表紙の写真は本文とは関係ありません。
8月6日の広島、そして9日の長崎への原爆投下それから8月15日の昭和天皇の玉音放送そして終戦・戦後とつながる昭和の歴史を織り成す日本と言う国、それと真っ向から係わり合いを持つ米国を中心とした世界とのやり取りの中で真夏の陽炎のようなタブーに今でも悩まされ続けている我々日本と日本人について考える資料と情報です。
やはり1985年8月に起きたJL123便事故そして3月に起きた東北大震災と壊滅的被害をもたらした大津波、さらには日本列島はおろか世界規模の深刻な災厄になりつつある福島原発事故にもつながることでもあります。
いったい我々はこの真夏の憂鬱(陽炎=タブー)から抜け出ることができるだろうか?
うそと虚構でできた、さらには放射能プルームにも毒されたこのタブーという陽炎から…
Wantonのブログから
プーチンが米の原爆投下問題を
積極的に取り上げるように指示した理由!?
http://ameblo.jp/64152966/entry-12058365156.html
本文から:
ロシア下院議長:
広島と長崎への原爆投下を人類に対する犯罪として認める必要がある
ロシア下院(国家会議)のナルィシキン議長は、
広島と長崎への原爆投下を、ナチスの犯罪と同じような
人類に対する犯罪として認めることについて調査するべき
だとの考えを表している。
ナルィシキン議長は、ロシア歴史協会評議会の幹部会合で、
「来年は、ニュルンベルク裁判と、平和の都市・広島および長崎へ
世界で初めて、そして唯一原爆が投下されてから70年を迎える。
私がニュルンベルク裁判と日本の2都市への原爆投下を一緒に
取り上げるのは偶然ではない。
私たちはこのテーマを法律家や国際法に関する専門家たちと
協議する必要があるのではないだろうか。
なぜなら、人類に対する犯罪に時効はないからだ」と述べた。
ナルィシキン議長は、ナチス・ドイツの同盟国だった軍国主義・
日本に対する勝利は基本的に、ソ連軍による関東軍壊滅によって
確保されたため、軍事的視点から見て、日本の平和な都市・
長崎と広島への原爆投下は一切説明のつかないものであると指摘した。
・・・・
(白)文字の見えない記事 ↓ コピーしたら見れます。
イルミナティは、「日本人は人間じゃなく、
人間に近い黄色い猿だから実験台にしていい!」と決めた。
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「敗戦宣言は、原爆を落とすための準備
(完成した原爆をテニアン島に運んだりなど)
が整うまで待って欲しい」と。
(長崎に落とされたプルトニウム239型の原子爆弾
「ファットマン」は7月16日にやっと完成した)
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そこでこの邪魔な陸軍を抹殺するため、「陸軍第2総軍司令部」の
ある広島を、原爆の人体実験の標的として差し出したのだ。
第2総軍司令官「畑俊六」元帥は天皇の密命を受け、
大屋角造中佐(アメリカ情報通)に命じて、原爆搭載機が飛び立つ
「テニアン島」のアメリカ軍と極秘に情報交換をひんぱんに行い、
原爆投下が無事成功するように取り計らった。
(原爆投下が無事成功するように、抜かりなく準備した)
8月5日の夜は偶然を装って口実を設け、独り抜け出して
遠方の知人の別荘に宿泊し、自分だけ避難した卑劣な男「畑俊六」。
(昭和天皇の卑劣さには到底及ばないが・・)
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実験用の子供たち1万5千人と、市民(義勇軍)3万人とを
8月3日~6日にかけて、爆心予定地に勤労奉仕の名目で騙して集めた。
(天気が晴れの日が原爆投下に最適なため、3日~6日の幅で
予定を立てていた。
投下日が6日と決定したのは8月3日であった。)
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特に第2総軍本部には、女子(学生)挺身隊も集合して
8時から朝礼を行うのが日課であり、竹ヤリ訓練を開始するのが
まさに8時15分。
その真上に原爆を投下すれば、間違いなく跡形もなく建物もろとも
木っ端ミジンになる!と計画して8時15分を選んだのである。
結果、計画通りになって天皇は一安心したものの、
スイスの赤十字本部が医薬品を調達する動きが始まったため、
「もし治療など施されてはせっかくの実験台が台無しになる!
