navikuma のブログ 陽炎のようにゆらめく景色のなかを走行中です。

ユーラシア大陸の端っこからのたわごとです。

ウクライナ方面への旅-10

2006年11月03日 | 日記
いつまでも落ち込んでいられない。

けっこう役に立ちそうな道路地図も手に入ったことだしとにかく先へすすもう。
相変わらず天気も素晴らしく良い。
いや昨日よりもはるかに暑い!*(涙)**(いっぷく)*

ここヤルタが今回の旅の折り返し地点になる。*(ウインク)*

昨晩エアコンがよく効いたホテルの部屋でクールな頭で考えて考え抜いた結果決めたルートを辿って帰路につくことにする。*(グー)*

いやほんとはそんなに深く考えていなかったかもしれないな。
単に幾つかの選択肢から残ったより現実的なルートにしようとしただけだったかもしれない。
ただ一点確かなことは, ”過度のリスクは避ける”ようにしたことです。

出発前にホテルのレストランで他の泊り客達とセルフサービスの朝食を摂った。
朝からしっかりとデザートもいただいた。
よくあるビュフェッ・スタイルだったけどまずまずの品揃えで食べ物の質も良好でした。

嬉しい驚きだったのは何気なく皿につまんで載せてきた小さな房のぶどうの味のこと。
やや大粒ながら濃い青紫色の実で口に含むと以前日本で食べたデラウエアの懐かしい甘みと味わいが拡がった。
それは息子の大好物, 小さいころから日本の実家へ夏休みに里帰りした時などに良く食べたあの”冷蔵庫で程よく冷え房全体にうっすらと水蒸気の膜に覆われたデラウエア”です。

息子にすすめてみると”ああそうだあのぶどうと同じだ!”と笑顔がひろがった。
そのおいしいぶどうをお替りしてヤルタでの朝ごはんの閉めとしました。
甘くさわやかなぶどうの香り包まれてなんかとっても満たされた気分になりました。*(音符)**(ウインク)*

些細なことだけどもうひとつ気づいたことがありました。

このホテルのロビー(あると言えば在るないといえば無いぐらいの大きさのロビー)の一角でエレベータ乗り場の左横に造られていたものです。
よく日本のホームセンターなぞで売っているような“箱庭用噴水セット”のことです。

角の壁と壁それからわずか1メートル超四方の大きさの床におさまる広さの場所に造られていました。

築山風に盛り上げられた山の頂上には両手で抱えられるぐらいの大きさの石臼が1セット置かれていた。
その石臼は時計回りにぐるぐる廻りながらきれいな水を下側の注ぎ口から溢れださせている。
流れ出た水流は小山の頂上辺りに落ちてからはくねくねと弧を描きながら緑の斜面をつたって流れ落ち最後にはその山の麓の湖?に流れ込むという仕掛けになっていました。

なんか素朴でほのぼのとしていておとぎ話の世界を彷彿させるような雰囲気を漂わせていて好かったな。*(ニヤ)*

私の幼いころの記憶ですが, 天気の好い昼下がり祖父があぐらをかいて両足に挟んだ石臼をゴリゴリ廻して籾摺りをしているのを観たことがありました。

のどかな東アジアの農村風景ですね。

息子も何か感ずるところがあったようで手元のデジカメをビデオの設定にしてしっかり録画しました。

たしか海の底に沈んでいって今でも塩を噴出し続けている石臼の昔話がありましたね。
その石臼を眺めていると自分が生まれ育った風土で昔から言い伝えられ慈しんできたものをここで偶然発見したような気がしました。
郷愁ですね。*(山)*
原作はノルウェー民話ともいわれていますけど。

ささやかなことでしたがとても嬉しかったです。*(ニヤ)*

旅の身の回り品を入れたバッグやらを両手に持ってホテルの外に出ようと玄関口へ行くと, そこには真新しいレインジローバーとランドクルーザーの2台が我が物顔をしてその出入り口のまん前に駐車していました。

いずれも漆黒の見上げる様な図体で小山のようなボディをしている。
そのボディのそこここにはクロームメッキパーツが厳しさを更に強調するような具合に配飾されている。
その磨かれたクロームメッキパーツの反射光が辺りを睥睨するようにぎらぎらと煌めいていた。

悪趣味のとどめはこれ全周4面のガラス窓ですべてこれまた真っ黒くろすけのガラス窓で外からはまったく車内の様子が見えない。
フロントグラスまで真っ黒けではないか!

傲慢さとおどろおどろしさの極だなこれは,まるでXXXマフィア調ではないか。*(最低)*

( 驚いたことにここウクライナ旅行中に出会ったポリスカーもすべて前周4面のガラス窓はやっぱり“まっくろけ”でした。)

そのオーナーの一組は成金風のお大兄さん二人, もう一組はお金持ち風のご家族4人の一家でした。

彼らが走り去って程なく我々(とても裕福には見えない東洋人風の二人組)もこれまた冴えない平凡な4ドアサルーン車を蹴り低性能の排気音を響かせてヤルタのホテル・ブリストルを後にしました。

次の目的地はバフチ・サライ, 地図でみるとヤルタからなんと言うことはない距離にあった筈だったが...

