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navikuma のブログ 陽炎のようにゆらめく景色のなかを走行中です。

ユーラシア大陸の端っこからのたわごとです。

旧約聖書の源流散策

2014年04月19日 | たわごと

今回の投稿内容は焦点が合わずまとまっていませんが、表題のとおり単に散策するつもりでそれらの界隈を歩いてみようとしています。

いずれもう少し整理したものを再投稿してみたいと考えています。

 

ツタンカーメンにつながる歴史の一場面です。

トウモロコシのような形の頭をした人種が今でも地球上に生きています。

http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51921909.html

 

Former World Banker Says "Second Species" Controls Earth

https://www.youtube.com/watch?v=knRJt65k2NY

 

World Bank Scandal & JFK killed over Gold Backed Dollars - Karen Hudes

https://www.youtube.com/watch?v=JcwnbQzNz9Q

"The group that's behind the network of control... One of these groups are hominids, they're not human beings. They are very smart, they are not creative, they are mathematical. They had a much stronger force in the earlier ice-age. They have elongated skulls, they may produce offspring in mating with female humans, but that offspring is not fertile. We live in a world of secret societies, and secrets, and the information that ought to be public is not public."

 

本文から抜粋掲載:

 猛烈に嫉妬深い神を信仰したために人類史上に初めて「一神教」を発明して「ユダヤ教」を開き、そのユダヤ教からキリスト教もイスラム教も生まれたのだとユダヤ人は主張するが、ユダヤ人の信仰は別にして、歴史的な事実の示すところに照らしてみると、実は、「一神教」なるものはエジプトの歴史における突然変異ともいうべきアマルナ宗教革命の時代に、エジプト新王国の第一〇代ファラオだったアメンヘテプ四世(在位紀元前一三五八~一三四〇)が創始した「アテン一神教」がそもそもの始まりであった。つまり、一神教なるものはユダヤ人の発明でも独占でもないのである。

突厥・ハザール興亡史論 1 一神教徒ユダヤ人の起源

●一神教徒エジプト追放の物語

http://michi01.com/tendoh/353isl26720201.html

 

●エジプトから追放されたユダヤ人

http://michi01.com/tendoh/354isl26720215.html

 

●正統南王国と雑種北王国の対立

http://michi01.com/tendoh/355isl26720301.html

 

●非定住放浪民イスラエル

http://michi01.com/tendoh/356isl26720315.html


本文から抜粋掲載:

アシュケナジーと呼ばれるユダヤ人の一派はもとウクライナやハンガリー、ポーランド、ロシア、ドイツなどの、いわゆる東欧の国々に住んでいた。彼らはナチスによる迫害を受けて故地を追われ世界中に離散したと言われるが、米国に渡って最終的に難を逃れた者が少なくないとされている。
 われわれがユダヤ人だと知っている著名人の中ではアシュケナジーが圧倒的に多い。ジークムント・フロイトもカール・マルクスもフォン・ノイマンもアインシュタインも、ハインリヒ・ハイネも皆アシュケナジーである。
 ユダヤ人のもう一つの大きな一派がスファラディーで、こちらはイベリア半島のスペインとポルトガルすなわちセファラデの地から一五世紀末に追放された人々である。イベリア半島まで席巻したイスラム勢力を追いはらって領土回復(レコンキスタ)を成し遂げたのはスペインのフェルナンド王とイザベラ女王だが、ローマ教皇からカトリック両王という称号を得た二人はイベリア半島の宗教的な統一も達成したいと考え、ユダヤ人に対して改宗かさもなくば追放かという改宗追放令を一四九二年に布告した。国外に脱出するユダヤ人がほとんどだったが、偽装的に改宗するユダヤ人も多く彼らはマラーノと呼ばれた。そのマラーノたちも異端審問の猛威に晒され国外に脱出することを余儀なくされた。彼らはイベリア半島から出てイタリアやオスマン・トルコ帝国領など地中海世界の全域に離散したとされる。また、オランダに落ち延び、さらにドイツやポーランド、ロシアにまで逃げた者もある。 

★表題訂正とお詫び

http://michi01.com/tendoh/357isl26720401.html

 

●ヒッタイト王の警告も空しく……

http://michi01.com/tendoh/358isl26720415.html

 

●文明は南シベリアに始まった

http://michi01.com/tendoh/361isl26720601.html

 

●偏頗だった人類文明史

http://michi01.com/tendoh/362isl26720615.html

 

●パレスティナの新主人ペリシテ

http://michi01.com/tendoh/363isl26720701.html


 本文中から抜粋掲載:

