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ユーラシア大陸の端っこからのたわごとです。

解体と絶滅のアジェンダ 2/3

2015年07月14日 | たわごと

少なくとも具体的な謀略が始まったとされる明治開国以来、今も進められていると推察される日本国解体と日本民族絶滅アジェンダの真相との進捗状況を故太田龍氏の講演内容を軸に俯瞰していきます。

④からの続き

wantonのブログから 

⑤ 明治維新から、今日の現政権までに課せられた秘密指令
     ~日本国解体と日本民族絶滅計画!?
http://ameblo.jp/64152966/entry-12022667326.html

 根本的な当事者は裕仁だ

 日本人には今に至るまでその歴史が一向に釈然としない。
釈然としないから二・二六について非常に多くの人がいろんなことを
あれこれ言うけどね、しかし一向に問題の真相、本丸に迫らないんですよ。
鳥居民という人が『近衛文麿、黙して死す』という本を一昨年出しています。
近衛文麿と木戸幸一が元宮中の中枢に近い二人の人物でしょ。
近衛文麿は陸軍の一部(統制派)による中国に対する全面戦争には
全く反対したんです。

一方、木戸幸一は統制派の陸軍とともに陸軍による中国全土占領政策に
舵を切るんです。にもかかわらず、大東亜戦争、東京裁判のあと、
日本では近衛が悪玉で木戸が善玉になっている。非常におかしい。
全くおかしな世論操作が行われているんじゃないかと、
この人(鳥居民氏)は言った。

 二・二六についても決起青年将校の趣旨が若干でも日本の国家に
取り入れられれば、その後、日支事変、中国に対する戦争も開始しないし、
その後の全面的な戦争とは全然別の路線を日本はとったはずだけど、
その時点で昭和天皇に対して方針・政策を提案する決定的な立場に
あった木戸幸一は、二・二六に対して即時徹底的に鎮圧すべきという
方針を提起して、昭和天皇はすぐにそれに賛成して、そういうふうに
進んでしまったっていうわけで。

 近衞は全く別の方針だったけれど、
近衞は全く排除されたという風なことを言ってます。
だから木戸は二・二六の後の方針についても、それから日本が米国との
戦争を回避するかという議論でも、近衞は全く反対したんですね。
近衞は、日本は中国から陸軍を全面的に撤兵して、米国と交渉し直して、
米国と戦争しないような方向に持っていくべきだと言ったけれども、
木戸は陸軍中枢部の線に沿って、中国からの撤兵反対、
アメリカとの戦争辞さず、そして実際にアメリカとの戦争というふうに
持っていった主犯であるとこの人は言っている。
しかし日本人は、今更そういうことを言われても全然ピンと来ない。
というか、今更そんなことを言ってもしょうがないんじゃないかと
いうことで終わりになっちゃうわけです。

 木戸幸一じゃなくて根本的な当事者は昭和天皇なんです。
鳥居って人はそのことには触れることはできない、そのことに触れると
それはたちまち現代日本の体制を支配している絶対的なタブーと衝突して、
自分の方がぺっちゃんこになるかもしれない、だからそういうことは
しないというわけです。
従って今まで昭和天皇を弾劾する、昭和天皇の政策を告発する、
それを否定する、昭和天皇が反日本的な方針を強行したということに
ついては一言も言えない、そういう呪縛が日本人を縛り続けているんですね。 
 どの識者にもイルミナティ(英・米・露という国家の枠を超えた存在、
自由主義・共産主義という思想の枠を超えた存在)が見えていない

 バーガミニは、昭和初年以降の、満州事変以降の日本の戦争の主犯は、
その主たる決定者は昭和天皇だという説を立てて、論証していく。
だから昭和天皇の陰謀ってわけだ。
日本ではいかなる実力者もいかなる人間も政治家も軍人も官僚も、
昭和天皇の意思に異議を唱えることはできない。
満州事変以降、日本の戦争期間中に総理大臣がたくさん替わっているでしょう。
一年か二年ぐらい、ひょっとすると一年未満で辞めたりして、
非常にたくさんの総理大臣が替わってます。

そういう人たちが共同謀議をして一貫した日本の戦争拡大を遂行する
なんてありえない。その方向の主犯、謀議の中心は昭和天皇なんです。
昭和天皇は側近を通じてその政策を実行したと一応バーガミニは書いている。
その(表面の)現象は書いてある。昭和天皇の背後に存在する勢力に
ついてはバーガミニには分からないんですよ。
だから本当にちゃんと調べて自分は解明した、昭和天皇の時代の日本の
歴史の真相を解明したと思ったところが、それにアメリカのためにも
すごく大きな仕事をした、みんな褒めてくれるよと思ったところが、
たちまち背後から襲われて、なんだか訳のわからないうちに
潰されちゃうんですよ。
彼には見えないイルミナティのアジェンダの中に日本が設定され、
日本が取り込まれていて、その結果いろんな現象が出て来るって
ことがバーガミニには分からない。


 明治、大正、昭和、平成の各天皇が、イギリス最高位の勲章とされる【ガーター勲章】を授与されています。 ウインザー城、セントジョージの間には約650年の歴史の間、ガーター勲章をもらった騎士達の家紋が飾ってあるそうです。その中には、天皇の菊のご紋も ...

 私は『ユダヤの日本占領計画』という本の中で、

日支闘争計画について割と詳しく説明してます。
渡部悌治先生の『ユダヤは日本に何をしたか』という本の中にも
日支闘争計画については説明してあります。日支闘争計画というのは
1918年の秋、モスクワで全ユダヤ会議の代表とボルシェビキ政権の代表と、
イルミナティの代表が集まって日支闘争計画という長期計画を立てた。

ウィリアム・アーサー・フィリップ・ルイス・マウントバッテン=ウィンザー

ガーター勲章

 

それは日本と中国を戦わせる。日本と中国の全面戦争に持っていく。
その過程で共産主義が中国の中で主導権を取るように持っていく。
そしてその次に日本に対してアメリカとの戦争、英国との戦争、
最後に共産ソ連との戦争、に持っていく、
そして最終的に中国も日本も同時に我々が支配する、
そういう計画を立てたというんですね。

それがロシア語の新聞に載っていたものを日本の諜報機関が手に入れて、
東京に報告したけど、その意味が全然わからないままになっていると
渡部先生は言ってます。渡部悌治先生が仰るには、その問題の情報が
載っているロシア語の新聞は、1918年の秋に行われたのですから
そのあとなんでしょうね、国会図書館にありますよとおっしゃっていました。
あいにく私はそれを調べてないんですけど、国会図書館にまだ保存されて
いるなら、ロシア語のわかる人が見れば出てくるでしょう。

1906年(明治39)明治天皇、イギリス国王エドワード7世の代理として来日したコンノート公より贈呈される。
1918年(大正7)大正天皇、イギリス国王ジョージ5世の代理として来日したコンノート公より贈呈される。
1929年(昭和4)昭和天皇、イギリス国王ジョージ5世の代理として来日したグロースター公より贈呈される。
1998年(平成10)平成天皇、訪英の際に贈呈される。

 

 それで日支闘争計画というのは、ボルシェビキ共産政権、
コミンテルン、共産主義の勢力だけじゃなくて、全世界のユダヤ人組織
の代表が入ってる。
それからイルミナティの代表が入ってると説明されています。
日支闘争計画というのは、ソ連共産主義政権の単独のプログラムではない。
全世界のユダヤ人組織、イルミナティの世界組織の計画でもある。
真相に迫ろうとする人は、そのところで止まってしまっているんです。

 二・二六事件研究家の山口富永(ひさなが)氏。國民新聞という
右翼の月刊新聞をずっと購読してて、この山口という人の文章を読んだら、
面白いことを言ってると思ったんですけど、最近バーガーミ二の本を
読んだら、改めてこの人を注目しなくちゃと思ったんです。

 平成2年に出版された『二・二六事件の偽史を撃つ』を
最近山口さんから送って頂いた。
山口さんは1924年生まれですから、戦争末期軍隊に徴集されたんですね。
少年時代、中学生の頃からでしょうか、真崎甚三郎大将と交流があって
手紙のやりとりをして、真崎大将と皇道派の志と方針に全面的に共鳴
した人なんです。
たいていの人は少年時代の話はしばらく経つと忘れちゃって、
捨てちゃってサヨナラするのが普通ですけど、
この人は84歳に至るまで真剣にそのことを追求しています。

 これは最近、連載されたものです。皇道派の真崎大将は、
日本の国力相応の軍備強化(口先だけの外交は不可)、
戦争の拡大は絶対に反対という人ですからね。
真崎大将はイルミナティからすれば、大変邪魔なんです。
無自覚的にイルミナティのエージェントにならされた統制派の人たちは、
裕仁の直系の軍人でもあるんですよ。
統制派の最たる者が有名な永田鉄山少将で、
相沢中佐に陸軍省の中で惨殺された(1935年)。
永田鉄山がイルミナティの道具として使われた最も代表的な軍人でしょう。

 イルミナティにとって真崎は邪魔だから排除しようとした。
二・二六事件を奇貨(きっかけ)にして、二・二六事件の共犯者だと
称して(真崎を)逮捕して調べたんですけど、陸軍の司法部、陸軍の
軍事裁判は無罪の判決を下したんです。
もともと何の関係もないですから。皇道派の真崎大将は、
イルミナティが日本の完全抹殺に向かって決定的に歩を進めようと
するときに、日本の陸軍の良識的な部分として、しかも陸軍の軍人から
絶大な信頼を得ていた。
そういう人物の排除が、至上命令だったことがよくわかります。

 したがって、私は、昭和天皇が二・二六事件の主犯である、
日本を滅亡に追い込んだ国賊である、日本の歴史上もっとも顕著な
もっとも極悪の国賊である、という風に昭和天皇・裕仁にレッテルを
貼り付ける必要があると思います。
そういう風に価値観を変えないとダメです。

 明治天皇と昭和天皇は全然異質なんです。
明治天皇は15歳までは、大室寅之祐、普通の日本人ですからね。
傀儡とされたけども、薩長の藩閥の傀儡なんです。それを通じて
イルミナティの傀儡に位置づけられたけど、少年時代は日本人として
教育されているから、そう簡単には動かされないんですよ。
西南戦争で、大久保・木戸一派が、とにかく「西郷を殺せ」って
いうけど、明治天皇は本心では絶対反対なんですよ。
大久保と木戸は、明治天皇に、西南戦争の最前線に立って、
大本営を広島辺りに持っていって、天皇の威光でとせっついたけれども、
明治天皇はそれを拒否して、宮中に篭ったまま外に出てこない。
これは歴史に残ってます。明治天皇は反対なんですよ。

 西南戦争で西郷さんが死んだ後、木戸が途中で病死、
大久保は明治11年に殺され、岩倉は明治16年に病死した。
その後、明治天皇は西郷隆盛の名誉を回復しろと命令し、
それは実行されたんです。
「西郷隆盛の遺族はどうしてる?」と明治天皇が尋ねて、
調べたら、妻子は山中に隠れてひっそりしていたことがわかって、
どうこうとなるわけです。一刻も早く名誉を回復させよと、
明治天皇が言うわけです。次に日清戦争を起こすでしょ。

明治天皇は日清戦争は反対なんです。
しかし、薩長藩閥政権はイルミナティの傀儡だから、
明治天皇がなんと言おうとも問題にしないんですよ。
明治天皇の意思に反して、日本は日清戦争に突っ込んだわけですよ。

 私が『長州の天皇征伐』という本を書いて出すときに、
出版社が「明治天皇国賊論」という案をいってきたんですが、
明治天皇を国賊と言い切るわけにもいかないんですよ。
しかし、昭和天皇は、明々白々、歴然たる日本史上最悪の売国奴です。
日本全土を今に至るまでイルミナティの占領下において、
日本はその命令通り日銀の利子をゼロに近づけて
十何年やっているんですからね。

そのお金をユダヤ・アメリカ・イルミナティがただ持っていって
盗っていることに、日本の国家は何も言えない。
日本の占領はますます強化されてますよ。
そういう状態にしろと言われ、その通りに実行したのが裕仁なんですよ。
裕仁は日本史上極悪の売国奴だと私は考えてます。
裕仁については「国賊・昭和天皇」と言うべき時だと思います。
そういう風に日本人の価値観を変えないとだめです。
明治天皇は違いますよ。
昭和天皇はイルミナティの傀儡として百点満点というわけです。

 二・二六でイルミナティの傀儡としての昭和天皇を
独裁者としておくことが必要だった。
そうしないと、百戦百敗、完全に惨敗して、日本が滅亡することが
決まっているような、中国に対する戦争、中国に対する全面戦争は
やがて、松岡洋右が当時言ったように、必ず米国との戦争に日本は
引っ張り込まれ、最終的にソ連との戦争となる。

日本は全世界を敵にして、滅亡するしかない。
松岡洋右はそう言ってます。
松岡は外務大臣で、昭和天皇が大嫌いなんです。
裕仁は松岡についてあれこれ悪態をついてます。

 日本を全世界に対する無謀な、惨敗して滅亡するしかない状況に
持っていくために、裕仁は使われ、その通りに裕仁は演技したんですよ。
これを売国奴と言わずして何と言うんですか? 
二・二六事件は、それを象徴的に表しているんです。
陸軍の将官が全員、決起将校の心情、政策、志をちゃんと評価すべきだと
言ったんです。
しかし、昭和天皇はそんなものは問題外だと排除した。
バーガミニはそれを「政治戦に裕仁は勝利した」って言ってるんですけど、
その通りです。

 

高度自給自足時代の夜明けから:

マルタ騎士団政庁公式発行 昭和天皇御誕生100周年記念金貨。昭和天皇裕仁はマルタ騎士団、ナイトと言うことです. 

マルタ騎士団: ロードス及びマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会

マルタ騎士団は世界の約94か国と外交関係を持ち、在外公館を設置している。外交関係国はヨーロッパ38カ国、アフリカ35カ国、アメリカ29カ国、アジア・オセアニア18カ国である。いわゆるキリスト教文化圏の国々が多い。その中で主要国はフランス・ドイツ・英国・イタリア・ロシア・カナダがある。一方で、アメリカ合衆国・日本などは承認していない。また、国際連合では「オブザーバーとして参加するために招待を受ける実体(entity)あるいは国際組織」として扱っており、「加盟国」とも「非加盟国」とも異なる立場である。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/hikounin/malta.html

 明治維新から、今日の現政権までに課せられた秘密指令

      ~日本国解体と日本民族絶滅計画!?
http://ameblo.jp/64152966/entry-12022669488.html

 日本の蘇生には真崎大将の名誉回復が絶対必要条件

 二・二六事件についてそう考えると、真崎甚三郎大将の遺志が、
今、非常に重要になっている。
日本人が、真崎大将の名誉回復をすることが、滅亡寸前の日本の再生と
蘇生のために絶対必要条件だと、私は、山口さんの本を読んで
気が付いたんです。

 この山口さんが、昭和19年に陸軍に徴集されて入隊する時に、
真崎大将を訪問した。山口さんが、真崎大将に
「今、日本に天皇陛下はおられるのですか?」って聞いたそうです。
そしたら真崎大将は「二・二六の将校もそれを嘆いて死んでいった」と
言われたと。昭和19年のことです。

山口さんは皇道派の志に同調してたから、
「今の天皇というのはなんだ?」「あれは本物の天皇なのか?」
「今は日本に天皇はおられるんですか?」
という疑問が出てきたわけですよ。
本当にその通りですよ。
実際、銃殺刑に処せられる青年将校十何名の中には、
天皇を公で批判した人もいるし、批判しない人もいるけど、
と言ってますね。

山口さんは非常に重要なことにちゃんと迫ってます。
しかし、「裕仁は国賊だ、売国奴だ」とはっきり言い切るのは、
日本人にとっては難しいです。
左翼はイルミナティの虎の威を借りて「昭和天皇は戦犯だ」と
わめくんです。彼らはイルミナティの手先ですからね。
イルミナティの虎の威を借りてあれこれ言っているだけのくだらない人達です。

左翼そのものがイルミナティのエージェントとして日本を
イルミナティに売る売国奴ですから、こういう人たちは問題外。
日本人の立場として日本民族の立場から見て昭和天皇とは一体なんだ? 
そのことに今までで一番接近しているのは、二・二六事件に
全然関係ないのに逮捕された皇道派の首領である真崎大将ですね。

 真崎大将が「東條ごときはものの数でもないが、
自分に対する圧迫が宮中からずっと来た、そのことが一番難しい、
苦しいところだった」という趣旨のことを言ったと書いてあります。
宮中ってなんですか? 木戸内大臣は天皇の番頭であって、
権力そのものじゃないです。宮中ってのは昭和天皇でしょ。
しかし真崎大将も昭和天皇に対してストレートにそれを告発する、
それを批評することが心理的にできないんですよ。

 それを超えることができなければ日本の民族はもう終わりですよ、
と私は思います。つまり、イルミナティは孝明天皇を弑逆させて、
その辺りに傀儡を作って、明治天皇はなかなかイルミナティからすれば
素直じゃないでしょ。大正天皇は明治11年生まれですから、
それを教育する宮中はワンワールドの手先。
完全に支配してるんだからね。
昭和天皇に至っては明治34年生まれですから、
ワンワールドによる宮中の支配は完璧になってます。
裕仁はイルミナティの純粋培養の作品です。
イルミナティの傀儡として終始し、摂政の時代も、昭和前期も、
占領中も、一応講和回復後も、イルミナティの言う通り期待通り
百点満点と評価していい存在だった。

 そうして日本は敗戦、講和回復しても昭和天皇の言うとおりに、
ずっと占領下にあります。その件について多少真相に迫った学者などが
2~3名存在します。その学者の研究によれば、朝鮮戦争が起きて
米国政府が日本との講和条約交渉を始める。その時に吉田茂首相は
常識として当たり前だけど、講和が締結すれば戦争は終結だから
米軍は全部撤退する、それが当然と思って進めていた。

ところがなんと昭和天皇が吉田首相の頭越しに、吉田首相の知らない
ところで裏取引、秘密交渉をやるわけですよ。
秘密交渉の相手はダレスです。
ダレスは共和党系だけど、民主党政権でも有力な外交顧問になってた。
対日講和条約はダレスが主任となった。
ダレスと言うのは1920年代からロックフェラー財団の最有力者で、
イルミナティのコンコンチキですよ。
そういう人物と裏取引、直取引して昭和天皇は吉田茂の方針を否定して、
講和条約締結後も無期限に日本は米軍に軍事基地を提供する、
というよりも米軍に無期限に日本に駐留してもらいたい、と言うわけです。

沖縄に至っては50年くらい、事実上半永久的に米国の領土として
日本は認める考えがあるということをダレスに対して昭和天皇は
言うわけですよ。 
 これは何なんですか? 
これを売国奴と言わずして何というんですか?

