甲斐さんが、東日本大震災直後に
自分が物凄く私的なことを書いたとしたら
それがきちんと普遍性を帯びているかを
表現者はどこかで客観的に見ることが出来ないといけない
「まずは命を守ることが大事。音楽なんて二の次」とおっしゃってましたが
米津玄師さんは、感染拡大が始まった昨年2月、ライブ中止をお決めになった際に
ご自身のことを「あまりに無力」とコメントなさったことについて…
「自分は『あってもなくてもいいもの』を作っているという自覚は以前からありました
(生活に必要不可欠な)1次産業に比べて…
音楽は、人の心に作用して、時に誰かの明日を生きる糧になるものではある
けれども、新型コロナウィルスを前に、ライブをすることすら出来なくなってしまうのは
脆弱な存在だと、改めて強く感じました
それに、罪悪感のようなものも感じていました
自分は、家の中で、パソコンの前で、1人で作業すれば成立してしまう業種ですが
そうではない人間の方が多い訳ですよね
満員電車に乗らなければならない、人と接触することでしか成立しない
そういう業種の人たちは、これからどうやって生きて行くのだろうかと…
そこに申し訳なさを抱えるようにもなりました」…と説明なさって
その後、昔からお好きだったというオンラインゲーム内でバーチャルライブを開かれた時に
「現実に空間を共有することが出来ないのであれば、仮想世界でアバターを持ち寄って集まる
それがすごく刺激的ではありました
今後おそらく、テクノロジーの発達によって進化して行くと思います
少なくとも、聴いてくれる人間との距離が
近くなった、遠くなったという変化はなかったと思います」
…と、ある種の手応えをお感じになった一方で
「自分は元々、ライブに重きを置いていなくて
楽曲制作が楽しいし、自分の適性に合っていると思っていました
しかし、ツアーが途中で中断してしまったことで
ライブが自分の活動の中で、とても大きなものになっていたのだと気づかされました
これまでは、アルバムを作ったあとは、毎回ツアーを行っていたんですが
各地を回って行く間に、アルバムの音楽が、自分の肉体を通して
別物になって届いて行くというのが、すごく重要な体験で
そういうライブ経験を経由していたからこそ
次の作品に向かえていたということを、改めて感じました」
…と「生きてる観客の前で演奏してはじめて曲が完成する」という
甲斐さんの言葉と同じような感覚を覚えられたみたいです
また…「個人的な感情で作る音楽を否定するつもりはありませんが
自分は、ポップソングを作りたいと思っているので
『自分のため』だけにやって行くのではなく
『人のため』に何か出来ることはないかと考えることは、とても健全だと思います
聴く人がいなければ、音楽は成立しません
自分も自意識の内にこもって、自分のためだけの音楽を作っていたんですけど
自分の中を掘り下げるほど、他者への道が開いて行く
結局、自分を構成しているものは、他者から貰ったものに辿り着くんですね
自分としては、マイノリティ側の人間として音楽を作って来ました
それが『大きなもの』になって行った
今、自分は(多数派と少数派の)どちらにも属していない『間』にいるような感覚があります
ここ最近は、自分が思っている普遍性というものを
もう少し見つめ直した方がいいなと思うようになって来ました
普遍性があればあるほど、何かを取りこぼす可能性もある訳です
広く大きくなればなるほど、そこからはじき出された人間というものの色が大きくなって行く
例えば、今の社会は、右利きの人の数が多いから
左利きの人を無視したデザインになっている
それは、音楽においても同じです
そうした取りこぼして行くものに対して、どれだけ自己批判を絶やさずにいられるかが
これからの制作において大事ではないかと思います
こぼれ落ちるもの、見逃されてしまうものをすくい取って、音楽に還元したいと考えています」
…とも、おっしゃっていて、かつて甲斐さんが
