アルプスの3大北壁を
冬季に単独登攀した
登山家。
23歳で山岳ガイドになり
登山学校なども、開校
山岳ガイドの基礎を作った。
ヒマラヤで登山中
雪崩にあって
43歳で死亡
明日で没後30年
彼は、山に登る前に
友人とウルタルに、
学校を作りたいと
熱く語り合っていた。
死後、彼の妻が仲間を募り
1997年、ウルタルに、
長谷川メモリアルスクールを作った。
今でも1000人もの生徒が通っている。
彼の墓も、友人とともに
ウルタルに、ある。
彼は、人が好きで、山では絶対事故を起こしてはいけないと言っていた。
ガイドとして付く際は、
不安に見える材料はすべて
取り除く、
雨が降ったら
雨の楽しみ方を知らせる。
相手の喜ぶことをして
山とのふれあいを深める。
事を心情にしていた。
彼はいつも言っていた
【what comes next】
次は何する?
副隊長の私(妻)も
【次は何する?】を
心がけていると、妻。
岩壁に
1cmあれば、耐えられる
わずか1cmの距離があれば
指をかけ、休める。
グランドジョラスを8日かけて登攀した時の言葉。
人生は、尊い。
諦めるのは
ずっと後で良い、
そんな気がする。
きょうの、nhkラジオの
山カフェの特集より
※聞き逃しでぜひ!