 日本人が正式に選んだ吉田茂首相とその内閣、吉田茂は常識として
戦争終結したら米軍は日本全土から撤退する、そういう当然の前提の
もとに講和交渉を始めたんです。当たり前のことじゃないですか。
それを昭和天皇が横やりを出して、ダメだというわけです。
率直に言えば、日本は米国に無期限に占領してもらいたいと言うわけです。
これは何なんですか? その結果、今のようになってんですよ。
これは何なんですか?

 しかしこれは昭和天皇の日本に対する無数の裏切りの一つに過ぎません。
しかしながら日本人はそのことを公然と報道し、論評し、批評する自由を
全く与えられてないんです。
というよりは、日本人がその言論の自由を行使する気力を奪われているんです。
これは日本が刻々急速に滅亡していく、そういう絶対的な心理的条件以外の
何ものでもないと私は思います。
しかしそうなった歴史的背景は何なのか? 
そういうことを日本人には真剣に考える必要があります。

 天皇=イルミナティの傀儡、として歴史の再検証を

 


イギリス女王を守る騎士団の一員? 昭和天皇とエリザベス女王


 別の話になるんですけど、日本でユダヤ・フリーメーソン批判を
最初にやってずっと最後まで主要な指導的な役割を果たした、
四王天延孝陸軍中将〔1879~1962年〕は、士官学校、陸軍大学を出た
日本の陸軍のエリートコースの一人です。
そして第一次世界大戦中フランスに観戦武官として派遣されていたんですね。
そうしているうちにフランス人にいろいろ友人ができて、その友人から
「この戦争はお前、ユダヤが始めた、
主体はユダヤだということを知っているか?」って言われるんです。
それを聞き逃す人もいるかもしれないけど、四王天さんは真剣に受け止めて
研究をはじめるわけです。一体これは何だ? 今は違うでしょうけど、
その頃のフランスには非常にたくさんのユダヤ・フリーメーソンに
批判的な文書・言論があったんです。そういうものをたくさん集めて、
真剣に研究調査していくわけです。

 第一次大戦中の観戦武官として派遣されるのは、
紛れもない軍のエリートコースですよ。
第一次大戦以降日本はシベリア出兵するんですけど、
四王天さんは満州の北部に陸軍の諜報機関の事務所を作って、
反ボルシェビキ、反共産主義的ロシア人と接触していろいろ情報を
得たり工作したりするんです。
そういうことを通じてボルシェビキ共産革命が国際ユダヤによって
計画され実行されたという話を聞いて、たくさん情報を集める。
そうして四王天さんは最も早い時期から日本でユダヤ・フリーメーソンに
対する批判、思想戦、それに対する対策、そういうものを
ずっとやってたわけです。

 国際連盟ができると、日本はその頃の世界の主要5カ国の一つに
なるんですね。その主要5カ国が国際連盟の軍事委員会を作る。
日本の陸軍はその国際連盟の軍事委員会の日本軍の代表として
四王天さんを派遣するんですよ、ジュネーブに行きます。
その頃、陸軍少将になってるんじゃないでしょうか。
そういうコースは、軍のエリート・コースですよ。

 ところが、ジュネーブから帰任すると、
すごく露骨に左遷されるんです。
名古屋師団付といっても特別な仕事は何もない、完全な閑職、
クビ寸前の地位に置かれる。
それでも、四王天さんは日本全国を奔走して、一般の日本人に対して、
ユダヤ・フリーメーソンの危険を警告する講演会をたくさんやっているんです。
そしたら、上原勇作元帥がじきじきにやってきて、
「お前はユダヤ問題なんていうくだらないことはもうやめろ」と言うんだって。
「いや、それはできません」と言ったら、たちまちのうちに四王天さんは、
陸軍退役ですよ。陸軍からクビです。
だから、上原勇作って言う人は何かって思うでしょう。

 四王天さんは、昭和16年、大東亜戦争が始まる年に有名な
『猶太(ユダヤ)思想及運動』という本を出したんです。
その本の序文のなかで、四王天さんは、以前はユダヤ問題を自分がやって
いくと、上のほうからやめさせる圧力が非常に強くかかってきて、
最近はその頃に比べればずいぶん違ってきた、そんなことを書いていますよ。
一番上ってどこかって言ったら、天皇と宮中以外にないですよ。
日本のシステムでは。

 落合莞爾(かんじ)さんの話では、上原勇作はフランスに留学中に
フリーメーソンに加入している。
上原元帥は明確なワン・ワールド、フリーメーソンだと言っています。
従って、日本では、陸軍・海軍・財界・その他、明治以降の中枢部に、
ワン・ワールド、フリーメーソンの指揮系統がずっと機能している、
機能していたと見ることができます。

 渡部悌治先生は『ユダヤは日本に何をしたか』のなかで、
二・二六も背後では、ユダヤ国際資本が操っていたと言って、
あまり詳述してないですけど、そう言っています。
従って私たちは、地球を支配している、ユダヤ・フリーメーソン・
イルミナティといった勢力をちゃんと確認して、明確に意識して、
デーヴィッド・アイクは『グローバル・コンスピラシー』という本を
出してますが、そういう枠組みのなかで、もう一度日本の歴史を見直す
ことが必要です。
グローバル・コンスピラシーという大きな枠組みのなかで、
孝明天皇弑逆と、それ以降イルミナティの傀儡として作られた歴代天皇、
こういうものを批判的、客観的、詳細に検証していく精神的・心理的な
力が必要です。

 今の日本では、天皇をあれこれ批判したりすること
自体が絶対禁止されている。
別に法律で禁止されているわけではないけど、自分の内心で押さえつけている。
あるいはイルミナティの有力な御用機関として、右翼と称する反日本的な
売国奴集団が暴力で脅迫する、そういうことを通じて、発言・言論を
抑えてるんです。しかし私は、その精神的呪縛を断ち切らないと
日本は完全に滅亡していくだけだと思います。 


たわごと:

 明治維新以来の国体=天皇崇拝=影の支配者である天皇とその勢力あるいはその対立勢力による現在の国家体制=宗教とは、支配者が庶民を貧乏でも我慢できるように作られた夢物語です。

支配者に従って我慢して生き、死ねば天国に行ける。

支配者に背いて悪いことをしたら地獄に行く。

こんな手かせ足かせを喜んで受け入れる必要など全くないのです。

このような日本人を貶めている呪縛から逃れ真の自立した意識と行動のみが人間としての自由と幸せを獲得することができる。

かれら支配勢力たちが聞きたくないことでしょうが…


 


ウインザー城、セントジョージの間には約650年の歴史の間、ガーター勲章をもらった騎士達の家紋が飾ってある。その中には、天皇の菊のご紋も。



 関連記事

虚空と君のあいだに から

天皇教のロザリオその1 feat 鬼塚英昭【20090128】

http://www.mkmogura.com/blog/2009/01/28/162

本文から:

戦前は、西園寺でもわかるとおり大東社の影響が強く、戦後は米英系が強かったわけです。日銀、教育関係などはいまだロスチャ=大東社系ですがね。
明治維新もそうで、フランスの全権大使として江戸に赴任し幕府を援助したレオン・ロッシュ(大東社)、スコティッシュメーソンのトーマス・グラバーがあげられる。
上位ロッジはもちろん、スコティッシュも現在はロスチャ側である。(石の扉参照)
明治維新を英系メソVS欧州系メソで分類する方がいるが、現在、意味するの米英系メソ=フィリピン傘下のメソであり、後にこれらの土台となる当時の英国メソ(スコティッシュ)の一部、反逆メソは、明治維新のときに内戦に持ち込もうとしたが慶喜に大政奉還され、回避されます。
ここからも、大東社系の勢力が強かったことが読み取れます。

そして何より、グラントリアンの西園寺公望が1906年に首相になるんですから。
 
 
その後、発展する米英系へと舵を切った張本人が「日本はアメリカの妾だ」と発言したヨハンセングループ、反共組織の土台となった吉田茂です。
カトリックであった吉田が言った、この言葉の本当の意味、何故言わなきゃならなかったか、さらにはカトリックであるのにこう言わねばならなかった吉田の悲痛な心情まで、あなたは理解できたかな?
それは先ほど話した天皇が激怒したのと同じ理由です。
対立の中、彼らは選択をせねばならなかったんだよ。だからアメリカの妾だと言う言葉を使ったのだ。

天皇教のロザリオその2 feat 鬼塚英昭【20090129】 

http://www.mkmogura.com/blog/2009/01/29/163

 

1/2ユダヤタルム-ドの世界統治計画グロ-バル主義

https://youtu.be/TEfFRL4LO8U

2/2グロ-バル主義 環大西洋貿易提携協定の役割

https://youtu.be/XNN1nvY79-U

 

 

Mao Asada・Stand Alone (坂の上の雲より) - 浅田真央・凛として

https://youtu.be/VxkYdQcBRmA


解体と絶滅のアジェンダ 1/3

2015年07月14日 | たわごと

元伊勢・籠神社の奥宮「真名井神社」

http://guide.travel.co.jp/article/2262/


少なくとも具体的な謀略が始まったとされる明治開国以来、今も進められ最後の仕上げが行われていると推察されるわが日本国解体と日本民族絶滅アジェンダの真相との進捗状況を故太田龍氏の講演内容を軸に俯瞰していきます。

wantonのブログから

`① 明治維新から、今日の現政権までに課せられた秘密指令
~日本国解体と日本民族絶滅!?
http://ameblo.jp/64152966/entry-12022659935.html


以下の記事を読めば、日本の今置かれている立場が真に理解出来る。
情報元の記事保護の為、敢えて、リンクはしません。
以下 ↓

天皇の戦争責任を暴いたバーガミニをアメリカが抹殺した理由は?

 デビッド・バーガミニ(David Bergamini 1928~1983)は、
アメリカでベストセラーになった1971年の著書『天皇の陰謀』の
日本語版序文(ただし1983年発行の新書版のみ)で、
「私はこの著作のせいで文筆活動を絶たれることになった」と書いている。
この序文は、非常に重要だが、誰も指摘していない。

バーガミニを抹殺するために、200~500万ドルの賄賂・監視料が使われた。
日本政府から出た資金ではない。エドウィン・ライシャワー駐日大使
(妻は松方正義の孫・松方ハル)を中心とする米国エリート勢力だった。
また、アメリカの主だった学者は、揃ってバーガミニをインチキ扱いしている
(日本研究の権威だったライシャワーの影響力によるものだろう)。

 バーガミニ本人は、昭和天皇・裕仁の戦争責任を暴いたつもりだった。
したがって、日本から非難を受けることは想定していたが、
祖国アメリカから称賛はされても、まさか攻撃を受けるとは思っていなかった。
その結果、バーガミニは、愛国心を喪失したと書いている。
どうして天皇のことを暴くと、アメリカ国内の勢力から攻撃を受けるのか? 
それは、裕仁がイルミナティの養成したロボットであり、
ザビエル以来の日本破壊の計画を完成する重要な役割を担っていたからである。
裕仁は「平和を愛したが軍部に押し切られた無力な天皇」でなければならなかった。 
 二・二六の決起趣意書の真意は理解されているのか?

 川島義之(陸軍大将)が裕仁の前で読み上げた二・二六の決起趣意書
(北一輝が手を入れたという)をバーガミニは「外政上の紛争から手を引き、
内政改革と日本の伝統保持に傾けるよう天皇に求めたもの」と評価している。
これは妥当な解釈である。農村は困窮していた。
本庄侍従武官長、陸軍中枢部も決起将校たちに同調的だった。
日本の書籍やマスコミで一般的に理解されているものとは乖離がある。

 今でも、官僚、政治家、企業が悪いと言われているが、
基本的にはそれと同じ趣旨で、庶民の観点に立っている。
決起将校たちは、天皇が庶民の味方だという根本的な勘違いしていた。
庶民の味方であるわけがない裕仁は、徹底鎮圧を指示した。
木戸幸一(長州藩の木戸孝允=桂小五郎が大叔父)も徹底鎮圧を勧めた。 


 396年計画 1549.8.15-1945.8.15

 こうして一般民衆を敵視し、権力者に操縦されるだけの天皇ロボットの
歴史は、ザビエル来日の昔にまで遡る。ザビエルは、1549年8月15日
(カトリックの聖母被昇天の祝日)に、現在の鹿児島市祇園之洲町に来着した。

 日本を訪問したザビエルは、
「日本人は危険な存在である、最後の一人まで抹殺しなければならない」
とイエズス会の本部に報告した。鎖国を経て、ペリーがやってきて、
孝明天皇が暗殺されて以来、日本は麻痺状態。
それ以降の天皇・日本政府はイルミナティの檻の中の実験動物のようなもの。

 イルミナティは薩摩藩、長州藩に浸透した。
西郷隆盛はイルミナティの傀儡になることを拒否したため、
西南戦争で抹殺された。
孝明天皇の暗殺、明治天皇のすり替えを経て、大正天皇の頃には、
イルミナティの宮中浸透は完成していた。
大正天皇も昭和天皇も、そうした環境で育ち、
日本をイギリスやアメリカのような国家にすることを夢見ていた。

 明治天皇は薩長の傀儡だった。間接的にはイルミナティの傀儡とも
言えるが、それでも、少年時代は日本人として育っていたため、
簡単には染まらなかった。
西郷を殺すことにも本心では反対していた。
それで死後に西郷の名誉回復もしている。
日清戦争にも反対していたが、明治天皇の意志に反して、行われた。
だから、明治天皇を単なるイルミナティの傀儡、国賊と言うべきではない。

 大正天皇の不発クーデタ。大正天皇は精神を病んでいたといわれるが、
西園寺は自分が仕えた4代(孝明~昭和)の中で最も知性に優れていた
と語っている。
大正天皇はナポレオン、アレクサンダー大王を理想として
日本を改造したかった。
議会は廃止して天皇独裁にしたいと思っていた。
日露戦争で莫大な外債を抱えていた。議会が予算を承認しないと困る。
陸軍・海軍を増強して「帝国」にしたいのに障害になる。
その天皇の考えに山県有朋は衝突した。

 裕仁は大正天皇が不発に終わったクーデタを実行しようとした。
立花隆の『天皇と東大』によると、上杉憲法学は議会の撲滅を主張していた。
議会を大政翼賛会とし、日本を破壊するための軍国主義体制を整えるように
「宮中」から指示をしていたのが裕仁である。

日本を戦争に導くため、戦争反対派(皇道派)を一掃する「きっかけ」
として利用されたのが二・二六事件だった。

 イルミナティが日本を完全に抹殺するためには、
自滅の軍事力を築く必要があった。
そうしてイルミナティの軍隊で占領する必要があった。
遠くイギリスから軍隊を派遣することはできない。
ではどうやって抹殺したのか? 
エージェントを養成し、西洋のような国を目指すように仕向け、
大きな軍隊を作り、戦争を起こさせて、自滅させるのだ。

良識ある官僚、政治家、軍人ならば、そんなことは反対する。
英米、中国、ソ連と世界のすべてを敵にするような戦争をするわけがない。
その反対を押し切るためのエージェントが天皇だった。
英米の言いなりになるアホをトップに据える必要があった。
その仕掛けが、絶対的天皇主義。
それが完成したのが二・二六の後。

二・二六事件までは陸軍の圧倒的多数は中国大陸での戦争に反対していた。
中国に100万の軍隊を展開しながら、太平洋でアメリカと戦うのは、
自滅の戦争であることが子供でもわかる状態だった。
だが、それに反対するのは、天皇が許さない。
そういった仕組みが二・二六で完成した。

② 明治維新から、今日の現政権までに課せられた秘密指令
      ~日本国解体と日本民族絶滅!?
http://ameblo.jp/64152966/entry-12022662419.html

 中国への戦争に反対していた真崎大将を二・二六事件の「黒幕」だ
として刑務所に閉じ込めている間に、統制派は中国との戦争に火をつけた
(1937年の盧溝橋事件)。
こうして最後にイルミナティの日本滅亡計画(敗戦革命)を完了させるため、
アメリカを相手に戦わせたのが「太平洋戦争(Pacific War=平和の戦争)」である。

近年になって公開された米国政府文書により、
アメリカがわざと真珠湾攻撃に日本を誘い出したことは明かになっている。
開戦時、日本側では、内大臣の木戸幸一が中国からの撤兵反対、
米国との対戦を主張して、米国の謀略に合わせていた。
たが、木戸というより裕仁だ。
近衛はその逆だった。終戦の半年前の昭和19年2月には
「近衛上奏文」(「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞)
で戦争に導いてきた軍人たち(共産主義に染まっていた)の一掃を勧めているが、
裕仁はこれを無視し、特攻隊、本土空襲、原爆投下をまねいている。

 太平洋戦争は、1941年12月8日(カトリックでは聖母の無原罪の御宿りの祭日)
の真珠湾攻撃に始まり、1945年8月15日(カトリックの聖母被昇天の祝日。
ザビエルの上陸記念日)の「終戦の詔勅(玉音放送)」で終わった。
裕仁の売国奴ぶりは終戦後も続く。

吉田茂は、日米講和条約が成立すれば米軍は撤退するものだと思っていた。
ところが、吉田茂の知らないところで昭和天皇が裏取引し、
ダレス(ロックフェラー財団の有力者)と秘密交渉、米軍が無期限に
日本に駐留することにさせた。
沖縄は半永久的に米国の領土として認めるといったことをダレスに言っている。 

 「いま日本に天皇陛下はおられるのでしょうか?」

 皇道派の支持者だった山口富永(ひさなが)さんが昭和19年に
陸軍に入隊するとき、真崎大将を訪ねて聞いた。
「いま日本に天皇陛下はおられるのでしょうか?」 
それに真崎大将は「226の将校もそれを嘆いて死んでいった」と答えている。
その真崎大将も、宮中(裕仁)に抵抗することはできなかった。
真崎大将の死後、その長男が裕仁の通訳を30年も務めた。
この天皇の呪縛を超えない限り、日本人に未来はない。 

 以下は、この講義の全編の文字起こしである。

 70年以上に亘って日本国民に対して絶対的に隠蔽され続けてきた
2・26事件の真相、全面開示

 太田龍 (週刊日本新聞) 2008年1月25日 日本義塾公開講義 
 バーガミニ『天皇の陰謀』の「新版への序文」に埋もれていた衝撃の事実

 バーガミニの『天皇の陰謀』、最初の上下2巻の版じゃなくて、
1983年に出た新書版・全7巻の第一巻の巻頭にバーガミニが
「新版への序文」というのを書いている。
このバーガミニの新版への序文は、私の判断では大変重要なんですけど、
私の知る限りバーガミニの新版への序文を読んでその重要性に気がついて、
ちゃんとコメントする、意見を発表するというか、注意を喚起するというか、
そういう事をした人を私は誰も知りません。
多分誰もやってないんじゃないですか。すごく重要ですよ。

 バーガミニの全二巻本も今はとても手に入りにくい。
新書版は更に手に入りにくい。
この新書版は、私がよく読んだらかなり無断で削除してます、全二巻本からね。
あんまり良い本でもない、熱心に読まれないかもしれないけども、
バーガミニの「新版への序文」は新書版しか載ってないです。
ほとんどまともに読まれてないんじゃないかと思う。
それでコピーして差し上げたんです。

 今日は「二・二六事件の真相の全体開示」ということをお話しします。
ここにバーガミニの後編の32頁のコピーがあるでしょう。
二・二六の青年将校達の決起趣意書がそのまま載せてあります。
この決起趣意書というのは、バーガミニの本に説明してありますけど、
青年将校の主な人達が自分で文章を作成したんでしょう。
それを北一輝のところへ持っていったら、北一輝が文章に手を入れて、
メリハリの効く語呂にしたと書いてあります。
決起趣意書をお読みになったことありますか?

