甲斐さんは、以前から「寿司屋と蕎麦屋、うなぎ屋は
行きつけの店を持ってる方がいい」と話されてましたが
その甲斐さん幻の主演映画(笑)「天国までの百マイル」の原作者でいらっしゃる
東京出身の作家・浅田次郎さんは…「すし・そば・うなぎ・天ぷら」を
「江戸前ファストフード」とお呼びになり
「毎日それらの食い回しでも一向に構わぬ」ほどお好きらしく
「特に天ぷらは、3日も間があくと飢餓感を覚える」とおっしゃるくらいで
そういう「天ぷら飢饉」状態に陥られた時には
「応急処置として買い食いをするほかはないが
スーパーのお惣菜コーナーには満足できる天ぷらがなく
蕎麦屋の暖簾をくぐって、天ぷら蕎麦もしくは天丼を食う
緊急であれば、立ち食い蕎麦でもよい」…って
渡辺謙さんと同じく、立ち食い蕎麦屋さんを「救急車」扱いなさってます(笑)
「どうしてこんなに愛しちまったんだろうと悩んだ末、幼時の食生活に思い至った
私の生家は商売をしていたので、家族の他に従業員や使用人等、大勢が朝晩の食卓を囲んだ
そうした事情では、おかずに手をかけられず
いきおい安くて早くて美味しい天ぷらが、3日に1度は供されたのであった
ただし、商家の賄い飯であるから、魚介類などの贅沢品はない
大根おろしだの天つゆだのと手間もかけられぬ
つまり、野菜ばかりの精進揚げを生醤油で食うのである
どうやら、幼い頃の食生活は一生を支配するらしい
よって、今日でも我が家の作法は精進揚げを基本とし、塩か生醤油で食す。仏は喜ぶ」と浅田さん(笑)
住み込みの職人さんたちがいらした商家の四男坊の方(笑)も
「毎晩のように繰り広げられる」宴会で供される豪華な料理に始まり
お父様がいなくなられたあと、お母様のために、お兄様方とお作りになっていた晩ごはん
今も東京のご自宅で、お正月に召し上がっておられるという博多雑煮
「福岡人のソウルフード・おきゅうと」や「かろのうろん」愛を語られたり
「照和」の地下で泊まり込みの練習をなさっていた時に
1階の喫茶店の冷蔵庫の食材を失敬して作られたサンドウィッチを「俺の食い物の原点」とか
「俺の食い物の歴史の中で、かなりの財産になってると思う」とおっしゃっているのは
「まだ社会で認められてない若僧たちがたまって、好きな音楽やってさ
腹空いたからって、忍び込んじゃあ食ったもの」は
「金出しゃあ買えるっていう食いもんとは違う」からでしょうし
「人生最後の食事に何を食べたいか?」という質問に
「魚肉ソーセージか、薄いハムに醤油をかけたのを冷や飯で食べたい」とお答えになるのも
「基本的に人間は、ホントに腹減った時に食ったもんの記憶をおざなりにしちゃあ良くないよ
どんな状況の時にでも、その原点の時の自分に戻れる、そういう人間でいたい」
…と思っておられるからかも知れません
そういえば…甲斐さんは、味噌汁かけご飯を「かなりゆっくりめに噛んで食うんだよね
その方が、精神的にリッチな気分になれるわけ
エネルギーをこう…補給しているんだと
そんな実感を味わいながら口を動かしてくようなさ『ゆとりの味噌汁かけご飯』ね
でもまあ、反対に、一気に掻き込んで食う場合は
『あの頃、俺は貧しかった』っていう思い出に浸る、イイ部分もあるこたあ、あるんだけどさ」
…と振り返っていらっしゃいましたよね?(笑)
甲斐さんの記憶なさっている食事の風景には、近しい方々のお顔が並んでいらして
たとえお一人で何かを召し上がっている時でも
…というか、お一人で召し上がられる時にこそ
博多のご家族やご友人たちとご一緒に食されたものに、思いを馳せておられるような気が…?
