navikuma のブログ 陽炎のようにゆらめく景色のなかを走行中です。

ユーラシア大陸の端っこからのたわごとです。

何もしないためなら何でもする !

2015年10月18日 | たわごと

すべては気づき から

日本人は何もしないためなら何でもする = 『狂気の集団の中で正常に狂っていること』 = 生き続けるためにと言いながら実は死に向かって狂気集団となって突き進んでいく!= 不幸かな幻想の生と現実の生とを取り違えている、とも言い替えれる

http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/7da8b593630387638fcef4a4f046ac23

http://sekaitabi.com/servant.html

ネットの中で言われている、いまや有名かもしれない言葉・・・

「日本人は何もしないためなら何でもする」

日本をよく知る外国人が語った言葉とされていますが、この言葉について、しみじみ「その通りだな…」と感じずにいられません。

「やらない」ためには、どんな言い訳でもする。
「変化しない」ためには、どんな言い訳でもする。
やる前から「できない」、だから「仕方ない」。

その実は、「やりたくない」「変化したくない」。

自分で動くのではなく、「誰かに変えて欲しい」。
誰かが変えてくれないなら、「しょうがない」。

自らが変化しないためには、どんな言い訳でもし、どんな不都合な現実にも目をつむる。

不都合な現実や、考えたくないことには、蓋をすれば万事解決。

こういう国民性なのだということを痛感します。それは原発事故後にも様々な場面で見かけられてきました。

自分たちの住む場所が汚染されているとわかっても、動けないのだから仕方ない。お金がない。仕事がない。誰もやってくれない。

でもそれを打破しようという「言動」「姿勢」さえもない。どうすれば実現できるか実現のためのアイデアを考える作業のようなこともない。

最初からできない前提になっている。最初から諦める。仕方ない、と。

とにかく、「困難に打ち克って行動を起こすことに関しては天下一・天才的」なのであればいいのだけど、そうではなく「やらない言い訳をすることに関しては天下一・天才的」というのがあちこちに見えるのです。 

原発事故と汚染も「何もしないためには何でもする」で乗り切ってきた

ここで「何もしないためには何でもする」を、福一事故や放射能汚染に当てはめてみます。

汚染されてるとわかってる場所で、避難しない・させないためには・・・・・

汚染されてると認めない。
このくらいの汚染は問題ないと言う。
偉い人が言うのだから大丈夫と信じる。
笑っていれば大丈夫と信じる。
除染できると信じる。
基準値を殺人的な数値に上げてしまう。
子どもにバッジをつけさせてその場で過ごさせる。
汚染が出ている場所の食べ物を食べて応援する。
子どもに汚染地でマラソン大会させる。
子どもに汚染地で清掃活動させる。
子どもに汚染地で潮干狩りさせる。
汚染水が今なお漏れてる場所で漁業を再開する。
汚染がされてる食べ物でも「基準値内」といって出荷する。
汚染水が今なお漏れてる場所でサーフィンする。
息子娘・孫の避難を阻止する。
避難した娘息子を汚染された地へ帰還させようとする。
避難した娘息子に「親不孝者」となじる。
汚染瓦礫を全国に拡散する。
買わない者に対し風評被害となじる。
いまだ高汚染の避難区域を解除する。
アンダーコントロールと世界に嘘を発信する。
子どもを汚染された地に修学旅行に行かせる。
東日本JRの駅を「福島」ポスターだらけにする。

他にもあったらコメント欄で募集します(・ω・`)

本当に、本当に、何もしないためには何でもします。 

なんにもしないためなら、なんでもする

ネットの中で、「日本人はなんにもしないためなら、なんでもする」ということを外国の方が言っていたという言葉をみつけて、本当にそのとおりだと思いました。   変化を望まない。

たとえ、自分のふるさとが汚染されても、強硬に自分たちの都合を推し進めて、未来に生きる世代のことは考えない。汚染された山菜食べるのが食文化です!その食文化のほうが、子どもたちの健康を害するかもしれないことより大切だと。

そこまでしなければ守れない食文化のためなら、なんでもする。除染もする。基準も20mSvにあげる。人間を放射能汚染のレベルに合わせるという、本末転倒ぶりです。(中略)