 川島陸軍大臣が昭和天皇に謁見して天皇の前で決起趣意書を、
青年将校はこういう趣旨で決起したようですと読み上げるわけですよ。
読み上げたら裕仁がどう考えたかという事をバーガミニが書いています。

 私が決起趣意書を読み上げてみます。
これはすごく難しい字を使っていて、今の日本人にはサラサラなんて
読めなくなっていると思うんです。
私も一か所読めない字があります。
辞典を引いて来ればよかったんですけど一か所は読めない字があります。
意味はわかりますけれど。読んでみますね。

 謹んで惟(おもんみ)るに我が神洲たるゆえんは、
万世一系たる天皇陛下御統帥の下に、
挙国一体生々化育(せいせいかいく)を遂げ、
ついに八紘一宇を完うするの国体に存す。
この国体の尊厳秀絶は、天祖肇国神武建国より明治維新を経て
ますます体制を整へ、今やまさに万方に向って開顕進展を
遂ぐべきの秋なり。

 しかるに頃來、遂に不逞凶悪の徒、簇出(そうしゅつ)して、
私心我慾を恣(ほしいまま)にし、至尊絶対の尊厳を藐視(びょうし)し
僭上(せんじょう)これ働き、万民の生々化育を阻害して塗炭の疾苦を
呻吟(しんぎん)せしめ、したがって外侮外患(がいぶがいかん)、
日を追うて激化す。

 いわゆる元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等は、
この国体破壞の元凶なり、ロンドン軍縮条約ならびに教育総監更迭に
おける統帥権干犯、至尊兵馬大権の僭竊(せんせつ)を図りたる
三月事件あるいは学匪、共匪、大逆教団等の、利害あい結んで
陰謀至らざるなき等は最も著しき事例にて、その滔天(とうてん)の
罪悪は流血憤怒、真に譬(たと)えがたきところなり。

中岡、佐郷屋、血盟団の先駆捨身、五・一五事件の噴騰、
相沢中佐の閃発となる、まことに故なきにあらず。
しかも幾度か頸血を濺ぎ来たって今なお、いささかも懺悔反省なく、
しかも依然として私権自欲におって・・・苟且(こうしょ)
(これが分かんないんですねぇ、苟も且つっていうんですね)
偸安(とうあん)を事とせり。
露支英米との間、一触即発して祖宗遺垂のこの神洲を
一擲(いってき)破滅に堕せしむるは火を睹(み)るよりも明かなり。

 内外真に重大危急、今にして国体破壊の不義不臣を誅戮(ちゅうりく)し、
稜威をさえぎり、御維新を阻止し来れる奸賊を芟除(さんじょ)するに
非ずして皇謨(こうぼ)を一空せん。
あたかも第一師団出動の大命煥発せられ、年来御維新翼贊を誓ひ
殉死捨身の奉公を期し来りし帝都衞戍(えいじゅ)の我等同志は、
まさに万里征途に上らんとしてしかも顧みて内の亡状に憂心転々禁ずる能はず。

 君側の奸臣、軍賊を斬所(ざんじょ)して、彼の中枢を粉碎するは、
我等の任として能く爲すべし。臣子たり股肱たるの絶対道を、
今にして尽くさずんば、破滅沈淪を飜すに由なし。
ここに同憂同志機を一にして蹶起し、奸賊を誅滅して大義を正し、
国体の擁護開顕に肝腦をつくし、もって神洲赤子の微衷を献ぜんとす。
皇祖皇宗の神霊、ねがわくば照覧冥助を垂れたまわんことを。

③ 明治維新から、今日の現政権までに課せられた秘密指令
      ~日本国解体と日本民族絶滅!?
http://ameblo.jp/64152966/entry-12022663254.html

昭和十一年二月二十六日


 っていうんですね。ここにバーガミニが説明してます。
裕仁は黙ったままその趣意書に耳を傾けた、
その激烈な言葉と軍人精神の勇敢な見せかけの背後に裕仁は
彼の好戦的な全政策への完全な否認を読み取ることができた。
ベールをかけた腹話的な言い方で反乱者たちは裕仁に請うて
これ以上の外征上の紛争の危険から手を引き、
彼の勢力を内政改革と日本の伝統的な大和魂の保持に傾けるように
求めていた、という風にバーガミニは説明しているんです。

 バーガミニは、二・二六の決起趣意書と、
それを裕仁が聞いてどう考えたかという事について、
このように説明しているんですけど、こういう説明は、
今まで日本人は全く聞いたことはないですよ。
バーガミニの評価、説明は大変妥当な、非常に当たり前の説明だと
私は思うんですね。

 しかし、裕仁はそういう風に考えたけど、
川島陸軍大臣、本庄侍従武官長、その他陸軍の中枢将官のほとんどは、
こういう青年将校の決起に完全に同調、共鳴というか同情というか
支持というか、そういう風な気分だったわけですね。
そのことをバーガミニは事実に即してちゃんと説明しています。
しかし、日本で今まで出版されている、公表されている、
あるいはテレビ、その他等で言われている説明とは
甚だしくギャップがあるわけですよ。
それで、問題がどこにあるかをまず明確に設定しないとダメですよ。

 これはバーガミニの英語の巻の上巻です。
上巻と下巻があって、全一巻本というのもあります。
日本の翻訳は1973年に出た、いいだもも訳の上下二巻、
約1100頁少しなりますかね。
バーガミニの本は、日本語で出たものとしてはもちろん、
その前の英語で出たものとしても、明治以降の日本の歴史、
とりわけ大正天皇以降、大正11年に裕仁が摂政になって以降、
昭和天皇が日本の国家の中枢を握ったわけです。
その昭和天皇の歴史の真相について、バーガミニの本が初めて
それを明らかに光を当てたんですよ。

 この本がアメリカで出たら、凄い大ベストセラーになって
色々な人が非常に高く評価した書評を書いたりしてるんです。
ところが! これはよく熟読してくださいね。短い文章でしょう。
83年の新版、新版というのは日本語の新書版が出るのでその序文を
寄せたわけです。
驚くべきことが書いてあります。
「天皇の陰謀が物書きとしての私の経歴をお終いにしてしまった」と
言ってるんですよ。これはビックリしませんか? 
非常に私はビックリしましたよ、それを初めて知って。

 この本が出た1971年以来、大ベストセラーになったんです。
良く調べると、なんとこのバーガミニという人はアメリカの大学を
出た後、ローズ奨学生になってオックスフォードに入学してます。
ローズ奨学生のオックスフォード卒業生ですよ。
これは欧米ではとてつもないエリートです。
インサイダーの候補です。

そういう人が、自分は日本に非常に縁が深いので昭和天皇の歴史を
中心とした日本史を書いてみようという訳で、アメリカの有力な権力層
から日本の多くのインサイダーへの紹介状を貰って、インタビューしたり
して、本もたくさん買って、京都に住んで、京都の学生・卒業生とかを
助手にして、非常に詳しい調査をして、日本のインサイダー、元将軍、
元なんとかという人たちのインタビューをしたりして書いた本ですよ。
これは凄い本だということで前途洋々かと思うと、とんでもない。
この本を出したおかげで、自分の物書きとしての経歴がおしまいに
なったって言ってるんです。

 内輪に見積もっても200万~500万ドル。
今のドルではなくて1970年代だからもう少し価値があったんじゃ
ないでしょうか。
200万~500万ドルが、私を押さえつけておく賄賂ないしは監視料と
して使われたって言うんですよ。奇妙奇天烈な話じゃないですか? 
いかなる手段によるにせよ、その勘定、つまりお金は日本政府からは
出ていないって言うんです。じゃあ誰がそのお金を出したんですか?

 「とりわけエドウィン・O・ライシャワーが、私を押しつぶす
大きな蝿叩きを作るために手貸した」って言うんですよ。
ライシャワーは、気の赴くままに合衆国の大学に与える贈り物を
持っていたし、日本での訓練期間中に彼に借りを作ったCIAの手の者達
の中核の献身を受けていたって言うんです。
つまり、ライシャワーを中心とする、アメリカのまさしく権力エリートが、
バーガーミニを著述家として葬り去るために全力を尽くしたわけです。
賄賂ないし監視料というのは、バーガーミニの著述家としての活動の
全てに渡って完全に抹殺するように米国の権力が総力を挙げて襲いかかっ
たんですよ。奇妙奇天烈な話じゃあないですか?

 本を5冊書いたけどね、出版社に持って行くと、
すかさずその出版社に手がまわって、その賄賂ってわけで、
これだけ金をやるからバーガーミニの本は出すな、
どうのこうのって訳ですよ。
アメリカの日本問題専門家は全部ライシャワーの息がかかってますからね。
ライシャワーが命令して「あいつはもう一切相手にするな」って言うわけです。

 そんな風にして、彼はあっという間に物書きから転落していくわけですよ。
そうしてね、いまの私はマイクロコンピューターを売ったり、
コンピューターのプログラムを作ったりすることで身を立てておりますって
言うことになっちゃった。
そして、彼は「私の愛国心は幻滅に帰した」、つまり、アメリカは自分の祖国
と思っていたがとんでもない、自分が1冊の本を書いたが為に、
アメリカという国家は自分に襲いかかって、自分を叩き潰そうと、
もう叩き潰してしまった。愛国心ってのものは無くなったと、
そう言ってますよ。

 これは実に驚くべき序文ですよ。バーガーミニの本は、
日本の天皇を中心とする体制にとっては、絶対あってはならない
本だと考えるのは当然ですよ。
ところが、日本ではなく、アメリカの国家権力そのものが、
バーガーミニに襲いかかった。
それはこの本が、米国つまりイルミナティにとって虎の尾を踏んだ、
絶対隠蔽すべきタブー、隠蔽すべき秘密を、バーガーミニが白日の下に
さらけ出してしまう。
そういう悪い事をした、犯罪を犯したという評価ではないかと。
従って、そういう扱いを彼は受けるわけですよ。

 いいだももさんが翻訳者ですけど、いいだももさんがね、
このバーガーミニの新版の序文を高く評価して、何かコメントしたかどうか、
私は調べてないけど、少なくとも私は知りませんよ。

 それで、アイリス・チャンという人が、すごく悪名をつけられて
しまったTHE RAPE OF NANKING という本、アメリカで出たら
日本の天皇教狂信者達が一斉に襲いかかって、あれはとてつもない出鱈目だ
インチキだ悪書だって言ってすごく悪評が充満して、一般の日本人は
そういう悪評だけ耳に入っていて、本物の本は全く知らないっていうことが
続いて、最近10年後に日本語訳が出ましたね。
その日本語訳を読んだら、そのバーガーミニの本がいろいろ引用されてます。
しかし、アイリス・チャンも、アメリカでも高名な偉い学者達はみんな、
バーガーミニの本を否定してるっていう風に言ってるんです。
だから、普通の人は理解不可能です。


 何故そうなるのか? 日本の天皇教信者と日本の国家権力とその他、
それに類する御用作者・御用学者・その他が、
バーガーミニを否定するのは当然でしょう。
しかし、なんでアメリカの権力がバーガーミニを葬り去ろうとするのですか。
この本は全くのインチキだって否定するんですか。
それはまさしく、昭和天皇が単に日本的存在であるだけではなくて、
イルミナティ、サタニスト世界権力によって育成された、
極めて有能な重要な貴重な傀儡である、
イルミナティ、サタニスト世界権力の道具として裕仁は機能したし、
ずっとこの本が出た当時もそうだし、今に至るまでそうである、
ということの明確な証拠であると私は思います。

そう評価することで、バーガーミニの本の重要性と、
今それを再評価して日本人がちゃんと勉強する、
消化することを始めるべき緊急な必要性があることが証明されると思います。 
 裕仁は別のことを考えていた

 それで、私が読み上げた「蹶起趣意書」については、侍従武官長も、
陸軍大将も、他の軍事参議官(まだ予備役になっていない現役の陸軍大将の
全部か一部が天皇の軍事顧問の役割を果たすよう設定された職務。
軍事参議官会議とは昭和天皇の諮問に答える)も、将官クラスも、
ごく少数の非常に突拍子もないへんてこりんな軍人以外の、
当時の日本の軍人・将校のほとんどが、この蹶起趣意書に
すごく共感したわけです。

 当時の日本の人口の6~7割は農民ですけど、その農民は、
第一次大戦後の軍が入ってきて、それから昭和4年(1929年)の
世界経済大恐慌の前後からずっと続いてる、日本の経済恐慌の結果、
農村は生きることも、死ぬこともできない様な塗炭の苦しみを味わって
るわけですよ。兵隊はそういうところから出てくるんですから、
将校はそれをひしひしと感じてるわけですよ。

だから、多かれ少なかれ趣意書に書かれていることは、
天皇の重臣などを殺したというのは、私利私欲、私的目的の為ではなく、
こういう趣旨を掲げて、何とか変えてもらいたいと決起した志を
酌むべきではないか、少なくとも天皇はその志を酌んで名誉を与えて
もらいたいというのが、当時の(海軍は別ですけど)陸軍の首脳層の
ほぼ全員一致の考えです。
それでも、裕仁は全然問題にしないわけです。全然別の考えなんです。

 バーガミニは、二・二六が起きた後、
裕仁は単身、厳密に言えば一人じゃないですね、
裕仁のそばにいた木戸幸一は、そのころ内大臣府秘書官長だった。
二・二六で内大臣の斉藤実が殺されたでしょう。
そのあと(1940年から)木戸幸一が内大臣になった。

しかし木戸幸一1人じゃない。裕仁(昭和天皇)の摂政時代から、
「十一会」という私的な結社を主宰してるんですよ、昭和天皇の顧問団。
しかし、バーガーミニは、昭和天皇は単独で自分の考えを強行突破して、
あらゆる反対、異論を押し潰して、いくつもの政治決戦に最終的に
勝利したと評価してます。

 それは全く正当な評価です。
日本人は、そんな話はいまだかつて聴いたことがないですからね。
だからね、それは非常に衝撃的な評価ですけど、バーガミニの本を
最初から読んでいくと、当然そうなるとわかる。 

④ 明治維新から、今日の現政権までに課せられた秘密指令
       ~日本国解体と日本民族絶滅計画!?
http://ameblo.jp/64152966/entry-12022665119.html

 薩摩と長州の宮中掌握

 二・二六事件の当事者、関係者をあげていくと11項目ぐらいになる。
決起趣意書については先程お話しました。二・二六事件の主役として、
表面に出てくるのは4つの勢力なんです。
昭和天皇、陸軍の北進派、陸軍の南進派、決起青年将校団の4つです。

しかし現象面として挙げていくと、そう言えるという事であって、
その現象では物事の本質は見えてこない。
本質は何か、さかのぼって突き詰めていくと、落合莞爾さんが吉薗
(よしぞの)周蔵〔上原勇作陸軍元帥の私的特務をしていた人物〕の
手記について、今ニューリーダーに連載していることの画期的な意味、
今まで日本人が全く知らされていない、気がついていない、
極めて重要な根源的な近代日本の状況を知る為の要素があります。

私も落合さんの連載を読んでいて気がついたんですけど、
そもそも孝明天皇を弑逆(暗殺)した主役が長州なんです。
公家の一部(岩倉、三条など)が共同謀議して実行したんでしょう。
ところが、薩摩が長州と共同歩調をとらないと、
それはうまくいかないんですよ。
薩摩が孝明天皇を弑逆して大室寅之祐を天皇にすり替えて、
イルミナティの傀儡として全く偽者の天皇をでっちあげて、
それを本物の天皇として日本人に見せかけて、日本人をずっと騙して、
その真相を絶対に秘密にする、そういうシステムを作る上に、
薩摩と長州がその二つの主役だった事を私は既に色々なところで言ってます。

 しかし薩摩は西郷隆盛が主たる人物。西郷隆盛は、
イルミナティのコントロール下で彼らの傀儡となって日本を支配すると
いうような生き方には、究極的にNOと言ったんです。
NOと言ったのでフリーメーソンがイルミナティに西郷隆盛の排除を
命令したんです。長州と薩摩も彼らの傀儡に対して。
それが西南戦争です。
西郷さんと一緒に薩摩の武士の約半分は殺されました。
残った半分はどうなったかというと、そのすぐ後に大久保も殺されて、
その為に、薩摩の力が弱くなって長州のひとり天下のように思われるわけです。