どこをどう道を間違えてしまったのか海岸付近の道路を上がったり下がったりするばかりでふと気がつくとつい今しがた通ったばかりの所を再び走っているではないか。

もう背中は汗でびっしょり。
間違えずに適度にスピードに乗って走れればこれほど暑くはならないのに。

しかしですね-さすがですねと云おうか昔は皇族貴族の保養地だっただけのことはあると思った。

ロマノフ王朝皇族一族郎党と貴族たちの保養地ですね。

偶然走り回った一帯には海岸の波打ち際から急角度で切り立った断崖のあちこちに小さなお城のような構えの邸宅が建てられている。
まったくお城そのものといっても不自然でない豪邸もいくつかある。

この海岸線の続きをさらに南西方向へ, つまりセベストポーリ方向にしばらく行くと途中には旧ソ連邦の最初で最後の大統領となったゴルバチョフが‘91年のクーデターが発生した時軟禁されていた別荘もあるらしい。*(進入禁止)*

いつまでも上がったり下がったりしている訳には行かないのでいったんヤルタの街近くまで戻って再度目的地方面の標識を探してみる。
本道を1~2Km進むと今度は簡単に目的地の名前の標識を発見できたので本道から分かれさっと山側の道へ入り込む。

しばらくはそんな豪邸が建ちならぶところを縫うように走る急勾配の坂道を昇って行く。

車2台がすれ違うのがやっとの道幅で首を目一杯左右に振り向けて運転するぐらいの九十九折の急勾配を昇り続ける。
ただひたすら淡々と岩崖の坂道を昇り続ける。

ウクライナへやって来て生まれて初めてこのような1stギァ-三昧に遭遇しました。
1stギァでしか走れないような悪路。
1stギァでしか走れないような急勾配の昇り坂。
1stギァでしか走れないような九十九折の連続コーナー。*(すっぱい)*

もうひとつおまけがあって1st~3rdギァ=最速60km/hでしか走れない車になってしまうことが起きてしまって... それはもう少し先の話です。*(はてな)*

背の低い赤松と雑木が入り混じった断崖の斜面をへばりついて昇って行くようだ。
フロントウインドウごしボンネットの先に次々にあらわれる極端にきついコーナーの連続。
そんなコーナーをいくつもいくつもこなしていくと急に頭の上が明るくなって視界が開けた。

恐らく海岸縁から一気に1000メートルぐらい高いところへ昇ってきた感じがする。

やはり旅行者らしき先着組の車が2台路肩に停まっていた。
その車から降りて休憩しているらしい。
その黒海と海岸一体を見下ろす眺望を楽しんでいるのだろう。

右肩眼下に広がる景色(=本来は絶景であろう)は薄い夏霞に包まれた淡いトーンのパノラマである。
そのときは薄いベールがかかった様で残念ながら景観に鮮烈さがない。
黒海から立ち昇る水蒸気が多すぎるのだろう。

かつて私が10代後半の頃よく慣れ親しんだ真鶴海岸辺りから胸突き八丁を一気に昇るような伊豆の地形にすこし似ていると思った。
やはり海抜1000m近くまで昇りきったところから眺める眼下の相模湾はその名のとおり湾の形に見えた。
そのときもやはり水蒸気の多い景観だったのを想い出した。

途中ですれ違うかあるいは我々の車を昇り坂で強引に追い越していくのはたいていマルシュと呼ばれている乗り合いタクシー(路線ミニバス)でした。
西欧の路上でもよく見かける1.5~3トンクラスのメルセデスのスプリンターモデルが圧倒的多数である。
あれはめっぽう速い車(ミニバン)ですね確かに。
アウトバーンで普通のサルーンをいとも簡単に追い越していく俊足貨物バンです。

さすがにこの辺まで来るともう峠なのか今度は今までとはちょうど逆でやはり極端な下り坂の九十九折である。

わずかな木洩れ日が漏れる薄暗い坂道を走り続ける。
そんなところが永遠に続くかのような錯覚がおきる。

それでも幾らか勾配が穏やかになってきて徐々に視界も開けてきた。

突然向かいの小高い山の山頂一帯に巨大で真っ白なきのこのお化けがいくつも生えているが見えた。*(驚き)*
なんだろう?? 
あまりに異様に見える。
その辺の風景から乖離した風体のものである。

さらに近づいていくとやっとその正体がわかった。

天体観測のドーム群らしい。
それも旧ソ連邦時代では天体物理学の中心的存在であったクリミア天文台だったのです。
そこには高性能の反射望遠鏡や電波望遠鏡が設置されているとか。
確かにこのへんなら天体観測をするには立地条件や自然条件がとても恵まれていると思う。

この付近で一番高い山はアイ.ペトリ山で海抜1234mある。

山岳地帯を下り切った辺りからは小さな集落が幾つかあってそこを通りぬけていく。
その小さな集落の人たちが道端に粗末な木製の棚の上にビンに詰めた蜂蜜や蜜酒(密酒かな)それから採れたてのきのこなどを並べて売っている。
彼らもあの帰還クリミア・タタール人の人たちなのだろうか。

それらの村々は両側に切り立った岸壁に抱かれているような具合に見える。

切れるように鋭利な陽光を反射して淡い灰色かやや白っぽく見える岩肌の岸壁。 
濃い緑色の潅木の茂みが帯のように縁取る基底部から殆ど垂直に聳え立っている。
少なくみても300~350mぐらいの高さはあるに違いない。
なんか硬くて逞しくも見える岩肌のせいか一種独特の威圧感と存在感がある。

むしろ畏れ多い威容を漂わせてそれらの集落を守って抱いているようにも見える。

その断崖がだんだん低くなりやがてその先端部が辺りの土地の起伏に落ち込み見えなくなるところからほんの10キロメートルほど行ったところにバフチ・サライのまちがある。

350年前まではクリミア・ハーン国の首都だった。
このまち外れのちっぽけな村の一角にクリミア・ハーン国の支配者だったハーンの宮殿があった。
そこにはトルコ風イスラム風の雰囲気が漂っていました。*(ウインク)*

次回はこの宮殿のこととそれからたいへんなことが起きてしまったことを書きます。*(バツ)**(ダッシュ)*