ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

コラム拾い読み3

2017-07-19 16:53:00 | 日記
今回は、生物学者・福岡伸一さんのコラムを幾つかご紹介します

まずは…「『記憶にない』とはどういうことなのか
生物学的に考えてみたい」と福岡さん

「記憶とはどこにあるのか
脳の中のフォルダにミクロなファイルが蓄積されているのだろうか
答えは否である

記憶は物質ではなく、脳細胞と脳細胞の間にある
シナプスで連結されて出来た脳細胞の回路に電気が通るたびに
『生成』されるのが記憶だ

『昨夜、飲んだ後、どのように帰ったのか思い出せない』こんなことがある
前後の状況を結ぶ回路はあるのに
真ん中の線に電気が上手く通らないのだ

『記憶にない』ことは、実は前後の記憶があるからこそ認識できる
記憶にないことこそが記憶なのである
欠落は、欠落を取り囲む周縁があって初めて欠落と判る

だから『記憶にない』のは、記憶があってしかるべきなのに
『上手く思い出せません』という
一種の二日酔い状態であることを告白しているに過ぎない

あるいは、実は記憶にあることを
嘘にならないよう言い繕う時に使うための見え透いた方便でしかない
全く身に覚えがないことなら
端的に『やっていません』『言っていません』と言えば済むことである」

…と記されているんだけど
奥さんは「飲み過ぎて、昨夜のことを覚えてない」と話す人は
バツが悪くて、そう言い訳しているんでしょ…と思っていたらしく
いざ自分がお酒で記憶をなくした時に
「ホントにそういうことあるんだ!」とビックリ(笑)

「だれそれが、こんな話をしてたような気がする…」とか
「どこそこの店に行ったのは覚えてる」といった断片的な記憶はあるものの
ある時点から帰宅までの道のりは一切思い出せず…(汗)

その間に自分が何をしていたのか?
いったい誰に、どんな迷惑をかけたのか判らない…というのは
かなりオソロシイことなんだとか…(苦笑)

でも、深酒の翌日に記憶がないのは、いったん眠ったことによるもので
飲んでいる最中に眠り込んだりしてない限りは
ちゃんと意識も記憶もあるという説を知って、ホッとしたみたいです(笑)

あっ!ただ、奥さんが甲斐さんのライブの最中に
目を開けたまま意識をなくし(笑)
何曲分か時間が飛んでしまった間の記憶は全く戻らず
「自分がどんなマヌケな顔をしていたんだろう…」と考えるだけで
いまだに、変な汗をかくらしい…(笑)

そういえば、甲斐さんは「飲んでる時に話したことは
次の日になっても全部覚えている」とおっしゃってましたが

帰宅なさってから「庭の植木にもたれて寝てた」とか(笑)
「玄関で半ケツ状態のまま寝てた」とか(笑)
なかなかのシチュエーションで、ご家族に発見されておられるんですよね?(笑)

それはさておき…
「米国ロックフェラー大学のマキュアン教授のドアには
『発見の障害になるのは、無知ではなく既知である』という標語が貼ってある

知っているつもりのこと…すなわち偏見が
真実を見る目を覆い隠してしまうことはよくある」と福岡さん

「英国BBCテレビの番組で、韓国問題の専門家のケリー准教授が
自宅の書斎から生中継で解説を行っていた最中に
突然、幼子2人が踊りながら闖入して来た
この『放送事故』は、そのまま世界中に放映された

しかし、それだけではなかった
慌てて書斎から子供たちを連れ出した韓国人女性は、准教授の妻だったが
多くの視聴者やマスコミ関係者は
彼女をこの家の子守りだと思い込んで、ネットに書き込みをした

盲点は本当にある
網膜の中に視細胞がそこだけ欠落した穴があるのだ
私たちが普段、視界の中に盲点の存在を気づかないのは
脳が絶えず画像を補っているからである
脳が勝手に作り出す物語…それこそが偏見の源と言えるのだ」

…って、改めて考えてみれば、相当コワイ話ですよね?(汗)
もしかしたら、自分が今、目にしている光景は
脳が作り上げた映像で、他の人には見えていないかも知れないし
現実に起こったことも「夢を見た」と信じてるだけかも知れないのに
自分では、その判断がつかないってことでしょ?(汗)

以前、村田沙耶香さんのコラムに…「中学生の時、クラスメイトから
『俺のばあちゃんの夢は紙芝居式らしい』と教えて貰ったことがある
夢を見る時、静止画が頭の中に浮かび
しばらく経つと、パッと次の静止画に変わるのだという

それ以来、夢に興味を持つようになった
他の人の夢は白黒なのか
痛みなどの感覚はあるのか、聞いているだけで面白い

何年か前にテレビで、自由に夢を見ることが出来る人がいるらしい
…という特集を見たことがある
専門家の方が、練習すれば誰でも出来るようになると言っていた

夢の中で『これは夢だ』と気づいた時がチャンスで
その時に、まず空を飛んでみると良いという
訓練して空が自在に飛べるようになると
いずれ、夢の中で好きなことが出来るようになるという

いつかやってみたいと思っていたら、チャンスが訪れた
夢の中でトイレを探していて
『あ、これよく見るヤツだ!夢だ!』と気がついたのである
目を覚ましてトイレに行くか、試しに飛ぶか悩んで
好奇心に負けて飛んでみることにした

その日、とんでもない低空飛行だったが、一応、飛ぶことが出来た
それから何度か同じ夢を見て、少し高く飛べるようになった
いつか自在に夢を操れるようになりたいとワクワクしながら
今日も眠りについている」と書かれていたんだけど

思い通りの夢が見れたとしても「これは夢だ!」って判っていたら
あまり楽しくないような気が…?(苦笑)
それとも、この自在に操られた夢を見ている間は
「夢だ!」と気づかないんでしょうか?(笑)
コメント
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