邪魔されては困る!
もし患者を治療などすれば、天皇の身の安全を保証しないぞ!」と
更なる釘を刺されて、天皇は慌てて日赤総裁の高松宮(天皇の弟)に
命じて、赤十字社に物資援助15t(病院用のプレハブ資材と
医療用品、薬品、食料)を「日本が用意するから要らない!
貰ってもどうしたらいいかわからない!」と拒絶させた。
さらにマッカーサーも、自分に全然知らされていなかった原爆投下、
しかもたった2個で日本が敗北したということで、
自身の4年に渡る苦戦の価値が低下することに苛立ち、
これまた患者への救援物資を断ることで、鬱憤晴らしをした。
昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」
GHOST RIPONの屋形(やかた)から
http://ameblo.jp/ghostripon/entry-12057912202.html
本文から:
おまけに内部告発サイト「ウィキリークス」が暴露した資料によれば、2009年オバマ大統領は、広島を訪れ、日本国民に公式的に謝罪するつもりだった。この件についてオバマ大統領は、電話で藪中三十二(やぶなか みとじ)外務事務次官〈当時〉と討議した。それ以外に、当時のヒラリー国務長官の指示で米国は、日本に公式書簡を送り、その中で、原爆投下に対しオバマ大統領が謝罪する意向を伝えた。しかし、それに対し薮中外務事務次官は「そうした行為は時期尚早だ」として米国側の謝罪の考えを断念させた。薮中氏の意見によれば、広島の平和式典にオバマ大統領が出席し、米国人によるあの野蛮な行為を日本人に改めて思い出させることは、米国との軍事同盟に反対する勢力の手に切り札を与えてしまう恐れがある、との事だった。現在安倍首相は、日本の安全の重要な保証国として米国との同盟の強化に期待をかけている。それゆえ、米国が原爆投下について日本に公式に謝罪するという問題が、近い将来、提起される事はないだろうと思われる。
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sayako @poppun99 2013年12月28日
チェ・ゲバラが1959年に来日した際、広島を訪問し原爆慰霊碑への献花を熱望した 彼は原爆資料館を見学し『君たち日本人はアメリカにこれほど残虐な目にあわされて腹がたたないのか』と問いかけた アメリカはあの時から何も変わってないと思う
うそ八百のこの世界から
五〇万人を殺すのに食べ物を充分に汚染できない場合には、計画を試みるべきではないと考えます
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-1085.html
本文から:
食べ物を放射能で汚染させ、五〇万人を殺す計画について記述したこの書簡は、一九四一年一二月八日(アメリカ時間で七日)に日本が真珠湾を攻撃してから、ほぽ一年半後に書かれたものである。
ここに登場する人物は、時には読者になじみのない人もあるかも知れない。ところが以下のように、いずれもアメリカと言うよりは地球上の政治・科学・核兵器・医学・国連などの世界で、文字通りトップの重要人物たちであった。
そして今日も、同じような人間によって世界が動かされているのである。・・
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(兵頭に訊こう)さん
http://m-hyodo.com/atomic-energy-106/
日本を滅ぼす長州人脈
2015年8月1日
日本の放射能に汚染された食材は危険である。これが世界の共通認識である。ところが日本では、農家に賠償したくない政府が、基準値を引き上げ、安全だと称して「食べて応援」させようとしている。
日本国民の多くは何も考えず、政府とメディアのいうままになって、危険な食材を体に入れ続けている。
7月29日に Syntax がこんなツイートをしていた。
「台湾のFDAが日本食品の取り締まりを強化したね。
福島周辺の放射能汚染地帯の食品を輸入した場合、10万ドルの罰金+輸入許可剥奪だって。
Taiwan FDA cracks down on imports from Fukushima」
国民の生命と健康を守る台湾の政治がまともなのであって、作った農家が食べない食材の、産地を偽って輸出する日本の方が異常なのだ。
ウェスリー・クラーク大将が“自国に忠誠を誓えないアメリカ人”を強制収容所に入れることを提案
Wantonのブログから
食べ物を放射能で汚染させ、食べて応援させて
~日本人大量殺戮計画は米国研究所が考案!?
http://ameblo.jp/64152966/entry-12057634103.html
これは殺人予備罪じゃないの!百歩譲っても ”未必の故意 ”だ !!