ペリシテ人とイスラエルらの戦争において、ペリシテ側はエジプト帝国の代理人としてカナンの軍事的な要衝のすべてを抑え、そこから出撃して戦闘を行ない、イスラエルらを次第に追いつめていった。
 それに対してイスラエルはいまだ国も町も砦も持たないまま、ペリシテ人と戦っていた。つまり、軍事的拠点のない、いわばゲリラ戦を行なっていたのである。
 エジプトからカナンの地へと強制追放されて寄る辺ない日々、いまだ町も国も持たず、どこへ行っても単なる「寄留者」であったときの民族の記憶は、その後のユダヤ民族を永劫に支配するトラウマとなった。栄光の王ダヴィデでさえこの民族のトラウマから逃れられなかった。
ダヴィデによって初めてイスラエルは確固たる王国を築いたとその伝承は語っているが、高齢に及んだダヴィデがわが子ソロモンへと王位を譲ることを決意し、その即位式を自ら主宰したとき、ダヴィデが神に次のように訴えたと『歴代志上』の末尾に書かれている。

 ……わたしは何者でしょう。わたしの民は何でしょう。すべての物はあなたから出ます。われわれはあなたから受けて、あなたにささげたのです。われわれはあなたの前ではすべての先祖たちのように、旅びとです、寄留者です。われわれの世にある日は影のようで長くとどまることはできません。(同書第29章14~15節)

 自らの生涯の終わりに際して語ったとされているこのダヴィデの言葉はなかなか意味が深い。われわれ日本人なら、人生の儚さを嘆いたものだと早合点するかも知れない。だが、それは早計にすぎよう。生まれた時から自分の国土に住み自ら耕して大地の恵みを受けて暮らすことのできる安定した境涯にあるわれわれ日本人とは、およそ異なる境涯にイスラエルたちはいたのである。
 ダヴィデは言う。「すべての物はあなたから出ます」と。敬虔な信仰ある者の感謝の言葉のように聞こえるかも知れない。だが、本当にそうだろうか。神を持ち出さなければ、すべての物はわたしに与えられないことを、このように表現しただけではないのか。神が与えるという、ただそれだけの根拠しかない論理、それが約束の地カナンにおけるイスラエルたちの大義だった。すなわち、盗み奪って自らの物とせよというのが、神の約束の本当の意味である。 

●神の約束の本当の意味

http://michi01.com/tendoh/364isl26720715.html

 

世界中のイスラエル大使館、領事館が閉鎖しました。

http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51922232.html

 

本文中から抜粋掲載:

不思議なことに日本の神社の構造は、イスラエルの幕屋とエルサレム神殿に類似している点が多数あ
ります。イスラエルの民は荒野を旅しながら、モーゼを通じて神に命じられればいつでも礼拝できるよ
う、簡単に移動できる礼拝所を用意していました。その礼拝所は「幕屋」と呼ばれる長方形のテントの
中に小さな木造の建物を設置するものでした。

日本列島に潜むユダヤの痕跡

http://www.naritacity.com/journal/japan/pdf/summary.pdf

 

日本神道のルーツは古代イスラエル宗教

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/091shintou.htm

 

個人的な話ですが、愚輩のご先祖さんがかつて日本中で盛んだった修験道と少なからず縁があるようでその意味でも上記のような記事には興味を惹かれるのです。

自分たちはいったいどこから来たのか?そして何者なのか?そしてどこへ行くのか?

 

 

 


歴史の黒幕とその立ち廻りあれこれ

2014年04月19日 | たわごと

かつて金貸しは卑賤な職業とされキリスト教徒はしてはならないものだった。ただユダヤ教徒はその卑賤な職業を行うことができるとされていた、異教徒に対しては。イスラム教徒は金は貸しても利子をとってはならないとされていた。 

昔からの金貸しであるユダヤ人による作られてきた歴史を学んでみよう。

以下本文中から:  

(家庭ブログより)

彼らの、「教育」に対する価値感は家畜同様の「調教」にあるのではないかと思います。

そう考えると、キリスト教(プロテスタント)では、教職者を「牧師」と呼んでいます。そして、「迷える子羊」を導いているのです。

或いは、羊の群れを思いのままに操るには、群れのボス的存在を抑えておけば、その他はボスに追従するという発想から、ローズ奨学金やフルブライト留学制度などが行われ、或いは、幕末~明治初期の薩長や政府要人の留学や使節団の受け入れなども、その後の倒幕や明治新政府の「支配」を容易にするためのものであったと思われます。 

公教育は、そういう意味では、指導者に従わせるための「調教」そのもので、キリスト教から派生した近代思想によって、「羊は羊として生きること」と「支配」を変ることのない現実として、頭の中に「実現されることのない理想(夢)」を想い描かせるためのものだったのです。 

そして、群れの中では、まとまって歯向かってこないように、或いは、社会全体のことに目が向かわないように、「個人主義」を教え、「自由」や「人権」など「微妙な対立構造」を仕組み、仲間や集団ではなく「群集」として育て挙げてきたのです。

金貸しによる洗脳教育史①~プロローグ

http://www.kanekashi.com/blog/2014/01/2094.html

 

つまりローマ法は、激化していたローマ教皇と神聖ローマ皇帝との抗争に際し、ローマ皇帝を法的に正当化する根拠として整備(注釈)され、それを先導する役割として(法学中心の)ボローニャ大学が形成されたのです。 

自らの立場を正当化するための“詭弁”を作り出すことが、ボローニャ大学が設立された目的であった。....

