あまり見栄えのしない味栄えの乏しいホテルの定朝食をビジネスウーマンらしきご夫人らと相席でとった後,今日の目的地オデッサへ向けてホテル・ウクライナを後にしました。
朝の混雑を抜け一気にドニエプル河畔沿いの高速道路に乗り南方へ向かった。*(車)**(ダッシュ)*
右手には今回は行けなかったぺチェールスカ大修道院の金色の葱坊主形屋根が緑の木々の間から見え隠れする。
この緑に覆われた河畔沿いの一帯は公園となっていてキエフの歴史的また文化的記念施設や碑などがたくさんあるらしい。
河岸にはこの河を行き来する大きな貨物運搬船や大型観光客船が浮んでいた。
そうなんです。*(びっくり2)*
欧州大陸では鉄道運送が始まるまでは船による内水路航路を利用した水路運送が主役で想像の範囲を遥かに超える水路網が発達しているんですね。
そのひとつの大きな理由は欧州大陸の河川は高低さがゆるく概ね流れがゆったりしていることです。
また水量も豊富で水位も年間を通して比較的安定しており流域全体に渡って川幅が広く水運に適していることです。
そういう河川と河川の間を水門を持つ運河で結んでいるのでたとえば
”北海に注ぐライン川やマース川の河口から内陸水路を通って南欧の地中海まで船で行く事が出来ますね。”
もちろんライン川を船で遡ればスイスまでも行けます。*(チョキ)*
このドニエプル河は北のバルト海から南の黒海を結ぶ大水運航路(通商路)の主役として昔から”父なるドニエプル河”と呼ばれています。
黒海からはドナウ川を遡ってハンガリー・オーストリア・ドイツ・スイスまでもいくことが出来ます。
もっと南へ向かえばポスポラス海峡を通ってイスタンブール(ビザンチン帝国のコンスタンチノープル)へさらにギリシャを周ってアドリア海へ入ればベネチアへ。
また地中海へ抜けてジェノヴァ・マルセイユ・バルセロナまでも交易路として繋がっています。*(グッド)*
そんなドニエプル河に発するここ東スラブ地域のご先祖にはなんとスカンジナヴィア人のヴァイキングの血も濃厚に入っているそうです。
左手に広がるドニエプル河に暫しの別れを告げ朝の通勤ラッシュで混雑するキエフの郊外住宅地域を走り抜ける。*(車)**(汗)*
手元の地図にあるとおりぶじ国道?M06に乗れたようなのでそれからはひたすらオデッサを目指す。
出発する時は薄曇りの空模様だったのがしばらくするとその大きな空が重く圧し掛かりぽつぽつばらばらと大粒の雨が降りだした。*(雨)*
あっという間に溢れた雨水で”ドニエプル河支流”の如き様相を呈した車道をモーターボートのような水しぶきを上げながらワイパー全開でやっと視界を確保しながらそれでも何とか止まらずに走る続ける。
実際あまりの激しい雨にギブアップし,事故のリスクを避ける為路肩に止まっている車も幾台かある。
しかしですよ,またあの黒くて大型のSUV車達がですよ,そんな悪条件の追い越し車線をまるで水中翼船の如き飛ぶようなスピードで他の車を追い越していくんだな。
”どうしたのみんなそんなにゆっくり走って?”
とでも云わぬばかりにですね。*(車)**(ダッシュ)*
やっぱり地元組は強いようですな。
豪雨地帯を抜けひたすら南へ南へと進むとまたすっかり晴れ渡って強烈な夏の陽射しが照りつける。*(晴れ)*
一体誰がこんなところで乗り降りするんだろうと思うような道端にぽつんとさびれたバス停がありそこで待っている人がいる。
時刻表らしきものは全く見当たらないようだ。
その一帯には大草原の広がり以外には民家らしきものは全く見えないんだが...
黄色いひまわり畑の広がりの遥か遠くでトラクターらしきものが土ぼこりを上げているのがかすかに見えるだけ。
でもこんなまわりになんにもないような街道脇にも(もちろん産地直産の採れたての)スイカやトマトを粗末な台に積み上げて売っている人たちがいる。
交通量がけして多い路線ではないと思うけど...
