ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

ボヘミアン・ラプソディ殺人事件3

2018-12-30 13:29:00 | 日記
さて、なぜ【ボヘミアン・ラプソディ】が、9週連続1位になったのか?というと
当時のイギリスは「イギリス病」と言われる長い不況のドン底にあり
失業率は増大、急激なインフレによって経済は破綻
各地でストライキやデモが頻発し、更には暴動や爆弾テロも起こる暗い時代

舞台演出家のデビッド・クリリィ氏によれば…
「当時の音楽は、明るいだけのつまらないものが多かった
退屈でつまらなかった一番の問題は、無気力無関心
様々な価値が崩壊した中で【ボヘミアン・ラプソディ】は
そうした状況を撃ち破る革命的音楽だった」ようで

前述の助監督氏も、オイルショックや電力会社のストライキにより
「週3日は停電で、仕事も休みになった
人々の気分も暗く落ち込んでいて、気晴らしが欲しかった時
クイーンのビデオが出ました
この曲が流行ったのは、現実を忘れるファンタジーが必要だったからです」と説明

甲斐さんが、東日本大震災後の「愛ろく」ツアー仙台ライブの際に
「少しでも日頃のウサを晴らして欲しい」とおっしゃったことや
「歌は世に連れ…」じゃないけど
奥さんが言うように、その曲が生まれた時代背景を
知っているのと知らないのとでは、聴き手の印象は違うんじゃないか?
…といったことを考えさせられました

まあ、この番組はNHKプレゼンツなので
1975年頃のイギリスと現在(2002年)の日本の状況がよく似ている…
と警鐘を鳴らす感じになってたけど…(苦笑)

そういえば、バブルがハジケて、そのツケが回って来た90年代前半
味噌とカレー粉と土鍋が売れた時代
甲斐さんは、KAIFIVEのアルバム「嵐の明日」で、家族や家庭について歌われ
「頑張っている人に『頑張れ!』って言うのは失礼だ」と
安易な「応援ソング」を避けておられましたよね?

それはさておき…クイーンの勢いは止まらず
「【伝説のチャンピオン】は『イギリスの国民的愛唱歌』となり
【愛という名の欲望】や【RADIO GA GA】などのヒットで『黄金時代』へ…」

甲斐さんも「LEGENDS」で【RADIO GA GA】を流されてましたが
「人生で大事なことは全てラジオから教わった」という歌詞は
まるで「サンスト」を聴いて育った我が家の住人の言葉みたいです(笑)

1999年のスペシャル音楽番組「ミュージック・オブ・ザ・ミレニアム」では
60万人の投票による過去1000年のベストソング第1位に
ジョン・レノンの【イマジン】を抑えて
【ボヘミアン・ラプソディ】が選ばれたことが紹介され
「20世紀の終わりに、ナンでこの曲が1位なの?」を検証することに…

まず、リバプール大学院の卒論に
「クイーン」を取り上げたルース・ドックレイさん(23)は…
「【ボヘミアン・ラプソディ】は、複雑そうに見えて
音域やコード進行は、意外と歌いやすく出来ている」と指摘

ルースさんは、3歳で【ボヘミアン・ラプソディ】を聴いて感激し
6歳からレコードを買い始め、クイーンのシングル・LPはもちろん
日本やフランスなどの海外盤も所有する若い世代のファンで

「クイーンを好きな友達は少ないです
もしかしたら、私ひとりかもね(笑)
でも、みんなクイーンの歌は知ってて、一緒に歌えるんです」と
卒論のタイトルに「アンセム」という言葉…
「みんなで歌い、その国の一部であることを誇りに思う特別な歌で
国歌と同じような意味がある」…を加えたようです

また、舞台演出家のクリリィ氏は…「ダークでエキセントリック
多様なイギリス文化を象徴するのがシェイクスピア
【ボヘミアン・ラプソディ】には
シェイクスピアやイギリス演劇のエッセンスが詰まっている

この歌では、悲劇の主人公が自問する…『これは現実か?幻か?』
存在への哲学的な問いかけは(ハムレットの)
『生きるべきか?死ぬべきか?』と関連づけられるし

最後に辿り着く『大したことじゃない』という結論は
マクベスの『人生は動き回る影にすぎない哀れな役者だ(中略)
とどのつまりは消えてなくなる』と共に『無』について語っている
(英国の)聴き手は、この曲の絶望や無力感を理解しやすい」…と分析

ただ、この曲にイギリス文学だけでなく
モーツァルトのオペラやイタリア喜劇など色んなものが混ざっているのは
フレディが「イギリス生まれじゃない」ことが関係している…
ということで、フレディの生い立ち紹介へ…

1946年に当時のイギリス植民地・ザンジバル…
(人類発祥の地と言われる)現在のタンザニア連合共和国…の
ペルシャ系ゾロアスター教徒の家に生まれ、本名はファルーク・バルサラ
8歳でインドのボンベイにあるヤント・ピーターズ寄宿学校に入学

甲斐さんが「LEGENDS」で、映画「ボヘミアン・ラプソディ」に触れられた時に
「フレディ・マーキュリーにそっくりな人っていうのはさ
世界で探すの難しいじゃないですか
太古の昔まで戻らない限りはさ、あの骨格とアレはムリじゃないですか

やっぱ東インド会社の寄宿舎で育ったとか
そういう特別な事情の人でない限りは、アノ顔はムリだと思うんですよね」
…とおっしゃったのは、この辺りのことを指しておられたんでしょうね

フレディのお母さん、ジャー・バルサラさんが登場し
映画の「ママ」役の女優さんが
ブライアン・メイ役の俳優さんに負けず劣らず「クリソツ」でビックリ!(笑)

ジャーさんによれば…「音楽や絵や文章を書くのが好きな男の子でした
家系に医者や弁護士が多かったので
そうなることを勧めたけど、全然、興味がないらしくて…
将来のことを訊いたら『山にこもって曲を作る』って言ったの
やっぱり、ミュージシャンになりたかったのね」

…で、寄宿学校の仲間たちとバンドを結成し、オリジナル曲を作り始め
16歳で故郷に戻ると、植民地からの独立運動が起こり
危険を感じた一家はロンドンに移住

ティム・スタッフェル氏は、当時のフレディについて
「最初は大人しくて、普通の格好だった
たぶん、彼の家庭は真面目で厳しくて
それに対する反抗から、だんだん派手になったんじゃないかな」と語ってますが

映画の冒頭では、父親との関係こそ
ギクシャクしたものに描かれているものの
ママは、そんな親子の関係に心を痛めながらも
フレディを自由にさせているように見えたし

この番組でも「【ボヘミアン・ラプソディ】は
フレディの個人的な問題を歌った歌
彼は、この歌で母親に告白したのかも知れない
自分がゲイであることへの宗教的偏見を…」との言葉がありました

奥さんは、映画の中で【ボヘミアン・ラプソディ】の
「いっそ生まれて来なきゃ良かったと思うことがあるんだ」 という歌詞を
目を潤ませて書きながら「いいぞ…」と呟く…フレディに
「個人的なことを全て書くことで、本当のプロになった気がした」
…とおっしゃったミュージシャンの方が重なり

ジムを家族に紹介する際に、フレディがジムの手を握るのを見て
「友達」の意味を察したはずのママの顔や
そのママに、フレディが「(ライブ・エイドの)ステージからキスを贈るよ」 …と言ったシーンが浮かんだらしく
「もう1回、観たいなあ…」と申しておりました(笑)
コメント
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