 ところが、実はそうでもないんですね。
その事を落合さんがずっと調べていって、重要な事実を発見しました。
薩摩は英国と戦争をやって、長州は4カ国と戦争をやって、
敗北したら掌を返すようにイルミナティの家来になるわけですよ。
薩摩も長州も。

そして薩摩藩は有能な青年武士をフリーメーソンのグラバーの手引きで
英国に留学させた。
長州ファイブと英国では言うようですが、その中の一人が伊藤博文です。
それから井上(馨)。伊藤と井上は明治時代ずっとペアで日本を支配する。
その他、その長州ファイブが、フリーメイソンと、フリーメーソンを
上回る直系の長州政権内の決定的なワンワールドの支持の元に動く。
これについては加治将一という人の本に割と詳しく書いてある。
ところが薩摩も長州とほとんど同時に何人かの青年武士をロンドンに
留学させている。
そのほうもワンワールド・フリーメーソンに会っただろうと
加治って人も言ってます。
 
 しかし、落合っていう人が言うのには、西郷軍(西郷さんの陣営)が
完全に潰された後、薩摩は長州に対して弱体化したかというと、
そうではないんですね。
西郷、大久保、吉井友実〔よしい・ともざね、1828~1891年。
西郷、大久保と同等クラスで、薩摩藩のナンバー3。
フランスに留学してワンワールド・フリーメイソンに加入し、
明治初期から宮中に入っていた。

西郷、大久保なき後、ワンワールドの代理人として宮中を掌握〕の3人が
主要な指導的人物と言われていて、その吉井というのが明治になって
留学してフリーメーソンに加盟したと落合さんは言ってる。
陸軍に入るけど留学して、そして宮中に入る。
つまり、ワンワールド、フリーメーソンは宮中を完全に掌握する事を
重要な政治課題として設定したと私は思います。

 それから、松方正義〔まつかた・まさよし、1835~1924年。薩摩藩。
金融を掌握〕は有名な財政家・金融家ですけど、これもワンワールドで
ロスチャイルド直系の子分だと言ってます。
従って薩摩はワンワールドを通じて西郷さん一派が完全に消えた後も
金融を押さえ、宮中を押さえる。
そういう風にしてワンワールドは長州の陸軍、薩摩の金融・宮中の勢力が
二本立て、両建てで日本をコントロールしたと、私が要約するとなります。

 これは私は気がつかなかった。
その後、高島鞆之助〔たかしま・とものすけ、1844~1916年〕という
長州(薩摩の言い間違え)の有望というか有能な武士が、陸軍中将になる
けど、やはり宮中に入るんです。高島鞆之助もヨーロッパに留学して
フリーメーソンに加盟したと言うんです。
薩摩の吉井と高島が、普通の歴史には全く出てこないけど、
長州の陸軍、官僚と並んで同時にワンワールド、フリーメーソンの
日本支配の極めて重要な陣営として機能してる、という事なんです。

 私がここで何を言いたいかと言うと、
大室寅之祐を擦り替えて天皇にはした。
当然、京都で継続してきた日本の朝廷、天皇の系統とはまるで別物
ですけど、別物であるにも関わらず、継続した天皇家の正統であると
日本人に思わせないといけません。
これは非常に難しい仕事ですよ。

代々ずっと続いた天皇の正統な継承者であるというふうに日本国民に
思わせるように、パフォーマンスというか、フリというか、
演技というか、そういう風に作ると同時に、裏のほうでは国民に
全く知られないところで宮中はワンワールドの司令通り忠実に動く
ように演出しなければならない。
これは途轍もない難しい仕事ですよ。
そういう場に際したのが、吉井と高島。
薩摩の非常に有力な武士団の実力者です。

 という事を、上原勇作〔うえはら・ゆうさく、1856~1933年。
薩摩藩。山県有朋と同時代の陸軍大将。吉井、高島のひいきで出世。
やはりワンワールド〕を調べていた落合莞爾が気がついた
という訳なんですね。
そういう風に見ると今問題になってる事が凄くよく解る。
そうして宮中を握るでしょう。
そうすると出てきた現象はどうなるかというと、
皇族の男子は全員原則として軍人になるべしというような規則に
するんです。軍というのは、陸軍か海軍かのどちらか。

従ってバーガミニは、明治、大正、昭和と皇族の表をずっと作って、
追って行くわけです。驚いた事に日本には皇族がどうなっているかに
ついて詳しい情報は全くない。変な話だが、わざとそうしてる。
そこを調べて行くと、皇族の男子の軍人というのが、陸軍軍人、海軍軍人、
ものすごくたくさんいる。
そんな事は孝明天皇までの日本の天皇の伝統には存在しないです。

 明治天皇がそんな事を考え出して、
こういう風にしようなんて事はあり得ない。
ワンワールドの司令を受けた宮中を完全に支配する力を得た、
吉井、高島、そういう薩摩の藩閥勢力によって宮中がそういう風に
作り変えられていった訳ですよ。

陸軍軍人、海軍軍人らの皇族は、当然の事ながら英国、フランス、
プロシア(ドイツ)、その他ヨーロッパの王室、陸軍・海軍の軍人の
システムをそっくり同じ様なものを作るわけですよ。 

 大正天皇のクーデタ

 大正天皇が明治11年に生まれ、昭和天皇が明治35年(1901年)に
生まれ、教育を受ける頃には、宮中のワンワールド支配が濃密に
丹念に入念に準備されていたわけです。
その結果、どういう現象が起きたか。
大正天皇が32歳で天皇に即位する。
その時にバーガミニは大正天皇の失敗・未発に終わったクーデタに
ついて書いてます。
それはこの本の第2巻で、いいだもも訳には省略されてる部分。

 いいだももの要訳では、昭和天皇の時代は昭和3、4年ぐらいから始まる。
それまで大正天皇の時代、摂政になる時代、昭和天皇が即位して最初の2,3年。
この時代の記述はいいだももの訳には省略されてる。
ところが重要な事がたくさん書いてあり、それを追って行かないと
話が結びつかないのに、カットされてます。

 大正天皇の不発のクーデタなんて、
私は日本人の書いたものでは読んだことがない。
クーデタとは何を意味するか? 山縣有朋は当時の元老です。
大正天皇の時代の元老では、西園寺公望、山縣有朋、大隈重信、
主要なのはその3人ぐらいです。
大正天皇が山縣有朋と衝突するというんです。

衝突って何を意味するかというと、西洋式のナポレオンとか
アレキサンドル大王とかいった人物が大正天皇の理想像になったと
言うんです。つまり、大正天皇はそういうふうに日本を、国家を、
改造する気なんですよ。
明治憲法によって作られた議会制度は余計だっていうわけですよ、大正天皇は。

そんなものは廃止して天皇の絶対独裁の国家体制にしたいって
大正天皇は考えた訳です。それがクーデタです。
明治憲法(大日本帝国憲法)の議会で予算が審議されるでしょ。
議会が予算を否決すると困っちゃうんです。
政治的な焦点は、予算について言えば、日露戦争やって日本は莫大な外債
(借金)を背負ってヒーヒーするわけですよ。
それで国力を養わなくちゃならないというのが国民、政治家の大多数の
意見だけど、しかし、それとは全然逆の方向、つまり日本を西洋を
モデルとした帝国として建設に向かって急速に前進すべきだ、
その為には陸軍と海軍を増強しなければならない、そして、
それに反対する議会ってのは邪魔な奴だ。こんなものは蹴散らかして
天皇絶対の国家体制にすべしと大正天皇は考え、それが大正天皇の
クーデタだというのです。

山縣有朋は、そんなとんでもない事を言うなという訳です。大正天皇に。
山縣有朋と大正天皇が正面衝突しかかり、その時点では山縣と長州閥の
勢力が圧倒的に強いから、大正天皇は押さえつけられて未発に終わった
と書いてある。

 こんなことは私は日本人が書いたこれまでの歴史で読んだことがないです。
そして、裕仁は大正天皇の不発に終わったクーデタを諦めないで実行しよう
とする訳です。
それが要するに基本なんです。
立花隆が『天皇と東大』という本を書いたでしょ。
文芸春秋に連載して、いろいろ補足して厚い本を出した。
東京帝大の憲法学の教授が二人いて、その一人の上杉慎吉は議会を
撲滅せよと言うんですよ。
上杉憲法学の根本的なアジェンダは「議会なんていうのは天皇を
神聖化する日本の国体に全く反するものだから議会を一刻も早く撲滅せよ」
というもの。
そこから右翼的な組織が出来たりどうのこうのと立花さんは説明して
ますけど、それは現象を言ってるだけであって、上杉っていう学者の話
じゃありませんよ。
もっと根の深い話で、大正天皇が傀儡として議会は邪魔だって
言い始めたんですから。
邪魔だっていうのは、大正デモクラシーの時代にはとんでもない
アナクロニズムで、問題外だと多くの人が思ったかもしれないけど、
ところがそうはならないですよ。


 昭和になってクーデタ、暗殺、その他、諸々わっと出てきて、
二・二六を昭和天皇が完全に圧殺・抹殺した後は、文字通り議会は消えて、
お前ら消えて無くなれってふうになって、大政翼賛会でね、
陸軍にちょっとでも逆らうような政治家は暴力的に黙らせるというふうに、
実現してしまう。イルミナティのワンワールドの意思が働かなければ、
日本の純粋な国内の状況でそんな現象は起きないですよ。 

 

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東京ローズの暗号 2/2

2015年07月07日 | たわごと

彼女アイバ・郁子・戸栗は戦後アメリカで国家反逆罪に問われ懲役10年とアメリカ市民権剥奪の判決が下された。

スパイ?いったいどちらのスパイだったのか?

akazukinさんのブログから、

 

Interviews Of Tokyo Rose, 09-09-1945 (full)

https://youtu.be/ngJC4iwB-go

Tokyo Rose

https://youtu.be/LXN9RdKYYGY

 

東京ローズ残酷物語(1)

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10623259575.html

本文から:

東京ローズとされた女性。

Iva Ikuko Toguri D'Aquino
アイバ・郁子・戸栗・ダキノ

8月15日のテレビ番組で65周年記念スクープとして、
『消えた東京ローズを追え 戦後65年目の真実』の話題を取り上げていた。

残念ながら、私は直接見たわけではないので、どのような意図で進行でされたのかはしらないが、ここでは、彼女は「冤罪」であると言っている。

今まで、戦争を語る上で欠かせない名前『東京ローズ』を聞くだけで、詳細を知っていた訳ではなかった。

それ以上、興味もわかないまま、情報もないということで、今回突然のこの番組である。

2006年9月26日、90歳でシカゴにて死去された時は、日本でニュースにならなかったと聞いている。

なったとしても、特に注目されたとは思えない。

しかし、米国ではずっと注目の対象だったようだ。

私は、この番組が始まる前、スカルツォさんから『東京ローズ』を知っているか?
ということを聞かれていたので、個人的に調べなければいけないと思っていた。

スカルツォ氏が言うには、彼が最初に聞いた「GAMAN」は、彼女の事を書いた本で知った、ということだった。

どの本だか確かめていない。

スカルツォ氏の住んでいるカルフォルニアは、強制収容所があったことから日系人がより多いところだ。

彼自身、長年、彼らの様子を見ていたし、直接、付き合ってもいた。

問題もよく知っていることだろう。


東京ローズの一般的に流されている情報は、1976年12月末に「東京ローズ」(サイマル出版会)から出版されたドウス昌代著作によるものではないかと推測する。

しかし、これは、以下の大統領特赦書イベントの前までで、その後のことは、1982年11月の文春文庫の「あとがき」で触れている。

当時の大統領フォードが特赦書にサインをしたのは1977年1月18日、フォードとカーターが交替する直前のことで「大統領特赦を与えた」と1月19日に発表した。

アイバは、判決後の28年目にして剥奪されていたアメリカ市民権を取り戻した。

このイベントとたまたま同時進行で取材していたのが「特赦―東京ローズの虚像と実像」上坂冬子著、文芸春秋(1978.6)である。

1976年7月から取材、交流を続けてきた上坂冬子女氏の本のタイトルが「特赦」なのは、丁度このタイミングだったからであろう。 

(1995年に中央公論社から文庫本『東京ローズ・戦時謀略放送の花』と改題された) 

だから、『東京ローズ』に関する大まかな筋書きはドウス昌子の著作にあるようなことを踏襲したとして、ドウス昌代女史の間違った引用を訂正するくらいであった。

あとは、『東京ローズ』の関係者を上坂女史なりに取材している。 

「東京ローズ」ドウス昌代著

1963年に渡米しスタンフォード大学の教授ピーター・ドウス氏と結婚した。始めて書いたこの本で第8回講談社出版文化賞(ノンフェクション部門)を受賞しており、その後、文庫本(1982)、新装本(1990)と出されている。

本書のアメリカでの出版は、JACL(引用者註;日系市民協会)関係者の強い薦めもあり、早くから私の念頭にあった。アメリカ日系人史においてだけでなく、アメリカ市民運動から見ても象徴的な事件と思われるこの裁判に関する書物は、当時全くといっていいほど見当たらなかった。
中略…
アメリカでノンフェクションを出版する場合、まず考えねばならないのが訴訟問題である。
中略…
間もなく出版はニューヨークの講談社インターナショナルに決まった。出版及び販売はハーバー&ロウ社では二人の弁護士が目を通して、何の問題もなくOKしたことを付け加えておきたい。

英語での出版は、前述の理由から日本語版より三年も遅れたが、エドウィン・ライシャワー教授の「今日の人種差別及び真の法の在り方をもアメリカ人に強く問うてくる」との序を得て、1979年に出版された。アメリカ公民権連合の創始者ロジャー・ボールドウィン氏も推薦の言葉を寄せてくれた。

幸い反響は良く、全米各地とカナダで書評が続いて出た。中でも印象的だったのは、アイバ・トグリ・ダキノが現在も住む地元シカゴ・トリビューン紙のものだった。その一文は次のように結ばれていた。

「最終的には特赦になったからといって、我が国の歴史におけるこの恥ずべき一章が報いられたということでは決してない」(一九七九・六・三)

(「東京ローズ」新装版、ドウス昌代著、1990、『文庫本のためのあとがき』336~338頁)

なんとも華々しい。

だからといって、特赦(1977年)の後、2006年9月26日の逝去。2010年8月15日のテレビ番組の特集に至るまで、なんにもないといっていいほど静かである。

こっちが気付かないだけなのかもしれないが。

そこでもう一つ、日本で「東京ローズ」というタイトルを冠した三冊の三冊目の本が手に入った。

彼女たちより早く出された「マル秘=東京ローズ残酷物語;ある女スパイと太平洋戦争」五島勉著、ノーベル書房(1969)という本である。

彼女たちより早く出版されているのに、そのどちらも参考図書には入っていない。

読みはじめてすぐ気付くが、その関係者登場人物、内容が全然違う。◆

(つづく)

 

東京ローズ残酷物語(2)「バラ摘み作戦」

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/theme3-10026048068.html

本文から:

五島勉はどこでこの情報を手に入れたのか書いていないが、これを書く前に、「日本の貞操」(1953)、「東京租界」(1955)、「アメリカへの離縁状」(1956)等、戦後の日本をルポルタージュした本を書いている。

彼はジャーナリストであった。

「東京ローズ残酷物語」には、ドウス昌代女史のみならず他には書かれていない人物がまず登場する。

筆者がここでふれておきたいのは、もっと別の男のこと―この日マッカーサーにしたがって厚木に降り立った一人の謎めいた人物についてなのだ。

アメリカ人にしては風采のあがらない、四十歳ぐらいの小男。しかも戦塵にまみれた将校や海兵隊員たちのなかで、この男だけが目立たない背広姿。

中略…

「彼は直接にはGHQ(占領軍総司令部)に属していない。しかし、国務省の特別命令を受けて、われわれの対日政策を側面からヘルプしてくれることになっている。え?彼の所属と名前?ウェル、彼は戦略情報局のW・アンダースン氏だ」

瞬間、声のないざわめきが記者団にひろがったという。戦略情報局(OIS)とは、それまでその存在さえも公式には確認されなかった、大統領―国務省直属の巨大なスパイ組織の名だったから。そして、それはやがて、中央情報局(CIA)という名のもとに、さらに秘密化していくだろう、というもっぱらの噂だったから。

OISの第二次大戦中の活動としては、たとえばヒトラーの愛用していたオーデコロンに特殊なホルモンを混入、彼の体質を女性化することに成功した、とか、インドで手をつなごうとした日本とナチスの情報機関を探知、その全員毒殺した、とかいう、おそるべき陰の功績が伝えられていた。

中略…

事実、W・アンダースンとOISの日本での初仕事は、まず一輪の美しいバラをさがしあてそれを摘みとることだったらしい。摘まずに放っておくと、その毒のあるするどいとげは、いつ彼らの「地主」を深く傷つけるかもしれなかったから……
(『東京ローズ残酷物語』、14~17頁)

こうして「バラ摘み作戦」は開始された。

ターゲットは、アイバ・イクコ・トグリ・ダキノただ一人。

(つづく)

 

東京ローズ残酷物語(3)戦略情報局OSS

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10625099667.html

本文から:

「東京ローズ残酷物語」の著者(五島勉)があとがきで、このようにふれている。

「もっとも、ドキュメントとはいっても、話の性質が当時の複雑な情報戦の核心に直接ふれるものなので、未だに解き明かせない部分が非常に多く、したがって、完全正確な記録とはいいがたい。

筆者はできるだけ丹念に材料を集めたつもりであるが、その空白の部分は推理的におぎなわないわけにはゆかず、一種のセミ・ドキュメンタリーとして読んでいただければ幸いだと思う。

全体に、実在しなかった人物は一人も出していない。しかし、談話を収録したばあいなど、話してもらった人の希望によって仮名・匿名を使ったところもある。また登場人物の行動は多少デフォルメされている。が、すべては実際におこった事件にもとづいていると思っていただいていい。」

(『東京ローズ残酷物語』あとがき、223頁)


2010年の今この本を読んだとしても決して古さを感じない。

現在、起こっている事件と錯覚するくらいである。

OISがトグリ・イクコを探すところは、OISの力を見せつける場面でもある。

二日おいた九月一日の午後、アンダースンは、二十人の部下といっしょに、ホテル・ニューグランドからジープをつらねて東京へむかった。部下の半数は、その日厚木についた私服の情報官と情報将校、半数は護衛のMPである。
同じころ米占領軍の主力は、まだ太平洋上にあった。一部の機械化部隊が、やっと横浜や横須賀に上陸をはじめたころだった。つまり、あまり知られていないことだが、東京占領の一番乗りは戦闘部隊によってではなく、謎のOIS局員とその部下たちによって果されたことになる。(『東京ローズ残酷物語』、18頁)

通説では、1945年8月30日夕刻、すでに米国から来た記者が探し回っていることになっており、公式文書にも二人の記者によってつきとめられたと書かれている。(『東京ローズ』、ドウス昌代著、31頁~参照)

当時の記者はそんな自由があったのだろうか?

