した様に、所謂「IPCC臭」「カーボンニュートラル臭」「脱炭素臭」のする研究が、タイミング良く物理学賞として授賞されたと言う事に、平和賞と同じ疑問を感じます。
OGPイメージ

真鍋淑郎氏インタビュー一問一答「研究の醍醐味は好奇心」

5日、ノーベル物理学賞の受賞が決まり、米東部ニュージャージ州の自宅で取材に応じたプリンストン大の真鍋淑郎上席研究員の一問一答は以下の通り。

産経ニュース

 

研究自体を否定するつもりは有りませんが、私が一番おかしいと思うのは、
1760年の産業革命を起点として、僅か200年間に起こった地球の温度変化を都合よく説明する方法が、過去に起こった地球の温度変化と整合性が取れるのか、
と言う事ですね。
(200年間は真鍋氏が研究対象としたであろう期間)

これは以前貼った事があるグラフですが、氷期と間氷期の期間と二酸化炭素の濃度変化をプロットしたもので、二酸化炭素に今言われている様な強力な温暖化効果が有って、地球の温暖化を二酸化炭素が支配しているのであれば、二酸化炭素濃度に追従して氷期と間氷期が繰り返される筈なのに、実際は逆ですからね。
恐竜が生きていた二酸化炭素が大気中に20%も含まれていた時代、生物が生きていられない様な高温にならなかったのは何故なんでしょうね。

加えて私がいつもこの様な温暖化論で違和感を感じるのが、全てを地球上の現象で説明しようとするところ。地球上の生物が生存出来る環境になっているのは太陽から受け取る熱量のお陰で、地球が自分で発熱して温度を維持している訳では無いのに、太陽の活動を無視して論を組み立てると言うのはおかしいのではないかと。単純な二酸化炭素濃度による気候変動論では、テムズ川が凍った絵画(1677年作)に残されている様な現象を説明出来ませんし。

日本人のノーベル物理学賞受賞は喜ばしい筈なんですが、今回は何らかの意図が働いた結果の様な気がしてならず、素直には喜べないですね。NHKとかグレタは欣喜雀躍してそうですが。
IPCCと言う「教会」、ノーベル賞と言う「学会」による世論コントロールと利権、正に「現代の天動説」って感じがしますね。

コメント
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