先日も、モニタリングポストが異常!ということを書いたら、それは調子が悪いのだ!と。しかし、どうやらやはり数字があがったり下がったりしているし、それは関東の各地でも確認されています。

そしたら、今度はモニタリングポストそのものを故障するからはずす!という。

モニタリングポストは、毎日がミニ核戦争の中で、それが設置されてる地域の救命胴衣のようなものです。

数値の改ざん、その周囲だけ除染しておくなど姑息なことはあっても、万が一、行方不明になった核燃料が爆発でもしたり、あるいは地中からガスをふきあげたりして、異常が起こった時、いちばんはじめに数字でとらえる、あるかないかわからない国のせめてもの責任の一端のはずなのに。

それさえも、外してしまうと。この発想の異常さにあいた口がふさがりません。(後略) 

行政側だけでなく、国民側もそう。

自分で動こうとしない。自分から動こうとしない。誰かがやってくれると期待する。誰かがやってくれるのを待っている。変化をしたくない。何も変えたくない。誰かに依存していたい。お上・大物に依存していたい。やるのは他の誰か。誰かがやる。誰かに従う・ついていく。

誰もやらないなら、仕方ない。できない。諦める。

「自分で体を張って動いて変化する」

という価値観が、日本という国では一般的に見られないのを思います。

やってみてできないなら仕方ないけれど、やろうと「考える」こと自体しない。やってみようという「姿勢」「言動」さえない。そういう「発想」が、そもそも存在しない。言葉は悪いけれど「奴隷根性」という言葉がぴったり当てはまってしまう。

「自分で体を張って動いて変化する」ということが当たり前の国に住んできて、それに慣れていた自分には、日本でのそのような様子に逆カルチャーショックとともに驚愕するばかりです。 


 
 

 上記写真は以下の動画から。海外メディアで放映されたものです。 

Drone captures TONNES of nuclear waste being stored at Fukushima April 16, 2015

 https://youtu.be/Te9sqtxcS9w

 「日本人は何もしないためなら何でもする」

どこまでいつまでそれを通していくのだろうと思います。

それを通している限り、いつかは破裂し破綻することでしょう。

残念ながら、その日は近いと思います。

いやすでに見えないところでおとずれているのでしょう。 

あくまでも大まかな傾向だが、今年の夏まで10~20人で推移していたツイッター上の急病人ツイート数が、ついに、30~40人に増え始めた。 日本人は何も知らない。知ろうともしない。
 http://twitter.com/lllpuplll/status/652598842219630592/photo/1?ref_src=twsrc%5Etfw
 

 

身の危険を感じた時にこそ、本当の答えが

http://sekaitabi.com/theanswer.html

いよいよ日本が本格的に狂ってきたというのを感じてます。

安保法案が決まり、最近ではシリア難民受け入れの話で安倍首相がとんちんかんなことを言って日本の恥を晒したと思ったら・・・

次の瞬間に人間を牛扱い&セクハラ表現した人権無視の酷いブレンディのCMで炎上し・・・

同じタイミングでラグビーワールドカップで日本チームがサモアに勝利して活躍する中で日本のTPP合意が伝えられ(他数ヶ国は合意に至らず無期限延長など)・・・

そんな中でも着々とマイナンバーは発行の準備がされつつあり・・・

バングラデシュで日本人が射殺され・・・

同じタイミングでNHK受信料をTVの有無に関わらず徴収などと言い始め・・・

安倍政権が保育料の値上げを言い出して保育料が4倍になる地域が表れたなど・・・

もううんざりです。  デモをしても、止まらない。  選挙をしても、止まらない。

不買やストやメガバンク預金引き出しは、起こらない。

止まらない・起こらないだけでなく、デモや正義の味方を装った存在を盲信して騙されながら、改憲前提の国民投票へ誘導されていく。

前にも書いてるけど、外部や他人を変えることは無理。

自分が変わるしかない。「おりる」しかない。

都会というシステムからおりる。
流行というシステムからおりる。
TV
新聞というシステムからおりる。
日本国というシステムからおりる。

ブログ管理人の私はこれまでいた海外をいったん引き上げて今日本にいますが、不穏で心配というだけでは、「今すぐ」再び海外へ動くという動機付けには少し足りませんでした。

その理由は夫でした。外国人の夫が日本定住を昔から長く望んでいたという理由から、彼のために2年くらい日本にいようと思ったのです。逆に言えば、夫が日本行きを望まなかったら日本に来ることはありませんでした。