「東京ローズ残酷物語」では、そんな記者など登場していない。


「イクコ・トグリ。あなたを待っていた。われわれはOISワシントン本部の者だ。我々はあなたを、裏切りと陰謀の容疑で本国へ連行しなければならない」69頁)

ポルトガル籍をもつ日系人の男性ダキノ氏と入籍をすませていたとしても、

「あきらめたまえイクコ。軍もMPもできないことも、われわれにはできるのだ。それにきみはポルトガル人ではない。きみはれっきとしたアメリカ国民のはずだ。……70頁)

事実をねじ曲げて、権力をふりまわすOISとは何ものだったのか。


どうしてこんな事態になったのかを、この段階で必要な部分だけ、手短かに説明しておかなければなるまい。

最大の原因は、突飛なようだが、トルーマン政権の選挙対策である。そのころトルーマン政権はソ連の原爆開発によって、長いあいだの核独占を突きくずされ、人気が下り坂になっていた。一九四七年(昭和二十二年)の中間選挙をひかえて何とか人気を挽回する必要があった。それをトルーマン政権は、旧敗戦国に対して強硬方針をとる、という安あがりの手段で果そうとしたのである。

といっても、ナチス・ドイツについては、すでにニュルンベルクの戦犯裁判が完了している。日本についても、東京裁判の目鼻があらかたついて、皇室に対しては責任追及の手がのびないことが明らかになっていた。これは一部の米国人―とくに太平洋戦争で息子を失った母親たちの不満を買い、「天皇をほっておくのか」という投書が新聞などにひんぴんと載った。

トルーマン政権もマッカーサー司令部も、皇室に手をふれる気はない。だからそれ以外の方法で母親たちをなだめ、人気をとりもどさなければならない。ホワイトハウスはOISにその方法のリサーチを命じた。

OISの答えは、「トーキョー・ローズを裁判にかけよ。処刑せよ。そうすれば国民感情を満足させられる」だった。それほどにも米国人にとって、“トーキョー・ローズ”の名は太平洋戦争の記憶と結びついていたといえる。彼女の放送が前線の将兵に人気を集めた分だけ、米本土の母親や娘たちはそれを憎んでいたといえるかもしれない。

中略…

 

東京ローズ残酷物語(4)日本への誘い

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10625126302.html

本文から:

トグリ・イクコがこの時期に日本へ渡ったのはどうしてだろう。

一九三九年九月に勃発した第二次世界大戦は全ヨーロッパを戦火に包みこんでいた。アジアでは大東亜共栄圏の旗印のもとに日本の侵略が相ついでいた。すでに雲行きがおかしかった日米関係は、前年(一九四〇)一月の日米通商条約廃棄により悪化し、一部の両政府関係者は、すでに、日米開戦は時間の問題であるとさえみていた。

(『東京ローズ』、ドウス昌代著、72頁)

そんな状況で、日本に行くだろうか、日本に行ったことが無いものが行きたがるだろうか?

ドウス昌代著の本には、「叔母の見舞いで両親の替わりに日本へ行く」いきさつが大変詳細に書かれている。(同書、71頁~)
「東京ローズ残酷物語」ではこうだ。

五島勉のあとがきの弁を念頭に起き、記述どうりに引用する。

彼女の幼いころ(一九一〇~二〇年代)、米国には黄色人種、とくに日本人排斥のあらしがふき荒れていた。日本からの大量移民、日本の軍国主義の急激な伸びなどが、それでなくても差別好きなヤンキー気質と正面からぶつかっていたのだ。(同書、86頁)

……ショックを受けた日系人の子は、ひどく卑屈になるか、それとも反発して米人を見かえそうとするか、どっちかである。……勝ち気な郁子が撰んだ道はもちろん後者に決まっている。(同書、87頁)

ロスの私立中学を首席で卒業したほど優秀だった。しかし、卒業式の女子代表スピーチは、次点の白人の女の子に変えられてしまった。これが起点となりまだ十六歳の郁子は世の中がおもしろくなくなりやけをおこした。

その時知り合った、白人の中年男性にはじめてやさしくして接してくれたことに真実のアメリカ人の姿と勘違いするのだが。

この紳士はマードック氏という。
マードック氏を通して知り合った米国人も彼女に親切だった。

後のボーイフレンドになるケーンと知り合ったのもこのころでマードック氏の手引きだった。

彼らのおかげで、「同国人としての親しみを覚え……白人と対等につきあえるようになったこと、米国社会にすんなり受け入れられたこと、それがいつのまにか、郁子の反逆精神やコンプレックスをきれいに解消する役割を果たしていたのかもしれない。」(同書、91頁)

ハイスクールを上位の成績で卒業し、カルフォルニア大学理科の入学試験を受ける。

「カルフォルニア大学は太平洋岸きっての名門校である。しかも、いっそう高まってきた排日ムードを考慮してか、日系の入学者をとったためしがない。だから落第は覚悟のうえだった。が、受けてみたら奇蹟的にパスした。

中略……なぜ通ったのか、郁子にも少しふしぎに思われた。たった一人だけ日系学生をとった理由もややわかりかけた。わかったのは、これでまたひとつ、あたしは米国社会から恩恵を受けたんだわ、あたしはもう本当にアメリカ女性になれたんだわ、という誇り、満足感だけである。」(同書、92頁)

そのころ「極東では、日本軍が中国北部を制圧し、アジアでの権益を守ろうとする米国とのあいだに日米交渉がひらかれて、米国内の日系人への感情は最悪の状態になった。(同書、93頁)

「ニッポン行き」を持ちかけたのは、ケーンの方で、郁子とは親密な仲になっていた。

第一、「いったん日本へリターンしたほうが」などといわれるおぼえはない。彼女はアメリカで生れてアメリカで育った米国女性で、ロス以外の所へ出たことなどいちどもないのだ。(同書、96頁)


郁子はアメリカ・レディーになるため努力していた。

 

東京ローズ残酷物語(5)「同盟通信社」

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10627934200.html

本文から:

結婚前提をにおわせた、ケーンの郁子への「日本行き」であった。
しかし、到着してみると、実際、アメリカ人になりたいと思っていた郁子の目の前にはみすぼらしい日本の姿しか見えなかったようだ。

叔父の家に身をよせた二日後には、帰国のためのパスポートをもらいに行った。

一日も早く米国に帰りたいという郁子の気持は、この観察でいっそう強まった。大使館別館についてみると、同じ思いらしい在日米人たちが、帰国申請の窓口にひしめきあっていた。

だが、ここで予期しなかった事態がおこる。ろくに理由を調べもせず、つぎつぎにパスポートを濫発していた大使館の係官は、郁子の番がくると突然慎重な態度をみせ、どうしても申請を受けつけてくれなかったのである。

「ミス・トグリですね。あなたについてはロスから特別に指令がきています」若い大使館員は首をふっていた。

中略…ロスからの特別司令とは、「ミス・トグリは非常に強く訪日を望んでいたので、やむなく国籍証明だけで行かせた。彼女の意志を尊重して、まちがっても強制送還などしないように」という、「米国としては最大限に好意的な意向」のものだったということも聞かされた。(『東京ローズ残酷物語』、105~106頁)

パスポートが手に入らない。

帰国ができないと知るや、ケーンのことばを思い出した。

友人シュミット氏を探そうと決めたら、あんがいすぐに見つかった。

米国籍の郁子が叔父の家にやっかいになって困惑されているのを聞いたシュミット氏は勤め口を探す約束をしてくれた。
シュミットが彼女を連れていったのは、そのビルの大半を占めていた「同盟通信」の調査部である。「同盟通信」は当時の日本のただ一つの外電通信社(官営)で、いっさいの海外ニュースがここを通じて各新聞、放送局に供給されていた。

……軍国日本の海外情報は、ほとんど在外公館の武官、情報官を中心に集められていて、通信社のジャーナリズムはあくまでも二次的なものだった。したがって、「同盟通信」は、もっぱらオールウェーブのラジオをたよりに、ニュースの不足な部分をおぎなうほかはなかった。

そのオールウェーブのラジオを丹念に聞いて、内容を記録する人間がたりない。いや、外国語学校出身者たちで人数はそろえたのだが、完全にあちらの放送を聞きとれる者が少ない。どうしても、海外で育ったヒヤリングの達者な専従者が必要だ―と、幹部はあちこちさがしまわっていた。だからそれを聞きこんだのか知らないが、シュミットはそこに目をつけたらしい。

……

それに、なんといっても政府直属というところが強い。仕事の性質上、憲兵も警察もめったに手が出せない。軍部の奴隷みたいなほかの日本人とちがって、ここの連中は一種の治外法権のなかでのびのびやっているようだ、とシュミットは付け加えた。(同上、113~114頁)

中略…

 

東京ローズ残酷物語(6)「NHK国際部」

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10628902591.html

本文から:

同盟通信社で順調に働いていたある日のこと。

米軍の―あるいは米国の情報機関の組織のなかに、あたしはいつのまにか組みこまれていたのかもしれない。そう郁子が感じたのは、日本軍の真珠湾奇襲から半年ほどたったころである。

彼女は相変わらず同盟通信のラジオ係として、受信に追いまくられていた。戦火は狂ったようにひろがり、それにつれて受信量もふえて、ほとんどのものを考えるひまはなかった。彼女はただ機械的に米国放送を聞き、機械的にメモした。

中略…

ところが、ある日、そうした戦争ニュースのあいまに、おそらく前線むけの慰問番組であろう、ごく短いカールトン・ショートがながされたのを郁子は聞きつけたのだ。

中略…

郁子がどきりとしたのは、その小話やギャク自体ではなく、そのところどころに出演者がおりこんだ、およそナンセンスな言葉あそびだった。

中略…

それは―疑いもなく、恋人のケーンが彼女に教えてくれた、古代マヤの呪文にそっくりだったからである。

中略…

郁子は、これは同じ放送が、米軍か情報機関の手で、ドイツや日本にむけて流されているのだと思った。……みんな古代マヤ語の“教育”を受けた女スパイたちで、自分もその仲間の一人として日本へ送りこまれたにちがいない、とかたく信じるようになった。
(『東京ローズ残酷物語』、125~127頁)

一九四二年、同盟通信社へ入社して七カ月たったころ、シュミット氏の夫人ヒルデがたずねてきた。

NHKの国際部に入らないかという誘いであった。

「当分はタイプや翻訳なんかだと思うわ。でもそのうち、アナウンサーをやらせてくれるかもしれないわ。……入局のてつづきのほうは、シュミットがうまくやるでしょうから大丈夫よ」(同上、129頁)

手はずは、今回もシュミット夫妻だった。

 

東京ローズ残酷物語(7)「ゼロ・アワー」

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10631658319.html

本文から:

日本の敵対放送の主力要員は誰か。

五島勉の本によれば、すでに潜り込んで日本側の信頼を受けていた、同盟国のドイツ人、シュミット夫妻。

それに、捕虜になった将校たちと、ヒルデによって集められた混血や日系人たちである。

準備が整ったのは、年明けて1943年はじめ。

それから日本放送協会の対連合国向けプロパガンダ放送番組「ゼロ・アワー」がはじまった。

「東京ローズ」を名のりはじめたのは11月頃といわれている。

ドイツ軍歌の一つだった「リリー・マルレーン」は、電波に乗ったらたちまち人気が出て、各国語に翻訳され聞かれた。


音楽という特性から敵軍にも同様、味方の兵士にも良くも悪くも作用する。
同じような言語圏ならなおさらだ。 

しかし、「ゼロ・アワー」は、対象となる相手が米国と決まっている。

しかも英語である。
一般日本人が聴いたってわかるはずがない。

だから郁子は、ヒルデ・シュミットや捕虜将校たちと協力して、ひそかに日本内部の秘密情報を暗号で米軍に知らせていたと、少なくとも郁子はそう思っていたようだ。

 

東京ローズ残酷物語(8)「消えた証人」

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10631725199.html

本文から:

そして番組が開始されると、われわれはまずひそかに暗号文をつくり、規定の方式通りにそれを放送文に組みいれ、さきに述べた日系女性たちに交替で放送させた。アイーヴァ・トグリはその一人だったにすぎない。つまり、“トーキョー・ローズ”は彼女だけではなかった。しかも彼女たちは、日本軍の宣伝に協力したどころか、実際には危険を冒して連合軍の暗号情報を放送していたわけだ。もっとも日本軍内部の情報は、われわれには容易に集められない。しかし幸いなことに、彼女たちの仲間にはシュミット……たしかヒルデ・シュミットというドイツ国籍の女性がまじっていて……

少佐がここまでしゃべったとき、ふいにトーマス主任検事が、「異議!」と絶叫した。

。。。。。 

要するに、アメリカ政府が音頭を取った東京ローズという名の魔女狩りであった。

(『東京ローズ』ドウス昌代著、320頁)

しかし、この種の本が帰着するよくありがちな、「戦争時の復讐」、「ヒステリックな国民感情」、「スケープゴート」、「人種差別」、最近のはやりでは「人権」等々ならば、問題の解決にはならない。

それらはすべて、必ずといってよいほど「ナチのユダヤ虐殺」を引き合いに出すからだ。

事件の真の目的を見ずにあまたある結果の一部分とりだしても民族感情を逆なでするだけである。

終らない憎しみ、怨念の連鎖、常にそれをあおっている。

では、消えた証人は何をしでかしたのか。

裁判の後、アイバの特赦願いの時には協力すると約束したデウォルフ(検察側ベテラン弁護士)は、一九五九年、シアトルのホテルで拳銃自殺を遂げたという。
中略…
また、アイバを東京ローズとして発見したはずのブランディッジ(記者)も、一九六一年に老人ホームで死亡している。
リー(記者)はそれよりずっと早く、四十六歳で亡くなっていた。
(『東京ローズ』、ドウス昌代著、331頁)

「東京ローズ」事件が終わってない証拠に、裁判に立ち会った弁護士、嘘の証言をした証人もまた、早くに死んでいった。
(つづく)

 

東京ローズ残酷物語(9)「タラワ島上陸作戦」

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10631740473.html

本文から:

つまり、ローズはここで米軍をまんまとだました。重要な機密情報源の一つとして信頼されていたのに、彼女はそれを裏切って、わざと米軍の損害が多くなるような情報を送ってきたのだ……

田中弁護士は、こうした関係者の打ちあけ話を聞きながら、愕然としてチャールズ(カズンズ)少佐の言葉を思いだす。あのレコード(引用者注;壊されたトーキョー・ローズの一九四三年タワラ上陸直前放送録音レコード)をかけたとき、少佐はいった。「わたしとテッド中尉が、放送原稿を書いて、上陸は危険という暗号を組みこんだ。それをヒルデ・シュミットに渡し、彼女とアイーヴァが放送した。ヒルデは米軍のCCL(後方スパイ)だったらしい」と。

いかえれば、米軍の損害をできるだけ少なくしようという意図で書かれた暗号が、ヒルデの手に渡ったあと、全く反対の内容のものにすりかえられたことになる。もしくは、反対の内容の暗号をヒルデが新しく付け加えたことになる。米英軍共通の暗号と米軍情報部専用の暗号とはちがい、少佐はその前者しか知らなかったから、おそらく、後者を使って書き加えられたヒルデの暗号には気付かなかったのだろう。

……

 

東京ローズ残酷物語(10)「トーキョー・ローズ最後の放送」

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10635388945.html

本文から:

ヒルデという女がいたと仮定して、

この女が米国とドイツの二重スパイだったのか。

もしくは、米国とドイツとソ連の三重スパイだったのか。

その真相はわかっていないが、いずれにしろ米国政府は最初からトグリ・イクコ以外、捜査する気もなく連行する気も全くなかった。

米国政府を裏切ったスパイを逮捕しないのはおかしなことだ。

それゆえに、ヒルデが本当に存在したのかしないのか分からないというかもしれない。

それだったら、何故トグリ・イクコのみが連行されたのか。

その説明が成り立たない。

五島勉の「東京ローズ残酷物語」も終盤を迎える。

1949年のトーキョー・ローズ裁判では、懲役十年が言い渡された。


実際それは服役中七年に短縮され、シカゴで三年の保護観察期間を条件に釈放された。

戦争末期のトーキョー・ローズの声は……深い悲しみと絶望にいろどられ、きびしい非難の口調をふくんでいた。とくに最後の―日本敗戦の年の八月十四日放送がそうだった。

「米国のみなさん、あんな残虐な爆弾をおとすなんて!あたくしはあなた方を敵ではあっても紳士だとしんじていましたのに、その気持ちが完全に裏切られてしまいました。

日本はこれで敗れるでしょう。でもあなた方アメリカ人に対して、何十年か何世紀かののち、歴史が正しい裁きをくだすことでしょう。それを信じつつ、東京からの最後の放送を終わります。こちらはトーキョー・ローズ……こちらはトーキョー・ローズ……」

.....

審判官はふしぎそうに、「検事はなぜこれを法廷に出さなかったのだろう!反逆の何よりの証拠になったのに……」とつぶやいた。郁子は何か言いたそうに口をひらいたが、すぐ黙った。かわって、答えるともなく、感情をおさえて話しだしたのは田中弁護士だった。

「わたしには検察側の気持ちが、いまではよくわかるような気がする。彼らがそのレコードを証拠に出さなかったのは、それがあまりにも真実だからだ。彼らは真実があきらかになることを恐れていたのだ。

もういちどききたまえ。その放送はけっしてアメリカへの反逆ではない。人類の一人としてのギリギリのさけびだった。ミセス・トグリの真実の声だった。トーキョー・ローズのささやきには、ウソやデタラメもまじっていたかもしれないが、少なくともこの最後の放送だけはこれは全アメリカ人がきかねばならぬほんとうの訴えだったのだ……

.....

