ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

ちょっと気になった言葉1

2021-03-19 22:05:00 | 日記
甲斐さんが、ラジオ番組で告知なさっていた
「歌える!J-POP黄金のヒットパレード決定版!」に関する記事に…
「この時代(70年代から90年代)は、いわゆるJ-POPの黄金時代と言われており
往年のファンは多い」…という一文があったんですが

くくり方がザックリし過ぎというか(笑)
それこそ、いわゆる「ニューミュージック」世代の奥さんにとって
「J-POP」なんて「つい最近の呼び方」みたいだし(笑)

その「ニューミュージック」以前は、乱暴な言い方をすれば
「邦楽」vs「洋楽」とか「演歌・歌謡曲」vs「フォーク・ロック」といった風に
相容れないものを「ジャンル」という名の壁で仕切っていた感じがあるし

その感じは、和洋折衷…様々な音楽を聴いて育ったリスナー達が自ら演者となった
「ニューミュージック」というカテゴリーが登場した時もまだ続いていたような気が…?

なので…例えば「甲斐バンド」と「倖田來未」さんが
同じ「J-POP」というフレーズで、くくられていることに「ん?」となったんだけど(笑)
「今でも『あの歌』を聴くと、その時代に瞬間移動してしまう
音楽は、まさに唯一『存在するタイムマシン』と言えます」との一文にはハゲ同(笑)

甲斐さんも、レストランで流れていた映画音楽を耳にされた途端に
その映画の場面や、それをご覧になった当時のご自身のことがフラッシュバックして
一気に気持ちを持って行かれたとおっしゃってましたよね?

もっとも、そのタイムマシンは、楽しかった時に連れ戻してくれるだけじゃなく
切なく哀しい思い出や、いたたまれなくなるような出来事を
イヤでも甦らせることもあるかも知れませんが…?(苦笑)

「その当時」が、どの時代になるかは、もちろん年代によって違うとはいえ
好きで聴いていた曲や、自分の心情を重ね合わせていた曲に限らず
当時よく流れていたヒット曲がタイムマシンになったりもする訳で

「誰でもが歌える名曲」という基準で選ばれたという、この番組のラインナップには
「音楽配信のストリーミングサービスが、大きな伸びを見せており
その中でも、80年・90年代の音楽の人気が高まっている」ことも影響しているらしく

倖田來未さん世代の皆さんにとっては、我が家の「タイムマシン曲」が
「ピカピカの新曲(笑)」として定着しているのかなあと…?(笑)
まあ、倖田さんは「愛のうた」の他に「キューティーハニー」も歌われるみたいなので
ある意味、我が家のタイムマシン曲とも言えるんだけど…(笑)

ただ、南佳孝さんが「モンローウォーク」と「スローなブギにしてくれ」
甲斐バンドが「HERO」と「安奈」という「THE 代表曲(笑)」を披露されるのに対し
渡辺真知子さんが「迷い道」と「唇よ、熱く君を語れ」を歌われることに違和感が…(苦笑)
イヤ、どちらも素晴らしい曲なんですが
ナンで「かもめが翔んだ日」が外されたんでしょうか?

それはともかく…「歌える」J-POPが、70年代~とされているのは
それ以前だと、演歌・歌謡曲の方が「歌える」曲が圧倒的に多い、いわば「全盛期」であり
当時の若者たちに人気があったフォークやロック…J-POPの原型は
まだ広く認知されていなかったからじゃないかと…?

実際、甲斐バンドがデビューした74年のヒットチャートには
ほとんど演歌や歌謡曲しか並んでおらず(汗)
甲斐さんが「チャートに入るロック」を目指されたのも
そうした業界の環境によるところが大きいかと思われますけど

一方で、プロの作詞家として、チャートを賑わせていらした阿久悠さんも
「権威あるレコード大賞」を受賞なさるには異端というか
大御所の先生方から愛でられる存在ではなかったみたいで(苦笑)
古い業界の体質に風穴を開けるという意味では
甲斐さんと同じような思いを抱かれていたのかも知れませんね?