彼はフクイチの動向も放射能も気にしていません。その辺にいる日本人と同じ。ただ、いろんな外国人と接してきたけれど、外国人でもそれらを気にしてる人などほとんどいないです。

多数の視聴者がいる人気Youtuber外国人も日本の寿司を普通に食べていたし、豪州でも日本産を食べて応援が盛んにされていました。福島応援も見られました。

私はこれまでは日本で健康で何の問題もありませんでした。一見平和でのどかな日本(少なくともこの辺りでは)。周囲の人は昔と変わらずのほほーんとしているように見えます。

そんな人々を目の当たりにして、自分の危機感もだいぶ薄れてました。田舎にこもってればいいだろうと。フクイチからのこの距離ながら畑を始めたいとさえ思っていました。

でも天は再びそんな自分に再考のチャンスを与えてくれたようです。

少し前まですこぶる快調だった体調が、いよいよ悪くなってきました。食に気をつけ、乳酸菌やら発酵食を取っていてこれまで問題なかったのが。    そして関東地方からは今も継続的に、体調不良、倒れた、突然死などの話が聞こえてきます。

明日は我が身 心からそう思いました。

危機感が薄れてなあなあになっていた自分でしたが、体調不良が、自分の危機感を再び目覚めさせることとなりました。

マイナンバーなどの問題はあるけれど、日本でしばらく(数年など)やっていける・・・

そんな過信は、一気に崩れ去った最近。

何を食べてもお腹を壊してしまいます。
夜中に咳き込んで、時々肺が痛くなります。
頭痛もします。 それが続いています。 救急車が毎日ひっきりなしに走ります。

フクイチとは無関係の事象もあれど、フクイチと大いに関係がある可能性も否めない今。そのいずれにしても、ただの風邪などではないおかしな体調不良が続いていることだけは確かです。

最近海外に行ってる時や、その渡航前は、なんともありませんでした。元気でした。日本に戻って、すぐにダメになりました。

そして私は、こうなって初めて決断できました。

夫が日本にいることを望んでも、1人で、再び逃げることを。

子供がいない分まだ難易度は低いにせよ、元々夫から離れる気はなかったのだし、子供がいないからこそ関係が終わってしまうリスクもあるかもしれない。簡単な決断じゃないです。逆に子供がいなかったから日本へ来ることを決められたのだと思います。

そして、長年日本に住みたがっていた夫の願いを叶えようと日本行きを承諾したのはこの私。愛する人の夢を叶えてあげたい、幸せにしてあげたいと思うのは、ごく当然の気持ちと思うのです。自分も、形は違えど愛を受けてきたわけだから。

だから日本への移動に踏み切り今があります。今日本に行かなかったらたぶんずっと行けないだろうと思ったのも1つです。もちろん、日本に来ることを告げたフクイチを気にする方々からは「なぜ今これから日本に!?」と散々驚かれたけど。。

夫のせいでこうなったなどという気持ちもありません。きっかけは夫であっても、選んでるのは自分なのです。自己責任です。本当に心底から受け入れられないなら拒否することもできた。

元から日本に住むのが嫌で仕方なかった私、でも「嫌だ嫌だ」言うだけでなく、この半年日本の良いところも見つけようとして、実際に良いところを見つけ、日本ならではの伝統食や温泉やベランダ菜園を楽しんだり、精一杯に工夫して、実際に楽しんで、踏ん張りました。矛盾してるようだけど、日本に住むのが嫌なのに、日本のこういった良い面は大好きなのです。

やるべきことはやれたかなと思ってます。いくら上に書いたことが事実でも、これ以上「がんばる」のは、自分を犠牲にすることに繋がると思いました。

体の芯から心の底から、身の危険を感じた時に本能的に直感的に感じたことこそが、それぞれが取るべき本当の道だと実感しました。

海外に出ることがすべてではないし(私の場合は元々海外にいたので再び戻る感覚というだけ)、マイナンバーやTPPは日本全国沖縄でもどこでも日本にいる限り襲ってくるけれど、1つだけ言えるのは特に関東以北の方に被曝は待ったなしということ。