TOKIO CM フードアクション ニッポン 「食べて応援しよう」
うそ八百のこの世界から
日本が終わるんです、これ。 川内原発で事故があったらもう終わるんです。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-1046.html
本文から:
長くこのブログの読者であられた皆様もちょっと意外かと思われるかもしれませんが、今話題の川内原発が、実は1985年の123便墜落事件と密接な関連があることをここにお知らせします。
その関連性について説明するには、読者の皆様にまず前段の情報を理解していただかなければなりません。それは、以前の記事でも少しだけ取り上げましたが、原発建設の本当の目的を理解することです。
第一の目的はもちろん発電・・・というのは真っ赤な嘘で、それに続く第二、第三の目的こそが真の建設理由と捕らえるべきだと私は考えています。「発電」という目的自体も一般市民生活にはほとんど関係がなく、生み出された電力は大企業、それも密かに裏国家プロジェクトに関わっている企業に向けて供給されているようです。その大企業も電力料金の大口割引を受けているのはよく知られた話です。ですから、一般市民が電力供給の代償として原発のために電気料金を払う理由は本来存在しないのです。
第二の目的とは核兵器の製造。これに関しては福一以降、日本の原発の何かがおかしいと気づかれた方が多いのではないでしょうか。結論だけ申し上げれば、日本はとんでもない核兵器製造大国であることを先にお伝えしておきます。
第三の目的は超兵器としての軍事利用。その超兵器の動作原理については、一般物理学から遥かに乖離した、高度の量子力学的兵器であることもお伝えしておきましょう。この領域に入ると、次元・時間・時空を直接取り扱うようになり、私たちが、意識とか幽霊、UFOなどと呼ぶ現象と深く関わるようになります。
軍事科学は一般科学の30倍の速さで進化すると言われています。1年を基準に考えれば、戦後70年で進化した一般科学に対して、軍事科学は30の70乗倍!それでほどではないとしても、一般人の常識・認識を超えた科学技術の世界に突入し、それを兵器として実用化していると考えるのは、けして大げさな論理の飛躍ではありません。
今回の記事は前段の前段としてこの辺りで止めておきます。最後に下の図1をこの記事のタイトルを図式化したものとして掲示します。賢明な方はその関連性についてもうお分かりになったのではないでしょうか?
* * *
本タイトルでは、川内原発の再稼動と連動して、私が入手した情報、また現地調査して得られた日本の原子力開発、核装備の実態について、そして超兵器の原理と運用実態について、余す所なく公表していく予定です。記念すべき国賊認定民間企業と国会議員の第一号は、どうやら九州から誕生しそうな勢いです。
すべて津波によると捏造されたが本当は多くが急性被曝死だった
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-1017.html
JAL123便の真実(御巣鷹山墜落事故)
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/jal123-a4a8.html
本文から:
私の父はかつて科学技術庁に勤めていました。
その父は、秀才だった従兄を呼び寄せて入庁させ、ある時期一緒に働いていたことがあります。その従兄の妹と私は歳が近かったこともあり、よく連絡を取り合っていたのですが、ある時、彼女がこんな話をしました。
「兄さんは行き先も言わないで出張することが多いんだけど、おじさん(私の父)もそうだったの?」
私の父は会計畑だったこともあり、出張することはあまりなかったのですが、技術畑の従兄は何かの開発に携わっていたようで、繰り返し出張していました。彼の妹は、ひょっとしたら核兵器じゃないかと疑っていたようです。もしそうであれば、従兄が仕事の内容を家族にも一切話さなかったのは当然です。出張先も言わなかったようで、真実は今もって闇の中です。ただしある時、私が従兄に「日本で核兵器は製造できないの?」と尋ねると、従兄はこう答えました。
「できないも何も、アメリカだろうとフランスだろうと、日本の技術がないと核兵器は製造できないよ。日本がその気になれば二ヶ月で製造できる。」