何人かのローズたちのなかで彼女一人が裁かれたナゾもようやくとけた。それは巧妙なヒルデの・シュミットの身代わりとしてだったのかもしれない。ローズたち全員の代表としてだったかもしれない。しかしもっと重要な、かくされた理由は、米軍に協力すべき郁子が、米軍の原爆攻撃を非難したからだ。戦略の人形であるべきスパイ・アナウンサーが人間としての感情にめざめてしまったからだったのだ!

 

東京ローズ残酷物語(番外)「リリー・マルレーン」

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/theme2-10026048068.html

東京ローズ残酷物語(番外2)「反逆罪」

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/theme-10026048068.html

 


コントローラーたち

2015年07月06日 | たわごと

戦争は彼らにとって単なるビジネス(貪欲な金儲け)でしかないのです。

そんな彼ら金儲けの為に表向きは国を護る為にと戦争に追いやられ命を落とし家族と友を失い家を失い財産を失い心を失いなんともむごいことをするものです。

そのような金貸したちとコンプラドールたちの裏の話です。

昔もまた今も彼らのやっていることの本質はまったく変わっていません。 

世界の裏側ニュース 

戦争で誰が得をするのか

本文から:

集団自衛権に対して、当然の違憲という判断が各地でなされていますね。


普通に憲法を読み、過去の判決などを見る限り至極まっとうな結論としか言いようがないのですが、そこまでして何の関係もない他国の戦争に自ら巻き込まれることを望み、自国が他国からの攻撃の対象になる可能性を引き上げようとするのはなぜなのでしょう。

通常、一般市民は戦争を望まない。しかし結局、政策を決定しているのは国の主導者である。民主主義、あるいはファシスト独裁、議会制度、あるいは共産主義的独裁などどのような形態の政府であったとしても、人々を戦争に引きずり込むのは常に簡単なことである。

(戦争反対の)声が有ろうと無かろうと、指導者の望む方向に国民を誘導することはいつでもできる。

方法は簡単である。そのために為すべきことは、国民に「我々は攻撃を受けようとしている」「平和主義者は愛国心に欠けている」「国が危機に直面している」と語るだけである。

この方法は、どの国でも同じように機能している。

Hermann Goering、ナチ・ドイツの最高軍位

第二次大戦後のニュルンベルク裁判にて


(翻訳は、元の翻訳をよりわかりやすく編集していただいたものをコメントでいただきましたので、そちらのバージョンを使用させていただきました。)

市民が戦争を望まないのは自然なことですが、戦争(武装)を望んでいる市民が多い場合にはもちろん、何らかの洗脳が実行中であるのでしょう。

つまり、メディアを使って「○○がせめてくる~!」という危機感を国民に抱かせ、それにより国民の間の憎悪感と恐怖感を募らせ、そのような感情に溺れた市民は、「準備されている解決策」、つまり軍国化などのアイディアに容易に飛びつきます。

他の国の一般市民を殺害することに対する罪悪感は、「愛国心」と敵に対する憎悪感によって解消されるどころか、英雄視されるように変換されるのです。

****

戦争で誰が得をするのか

戦争は平和である

自由は屈従である

無知は力である

こういった矛盾した二つの概念を同時に受け入れるためには、よほどの洗脳と思考停止力が必要になりそうですが、幼少からの詰め込み型で自分で考える力を奪い取るような教育や、異なる考えの人間に対しては批判・嘲笑することが美徳であると思い込ませるようなテレビなどによって、実際に可能になっているのだから恐ろしいものです。

 

噓八百の世界から

日本は戦争のための兵器購入資金を敵国の米国ディロンから「借り入れ」ていたのだ。

「あやつり人形師(コントローラー)である「彼ら」の一人、謎のドレイパーを探る」

http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-1012.html

 

(さてはてメモ帳)さん
http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/da14bdc69dd1bd4056bd45e17c1a7109
2015
0612
安倍首相が、集団的自衛権の行使を進める「事情」

 第二次世界大戦中、日本軍は中国大陸において満州帝国を建国した。

戦争を遂行するためには武器弾薬、燃料、水、食料を必要とし、こうした軍需物資を運搬する南満州鉄道が、日本軍にとって生命線であった。

南満州鉄道の総裁であった後藤新平は、武器弾薬を購入するための資金調達に困窮し、英国を手本とする戦略を取った。

英国は自国の支配下にあったインドから調達したアヘンを中国大陸で販売し、その利益で武器弾薬を調達していた。その手法がアヘン戦争の原因となった。

後藤新平は英国に習い、アヘン密売を計画したが、英国のようにアヘンを調達できるインドのような植民地を日本は持たなかった。

元々、英国の植民地であったアメリカも英国に習い、トルコからアヘンを仕入れ、中国大陸の南部=華南、華中で密売していた。

このアメリカの麻薬密売の利益の決済を担当し、アメリカ本国への送金を担っていたのが銀行ブラウン・ハリマンであった。


ウイリアム・アヴェレル・ハリマン

このブラウン・ハリマンの経営陣が、前ブッシュ大統領の一族であり、2016年のアメリカ次期大統領選挙に出馬するジェブ・ブッシュの一族であった。

後藤はブッシュ一族の元にメッセンジャーを派遣し、華中・華南だけではなく華北・東北においてアヘン密売の販路を開拓する気が無いか、日本軍が、その担い手になる趣旨の提案を行った。

販路拡大に関心を持ったブラウン・ハリマンは、後藤の提案に乗った。

後藤がブッシュ一族の元に送り込んだメッセンジャーが、岸信介=2015年現在の日本の首相・安倍晋三の祖父であった。

安倍一族は、ここでブッシュ一族とビジネス・パートナーとなった。

ブッシュ一族は、軍事産業専門の投資会社カーライルの経営者でもあった。

このカーライルの親会社が、軍事商社ディロン・リードであった。

2015年現在の日米安保条約は、ジェームズ・フォレスタル、ウィリアム・ドレイパーjr等によって起草された。

ウィリアム・ドレイパーjr

ジェームズ・フォレスタル、ウィリアム・ドレイパーjrは、ディロン・リードの経営者であった。

アメリカがアメリカ本土だけを防衛する場合に必要とされる兵器と比較し、世界各国=極東アジアで繰り返し戦争を行う場合の方が、当然、必要とされる武器弾薬が大量となる。

武器弾薬を販売し利益を上げる軍事商社ディロン・リードは、「当然」、米軍が世界各地・極東アジアで戦争を繰り返す事を望み、そのためには日本に米軍基地を置き、そこを拠点に朝鮮戦争、ベトナム戦争等を起こす事を「望んだ」。

そのため、ディロン・リードの経営者が日米安保条約を起草した。

このディロン・リードの子会社カーライルの経営者であるブッシュ一族と、岸=安倍首相の一族は、ビジネス・パートナーであった。

2015年現在の、日米安保条約を締結したのが岸信介である背後には、このビジネス・ネットワークが存在した。

武器弾薬を販売し利益を上げる軍事商社ディロン・リードは、「当然」、自衛隊が世界各地・極東アジアで戦争を繰り返す事を望み、そのためには日本=自衛隊が海外で軍事力を行使する集団的自衛権の行使を「望んでいる」。

安倍首相が、集団的自衛権の行使に執着する理由は、ここにある。

第二次世界大戦後、自衛隊が創立されるとディロン・リードは米国の軍事産業を引き連れ来日し、また三菱重工等の日本の軍事産業を結集し、日本兵器工業会を発足させる。

自衛隊は、この日本兵器工業会を窓口として「しか」、兵器を購入する事が不可能となってきた。その中心が、ディロン・リード社であった。

在日米軍、そして日本の警察官が所持しているピストルも、全て、この日本兵器工業会を窓口として「納入」されてきた。

日本の再軍備=自衛隊の創立と、日米安保条約=在日米軍によって、ディロン・リードは莫大な収益を上げてきた。

集団的自衛権の行使=海外で自衛隊が軍事力を展開するには、新しい装備を大量に購入する必要がある。

自衛隊は、この日本兵器工業会=ディロン・リードを窓口として、新しい装備を購入する事になる。

このディロン・リードと安倍首相一族は、「ビジネス・パートナー」である。



(杉並からの情報発信です)さん
http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/15e537e06f7e989466bb8a36ea0733f6
売国奴=天皇 オールターナティヴ通信

2007
0709  http://alternativereport1.seesaa.net/article/49619388.html

1945年、第二次世界大戦に敗北した日本に米軍が上陸して来る。

今後の日本をどうするか、米軍の指揮官ダグラス・マッカーサーとの交渉を担当したのが、当時の大蔵省事務次官池田勇人(後に首相)の部下、渡辺武であった。

渡辺の自伝である「渡辺武日記 対占領軍交渉秘録」(東洋経済新報社)によると、渡辺と米軍の最初の「大きな交渉テーマ」は、米国の銀行ディロン・リードに対する日本と天皇一族の借金返済問題であった。

明治憲法第11条により、日本の陸海空軍全ての指揮権は天皇にあり、政治・軍事の全責任は天皇にあった。

米軍が天皇の戦争責任を問題にせず、真っ先に銀行ディロンの代理人として借金の取り立てを行った事は、戦争の目的が金であった事、そして米軍が米国政府の代理人などでなく銀行ディロンという私的機関の「代理人」である事を良く示している。

しかも奇妙な事に、日本は戦争のための兵器購入資金を敵国の米国ディロンから「借り入れ」ていたのだ。

さらに貸し付けた側の銀行ディロンの社長が、米国の戦争省長官ウィリアム・ドレーパーであった。

米軍の陸海空軍全ての指揮権を持つ戦争省長官ドレーパー本人が、敵国・日本の陸海空軍全ての指揮権を持つ天皇に戦争資金を貸し付けていた。

ディロンの親会社が、現在のブッシュ大統領一族の経営する軍事産業専門投資会社カーライルであり、そのブッシュの経営するハリマン銀行の取締役ロバート・ ラヴェットが、戦争省次官として自分の経営する兵器会社から米軍に武器を納入していた。

米軍の兵器と日本軍の兵器購入資金は、同一のハリマン=カーライル=ディロンから出ていた。

日本軍と米軍が「殺し合えば殺し合う程」この銀行が儲かる「仕組み」になっていた。この銀行の私的利益のために日本と米国の軍人は「殺し合い」をした。

この金儲けシステムの米国側にドレーパーがおり、日本側に天皇が居た。

ドレーパーの銀行ディロンは、戦争で莫大な利益を得た。天皇も日本軍の兵器購入資金の一部を私物化し、スイス銀行に莫大な財産を蓄積した。

(マーク・ゲイン「ニッポン日記」筑摩書房)
 
(アダム・レボー「ヒトラーの秘密銀行」ベストセラーズ)

天皇が戦争責任を問われなかったのは当然である。日本人と米国人に「殺し合い」を行わせ金儲けする、ディロン=ハリマン銀行の日本支店長が天皇であった。最初から天皇は「日本と日本人の命」を「敵国に売り渡して」いた。

なお天皇は、スイスに莫大な蓄財が出来た感謝の印に、「敵国の戦争指揮官」ドレーパーに勲一等瑞宝章(くんいっとうずいほうしょう)を与え表彰している。



(るいネット)さん
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=213543
『広島・長崎への原爆投下の犯人』(オルタナティブ通信)リンクより転載します。

 ~前略~

米国に、パイオニア基金と言う財団がある。「有色人種等、劣った人種を遺伝子工学を使い、人種改良する」と言う財団である。

この財団は、「黒人は劣った人種であり、米国の社会を劣化させるので、アフリカに黒人は全員、強制送還すべきだ」という政策を長年、主張してきた。

この財団は、「黒人、有色人種は、犯罪を犯し、暴力に走る遺伝子を持ち、性欲が遺伝的に強く繁殖力が強い」と主張し、放置しておくと地球上から白人が居なくなり、地球は劣ったアジア人と黒人だけになり、劣った有色人種は地球を滅ぼす、と主張して来た。

この財団は、こうした人種差別政策の研究を行う研究者達に、毎年1人につき20万ドル(約2400万円)もの奨学金を支給している。「犯罪を犯す遺伝子」等、いまだに生物学的に発見されてはいないが、この財団の発表する「研究論文」には、「犯罪を犯す遺伝子」が既に発見済み、になって居る。

この財団は、1937年、ナチス・ドイツがアウシュビッツの強制収容所でユダヤ人の大量虐殺を行った際の指揮官ハンス・ギュンターの指導の下に創立された。

この財団の活動資金は、ドレイパー一族が全額出資している。ブッシュ大統領一族と共に米国のアヘン専売企業ラッセル社を創立し、「劣った有色人種を核兵器で全滅させよ」と主張するキリスト教原理主義教会を創立した、ドレイパー一族である。

第二次世界大戦末期、ドレイパー一族のウィリアム・ドレイパーは、米国戦争省の最高幹部として、日本が米国に対し無条件降伏を申し出ていたにも関わらず、広島・長崎への原爆投下を決定した。核兵器の威力を実験するために、広島・長崎の市民を、ドレイパーは大量虐殺した。「劣った有色人種=日本人を核兵器で全滅させる」ためである。そこには、キリスト教原理主義教会とパイオニア基金に共通する、ドレイパー一族の人種差別思想が根本に存在した(拙稿「広島、長崎への原爆投下」を参照)

戦後、ドレイパーはダグラス・マッカーサーの上官として、日本の総支配者として来日し、日米安保条約を起草し、日本への米軍駐留を永久化し、自衛隊を創立させる。

名目は、共産主義中国への防波堤として日本に軍隊を持たせる、つまり中国共産党軍と日本に、「戦争を行わせる」ためである。

しかし、中国共産党軍は米軍が育てた軍隊であり、ドレイパーの目的は、米軍直結の中国軍と米軍直結の日本の自衛隊を戦わせ、アジア人同士を殺し合わせる事にあった。「劣ったアジア人=有色人種を減らす」ためである(山極晃「米戦時情報局の延安報告と日本人民解放連盟」大月書店)。

この中国と日本に戦争を行わせ、有色人種を減らす政策は、現在も継続している。

ドレイパー一族は、ディロン・リード社という兵器売買と兵器購入資金融資の軍事金融企業を経営している。ドレイパーは、中国共産党軍にも、自衛隊にも、兵器を販売している。ドレイパーの兵器販売高をアップさせるために、日本と中国は戦争をする事になる。

クリントン大統領時代のペリー国防長官が、このディロンの社長である。

第二次世界大戦中、昭和天皇ヒロヒトは、敵国の戦争省最高幹部であるドレイパーから兵器を大量に輸入し、日本軍に高額で売り付け、利益をスイス銀行に蓄財していた。

天皇とドレイパーは、兵器密売の共同事業者として、兵器販売促進のため日米戦争を行っていた。

戦後、来日したドレイパーが最初に行った事は、天皇への兵器密売の「売掛金=未払い代金の回収」であった(この点は、天皇の側近であった渡辺武の「渡辺武日記 対占領軍交渉秘録」東洋経済新報社を参照)。

戦争末期、ドレイパーは、天皇が無条件降伏を申し出ると同時に、「戦争犯罪人として自分を処刑しないで欲しい」と命乞いをした事に対し、天皇の命の保証と戦後における天皇制度の維持を確約し、それと引き換えに、日本に原爆を投下し終えるまで無条件降伏を承認しない、という条件を出した。天皇は広島・長崎への原爆投下を事前に承認し、それと引き換えに、自分の命と地位の延命を手に入れた。天皇は、自分1人が助かり、それと引き換えに、広島、長崎の市民の皆殺しを喜んで承諾した。

これが、「同業者、兵器密売企業の共同経営者」天皇とドレイパーの密約である。

 ~後略~



http://www.yuuai.sakura.ne.jp/home9/emperor.html
米国の戦争省の責任者として広島、長崎に原爆を落とし、
日本人を大量虐殺した男ウィリアム・ドレーパー2世の経歴
(詳しくは拙稿「広島、長崎への原爆投下」を参照)。


. ウィリアム・ドレーパー2世は1910年代
ニューヨークに、ハリマン優生学研究所を創立。

「日本人を始めとした劣った有色人種を絶滅させる」事を
目的に掲げた。

ナチスのヒトラーの下、アウシュビッツのユダヤ人大量虐殺
を指揮したエルンスト・ルーディンは、この研究所の研究員。

ルーディンは、ブッシュとドレーパーの教えた通り
「劣った人種を絶滅させようとした」。

. ドレーパーの経営する銀行ディロン・リードは、
ヒトラーに戦争資金1億8000万ドルを融資。

ヒトラーの兵器の原材料を独占生産するドイツ鉄鋼同盟を
創立したのが、ドレーパーとブッシュ大統領一族。



[
続きはここから]

ドレーパーとブッシュがいなければ
ヒトラーは戦争が出来なかった。

. 父ウィリアム・ドレーパー1世は、英国艦隊指揮官
としてフィリピンを軍事力で植民地にし支配する。

フィリピン人に現地の言葉を話す事を禁止し、英語を強制。

逆らったフィリピン人を多数銃殺。

父ドレーパーは「劣った有色人種を絶滅させる」ため、
有色人種の言語・文化を破壊した。

. ドレーパー2世は指揮官として東京大空襲を実行。
日本人を大量虐殺。

またドレーパーは、日本の降伏の意志表示を無視し
広島、長崎に原爆を投下。

「日本人を始めとした劣った有色人種を絶滅させようとした」。

. ドレーパーは、「有色人種絶滅」を掲げるキリスト教
原理主義教会を「アメリカの国教」にしようと考え、
大統領就任式にキリスト教原理主義教会の宣教師を同席させ、
その宣教師の持つ聖書に大統領が「忠誠を誓う」儀式を導入。

人種差別をアメリカの「国是」にしようと努力。

. 第二次世界大戦後、敗北した日本に米軍が上陸すると、
その指揮官ダグラス・マッカーサーの上官総指揮官として
ドレーパーは日本に駐留。

日本と共産主義中国との「戦争」を計画。
日本に戦争を行わせるため自衛隊を創立。

また米軍の日本駐留を永久化させる日米安保条約を起草。
名目は「共産主義中国に対抗し日本を防波堤に使う」
であった。

. ドレーパーと銀行ディロンは、中国に戦闘機、
軍艦用のレーダーシステム、夜間戦闘用の暗視システム、
核兵器ミサイル・システムを販売。

中国を敵とし共産主義中国に対抗するため日本に自衛隊を
作らせながら、ドレーパーは中国の軍備増強を行っていた。

中国と日本が戦争になれば、中国と日本が共同で
ディロンの兵器を大量に消費し、ディロンの武器販売の
売上を伸ばす事になる。

ディロンの売上アップのため自衛隊と
日米安保条約は作られた?