高汚染されてるから本来近づいてはいけない場所でデモもされています。すでに電車が毎日のよう頻繁に体調不良で止まったりしているというのに、これからどうなってしまうのでしょう。

デモ開催地での被曝や国民投票誘導を案じてデモに懸念や反対の声をあげれば、非国民のような扱いさえされる始末。そのデモには、国民を総被曝させた枝野がいるというのに。。

「直ちに影響はない」と事故後に大量被曝をさせた人物を、デモで声援し持ち上げる人々。その光景は私には到底受け入れられませんでした。被曝させられたことを自覚している方は、これを受け入れられるのでしょうか。私は無理です。

助かって欲しいと思えば思うほど空回りして、傷ついて、どれだけ周りと関係が壊れてきたか。汚染や被曝のことを封印しなければ普通にやっていけない状態に追い込まれました。私には受け入れられません。

 

枝野幸男氏 スピーチ SEALDs【戦争法案に反対する国会前抗議行動】2015.7.17 @国会正門前
 

こういった状況の中で、被曝を止める声をあげることも、もうできなくなってしまいました。

もしこれを読んでいる方が私と同じように、本能的に直感的に身の危険を感じているのならば、その感覚はきっと正しく間違いのないものだろうと思います。

私は残念ながらどんでん返しでもない限り、諸事情ですぐのすぐには動くことができません。来年の上旬頃までくらいは。それまで持つかどうか…?時間はかかるけれど自分の中で決めた以上、デトックスするなどしてなんとか乗り切っていきます。

もし私と同じような状況だったりとか、同じように思っているのなら、時間がかかったとしても踏ん張って、がんばって共に逃げましょう。自分がやられたら終わり。そうなれば家族さえ守れない。諦めさえしなければ道は開ける、そう思ってます。

そしてこの記事は自分の決意表明だったりもします。笑

 

↑Facebookで見かけた画像。まさに今の自分へのメッセージのようでした。

「あなた自身が空っぽであれば人に注いであげることはできないよ。まずはあなた自身を満たして自分を大事にしようね」

的な意味です。

関連記事:

 日本は、もうダメです

http://ameblo.jp/kaito000777/entry-12031605335.html?frm_src=thumb_module

日本は順調にダメです

http://ameblo.jp/kaito000777/entry-12084388641.html

福島第一原発事故による健康被害本格化 これから人がバタバタ死に始める

http://inventsolitude.sblo.jp/article/165871394.html

 


すべては気づき から

http://sekaitabi.com/servant2.html

日本人は実は自発的に隷従することを望んでいる

タイトルは、東日本大震災/原発事故の後4年かけて私がしみじみと感じたことです。

前回記事とも少し関連しますが、見てきて思ったのは、日本人の多くの人は、奴隷待遇に怒っていながらも、隷従され、支配され続けることを望んでいるんだなと。

教えていただいて知ったのですが、私と同じ考えを持っている方のサイト/ブログがあります。美味しんぼ鼻血問題で旋風が巻き起こった、雁屋哲さんのサイト/ブログです。

私も過去オーストラリアに住んでおり、雁屋さんもオーストラリア在住。こういう視点は、海外に長く住むでもしないと気づかないのかもしれない・・・とも思えた次第です。

もちろん海外に長くとも気づかない人は気づかないし、日本にいても気づく人もいるわけですが、日本という国を客観的に俯瞰できる力は、日本日本での通常の生活から大きく一歩を引いた、まったく異なる環境で身につくことが多いのを思います。

雁屋さんはそこで、目の覚めるような素晴らしい本に出会ったとしています。それは、「自発的隷従論」という本で、エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ(Etienne de la Boétie)によって書かれたものです。これ本当にその通りだと思った要約部分を抜粋します。

 

自発的隷従論

ラ・ボエシの言う事を要約すると、

「支配・被支配の関係は、支配者側からの一方的な物ではなく、支配される側が支配されることを望んでいて、支配者に、自分たちを支配する力を進んで与えているからだ」 と言う事になる。 「支配されたがっている」 とでも言い換えようか。 それが、ラ・ボエシの言う「自発的隷従」である。   支配される側からの支配者に対する共犯者的な協力、支配される側からの自分自身を裏切る協力がなければ、支配者は人々を支配できない。    このラ・ボエシの言葉は、日本の社会の状況をそのまま語っているように、私には思える。

