コロナ禍において、多人数による会食が控えられるようになって
甲斐さんご贔屓のドラマ「孤独のグルメ」が、たびたびクローズアップされてますが
家族や友人、会社の同僚等と一緒に食べる「共食」に対し
一人で食べる「孤食」という言葉があるのを
共働きの両親が帰宅する前に、塾へ向かう子供たちが、一人で夕食を食べている
…というニュースと共に知って以来、あまり良いイメージがなかったので
「孤独のグルメ」の井之頭五郎さんの場合は
「一人ぽっちで寂しく食べる」のではなく
「あえて一人で食べることを選ぶ『独食』を描いていると捉えてみたい」という
主演の松重豊さんの言葉に、思わず拍手しそうになりました(笑)
もっとも、この1年で「孤食」ならぬ「個食」が定着し
更には、飛沫防止のため会話せずに食べる「黙食」
…って、これは福岡の飲食店が発祥と言われているものの
京都市が「黙食」と書かれたポスターを作り
希望する飲食店に提供したことで、広まって来たみたいだけど…が一般的になり
一見すると、五郎さんも「個食」であり「黙食」であるように思われます
でももちろん、この「おっさんが1人で飯を食う」ドラマでは
五郎さんが「脳内で呟く独り言(笑)」が肝な訳で
訪れた土地で「腹が減った…」その時に、食べたいものや
店の構えや佇まい、表に掲げられたメニューなど、琴線に触れるお店を選ぶことに始まり
店内の様子、お店の方や来店なさっている他のお客さんの印象に触れ
お腹の減り具合と相談しながら、お店の方にメニューについて質問したり
常連さんらしきお客さんの召し上がっているものを横目で眺めたりして
注文する料理を選ぶ間も、脳内では饒舌に喋りまくり(笑)
いざ、注文の品が運ばれて来ると、その見た目のインパクトや
一口ほおばった途端の感想が「食リポ」レポーター顔負けに溢れ出し
観ているこちらも「イイじゃないか!イイじゃないか!」(笑)…とヨダレをこらえつつ
前夜から絶食なさって撮影に臨まれているという
松重さんの食べっぷりを堪能させて頂いてます(笑)
その松重さんは「給食が楽しみでしょうがなかった。給食室から漂う匂いが好きで…
あと、プロセスを見ながら結果を楽しみたいので、厨房が見える席に陣取るタイプです
作っている人の姿や所作、手つき、顔つき…
そこから想像するのが楽しいんです
『孤独のグルメ』は、周りに直接的な縁を求めなくても
『給仕してくれるおばちゃんの言葉があったかい』と感じるとか、世界が広がって行く可能性がある
好きな居酒屋のテイクアウトで『元気?』って、声をかけながら買うと
そこに文脈があるので、家で食べても『孤食』になりません」とおっしゃる一方で
「僕らは、東京オリンピックに向けて、世界中の人が日本に滞在している時に
『孤独のグルメ』をどういう風にお見せしようかと
楽しい妄想をしていた矢先に、どんどん状況が変わって行った
コロナの中で、井之頭五郎はどう過ごして来たのか?
行きたい飲食店に行けなかったでしょうし
お店は大丈夫かな?という気持ちも芽生えたでしょう
食という、当たり前にあると思っていたものが、遠いものになってしまった
井之頭五郎という人物を通して、そうしたことをみんなと考えて行きたい」と話されてますが
先日、我が家の購読紙のコラムに…
「『黙食』と言えば、見習うべきは漫画『孤独のグルメ』の主人公か
もっとも今改めて読むと、主人公以外のお客の和気あいあいとした感じに心惹かれる
家族連れあり、飲み友だちあり
全員が全員、黙食であれば、孤独に食べる男の渋さが引き立つことはない
みんなでわいわいと飲んで食べる
そんな夢を最近よく見るようになったのは、判りやすい願望の表れだろう
現実になるまで、あとどれくらいか」…と書かれていて
是非とも「孤独のグルメ~コロナ禍編」を制作して頂きたいなあと…
原作者でいらっしゃる久住昌之さんは…
「『孤独のグルメ』の連載がスタートしたのは、1994年のことでした
もう四半世紀が経っています
主人公の井之頭五郎が、仕事でたまたま訪れた街で
空腹を満たすために飲食店に飛び込み、1人で飯を食う。ただただ、それを描く作品です
実在する飲食店をモデルに、僕が原作を描きました
タイトルが『孤独のグルメ』なので、グルメ漫画だと思われがちですが
僕はそう思って描いてはいません
料理そのものより、人が食べるという行為が、僕は面白いんです
主人公がナゼそれを食べたのか、周囲の街の様子やお店の人、お客さん
それら全てが生み出す『小さなドラマ』に惹かれています
だから、飲食店の中でも、やはり個人経営の古い店が好きです
長く続いて来た店には必ず理由がある
こういう店にしたいというアイデア、美味しいと思って貰うための努力
お客さんとの間で選び・選ばれ合った関係性…
そうした魅力は『情報』からは見えないから、自分で歩いて見つけます
失敗も、漫画にはいい題材なんです
『孤独のグルメ』の原点は、東京・神保町の『美学校』に通っていた時にあります
授業の合間に夕飯を食べたラーメン屋、カレー屋、ギョーザ屋…
神保町には、安くて美味しい個人店が沢山あり、1人で食べている人が沢山いました
黙々と食べているだけなのに、みんな楽しそうで…
だから『孤独のグルメ』には、個人経営の店を応援したいという、僕の思いが込められています
『家で飲み食いすれば安く済むのに、ナゼ、わざわざ外で?』と妻に言われて
夫は説得力ある反論が出来ない。でも、外で飲食したい
そういう気持ちが面白いと僕は思います
そこにある滑稽さを漫画にしているんです」…と説明なさってますが
五郎さんは「下戸」という設定だし、久住さんご自身がモデルではないのかなあ?(笑)
いつも番組の後半で、久住さんが、その日のドラマの舞台となったお店に行かれ
実際にお食事をなさる際には、必ず「元気が出る水(笑)」などを注文されるし
甲斐さんも、新丸子の食堂の回だったか?
「バチが当たる、バチが当たる」とおっしゃるなぎら健壱さんと
昼の2時から豪快にお飲みになる久住さんに触れておられましたよね?(笑)
ともあれ…「コロナの影響で、近所の古い店が何軒か閉店しました
繰り返し来てくれるお客さんたちに喜んで貰いたくて、年配の店主が頑張っていたけれど
営業休止が続く内に『もう無理だ』と精神的に途切れてしまった例もあります
事情も判りますが、やっぱりすごく寂しいですね」と久住さん
「『ラーメンと言えば、結局ここに来ちゃうね』というような
近所の馴染みの店を持っていることが、僕は外食の一番の幸せだと思います
自分の好みを発見した喜びでしょうか
自分の中の『美味しいもの』…それを食べる時が一番幸せなんです
コロナ後の日常では、飲食店に行かず、宅配で取り寄せることが増えるかも知れません
でも、人々が『このお店で食べることの魅力』を楽しむ
そんな日常もなくならないで欲しいと思います」と結ばれていて
お気に入りのウナギ屋さんが閉店してしまって寂しい
まだ、その穴を埋めてくれるお店が見つかっていない…と嘆かれたり
自粛生活が始まってすぐに、築地から新鮮な魚介類をお取り寄せなさっている
某ミュージシャンの方が、この上なく「孤独のグルメ」を愛しておられる理由が
よ~く判るような気がしました(笑)