日本と中国、アジア人同士が戦争し殺し合えば、ドレーパー
の目的通り「劣った有色人種を絶滅させる」事が出来る。

. ドレーパーは、自分の財産を投入し
ドレーパー財団を創立。

国連に資金を与えUNDP国連開発計画を実施。

これは貧しい国に経済援助を行う事と引き替えに、
女性に「不妊手術を強制」するものである。

「貧しい劣った有色人種は子供を生まず絶滅しろ」
という計画である。

この国連の計画で米国のネイティブ(伝統的には差別的に
インディアンと呼ばれてきた)は、全体の25%が不妊手術
を強制され、北米のシャイアン族は 80%もの女性が
「子供の生めない体に手術」されている。

1世代目で20%生き残り、2世代目で20×20%で4%、
3世代目で4×20%=0.8%、つまり1人もいなくなる
計画である。

シャイアン族は3世代目で全滅させられる事になる。
これが国連の「人道経済援助」の実体である。

現在、ブラジルの女性は40%が国連により
「不妊手術」が行われている。
8世代目でブラジル人は全滅する。

国連が現代のナチスである事が分かる。

大学等で国際関係論を学び、善意から「貧しい国を救おう」
と考え、国連、国連系NGO、ジャイカ等で働く「裕福な
家庭の日本人・子女」が知らず知らず容易にナチスの手先
として利用されている。

「大学で国連関係論を学んだ先進国のおぼっちゃん、
お嬢さん、国連職員をレイプし殺害する事は、我々の基本的
人権である」と貧しい国のゲリラが語る理由はそこにある。

大学で国際関係論の博士号を取った程度の無知と、
大学から国連へという生き方の「閉鎖性」が、
こうした「善意のナチス党員」を生む。

サルトルが語ったように「無知は犯罪」である。

. ドレーパーが日本に自衛隊を作り、同時に中国に
ミサイル技術を売る計画を立てた(つまり日本と中国に戦争
を行わせる計画を立てた)際のブレーン、米国政府の
アメリカ対日評議会ACJの中心人物が、弁護士
ジェームズ・カウフマンとユージン・ドゥマンであった。

2人はロックフェラーの代理人として第二次世界大戦中、
日本の中国侵略のための兵器を調達し、
「日本と中国に戦争を行わせた」人物達である。

ロックフェラーの代理人ドゥマンと共に第二次世界大戦中、
ニューヨークで兵器密輸商カーママン&ウィトキンを経営
していた武器密輸商人が、昭和天皇ヒロヒトである。

昭和天皇がロックフェラーの代理人として日本と中国の戦争
で武器を密輸し、兵器の売上げアップ政策として戦争を
アオリ実行した武器密輸商である正体が浮かび上がって来る。


・・ドレーパーが最初に日本に「家族計画」という言葉を
持ち込み定着させ、コンドームの販売を推進した人物である。

現在では単なる避妊具となっているが、ドレーパーは
「日本人絶滅のため」不妊手術ではなくコンドームを拡げ、
日本人の「妊娠を阻止」しようとした。

この計画でドレーパーの部下として働いたのが
右翼のボス笹川良一である。

日本の愛国派と民族派が米国の先兵として
日本人絶滅に協力しているのである。

右翼が本当の愛国者ではなく、売国奴である事が分かる。

あやつり人形同士が、打ち合わせ通りに「密約」を交わしているようです。

(リテラ)さん
http://lite-ra.com/2015/06/post-1191.html
安倍と会談して安保法制協力密約!? 橋下徹が早速「憲法学者はおかしい」と露骨な安倍擁

今の時代の黒幕ブレーンはこの人。

ズビグネフ・カジミエシュ・ブレジンスキー

真ん中



東京ローズの暗号 1/2

2015年07月06日 | たわごと

以下は暗号 ? ウラと闇の話=すべて八百長の話です。


3月10日東京大空襲/東京ローズ:

Platters - Smoke Gets In Your Eyes

https://youtu.be/57tK6aQS_H0?list=RD57tK6aQS_H0


真珠湾攻撃/ハワイ放送:

目ン無い千鳥/島倉千代子

https://youtu.be/FHCBc4wj_Kc


昭和20年8月6日、広島に原爆/東京ローズ:

Doris Day - Sentimental Journey (remastered)

https://youtu.be/0ycj2SwFG3w

 

鬼塚英昭氏の『白洲次郎の嘘』には、この柴田哲孝氏の『異聞 太平洋戦記』が引用されている。そして柴田氏が解明した昭和20年3月10日の東京大空襲も、真珠湾攻撃も、広島への原爆投下もみな八百長だったことを解明していることを紹介している。

「センチメンタル・ジャーニー」と「目ン無い千鳥」の秘密

http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-270.html 

3月10日東京大空襲は事前に日本側に「ヨハンセン・グループ」を通じて軍部にも連絡されていた。日本側は東京ローズの謀略放送(ということになっていた)で、当日夜に「煙」とか「炎」とかの言葉が入った音楽を流した(「煙が目にしみる」「世界を火に包まないで」「過ぎ去りし日の恋の炎」)。それは、安心して低空飛行で爆撃に来ても大丈夫ですよ、日本の戦闘機は迎撃しません、という合図=暗号だったのだ。

真珠湾攻撃のときは、アメリカのハワイの放送が、昭和12年12月8日未明(日本時間)普段は絶対に流すことはあり得ない日本の歌謡曲「目ン無い千鳥」の歌をニ度も流したのであった。その歌を合図に、日本軍機が全軍真珠湾に突撃して行ったのだ。アメリカ軍は迎撃してこないという暗号だったのである。

 もうひとつは昭和20年8月6日、広島に原爆を落とすためにテニアン島から飛び立ったエノラ・ゲイ機に対して、東京ローズは「センチメンタル・ジャーニー」を流し続けていた。つまり原爆搭載したB29が低空で侵入しても、日本軍は迎撃しませんという合図であった。

コンプラドール=こころの痛みを感じない者たちが日本のリーダーになってきた。今も同じだ。彼らは操り­人形なのである。

日本の真相6 操り人形がリーダーをする日本

https://youtu.be/wlfyvOL-OVg


ウラと闇の話=八百長についての話が続きます。 いまの福島と原発利権さらには集団的自衛権にまで真っすぐにつながっていることです。

日本の真相 鬼塚英昭

日本の真相1 明治天皇すりかえ

https://youtu.be/qZve5N-_doI

日本の真相2 仕組まれる戦争・皇室スキャンダル

https://youtu.be/_YfXIhybq5U

日本の真相3 天皇のための戦争・天皇は内通していた

https://youtu.be/eugXzHoKnes

日本の真相4 こじつけの天皇無罪論

https://youtu.be/34HEcM9qvqc

日本の真相5 すべての戦争は八百長である

https://youtu.be/kIXzkY8VtLU

日本の真相7 超天才の悪魔

https://youtu.be/1ToSe8A7_wE

日本の真相8 中曽根、正力工作員の原発

https://youtu.be/TuVjmXdufS4

日本の真相9 原発・使い捨て人形からの反乱

https://youtu.be/3glGABd52fk

 

嘘八百のこの世界 から

「太平洋“八百長”戦争の真実、東京ローズと売国奴連中」

前回紹介した犬塚氏は「もし山本元帥メーソン説を主張する人があるなら、どこで、いつ、何という結社に加盟したか?確かな資料を明示して頂きたい。」と述べて、「山本五十六メーソン説」を否定している。メーソンとは関係ないが、「山本五十六の死の真相及び、真珠湾攻撃・原爆投下の真相」について書かれた記事を転載する。「太平洋戦争の舞台裏」については記事にしたが、「太平洋戦争のもう一つの舞台裏」を学んで下さい。
八百長戦争で奪われた尊い御霊を弔うためにも、我々が新たな謀略に嵌らないためにも、我々は真実を知っておく必要があると思います。

(心に青雲)さん
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/386574435.html
2014年01月31日
山本五十六の怪死の謎(1/2)

《1》
 山本五十六は1943(昭和18)年4月18日、ブーゲンビル島上空において米陸軍戦闘機隊に待ち伏せされ、搭乗していた一式陸攻が撃墜されて戦死した、…ことになっている。「海軍甲事件」と呼ばれる。

 これまでにもその死に疑問が呈せられてきはきたが、ほぼ解明の決定版と思われる書を読んだ。柴田哲孝著『異聞 太平洋戦記』(講談社)に収録された短編「ブーゲンビル日記」がそれである。

 柴田氏のこの本は「事実に基づいたフィクション」となっている。つまり生存者や遺族に配慮して、実名は変えられていても、事実を踏まえている。
 「ブーゲンビル日記」は、当時、ブーゲンビル島に進駐していた陸軍部隊の衛生兵が密かに書き遺してあった、山本長官の捜索活動を記したものを、“私”が偶然発見し、それを基に追及していく筋立てである。

 山本五十六は昭和18年4月18日、南方戦線視察の名目で、ラバウル航空基地を発ってソロモン諸島のバラレ飛行場へ向かう途中のブーゲンビル島上空で敵戦闘機16機の待ち伏せにあった。
 一式陸攻2機に、視察団として山本五十六、宇垣纏参謀長ら9名が搭乗し、零戦6機の護衛をつけて離陸している。
 山本の搭乗した一式陸攻は撃墜され、ブーゲンビル島のジャングルに落ち、宇垣参謀長の乗った機は撃墜されたが海上に落ちたため、宇垣らは重傷を負いながらも助かった。 

 ブーゲンビル島には陸軍と海軍部隊が駐留していたので、すぐさま陸海軍共同で捜索が開始された。墜落地点は海軍機がすぐに発見し、陸上捜索隊に知らせたが、なにせジャングル内のことで捜索は難航を極めた。1時間でわずか数百メートルしか進めない。支那から転戦してきた部隊が持つコンパスはジャングルのなかでは役に立たず、多くの捜索隊グループが出されながら、なかなか現場に辿りつけなかった。

・・・・

 しかも、公式記録では銃創を認めているが、米軍P38戦闘機が装備していた機銃は20ミリ機関砲である。この弾が肩から頭に抜ければ山本の頭部は首から上が木っ端微塵に吹き飛んでいたはずなのである。
 「ブーゲンビル日記」の衛生兵の証言では、射入口は約8ミリ、射出口は約15ミリの貫通銃創である。小口径の弾である。戦闘機の20ミリ機銃弾に当たっていればこんなことではすまない。これは明らかに日本軍の拳銃で撃たれたことにしかならない。

 よく戦争映画なんかでは、戦闘機どうしの空中戦で、敵機に撃たれたパイロットが血を流しながら、友軍機に手を振りながら墜落したり、敵艦に最後の力を振り絞って敵艦に突撃したりするシーンがあるが、20ミリ機関銃弾が当たれば、そんな余裕があろうはずがなく、瞬時に木っ端微塵になる。

 つまり、山本長官は撃墜されながらもかろうじて生きていて、機外に出て救援を待っていたのであろう。山本とそばで息絶えていた軍医長だけが、他の戦死体にすでに蛆がわいて腐乱していたにも関わらず、さして蛆も発生しおらず、腐乱していなかったのであった。「遺体の状態はおおむね良好」となっている。
 これはつまり、最初に19日夕方に浜砂少尉の捜索隊が発見したときには、山本は生きていた可能性が高いのである。
 
 またブーゲンビル島に駐留していた陸海軍の部隊は幾つものグループを組んで捜索に出ているが、いずれも難航し、どうもわざと発見を遅らせた気配があるが、その詳細は省略する。

 そして銃創のありようからすると、山本は自殺したのかもしれなかった。すなわち介錯する誰かが左後ろ側に立って拳銃で心臓を撃ち抜くという古くからの武士の自決作法どおりの処置をしたのだということになる。
 あるいは、死後の身体に拳銃を撃ち込んだかであろうと…。

 山本の前線視察には不可解なことが多い。そもそも連合艦隊司令長官が参謀長とともに最前線に視察を行なう意味がまったくない。常識では考えられない。
 山本は部下が引き止めるのを振り切って危険極まる視察に出かけた。

 しかも、そのときの軍装がおかしい。山本は視察や訓示などの公務のときは純白の第2種軍装を好んだ。普段は紺色の第1種軍装があったがこの日にかぎって、山本は普段嫌っていた第3種軍装(陸戦隊用の濃緑軍服)を着ていた。
 同行する他の参謀や幕僚たちは純白の第2種軍装だった。

 ・・・・

 この「イ号作戦」の間に参謀長らの視察計画が持ち上がり、たまたま連合艦隊司令部がラバウル入りしたときで、山本も「自分も同行する」と言い出して実現した、ということに戦史ではなっている。
 視察空域は敵の妨害がないから安全と判断したことになっているが、とんでもない、現地の基地は再三B24爆撃機の空襲を受けていた。
 それを承知で宇垣は安全と判断し、山本も決行の意志を曲げなかった。ここに謎がある。

 それに、連合艦隊司令部は視察する方面の基地に暗号を用いた無線電報で連絡をとった。傍受されている可能性が指摘されていたにも関わらず、こんな最重要事項の連絡に無線を使ったか、これが第二の謎とされる。
 当然、航空機による書簡通達で連絡をしなければならなかった。なのに司令部は「技術的に見て被解読の虞れは絶無である」と判断している。呆れてものも言えない。

 実際、米軍はこの無電を傍受し、ただちに解読に成功している。4月13日午後5時である。米側は山本を討ち取る決定をし、15日には現地の指揮官ハルゼイに通達された。
 4月18日に待ち伏せする作戦を立てたが、米軍はその待ち伏せ地点であるブーゲンビル島を16~18日にかけて3日間も空爆を加えている。いったいどういう真意なのか。

 現地が敵側の攻撃にさらされているとなれば、日本側は山本の視察を中止してもおかしくなかった。待ち伏せて討ち取るチャンスが消えてしまう。にもかかわらず米軍はさして意味があるとも思えない空爆を敢行した。
 なにがあろうと山本は視察する、やってくる、とアメリカ軍はわかっていたということである。
 それはなぜなのか…。

 (つづく)



http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/386661800.html
2014年02月01日
山本五十六の怪死の謎(2/2)
《2》
 柴田哲孝著『異聞 太平洋戦記』の謎解きは以下である。

 一つの仮説としては、山本は撃墜されながらも生存していた。だが発見に手間取った。翌日の19日までは腐敗の状態から言って生きていた可能性がある(なにせ熱帯の密林に屍体が放置されれば…)。だが発見は20日ということになっている。救出活動が迅速だったら助かったかもしれないのに、だ。この失態が露呈すれば海軍だけでなく軍部の面目が失墜する。そこで山本の遺体にあえて銃創をつくり、敵機の機銃によって機上即死の状況証拠を捏造したのだとするものだ。

・・・・


 また山本機を撃墜した米軍パイロットの弟が捕虜になったため、報復されないように、と説明しているが、この弟が捕虜になったのはアメリカがニュースを発表してから1カ月後のことだったから、説得力はない。

 さらに以下引用する。

  *    *

 なぜ山本長官は、自らバラレ、ブイン、ショートランド方面への視察に行くといいだしたのか。なぜ現地との連絡に、傍受解読の危険のある暗号無線を用いたのか。なぜ米軍のニミッツ長官とハルゼイ大将はワシントンと頻繁に連絡を取るなど、必要以上に慎重に対応したのか……。

 考えてみれば、太平洋戦争は最初からおかしかった。なぜ真珠湾奇襲攻撃の指揮を、親米英派として知られ日米開戦に反対だった山本五十六が担ったのか。あれは奇襲作戦でも何でもなかった。米軍は事前に情報を入手し、当時のルーズベルト大統領も知っていたことはすでに歴史的既成事実だ。実際に山本長官は空母が1隻もいない真珠湾を攻撃し、アリゾナやオクラホマなどの老朽艦だけを沈め、米太平洋艦隊の生命線である400万バレルの燃料備蓄タンクや修理ドックは破壊しなかった。
 その後のミッドウェイ海戦やイ号作戦も同じだ。すべてが、日米のシナリオどおりだった……。

 “私”は、ひとつの仮説を立てた。山本五十六の死の謎も、同じなのだ。あの日……昭和18年4月18日……山本五十六と米側の間に、ひとつの密約があったのではないか。日米開戦から米側の反撃に至るまで、すでに山本五十六の連合艦隊司令長官としての役割は終わっていた。その山本長官を、米側に亡命させる計画が存在した。

 ジョーカーは、最初から米国が握っていたのだ…。
 そう考えればすべての謎は解ける。山本長官は、あの日に限りなぜ第三種軍装を着用したのか。それは米側に対する「亡命を受け入れる」という意思表示だったのではないか。

 16日から18日早朝にかけて米側がブイン周辺を空爆したのも、山本長官の回収を前提とした予定どおりの作戦だった、実際には日本側は駆逐艦などの主要艦を、ブイン港から離れた海域に避難させている。もちろん山本長官も、その意味を知っていた。だからこそ、“安全”であると判断した。

 考えてみれば、当初米側が立てた「山本が海上にいる時に駆潜艇を狙う」という作戦も奇妙だ。確かに山本側には、バラレからショートランドに駆潜艇で渡るという予定が組まれていた。だがこの予定は、不思議なことに、バラレ司令部には知らされていなかった。それをなぜか、米側は知っていた。すべては海上で山本長官を回収する計画であったと考えなければ、辻褄が合わなくなる。