ラ・ボエシの「自発的隷従論」は支配、被支配の関係を原理的に解き明かした物だから、支配、被支配の関係が成立している所には全て応用が利く。  「自発的隷従論」の中では、支配者を「一者」としているが、ラ・ボエシが説いているのは支配、被支配の原理であって、支配者が一人であろうと、複数であろうと、御神輿を担ぐ集団であろうと、他の国を支配しようとする一つの国であろうと、「支配する者」と「支配される者」との関係は同じである。そこには、ラ・ボエシの言う「自発的隷従」が常に存在する。

日本の社会はこの「自発的隷従」で埋め尽くされている。  というより、日本の社会は「自発的隷従」で組立てられている。

日本人の殆どはこの「自発的隷従」を他人事と思っているのではないか。 他人事とは飛んでもない。自分のことなのだ。

大半の日本人がもはや自分でそうと気づかぬくらいに「自発的隷従」の鎖につながれているのだ。  読者諸姉諸兄よ、あなた方は、私の言葉に怒りを発するだろうか。   火に油を注ぐつもりはないが、怒りを発するとしたら、それはあなた方に自分自身の真の姿を見つめる勇気がないからだ、と敢えて私は申し上げる。

(中略)

この自発的隷従から自由になるためにはどうすれば良いか。

「圧制者には、立ち向かう必要なく、打ち負かす必要もない。国民が隷従に合意しない限り、その者は自ら破滅するのだ。何かを奪う必要など無い。ただ何も与えなければよい。」

問題は次の二つだ。

「自分たちが隷従していることをしっかり自覚するか」
「自覚したとして、隷従を拒否する勇気を持てるか」

この二つにきちんと対処しなければ、日本はますます「自発的隷従」がはびこる、生き辛い国になるだろう。

確かに、隷従を拒否することは勇気がいる。

その日、その日の細かいこと一々について隷従がついて回るのが日本の社会だから、それを一々拒否するのは、辛い。時に面倒くさくなる。

だが、本気で隷従を拒否したいのなら、日常の細かい何気ないところに潜んでいる隷従をえぐり出さなければ駄目なのだ

本当に、考えがほとんど一致していて驚きました。私は以前からブログやツイッターで、

「為政者が腐っててあり得ないのは当然の前提として、国民の側もそれを嫌だと言いながら、自分で簡単にできる拒否行為をしない」

「政府は国民の鏡、隷従を止めずに依存し続けるこの国民あってこそ、この政府」

「なぜ、ずっとNHKの文句を言い続けてるのに、見ることを止めないんだろう?」

ということを書いたりして感じ続けてきました。ずっと見てき痛感したことです。

国民の側が、自らが変わり、行動を変え、人生を変えれば、支配側が横暴をすることはできなくなります。多くがそれを自覚した上で「お金という餌」を断ち切れば、政府の横暴は止まります。政府側が「このままではまずい」と思うところまで実行すれば。

過去記事にも関連する内容を書きました。

これからの日本を見据えての思い サバイバルしていくために
外部他者依存から脱却、自分依存の生き方へ
システム依存からの脱却 個の生存を考える時
「抗議・デモ」ではなく「断ち切る・降りる・去る」
何にお金を使うか・払うか」考える:お金を使った実力行使

しかし、大半の人々は「自分の生活を変える」「自分の人生を変える」ことは実践しません。政府に「変えろ」と怒ることはすれど、自分は変わらない。    

自分と生活を変えてシステムから降りれば悪政など淘汰されるのに、自分が変わらないと政治が変わることなどあり得ないのに、支配側が敷いたシステムから降りるどころか、文句だけは言うが、システムにしがみついたまま。そんな人が多い現実。 

システムにしがみつくことを手放したくないのだなと思っていたけれど、今ではむしろ、「自ら望んでしがみついていたい」=「自ら望んで支配されたい・隷従したい」という風に見えるのです。そんな時に、この雁屋哲さんのポストを教えていただいたのです。   

「他人に決めてもらうことが好き・他人に決めてもらうことを欲する」そういう国民性なのだろうと思います。 隷従を拒否すると、隷従拒否を望まない「奴隷」から攻撃される    

これもドンピシャです。  

隷従を拒否しようとすると、まず隷従している人間から攻撃を受けるのだ。    

私自身も、何度か逆ギレされています。しかし、なぜ逆ギレするのかという心理をたどっていくと、それはその本人にとって図星に他ならないからなんすね。その上で、「あんたに言われたくない」という反発が起きる。往々にして、人格攻撃に走る。                

