遊戯(ゆげ)

世の中は、なるようになるわ。
あきらめないで、悠然と生きる事を楽しむ・・・・
それが遊戯(ゆげ)の心です。

超高齢社会

2023-12-11 | 写真
手押し車を引いて
喫茶店まで歩いていた
ご近所のおばあさんを、
最近は見なくなった
昨日、ご近所の仏事で
集まり、その話が出た。
今は96歳で、
老人施設に居ると。
今年、家族全員コロナにかかり
高齢の母上は、自宅待機は
無理なので病院へ。
二ヶ月ほどで、コロナは
治ったものの
寝たきりに。
自宅介護が困難になり
老人施設へ。

認知症も進み
今や、息子のことも、
わからないとか。

死ぬまで
生きるのは、
世のならい
とは言え
超高齢化は、
辛いものがある。

どこでもドアがあったら良いな
最後は、自分で選べる。

歩けるうちに
自分の道を
選ぶことが出来たら
たくさんの問題が
解決するのに。 
現実はきびしいですね。
チャンチャン







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無事、終了

2023-12-11 | 写真
仏事が、無事終了
片付けも、手短に完了

毎年行われてきた
「お七日」
仏壇前で、
抹茶を飲み
雑談し、
頃合いを見計らって
お経を詠み
終了後は
菓子
お茶
雑談

その後場所を変えて会食

近隣では
もはや、
やらなくなっている
この行事を
どうするか
長老から
提案がされた。

お経を詠む会はやめて
親睦会食のみ
継続する

本音は
全部やめたい気分だが
本末転倒じゃないか?

まずは、親鸞聖人の
命日に御経を詠む会なのだから
御経を詠む方だけ継続し
会食をやめるとなるかと思った。

しかし、
何が大変かと言えば
家で人をもてなすこと。
確かに、
このひと月位は
掃除、片付け
買い物などに
追われたのだ。

結局
提案通り
宿当番が、
会食の予約などの
手配をすることになった。

やれやれ。

もうひとつの提案が
葬儀の取り持ちについて。
これまでは、
誰かが亡くなると
講組から、
取り持ちの手伝いがあった。
両となりは二人
その他は各家から一人ずつ
葬儀の案内や、受付
お茶出しなど
葬儀万端。

しかし、今は
葬儀は、葬儀場で行われるので
取り持ちのやることが無くなった。

昔は
自宅で行われたため
取り持ちは
必要不可欠だったが、

何が大変かと言えば
初七日法要後
お礼に
取り持ちを
おもてなしするのが
一番大変だった。

人が出入りしやすいように
建具をはずしたり
食事の時の机を、
公民館に返しに行くのは
遺族。

今後は
遺族から
取り持ちの依頼が無ければ
やらないことになった。

昔は
いろいろ
ご近所付き合いが
深かったのだ。
時代の流れ。

いつまでも
変わらないものはないのだ。

チャンチャン



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