阿久さんが、作詞家になられるにあたってお作りになった「作詞家憲法十五ヵ条」
その第1条には「美空ひばりによって完成したと思える
流行歌の本道と違う道はないものであろうか」と
美空さんに代表される戦後の流行歌を強く意識なさる一方で
違う形の流行歌を生み出そうとなさっていたことが窺えますし

その具体策の1つと思われる?「『女』として描かれている流行歌を
『女性』に描き変えられないか」という、主に演歌を標的にするような条文もあり
例えば「津軽海峡・冬景色」のヒロインは
男性に捨てられたからじゃなく、自らの意思で北へ帰って行き

「北の宿から」のヒロインが「着ては貰えぬセーターを寒さこらえて編んで」いるのは
別れた男性への未練というより「儀式みたいなもので
セーターを完成させることで、ケリをつけたかったから」とおっしゃっていて
既成の演歌路線とは似て非なるものを目指されていたみたいです

もっとも、八代亜紀さんに提供なさった「舟唄」は
スポーツ紙の企画で、美空さんを想定して書き下ろされた曲なんだとか…(笑)

ちなみに…阿久さんが「スター誕生!」の審査員席で
いつも厳しいお顔で、辛口のコメントをなさっていたのは
「番組を始める時、プロを目指す出場者を子ども扱いしちゃいけない
絶対、笑顔を見せない」とお決めになったかららしく
そうした点でも、業界の「しきたり」や慣習に流されない姿勢が垣間見える気が…?

そもそも、前述の「憲法」といい「スタ誕」への心構えといい
「何かを始める時には決めごとをする」という「阿久流」は
「何かを始める時には形から入る」とおっしゃっていた
某ミュージシャンの方と同じスタイルですよね?(笑)
お二人とも、映画やスポーツがお好きですし…(笑)

ともあれ…阿久さんは、代表作「また逢う日まで」を「数奇な運命の歌」と呼んでおられたらしく
…って、最初は筒美京平さんが、エアコンのCM曲としてお書きになったもののボツとなり
次に、阿久さんが歌詞を付け、ズー・ニー・ヴーに提供なさって
「ひとりの悲しみ」というタイトルで発売されたものの、全く売れず…(汗)

3度目にして、やっとレコ大受賞という逆転ホームランをかっ飛ばされたそうですが
「いい作品を記憶していて、何度でもトライするようなロマンチシズムが
その頃の音楽界には、普通のこととして存在していたのである」と阿久さん

…だとしても「次のシングルが売れなければ契約を打ち切る!」と宣言されてしまう(汗)
「フォーク・ロック部門」のグループやバンドとは、全く違う世界の話で(苦笑)
そこは、やはり阿久さんの「実績」がモノを言っていたんじゃないかと…?

でも、ヒットチャートにランクインする曲が、プロの作家の手によるものではなく
シンガー・ソングライター達の作品で占められるようになり
歌番組が次々と姿を消して行ったあと
阿久さんは「書き下ろし歌謡曲」という著書に…

「そこはかとない淋しさ、やるせなさ…何かが欠けているという
そんな『飢餓感』が沁み出して来ても、人は気を振り絞って、それに蓋をする
変装してるんですよ、みんな…でも、時には少し化粧を落としてみた方がいい

歌とは、時代の中で変装している心を探す作業
死角に入っていた心のうめき、寒さにボールをぶつけるために歌を書いて来た
だから『乾いた必要な言葉』さえあれば、人間なんて結構生きて行けると
皆が証明しあっているような時代には馴染めない

もう少し、人間がチャーミングに見える言葉が存在していいはずだし、存在していた時代もある
わずかなりともカッコよくありたいという心根が、言葉に艶を与える
現代人は『等身大』をもて囃しながら、実は自分の大きさを見失っているのではないか」

…と記されていて「『時代遅れ』の男になりたい」とお書きになりながらも
「ボギー、あんたの時代はよかった」
「せめて少しはカッコつけさせてくれ」と、かつてジュリーに託されたダンディズムを
ずっと大切に抱えておられたような気が…?

まあ、座右の銘が「派手な作品、地味な生活」という辺り
ストイックで、ハードボイルドな方でいらしたのかなあと…?
「一日一麺」はさておき…(笑)
「文武両道」「非凡に地道に」がモットーの方とお会いになっていたら
案外、お話が弾んだかも知れませんね?(笑)
コメント
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