でも、ちょっと待って。  

を言われようと、自分が「それに当てはまる当事者」という意識でないのならば、逆ギレするという現象になどなりません。興味ないことに対して怒ったりしないのと同じ。                                                 

隷従している現実などを発信すると、逆ギレしてこちらに攻撃をしてくる人々は、どうも「自分が隷従している」と心当たりがあるらしい人々のようです。その人のことなど言ってないのに、なぜ逆ギレするのか、こちらは解せないばかりです。

雁屋さんのサイトにもあるよう、隷従することは「楽」「安心」なんですよね。そして気がつかない形で、気づかない場面で、小さなこと小さなこと単位で隷従させられるシステム。   

だから、隷従から外れる存在=自分が安心することを否定する存在は許せない。晒す、叩く、排除する、傷めつける。皆が支持するものを支持しないと、非国民扱い。                                      

汚染食材が出荷された際に「風評被害」となじったり(自由購入の選択・権利があるのに)、「食べて応援」しない人は非国民のような扱いをされた、ということもありましたね。  隷従を人にも強いることで、自分が安心する。    

本来は各人に自由選択権があるのに、そこから完全に目をそらされ、忘れるよう仕向けられています。隷従してるからこそ、すべての発言が「受け身」「他者任せ」だったりする。求める矛先も、「他人」「外部」だったり。                                                        「〜して欲しい」   