 

そこでローマ教皇は、傘下の神学校を格上げする形で大学を設立。最初に設立されたのがノートルダムのパリ司教座教会付属神学校を起源とするパリ大学でした。(歴代ローマ教皇の多くがパリ大学の出身です。) 

この経緯からも明らかですが、パリ大学は(ローマ法に対する)神学の正当性を確立するための機関として設立されたのです。....

 金貸しによる洗脳教育史②~皇帝と教皇の詭弁合戦から大学が生み出された

http://www.kanekashi.com/blog/date/2014/01

 

もっとも、当時の学生は、20~40%が聖職者の家庭出身、60~40%が裕福な市民や貴族の家庭出身であり、貧しい家の出身は20%程度(参考:リンク)ということは、8割程度が一定程度の身分にある家庭出身であるそうです。このことからすると、大学への求心力という意味では、「身分」獲得だけでは、充分とはいえません。 

また、学位取得には相当のお金が必要だったことから、貧しい家の出身者にかなりハードルが高かったことを伺い知ることができます。 

 因みに、その試験費用は

 学士号取得:60リーブル

 博士号取得:500リーブル

 当時の教授の年収:150~200リーブルと比較すると破格の金額です。....

 金貸しによる洗脳教育史③ ~特権化された大学が壮大な騙しの社会を創っていった~

http://www.kanekashi.com/blog/2014/02/2099.html

 

そして、イートン校~ケンブリッジ大には、米イエール大の「スカル&ボーンズ」に相当する「ブリンドン・クラブ」というサークルが存在する。上記メンバーの多くはブリンドン・クラブ出身である。

Bullingdon Clubのメンバーは、どんなに社会に迷惑をかけるような行いをして警察に連行されるような事態になったとしても、彼らの「超エリートの家系出身」というバックグラウンドが印籠となって全てが穏便に片付けられてしまう、といわれています。 誰一人として社会的な責任などとらされずに済んでしまうのです。....

大まかに言えば、イギリスのエリートはオックスフォードやケンブリッジ出身だからエリートなのではない。パブリックスクール出身だからこそエリートなのだ....

 この結果、突出した才能を持つ一握りの人間だけが下流・中流階層から抜擢され、その他多くを占める支配階級のサークルに組み込まれる構造が出来上がったのである。これは、「数万人に1人の天才を発掘・養成・懐柔する」という、現代の「フルブライト留学制度」や「ローズ奨学金」にも見られる金貸し支配の仕組みの原型とも言えるものだ。....

 金貸しによる洗脳教育史④~数万人に1人の天才を発掘するエリート教育の起こり

http://www.kanekashi.com/blog/2014/02/2103.html

 

ルターが教会不要論を唱え、カルヴァンが人々に蓄財意識を与えることによって、それまで教会に集まっていっていたお金が、大量に銀行に流れるように変わりました。この流れは、その後の銀行への集金システムの構築と繋がり、資本主義と市場拡大の基盤となっていったのです。

しかも、この改革は、純粋に宗教的理由で起こったのではなかったようです。…。

イグナティウス・ロヨラのイエズス会創設とマルティン・ルターによる宗教改革運動の両方とも、そのスポンサーはベネツィアだった。ゲルフとギベリンの抗争では味方同士だったローマ教会の強大化を牽制するためである。宗教改革は外から仕掛けられた揺さぶりであり、イエズス会は内奥深く打ちこまれた楔に喩えることができよう。

 つまり、16世紀の宗教改革とは、ヨーロッパのお金の流れを変えた改革だったのです。

 こうした貴族勢力=反カトリック=反皇帝の牙城がヴェネチアであった。

このヴェネチアの金融業者が、後にスイスの金融界を形成する。

スイスの金融業界は、イタリアのヴェネチアからの移住者達が形成した。

 

宗教改革とは、実は黒い貴族ベネツィアがスポンサーとなって起こした運動だということが見えてきます。16世紀に起こった宗教改革はベネツィアの金融勢力が、金を集めるために仕組んだ中世のヨーロッパ全土を巻き込んだ洗脳教育だったのです。

金貸しによる洗脳教育史⑤ ~16世紀の宗教改革の黒幕はベネツィアの金融勢力だった

http://www.kanekashi.com/blog/2014/03/2175.html

 

これで近代以降の世界は偽ユダヤとWASP=White Anglo-Saxons Protestantの人たちにのっとられているということの背景がよく見えてきます。

彼らのご本尊は金と狂ったカルトです。

金のためなら人殺しや同胞さえ貶めることなぞなんとも思わない教義のカルトにとり憑かれた人たちなのです。