たいてい土地の農家の人たちと思しきおばあさんや娘さん達がその店番をしているようだ。
たぶん夏休みの小遣い稼ぎなのだろう小中学生ぐらいの子供達の売子もけっこう多く見かけた。
みんな例外なく真っ黒に日焼けしている。
通りがかりの車のお客によく目立つ様にするには炎天下の場所が一番だけど,流石にそうもいかないようで多くは涼しそうな木陰に店を出してただひたすら立ち寄ってくれるお客さんを待って一日中座っているんだろうか。
たいへんだな~。*(いっぷく)*
オデッサに近づくにつれ車窓から入ってくる風にも微かな潮の香が混じってきたように感じる。
どこからがオデッサの街並みなのか判別しがたいようなところをしばらく走ってからあきらかに市街に入ったと思われる辺りから今日の宿泊場所を探しはじめた。
相変わらず街の地図がないので土地勘を利かせつつも行き当たりばったりでどこをどう走っているのかよくわからない。
やたら一方通行路が多い街だ。
だからよそ者には余計わかりにくくなっているのだ。
午後3時すぎから探し始め,オデッサの港に近いと思われる付近のホテルを何軒かあたって結局5時少し前に真新しい”ホテル・オセアニック”へチェックインできた。
30部屋ほどのこじんまりとした新築のホテルでした。
20代はじめと思われる受付嬢は驚くほど英語が達者で助かりました。しかも愛想がよくいわゆる典型的なウクライナ美人でした。*(ハート)**(ハート目)*
そこにはもう一人姉御肌の先輩もいて彼女もやっぱり親切で愛想もよく小奇麗な部屋と相まってとっても好いホテルに入れてラッキーでした。*(グッド)**(ニヤ)*
昨日までのキエフのホテルとは大違いです。
早速車から荷物を降ろしエアコンのよく効いた部屋に入りシャワーを浴びて汗を流す。
裸のままでエアコンの冷気を浴びると
”いやぁ、全くもって-涼風いとも心地よいかな!”でした。
夕方とは言えまだ夏の陽は高くまだ見ぬ黒海とオデッサの港を探して再び街中を走り廻ったけどいずれも不発に終わりました。
薄暗くなり始めた頃(午後9時ごろかな)に飛び込んだ屋外レストラン2階のテーブルに座ってふと目の前を見ると,
”さてどこかで見かけたような?明るいベージュ色の真新しいビルとその前の駐車場の門衛小屋?”はてと...
ななんとそれはわれわれが今泊まっているホテルではないか!!*(びっくり1)**(ジロ)*
街中をすきっ腹を抱え疲労困憊で走り廻った挙句に飛び込んだレストランは自分達の泊まるホテルからたった50メートルと離れていない所にあったのですね...
道端に駐車している車を見下ろしながら,”こんな近くにあるんならホテルの駐車場に置いて歩いてこればよかったのにな。”
なんて大きなため息が出ました。
生演奏の歌のステージを見ながらウエイタ-さんお任せメニューのシャシャリク(串刺し肉のグリル料理)をいただきました。
そのフロアーには小さな子供を連れた家族連れが3組と大所帯連れ風のが一組,やれたマフィア風の連れが一組,老夫婦組が二組とそしてわれわれといったお客の顔ぶれでした。
黒海の保養地オデッサで夏休みを過ごす人たちに混じって我々もその開放的なリゾートのよい闇と雰囲気に包まれていきました。
とにかく明日は黒海を見よう!
それからルーマニアのコンスタンタ港へ行くフェリーボートがあるのかどうかを探さねば。*(波)**(椰子)*
ということで, 次回はオデッサの街の様子を続けます。
朝の混雑を抜け一気にドニエプル河畔沿いの高速道路に乗り南方へ向かった。*(車)**(ダッシュ)*
右手には今回は行けなかったぺチェールスカ大修道院の金色の葱坊主形屋根が緑の木々の間から見え隠れする。
この緑に覆われた河畔沿いの一帯は公園となっていてキエフの歴史的また文化的記念施設や碑などがたくさんあるらしい。
河岸にはこの河を行き来する大きな貨物運搬船や大型観光客船が浮んでいた。
そうなんです。*(びっくり2)*
欧州大陸では鉄道運送が始まるまでは船による内水路航路を利用した水路運送が主役で想像の範囲を遥かに超える水路網が発達しているんですね。
そのひとつの大きな理由は欧州大陸の河川は高低さがゆるく概ね流れがゆったりしていることです。
また水量も豊富で水位も年間を通して比較的安定しており流域全体に渡って川幅が広く水運に適していることです。
そういう河川と河川の間を水門を持つ運河で結んでいるのでたとえば
”北海に注ぐライン川やマース川の河口から内陸水路を通って南欧の地中海まで船で行く事が出来ますね。”
もちろんライン川を船で遡ればスイスまでも行けます。*(チョキ)*
このドニエプル河は北のバルト海から南の黒海を結ぶ大水運航路(通商路)の主役として昔から”父なるドニエプル河”と呼ばれています。
黒海からはドナウ川を遡ってハンガリー・オーストリア・ドイツ・スイスまでもいくことが出来ます。
もっと南へ向かえばポスポラス海峡を通ってイスタンブール(ビザンチン帝国のコンスタンチノープル)へさらにギリシャを周ってアドリア海へ入ればベネチアへ。
また地中海へ抜けてジェノヴァ・マルセイユ・バルセロナまでも交易路として繋がっています。*(グッド)*
そんなドニエプル河に発するここ東スラブ地域のご先祖にはなんとスカンジナヴィア人のヴァイキングの血も濃厚に入っているそうです。
左手に広がるドニエプル河に暫しの別れを告げ朝の通勤ラッシュで混雑するキエフの郊外住宅地域を走り抜ける。*(車)**(汗)*
手元の地図にあるとおりぶじ国道?M06に乗れたようなのでそれからはひたすらオデッサを目指す。
出発する時は薄曇りの空模様だったのがしばらくするとその大きな空が重く圧し掛かりぽつぽつばらばらと大粒の雨が降りだした。*(雨)*
あっという間に溢れた雨水で”ドニエプル河支流”の如き様相を呈した車道をモーターボートのような水しぶきを上げながらワイパー全開でやっと視界を確保しながらそれでも何とか止まらずに走る続ける。
実際あまりの激しい雨にギブアップし,事故のリスクを避ける為路肩に止まっている車も幾台かある。
しかしですよ,またあの黒くて大型のSUV車達がですよ,そんな悪条件の追い越し車線をまるで水中翼船の如き飛ぶようなスピードで他の車を追い越していくんだな。
”どうしたのみんなそんなにゆっくり走って?”