核兵器を積んだミサイルを飛ばすためには、ICチップにせよ半導体にせよ、日本製の部品が必要なのです。アメリカの対テロ戦争にも使用されているステルス機にも使われる、レーダーに捉えにくい塗料は日本でしかできないし、小松製作所が特許を持っているパワーショベルやブルドーザーは発射台などの施設を作る際に不可欠なものです。ちなみに可動式の発射台に使われる、1メートル当たり80トンの荷重に耐えられるレールは、日本でしか作れません。あとはプルトニウムですが、その入手も難しいことではありません。一番難しいのは、核兵器を製造することよりも、その事実を隠すことなのです。そして事実、日本は核兵器を製造し、その事実を隠すために過去に何度も大きな犠牲をはらってきました。
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JAL-123便が撃ち落された主な理由は、アメリカが誘導した円高に反対していた関西財界の大物4人を暗殺するためでした。1985年8月、アメリカは日本に対して「円高にしてほしい」と申し入れましたが、関西財界の大物4人が強く反対し、再度の話し合いでも物別れに終わりました。しかしこの事件には、実はほかにも理由がありました。実は、123便は「核」を積んでいたというのです。国内で製造した核を積んで大阪に運び、大阪港からどこかへ積み出す予定であったというのです。
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その後の事故調査の状況から推察すると、羽田にも降りられず、横田基地にも降りられず、海上着床の望みも絶たれ、行くあてを失ったJAJ123便は、突如として現れた自衛隊機に誘導されて、長野方面に向かったようです。機長にしてみれば、「これで助かった」と思ったでしょう。ところが自衛隊機は、JAL123便を助ける気など、さらさらありませんでした。米軍にかぎつけられたことを知り、証拠品である「核」を消すために、追って来ている米軍機だけではなく、JAL123便の乗客もろとも、すべてを消し去ろうとしていたのです。
自衛隊機は逃げまどうJAL123便を誘導し、秘密基地のある高天原(たかまがはら)まで誘い込み、待ち構えていた地上部隊のレッドアイで米軍機もろとも撃墜しました。こうしてJAL123便は、高天原山中にある御巣鷹山(おすたかやま)の尾根へと墜落したのです。そのやり方は徹底しています。JAL123便とそれを追っていた米軍機はもちろん、誘導した自衛隊機、それに諜報活動中であったNSA(米国家安全保障局)の偵察機、さらに異変を察知してついて来ていただけのロシア軍のスホーイまで、ことごとく撃ち落したのです。・・・
自衛隊は墜落後も徹底した証拠の隠滅を行いました。
事故直後から「おかしい」と気づき、山に入って調査した人がいて、当日、山を縦走していた登山者らの目撃情報などを聞いて回り、その謀略の一端をつかんでいます。それによると、登山者らが墜落現場近くに入った午前2時ごろには、助けを求める人々の声が多数聞こえていたそうです。しかしながら現場は険しい斜面の場所でけもの道さえなく、なかなか近づくことができません。そのうちヘリコプターが飛んできて、何かを撒いたとたん、それまで聞こえていたうめき声や物音がピタッとやみ、あたり一帯に静寂が訪れたそうです。
RAPTから
23 6月 JAL123便墜落事故の真相。すべては「天皇派」と「教皇派」との戦いに原因がありました。
本文から:
以下がJAL123便が「撃ち落とされた」理由と、それにまつわる真実です。
1. プラザ合意を呑ませるために中曽根を脅迫するため
2. プラザ合意に反対していた関西の財界大物4名を全員暗殺するため
3. グリコ森永の実行犯を殺害し証拠隠滅するため
4. 松下トロンOSの技術者17人を抹殺するため
5. JAL123便が核弾頭を輸送していることを米軍が突き止め、ミサイルで攻撃した
6. 核弾頭輸送を隠蔽するため、自衛隊は日航機を御巣鷹山までおびき寄せ撃墜した
7. 自衛隊は米軍機、自軍機、さらには偵察のみのNSA機、ソ連機まで全機撃墜
8. JAL123便の生存者は数十名以上いたが、ほぼ全員VX毒ガスなどの手法で殺された
9. 宗教的な意味を持たせるために、犠牲者は520人でなくてはならなかった
・・・・
問題は5以降。これが本記事の主なテーマとなります。
全ての主犯は、旧陸軍帝国の延長上にある陸上・航空自衛隊と在日米軍に巣食う巨大な悪魔勢力です。全関係者が共謀し、国家ぐるみ世界ぐるみで壮大な隠蔽を行なったのです。
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1985年8月、アメリカは日本に対して「円高にしてほしい」と申し入れましたが、関西財界の大物4人が強く反対し、再度の話し合いでも物別れに終わりました。
