出雲大社摂社【命主社】⛩️
出雲大社の境内にはなく、境外の右奥にある。
出雲大社の銅鳥居をくぐらずに右手の社家通りを行くと、最奥にある密かなパワースポット⛩️✨✨✨
⛩️右折→
御祭神 神産巣日神(カミムスヒ)
大国主命の命を救った神。
樹齢千年の名木
社殿の裏に巨石があった場所とされる真名井遺跡があり、その奥の竹林に磐座が鎮座している。
諏訪のミシャグチ信仰の様に、
祠と木がピッタリ寄り添っている。
⛩️出雲教【北島國造家】
出雲大社は、
本殿に向かって左右にある
左・出雲大社教(千家国造家)
右・出雲教(北島国造家)
と、
中央の出雲大社と、
合わせて三組織が祭る神社がある。
【千家國造家】
出雲大社と命主社の間にある
『北島国造館』は静寂なスポット✨
結婚式も行なわれる。
北島國造館内の亀の尾の滝
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出雲大社の宮司は、代々、天穂日命の子孫である出雲国造が務めてきたが、
南北朝時代(700年ほど前)に、千家(左側)と北島家(右側)に分裂した。
紆余曲折ありの出雲大社は、
日本の宗教政策史上、極めて興味深い神社だ。
明治時代の「政教一致」と言う宗教政策では、日本は神国であり天皇は神の化身であるとして、明治政府は様々な取り決めを行ってきた。
神官の布教を禁止し、全国の神社は神社本庁の包括下に置かれ、伊勢神宮の天照大神を拝み、出雲大社の大国主命は遙拝されず、出雲大社も神社本庁下の神社となった。
しかし、出雲大社の神官らはこの支配からは離れて、千家國造家と北島國造家は、それぞれ別の宗教法人として独立した。
それが
⛩️出雲大社教
(出雲おおやしろ教と読む)と、
⛩️出雲教だ。
戦後は、GHQの宗教政策の影響を受け
出雲大社と出雲大社教は統合されたが、
本来、
宗教と信仰は別物であると言う事、
宗教とは民衆に広布する政策的なものだったと言う事が、歴史を通じて感じることができる。
出雲は、
近代の宗教政策のみならず、
武家社会、貴族社会、
部族社会の時代を超え、
古代、神代より古くから続く聖域で歴史が深い。
伊勢神宮に祭られる天照大神の一族に先駆け建国していた超古代国家であり、
国譲りで、国権を移譲しつつも神権だけは残り連綿と続いてきた。
出雲に坐される神々は、
弥生時代より長い間
日本列島の変遷を見守り続けてきたのだろう🌌
声が聴けるものならば、教えを請うてみたい。
✨✨✨✨✨✨✨✨
最後までお読み頂きありがとうございました。🙇
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