とでも云わぬばかりにですね。*(車)**(ダッシュ)*
やっぱり地元組は強いようですな。
豪雨地帯を抜けひたすら南へ南へと進むとまたすっかり晴れ渡って強烈な夏の陽射しが照りつける。*(晴れ)*
一体誰がこんなところで乗り降りするんだろうと思うような道端にぽつんとさびれたバス停がありそこで待っている人がいる。
時刻表らしきものは全く見当たらないようだ。
その一帯には大草原の広がり以外には民家らしきものは全く見えないんだが...
黄色いひまわり畑の広がりの遥か遠くでトラクターらしきものが土ぼこりを上げているのがかすかに見えるだけ。
でもこんなまわりになんにもないような街道脇にも(もちろん産地直産の採れたての)スイカやトマトを粗末な台に積み上げて売っている人たちがいる。
交通量がけして多い路線ではないと思うけど...
たいてい土地の農家の人たちと思しきおばあさんや娘さん達がその店番をしているようだ。
たぶん夏休みの小遣い稼ぎなのだろう小中学生ぐらいの子供達の売子もけっこう多く見かけた。
みんな例外なく真っ黒に日焼けしている。
通りがかりの車のお客によく目立つ様にするには炎天下の場所が一番だけど,流石にそうもいかないようで多くは涼しそうな木陰に店を出してただひたすら立ち寄ってくれるお客さんを待って一日中座っているんだろうか。
たいへんだな~。*(いっぷく)*
オデッサに近づくにつれ車窓から入ってくる風にも微かな潮の香が混じってきたように感じる。
どこからがオデッサの街並みなのか判別しがたいようなところをしばらく走ってからあきらかに市街に入ったと思われる辺りから今日の宿泊場所を探しはじめた。
相変わらず街の地図がないので土地勘を利かせつつも行き当たりばったりでどこをどう走っているのかよくわからない。
やたら一方通行路が多い街だ。
だからよそ者には余計わかりにくくなっているのだ。
午後3時すぎから探し始め,オデッサの港に近いと思われる付近のホテルを何軒かあたって結局5時少し前に真新しい”ホテル・オセアニック”へチェックインできた。
30部屋ほどのこじんまりとした新築のホテルでした。
20代はじめと思われる受付嬢は驚くほど英語が達者で助かりました。しかも愛想がよくいわゆる典型的なウクライナ美人でした。*(ハート)**(ハート目)*
そこにはもう一人姉御肌の先輩もいて彼女もやっぱり親切で愛想もよく小奇麗な部屋と相まってとっても好いホテルに入れてラッキーでした。*(グッド)**(ニヤ)*
昨日までのキエフのホテルとは大違いです。
早速車から荷物を降ろしエアコンのよく効いた部屋に入りシャワーを浴びて汗を流す。
裸のままでエアコンの冷気を浴びると
”いやぁ、全くもって-涼風いとも心地よいかな!”でした。
夕方とは言えまだ夏の陽は高くまだ見ぬ黒海とオデッサの港を探して再び街中を走り廻ったけどいずれも不発に終わりました。
薄暗くなり始めた頃(午後9時ごろかな)に飛び込んだ屋外レストラン2階のテーブルに座ってふと目の前を見ると,
”さてどこかで見かけたような?明るいベージュ色の真新しいビルとその前の駐車場の門衛小屋?”はてと...
ななんとそれはわれわれが今泊まっているホテルではないか!!*(びっくり1)**(ジロ)*
街中をすきっ腹を抱え疲労困憊で走り廻った挙句に飛び込んだレストランは自分達の泊まるホテルからたった50メートルと離れていない所にあったのですね...
道端に駐車している車を見下ろしながら,”こんな近くにあるんならホテルの駐車場に置いて歩いてこればよかったのにな。”
なんて大きなため息が出ました。
生演奏の歌のステージを見ながらウエイタ-さんお任せメニューのシャシャリク(串刺し肉のグリル料理)をいただきました。
そのフロアーには小さな子供を連れた家族連れが3組と大所帯連れ風のが一組,やれたマフィア風の連れが一組,老夫婦組が二組とそしてわれわれといったお客の顔ぶれでした。
黒海の保養地オデッサで夏休みを過ごす人たちに混じって我々もその開放的なリゾートのよい闇と雰囲気に包まれていきました。
とにかく明日は黒海を見よう!
それからルーマニアのコンスタンタ港へ行くフェリーボートがあるのかどうかを探さねば。*(波)**(椰子)*
ということで, 次回はオデッサの街の様子を続けます。