しかしこの事件には、実はほかにも理由がありました。実は、123便は「核」を積んでいたというのです。国内で製造した核を積んで大阪に運び、大阪港からどこかへ積み出す予定であったというのです。
アメリカは、日本が密かに核兵器を製造していることを疑っており、その証拠を押さえたいと内偵していたところ、JAL123便で運ばれるという情報をキャッチし、現物を押さえるために黒い塗料で偽装した所属不明機でJAL機を付け狙いました。
日本にしてみれば、アメリカを出し抜こうとして核兵器を秘密裡に製造していたので、現物を押さえられると非常に困ります。そこで機体もろとも海中に沈めてしまおうということになり、海上で米軍機に撃墜されるように仕向けたのでした。
関連資料:
昭和天皇の戦争責任(1)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-6425.html
昭和天皇の戦争責任(2)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-ea45-1.html
昭和天皇の戦争責任(3)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-362f.html
米国指令で「広島」原爆投下地決定したのは昭和天皇 !?
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-ba5e.html
天皇の陰謀
天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ 著
松崎 元 訳
http://retirementaustralia.net/old/rk_tr_emperor_02_contents.htm
著者より読者へ
「もちろん、日本が勝つさ。」
「日本人は清潔だけど、中国人は汚い。日本人は勤勉だけど、中国人は物乞いだ。日本人は機械をつくるが、中国人はそれを壊すだけだ」と私は言った。
「じゃあ言うけど、お前は血生臭いナチだ」と、英国人の少年が言い返した。こうしてわれわれ二人は、その遊び場で取っ組み合いとなり、灰色の半ズボンと制服のブレザーを土まみれにし、さらに、一週間前の日本軍の最初の空襲以来積み上げられていた土嚢に、頭を打ち付けあっていた。
それは、1937年の10月のことだった。われわれは、中国の中心都市、漢口〔今の武漢〕にある小さな英国男子校の9歳の生徒だった。それは、漢口私立学校での、私の初めてのけんかで、その後二ヶ月、同じことが原因で、クラスの他の生徒とも、何度もけんかすることとなった。私は日本生まれで、その一年前の家族の移転とともに、中国に連れてこられていた。日本は中国に侵略を開始し、いまや日本軍部隊は、中国の首都、南京に向け、進撃を続けていた。
・・・・
<連載> ダブル・フィクションとしての天皇 (第98・最終回)
「日本人であることの不快感」と、その解消
http://retirementaustralia.net/old/framepage100.htm
本文から:
著者のバーガミニは、結末の最後のパラグラフにこう述べて本書を結んでいます。
- 現実性を見さだめ、近隣諸国の人々の友好を獲得し、アジアを米・露・欧州から離れて立つ責任ある前進力とすることは、魅力を欠く困難な作業である。それは唯一、祖先の呪文を解き、天皇を取り巻くタブーの重しを吹き払い、宮廷に仕えるすべての策謀家を作り出した信念深い沈黙を破ることによってのみ、成し遂げることができる。日本人は、ペリー提督の黒船と再び取組み、太平洋へと再度漕ぎ出してゆくというもう一つの選択を、恐れながらも、知っているのである。
これが書かれたのは、1970年代の初めにおいてです。にもかかわらず、今日でも通用する、いやむしろ、あたかも今日へこそ向けて述べられているかの結びです。
私がそうであったように、日本人全体が、 「日本人であることの不快感」 を解消することを可能とする、その方法を、この本は提供しています。
そういう意味で、この本は、その毒々しい書名にもかかわらず、決して 「ゲテモノ本」 でないばかりか、偏向した本ですらなく、日本人にとっては、必読の 「良書」 とも言えます。
エピローグ(91)
新たな衣服
(その1)
http://retirementaustralia.net/old/rk_tr_emperor_80_1_epilogue.htm
エピローグ
新たな衣服
(その2)
http://retirementaustralia.net/old/rk_tr_emperor_80_2_epilogue.html