「私的表現と普遍性のバランスというのは
表現の上で一番難しい部分ですよね自分が物凄く私的なことを書いたとしたら
それがきちんと普遍性を帯びているかを
表現者はどこかで客観的に見ることが出来ないといけない
さらけ出すといっても、生のままの感情をそのままぶつけているんじゃないんです
表現者は、自分の感情の料理の仕方みたいなものを、ちゃんと判っていないといけない
僕には、血反吐を吐くほどの思いで表現しようとする人たちは、私的なことを書いても
それは多分どこかで普遍性に繋がって行くはずだという直感だけがあったんです」…と話されていたことを思い出しました
俳優さんやミュージシャン、アーティストなど
表現することを生業になさっている方々にとって
去年の自粛期間中はもちろん、規制が緩和されてからも
ご自身を見つめ直される時間が多かったんじゃないかと思われますが
片桐はいりさんは…「昨年5~6月、リモートで演劇を作りました
稽古が終わると同時に、自分の生活に戻れて無駄がない
でも、演劇も映画も、現場にいて、ああだこうだ言いながら作って行くもの
私は、稽古場ではすごく笑ってるんですけど
笑い声って『賛成!』『私、これ好き!』という意見の表明だと思うんです
でも、リモートでは、出番ではない時は、音声も映像もオフ
無駄に見えるコミュニケーションが、いかに重要か気づかされました」
…って、リモートで「バイキング」に出演なさった甲斐さんも
番組開始前やCMの間に、坂上さんやヒロミさんら出演者の皆さんと
「喋れないし、聞こえないし…」とボヤいておられましたよね?(笑)
ともあれ…「以前、一人芝居で全国を回りました
『よく一人でやるね』と言われましたが、一人で芝居なんか出来ませんよ
お客さんがいるから出来るんです。お客さんの波動が芝居を作る
だから、一人芝居を経験したあと、客として観劇する時は緊張するようになりました
パフォーマンスを左右するのは、観客である私なんです」と片桐さん
奥さんによれば、演劇は音楽ライブほど
「観客が参加することによって、その内容に変化を与える」ことを実感できないみたいだけど
それでも、同じ舞台を数回観ると、確かに毎回違っているらしく
それは、奥さんの気の持ちよう…初見時はドキドキするとか
数を重ねると細部にまで目が届くとか…によるものだけじゃなくて
マチネとソワレでは、観劇に対する観客のモチベーションが違うといった
ざっくりした定説をもっと細やかにしたというか
観客一人一人のコンディションや、お芝居へののめり込み具合が
その1公演の空気を決めるんじゃないかと…?
そして、片桐さんは…「2000年代は、インターネットと共にありました
2020年、人と人は会えなくなった…もちろんウィルスのせいですが
助走は、ずっと前から始まっていたんだなと思うんです
先日仕事した人は、一緒にいる時間の3分の2くらい、スマホに目を落としていました
今からネットなくして生活は出来ません
でも、映画館で映画を浴びること
ライブでもみくちゃになって騒ぐ喜びを、簡単に手放せないと思うんです
オンラインが便利にしたことと奪ったものを知った上で、どう生きて行くか
後戻りは出来ない、この状況を生きて行くしかない訳ですから」…と結ばれていて
ボクは、映画を観るなら、自分の都合のいい時間に観ることが出来て
トイレに立つなど、途中で停止可能なネット配信は便利だなあと思いつつ
タバコが吸えなかったり、少々お尻が痛くなったりしても
やっぱり、映画館のあの暗闇の中で、どっぷりと作品に浸ったあと
外に出た途端、昼間の明るい光景にちょっとたじろぐ感じが好きです(笑)
まあ、奥さんは、ライブ会場に大型モニターが設置され
自分の席から肉眼では絶対に見えない甲斐さんのアップが映し出されていても
豆粒みたいなナマ甲斐さんの姿を見つめてしまう人なんで(笑)
配信映像やライブDVDは「救急車」だと思っているに違いアリマセン(笑)