◯◯(他人)は◯◯すべきだ」   

「〜になればいいのに」  

「皆そうなんだから仕方ない」  

「皆やってるから」 発言や思想に、「自分軸」「自分はどうしたい」というものが欠けてるんですね。。 

大半の人にとっては、他者外部に追従する隷従こそが安心という価値観なのでしょう。

前回記事にも書きましたが、自分が何もしないためには、隷従していられるためには、何でもするのだろうと思います。


DARKNESS DUA から

日本人が持つ3つの性格的欠陥が日本を窮地に追いやっている

http://www.bllackz.com/?m=c&c=20120830T1705000900

今、時代が荒れ始めてきていると思う人がかなり増えている。将来に平和を見い出す人よりも、むしろ暴力や混乱を思い浮かべる人が増えている。
世界中で、「この国はもう駄目だ」「この国は失敗している」と感じる人が増え、不安が増している。まさに、時代が荒れてきているのだ。
本来、日本人はそういった政治的な空気を読み取るのに鈍感な民族だった。今でも鈍感な人はいる。
しかし、その日本人でも今や獏とした不安を敏感に感じ取っているのかと思うと興味深い。
つい数年前まで日本は復活するとか不死鳥のように蘇るとか無責任なことを言っていた評論家も多かったが、そんな人はみんな淘汰された。
「気弱」「事なかれ」「先延ばし」
これからどうなるのか。もちろん、時代はもっと悪くなる。どのように悪くなるのか。衰退・凋落がさらに進み、もう日本人が日本に誇りを抱くことができなくなる。
日本人の「気弱」「事なかれ」「先延ばし」という3つの気質がどんどん世の中を悪いものにしている。
政治家も、官僚も、マスコミも、そして国民も、みんなこの3つの性格的欠陥を引きずったまま行動したり考えたりしている。
そして次の7項目の問題が表出し、日本を破滅に追いやろうとしている。
(1)政治が混乱し、力を失っている。
(2)貧困・格差が増えている。
(3)衰退・凋落がひどくなっている。
(4)社会的矛盾がどんどん広がっている。
(5)メディアが信用できなくなってきている。
(6)周辺国からの侵食・侵略を受けている。
(7)世界的に信用されなくなっている。
なぜ、こんな問題を抱えてしまい、そしてなぜこれを修復できないのか。
それをアメリカの陰謀や、アーミテージやジョセフ・ナイ等のジャパン・ハンドラーや、周辺国の横暴のせいにする人間もいる。
歴史的謀略の中で日本は衰退させられていると「他人のせい」にして鬱憤を晴らしていれば評論家やアナリストはメシが食える。だから、屁理屈をつけて、さも重要そうに言っている。
しかし、本当のところでいえば、日本が自国の問題を解決できないから、周辺国がつけあがっているという単純な話で、日本の問題の根源的な原因は、日本人の性格的欠陥にあるのである。
「気弱」「事なかれ」「先延ばし」という3つをいつまでも引きずっているからこんなことになる。
秩序の大崩壊がいずれやって来る
もし2010年の尖閣諸島沖漁船問題に、日本政府が毅然として対処していれば、尖閣問題はこれほどこじれることはなかった。
そして、韓国が竹島を占領しているのを放置しないで、自衛隊を派遣して取り返せば、韓国は大統領を上陸させるようなことはしなかった。
そして日本が韓国という敵国を叩きつぶすために国交断絶をしていれば、韓国とこれほど関わる必要性もなかった。
日本政府は何もしなかった。そして、これからも何かできるような兆候もない。なぜなら、「気弱」「事なかれ」「先延ばし」という三大欠陥を今も引きずっているからだ。
もし、あなたが将来に不安と悲観を抱えているのであれば、それはむしろ正常だ。何も感じていないのであれば、そちらのほうが異常なのである。
日本の衰退によって、秩序の大崩壊がいずれやって来る。どこから来るか分からないが、何かに火がつく。それは野火のように広がっていき、やがてはすべてを焼き尽くす。
大崩壊の発端が何なのか。どの事件がきっかけになるのか。それは誰にも分からない。
いずれにせよ、「気弱」「事なかれ」「先延ばし」という性格的欠陥を放置している限り、何も解決できない。日本はますます侵略され、衰え、傷ついていく。
それならば、どうすればいいのか。
私たちはまず現実的になって、今までと逆の発想で日本を変えていくしかない。「気弱」「事なかれ」「先延ばし」という性格をすべて裏返しするのである。
周辺国には強気で抗議し、問題に向き合い、先延ばししないで闘うしかない。
はっきりと主張し、個人と個人で激突すべき
私たち日本人は、「相手を怒らせたくない」「相手を話し合いを持ち強調したい」「無益な闘争はしたくない」とずっと考えてきた。
そして、それを政治的信条にして周辺国に気をつかってきた。
しかし、国家間の交渉の中で「無益な闘争はしたくない」というのは、相手にへりくだって卑屈になるのと同様で、それが「謝罪外交」という屈辱のスタイルになっていた。
そして、謝罪することによって何か得たのだろうか。
何も得ていない。得るどころか、日本の主権はどんどん失われていった。現在起きている問題は、この卑屈な姿勢で「気弱」に接してきたから、足元を見られて起きている問題なのである。
そして、これは個人の立場でも言える。
あなたは中国や韓国について周囲の人たちに「ひどすぎる」「嫌いだ」ときちんと主張してきただろうか。恐らく、心で思っていてもそれを主張して来なかったはずだ。
嫌いなものを嫌いと言わず、ただ黙って我慢してきたはずだ。そして、韓国を擁護する人がいても、面と向かって「それはおかしい」と言わなかったはずだ。
「個人にそんなことを言うべきではない」と、ぐっと我慢してきたはずだ。しかし、当の中国人や韓国人は違う。
日本人個人に対して、はっきりと「お前たちが嫌いだ」「尖閣諸島は中国のものだ」「竹島は韓国のものだ」「謝れ」と恫喝してきている。国に対して言っているのではない。個人に対して言っているのである。
だから、あなたも今まで通り「ぐっと我慢」だとか「対立したくない」という「気弱」な態度は捨てて、はっきりと主張し、個人と個人で激突すべきなのである。

日本という国は20年後に消えてなくなると中国に言われている。

自分たちの主張を相手国の人間に説く

誰かが何とかしてくれると思ったらいけない。そのうち収まるから静かにしていればいいと思ってもいけない。そんな「事なかれ」「先延ばし」が、日本をここまで窮地に追いやった。

 中略。

また、国家が対立している相手国があるならば、個人もまた自分たちの国を守るために、必死になって自分たちの主張を相手国の人間に説かなければならない。
日本人はそれをしてこなかった。だから、こんなことになっている。
これからは、今までと逆の発想で日本を変えていくしかない。「気弱」「事なかれ」「先延ばし」という性格をすべて裏返しする。それが日本を救う。
以下略。