 だがハルゼイ大将とルーズベルト大統領は、直前で作戦を変更した。すでに、山本五十六の役割は終わった。それならば、生きたまま“回収”する必要はない。ブイン上空で山本機を撃墜し、抹殺する決断を下した……。
 山本機が撃墜された時点で、すでに海軍の上層部は事の次第に気付いていた。そうなれば、かえって山本長官に生きていてもらっては都合が悪い。そこであえて墜落地点を隠し、南方のジャングルに不馴れな陸軍の部隊(第六師団は1月にブーゲンビル島に派遣されたばかりだった)に捜索を依頼して発見を遅らせた。陸軍が、南方では使い物にならない磁石を持っていたことも知っていた。(山本の)手帳の内容を気にしていたのも、そのためだ。

 確かに山本五十六は、墜落した時点では生存していた。彼は1式陸攻から外した座席に座り、右手に軍刀を握りながら、何を考えていたのだろう。その横には、やはり生き残った高田軍医長がいた。
 山本長官は、知っていたはずだ。アメリカに、裏切られたことを。そして、すべてが終わったことを理解していた。最後の賭けに負けたのだ。もし山本に自らの命を断つ理由があるとするならば、他には考えられない……。

   *    *

 鬼塚英昭氏の『白洲次郎の嘘』には、この柴田哲孝氏の『異聞 太平洋戦記』が引用されている。そして柴田氏が解明した昭和20年3月10日の東京大空襲も、真珠湾攻撃も、広島への原爆投下もみな八百長だったことを解明していることを紹介している。

 3月10日東京大空襲は事前に日本側に「ヨハンセン・グループ」を通じて軍部にも連絡されていた。日本側は東京ローズの謀略放送(ということになっていた)で、当日夜に「煙」とか「炎」とかの言葉が入った音楽を流した(「煙が目にしみる」「世界を火に包まないで」「過ぎ去りし日の恋の炎」)。それは、安心して低空飛行で爆撃に来ても大丈夫ですよ、日本の戦闘機は迎撃しません、という合図=暗号だったのだ。

 真珠湾攻撃のときは、アメリカのハワイの放送が、昭和12年12月8日未明(日本時間)普段は絶対に流すことはあり得ない日本の歌謡曲「目ン無い千鳥」の歌をニ度も流したのであった。その歌を合図に、日本軍機が全軍真珠湾に突撃して行ったのだ。アメリカ軍は迎撃してこないという暗号だったのである。

 もうひとつは昭和20年8月6日、広島に原爆を落とすためにテニアン島から飛び立ったエノラ・ゲイ機に対して、東京ローズは「センチメンタル・ジャーニー」を流し続けていた。つまり原爆搭載したB29が低空で侵入しても、日本軍は迎撃しませんという合図であった。

 これを解明した柴田氏はすごい。
 そして鬼塚氏はこう解く。
 「山本五十六は天皇裕仁、牧野伸顕らから、真珠湾攻撃における八百長工作を持ちかけられ、受けざるを得なかった。近衛文麿から東条英機に急に首相が替わったのも、天皇の作戦を東条英機が忠実に実行すると約束したからである。
 
 なぜ「目ン無い千鳥」の歌なのかは、たぶん、山本五十六の愛人がこの歌を好きだったからではないか。山本五十六はヨハンセン・グループから金を貰い続け愛人を囲う身分になっていた。
 山本五十六は愛人と最後の夜に酒をくみかわし、二人してこの歌を唄ったのではなかったか。それでアメリカに、この歌を流すように頼んだ。」

 鬼塚氏は東京大空襲も広島原爆投下も、ヨハンセン・グループがNHKを利用して無条件にアメリカ側に流させたと言う。
 ヨハンセン・グループとは吉田茂、白洲次郎、牧野伸顕、松本重治、牛場知彦、貞明皇太后、樺山愛輔さらには天皇裕仁を巻き込んだ売国奴の連中を言うのである。彼らはユダヤ国際財閥が仕掛けた戦争に協力して、日本を敗北させるべく暗躍したのである。
 
 ならば、山本五十六はアメリカから裏切られ捨てられただけでなくヨハンセングループからもはめられ、殺されたのかもしれなかった。もしかしたら、勝手な妄想かもしれないが、山本機を撃墜したのは米軍ではなく、日本の零戦か、山本を誘い出したのは生き延びた宇垣纏参謀長だったかも…。

 山本の遺体が荼毘に付されたのは、4月21日、検死後に秘密裏にジャングルの中で行なわれた。立ち会ったのはごく少数の司令部の首脳のみであるのも異常である。何かを隠す必要があったとしか思えない。

 ブーゲビル島の密林で、救助を待つ山本を射殺したのが日本軍特務機関員だとすれば、この者はヨハンセングループなりヒロヒトからの指令で実行したのかもしれない。
 柴田氏の「ブーゲンビル日記」によると、山本長官の捜索に当たった部隊の将兵はその後、みんな激戦地に送られほぼ全員が戦死している。これも異常な措置であった。上層部がなんとしても口を封じたかったのである。現地での目撃者たちを生かしておいては困るもの、その最右翼はやはりヨハンセン・グループなのではないか…。

 

るいネットさんのサイトより

1944年ブレトンウッズ会議に日本から出席していた人物とは・・・・・①~④

http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1888783.html

昭和天皇こそが正真正銘の売国奴

http://www.amezor.to/shiso/070716000101.html

1945年、第二次世界大戦に敗北した日本に米軍が上陸して来る。

今後の日本をどうするか、米軍の指揮官ダグラス・マッカーサーとの交渉を担当したのが、当時の大蔵省事務次官池田勇人(後に首相)の部下、渡辺武であった。

渡辺の自伝である「渡辺武日記 対占領軍交渉秘録」(東洋経済新報社)によると、渡辺と米軍の最初の「大きな交渉テーマ」は、米国の銀行ディロン・リードに
対する日本と天皇一族の借金返済問題であった。

明治憲法第11条により、日本の陸海空軍全ての指揮権は天皇にあり、政治・軍事の全責任は天皇にあった。米軍が天皇の戦争責任を問題にせず、真っ先に銀行ディロンの代理人として借金の取り立てを行った事は、戦争の目的が金であった事、そして米軍が米国政府の代理人などでなく銀行ディロンという私的機関の「代理人」である事を良く示している。

しかも奇妙な事に、日本は戦争のための兵器購入資金を敵国の米国ディロンから「借り入れ」ていたのだ。さらに貸し付けた側の銀行ディロンの社長が、米国の戦争省長官ウィリアム・ドレーパーであった。米軍の陸海空軍全ての指揮権を持つ戦争省長官ドレーパー本人が、敵国・日本の陸海空軍全ての指揮権を持つ天皇に
戦争資金を貸し付けていた。

 

【信じなくていい話】1944年ブレトンウッズ会議に日本から出席していた人物とは・・・・・

http://ameblo.jp/umaikome/entry-11376323700.html

2012-10-17 00:17:34 
テーマ:信じなくていい話

第2次世界大戦も終わりに近づいた1944年7月、アメリカ・ニューハンプシャー州の町ブレトンウッズで会議が開催され、国際通貨基金(IMF)国際復興開銀行(IBRD)の設立を決めました。
この会議にはアメリカ、イギリスはじめ連合国に属する国々の代表を中心に45カ国が参加しました。
この会議に日本からは「天皇陛下」が参加していたと言う話です。
対戦中の連合国の会議(=敵国の会議)にこともあろうか、日本の「天皇陛下」が出席していたのです。

この会議では、戦後の国際決済機構と戦禍によって疲弊したヨーロッパの戦後復興のための機関の設立が中心議題でした。
会議はアメリカで開催され、国際決済の基軸通貨がアメリカのドルに決定された事などは、WWⅡ後の世界的リーダーが大英帝国からアメリカ合衆国に交替した事を示 しており、ブレトンウッズの町こそがそれを象徴するものとして歴史的な名を刻んだ事になったのです。
IMF(国際通貨基金)とIBRD(国際復興開発銀行=世界銀行)はその後の世界政治・経済のフレームワークを形成するものとなった=第三世界を支配する金融システムが出来上がったとも言えるのです。
ソ連も代表団を派遣して会議に参加し協定に調印したが、最終的に批准はしなかったり、割り当てられた出資を拒むなどIMFには参加しなかったばかりか、先にIMFに参加したチェコスロバキアに圧力をかけ脱退させ、東欧諸国による
コメコンを設立したという経緯もあります。

ブレトンウッズの解説


さて、1930年から1940年代には、世界の金が米国に集中しており、アメリカは圧倒的な経済力を誇っていました。
当時はアメリカの豊富な金をもとに発行されたドルは、金と同様の価値があったのです。
そこでIMFは、金だけを国際通貨とする金本位制ではなく、ドルを金とならぶ国際通貨と決定したのです。(アメリカが世界を牛耳る発端となっています)
しかし1971年ニクソン大統領の時に、ブレトンウッズ体制が崩壊しました。
その背景は、1960年代のベトナム戦争への大量支出や対外的な軍事力増強の結果、大幅な財政赤字を抱え、国際収支が悪化して大量のドルが海外に流出してしまいました。
アメリカは、金の準備量をはるかに超えた多額のドル紙幣の発行を余儀なくされ、金との交換を保証できなくなりました。=金本位制の崩壊
ニクソンは8月に、金とドルの交換停止を発表し、金1オンス=35ドルの固定相場が崩れ、変動相場が始ったのです。
これによって直ちにスミソニアン体制に移行しましたが、スミソニアン体制でも、アメリカやイギリスの国際収支の悪化は止まりませんでした。
円はそれまで1ドル=360円だったのが、308円に引き上げられました。しかし、2年後には崩壊し、変動為替制度に変わって行ったのです。

このようなWWⅡの前後に世界の動きがあるのですが、さて、天皇陛下がなぜ戦争中に敵国の会議に参加していたのか?

一つは、戦争の終わらせ方
もう一つは、天皇の戦争責任について

この話がブレトンウッズ会議でもたれたと言うのです。
戦争の終わらせ方については、ポツダム宣言受諾へとつながって行きますし、ブレトンウッズ会議がどれだけ重要な会議だったかを理解するために、前半の説明に時間がかかりました。

1945年7月26日にポツダム会議で合意されたポツダム宣言では、日本の無条件降伏を勧告を宣言するとなっています。
1)日本国民を欺瞞し、世界征服の挙に出させた権力及び勢力の永久除去。
2)平和・安全・正義の新秩序ができ、戦争遂行能力の破砕が確認されるまで、連合軍が占領する。
3)日本の主権は、本州・北海道・九州・四国と連合国の指定する小島に局限される。
4)日本軍隊の完全な武装解除。
5)戦争犯罪人の処罰と民主主義的傾向の復活強化の障害の除去。
6)日本経済と産業の維持の保証、再軍備産業の禁止。
次ぎに、これらの目的が達成され、責任ある政府が樹立された時点で占領軍は撤退すると述べ、「我らは日本国政府がただちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、・・・右以外の日本国の選択は迅速かつ完全なる破壊あるのみ」と迫った。

そして、8月6日と9日に広島、長崎に原爆が投下され、8月10日の御前会議で「国体護持」を条件にポツダム宣言受諾を決定したのです。「国体護持」とは、天皇制を維持することです。
14日に最終決定を陛下がされ、「国体護持だけを条件」にポツダム宣言受諾を決定され即日玉音放送を録音し、15日に放送され終戦となったのです。
 

この一連のシナリオは陛下自らが決定したと言うのです。
要は、広島と長崎に原爆を落とすことを決定したのは、天皇陛下だったという衝撃的な内容でした。

日本において、広島=呉=海軍港  長崎=海軍港  そうです、
両都市とも大日本帝国海軍の拠点です。
陛下は、戦争に向けて絶対的な権限を持っていて、言うことを聞かない海軍に閉口していたのです。
そこで、海軍港であった都市を指定したのです。
しかも8月6日は、軍部の将兵が広島に集結させられていたのです。
その命令は、天皇からの命令だったのです。

原爆を開発したのは、マンハッタン計画(1942年8月)によってです。
アメリカを中心とする極秘の原爆製造計画で、軍と科学者と産業界を総動員して進められた巨大軍事開発事業です。
投下決定は、44年9月19日に第2次ケベック会談で、ルーズベルトとチャーチル英国首相が署名した「ハイド・パーク協定」によります。
  
当初は、京都、広島、横浜、小倉を選定し検討に入りました。
しかし、1945年2月、米、英、ソ連の首脳によるヤルタ会談で、ソ連はドイツの降伏から3カ月以内に日本に参戦することを極秘に決めていたことが諜報活動で判明。
①アメリカはソ連の対日参戦より前に原爆を日本に投下し、大戦後世界でソ連より優位に立ちたいと考えていたのです。
②アメリカは原爆という新兵器を実戦で使い、その威力を知りたかったと同時に、マンハッタン計画で使った膨大な費用を正当化したかったこともあります。
③白人系以外の有色人種で核実験をすること
これらが、原爆を日本に落とした理由と考えられています。

しかし日本の戦後教育では、「WWⅡを早く終わらせるために原爆投下はやむをえなかった」と教育されてきたのでそう思い込んでいますし、天皇もそのような発言をされているのです。
ところが先ごろ発表されたアメリカ公文書館の戦史公開資料(「米国陸軍軍事情報部真理作戦課『日本プラン』」 )によると、1943年5月5日原爆投下目標地点を決定した政府の暫定委員会は、原爆が未完成にも関らず投下目標を「日本」と決めていたことになります。

おかしな話ではありませんか?

1943年5月の戦局と言えば、山本五十六長官ブーゲンビルで戦死したことになっている時期であり、ガダルカナル以降大東亜圏が連合軍の攻撃で縮小に向かう頃です。
この時期に原爆投下を日本に決めたとする理由がWWⅡを早く終わらせるための理屈が通る時ではないと思いませんか?
何故なら、戦争屋達は戦争が長引けば長引く程、儲かるのですから。

8月6日に海軍大臣米内光政は原爆投下を聞いてこともあろうに『天佑(てんゆう)だ!』と叫んだ。天佑とは《wiki》
原爆投下地を広島と長崎を決めたのは天皇自身です。
ブレトンウッズ会議でで事前に打ち合わせをし、原爆投下の日時・場所を決めた=戦争の終わらせ方を決めたのです。
広島には出来るだけ多くの兵士(3万人)や児童・学生(1万5千人)等の被験者が意図的に集められていました。
米国のスティムソン陸軍長官主導に日本の天皇が協力した一大イベントとが原爆投下だったのです。
実は、人体核実験でもあったのです。

世界のウラン鉱山のほぼ全てを独占するロスチャイルド財閥と配下の軍需産業関連会社(死の商人)は、WWⅡ後予定されていた米ソ二大国間の(八百長)冷戦による核軍拡競争と原子力産業によって上がる莫大な利益のため、どうしても核の脅威を世界に示す必要があったと言うのが真相なのです。

天皇がブレトンウッズ会議に参加した理由がさらに分かりやすくなるのは、
天皇家は巨大金融資本とつながっているのです。巨大金融資本とは、ワンワールド構想で勇名な「フリーメーソン」とも言われています。
WWⅡの戦費ですが、日本は戦争のための兵器購入資金を敵国の米国ディロン・リード銀行から「借り入れ」ていたのです。ディロン・リード銀行の社長は、J・フォレスタル国防長官であり、「日米安保条約」を策定した人物です。
また、副社長は陸軍次官のウィリアム・ドレーパーです。

アメリカの国防長官が社長を兼務している銀行が、敵国である日本軍の総指揮権を持つ天皇に戦争資金を貸し付けていたのです。

要は、日本とアメリカが戦争すればするほど、ディロン・リード銀行が儲かる仕組みだったのです。
ディロン・リード銀行やハリマン銀行の日本の代理人が天皇だったのです。

天皇は日本軍の兵器購入資金の一部を私物化し、スイス銀行に莫大な財産を蓄積したのです。

まだ続きがあります。
ディロン・リード銀行の親会社はブッシュ一族のカーライル軍事産業専門投資会社であり、ブッシュ一族が経営する銀行がハリマン銀行です。
アメリカと日本の兵器購入資金は、ディロン・リード銀行・ハリマン銀行・カーライル投資会社から出ていたのです。
このような立場の天皇に戦争責任を問うことはなく、WWⅡは東条英機以下軍部が全ての責任を負うという東京裁判で決着させたのです。

さらにさらに、マンハッタン計画において、ディロン・リード銀行の社員として現場で核兵器開発を指揮したのがデイヴィッド・カーママン。
このカーママンは、広島、長崎に投下する核兵器製造の専門家であると同時に、ニューヨークでディロン社の兵器を販売する商社カーママン&ウィットキンを経営していたのです。
このカーママン&ウィッキン社は、カーママンと昭和天皇が共同で設立した兵器商社だったのです。

※ディロン・リード銀行が株主となっているベクテル社は、世界最大の核兵器原料メーカーであり、ベクテルはパパブッシュが経営しています。

驚愕の真実ですから、どこも書きませんし報道しません。

参考:
日本政府は原爆投下を事前に知っていた《youtube》

この話は、信じなくてもいい話です。

 

さてはてメモ帳 Imagine & Think!

東京ローズがささやいた「テニアンの秘密」

http://satehate.exblog.jp/9373582

アメリカ兵捕虜の予告 「八月六日、ヒロシマは焼け野原になる」

http://satehate.exblog.jp/9365812/

原爆投下は予告されていた by 黒木雄司

http://satehate.exblog.jp/9358512/

 

白洲次郎の父?ジグムント・ウオーバーグ

白洲は日本水産から帝国水産と異動して何をしたのか。調査室室長であった。彼は帝国水産という会社を利用し、イギリスとアメリカの諜報機関のために日本の機密を流し、また同時に、日本へ、特に皇室、ヨハンセン・グループ、軍閥、三菱……に情報を伝えていたのである。

白洲次郎のプリンシプルとは? by 鬼塚英昭 原爆ホロコーストへの道

http://satehate.exblog.jp/9332877/

 

食事をしながら名刺を出された、名刺には「白洲次郎」と書いてあった、確かステーキをご馳走になりました。次の日もその次の日もご馳走になりました。 

http://www.watanabeyukio.com/profile/tugounoiikoto2.html

 

 2014年02月04日

B-29東京大空襲の奇怪(1/2)

2014年02月05日

B-29東京大空襲の奇怪(2/2)

http://kokoroniseiun.seesaa.net/archives/201402-7.html

 

嘘八百のこの世界

「2006年の映画<オーメン666>は、3.11人工地震を予告していた!」

http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-45.html