ともあれ…浅田さんは「関西で『天ぷら』と言えば『さつま揚げ』を指すらしい
『さつま揚げ』が嫌いな訳ではない」けれど
「東京における、さつま揚げのキャラクターは、あくまで、おでんの具であって
毎日の賄い飯のおかずにするほど偉くはないのである」と違和感を訴えておられるので
福岡に行かれ、うどんをお召し上がりになる際には
練り物の「天ぷら」がトッピングされた「丸天うどん」ではなく
かき揚げゴボウが乗った「ゴボ天うどん」になさった方がよろしいんじゃないかと…?(笑)
ただ、コロナ禍以前の浅田さんは、講演やシンポジウム、現地取材などのため
少なくとも週に1度は新幹線にお乗りになり
「切符を買うのと同じくらい当たり前に駅弁を買って」いらしたらしく
某バンドのリーダーの方(笑)に負けず劣らず
往復で2食、月に8食、年間100食近く駅弁を召し上がっていたのが
コロナ禍で、新幹線にお乗りになることがなくなり、禁断症状を覚えられたものの
「最寄り駅で売っている訳じゃなし、東京駅まで駅弁を買いに行くことを
必要かつ緊急の外出だと認めてくれる人はおるまい。欲望はいや増す」のを我慢なさっているご様子
でも…「東海道新幹線には、開業当初からビュッフェと称する軽食コーナーが設けられ
しばらくして、食堂車が導入されたと記憶する
その時点では、もはや駅弁の時代は去ったと思われたのだが
あに図らんや、新幹線がスピードアップされると
ビュッフェも食堂車も廃されて、再び、駅弁の時代がやって来た
まこと歴史は不可測である」…と振り返っておられる内に
「やはり、駅弁には車窓を移ろう景色がなければならぬ」と
東京駅まで駅弁を買いに行かれるのは、お止めになったみたいです
甲斐さんも昔は新幹線にお乗りになると、必ず食堂車へ行かれていたそうで
同じ新幹線に乗り合わせたファンの皆さんが
そのお姿を一目見ようと、食堂車の出入口付近に溢れていらしたとか
ウェイトレスの方から「サインをお願いします」と差し出されたのが
食堂車で使用されている紙皿だったとか(笑)
奥さんは、懐かしのエピソードを思い出してクスクス(笑)
まあ、本音を言えば、もう数年早く、それも東京に生まれて
自分もその新幹線の乗客の1人になりたかったらしい(笑)
それはさておき…「作家」と言えば「締切」ということで
「締切が迫れば、面会謝絶はむろんのこと
電話もメールも受け付けぬ。書斎で事切れていても判らぬ
それでも腹は減るので、時々どこからともなく握り飯が運ばれて来る。いわば野戦食である
食事のために書斎を出れば、思考が途切れてしまう
いや、飯を食うために戦線を離脱する兵士はおるまい
握り飯でなければならぬ理由は、左手だけで食えるからである
ならば、寿司でもサンドウィッチでも良さそうなものだが、ナゼか握り飯でなければならぬ
腹に収めた途端、メラメラと燃えて、活力に変わるからである
更には、小腹が減った時のために、机の上にはチョコレートが山と積まれている
締切に糖質は不可欠なのである
そんな苦労をするくらいなら、日頃からコツコツと書きためていればいいではないか
しかし、なかなかそうは行かない
考える時間を出来る限り長く取って、一気呵成に書き上げるという呼吸が必要だからである
すなわち、締切は、思考と表現の正確なゴールでなければならない
ところが、海外の作家たちは、私のこうした仕事を理解しない
ほとんどの作品が出版社との契約に基づく書き下ろしなので、そもそも締切がないのである
一方の私たちは、原稿をまず新聞や雑誌に発表するなり、連載するなりしたのち単行本化する
ここに外国の作家の理解を超えた『締切』という『納期』が生ずる
明治以来、近代文学と近代ジャーナリズムが、軌を一にして歩んで来た結果である
『締切』は英語で『デッドライン』…なかばジョークであろう。日常的に使うはずはない
ちなみに、私たちが言う『デッドライン』は
『編集者がサバを読んでいない本物の締切』を指す
つまり、これを過ぎると『作者急病のため休載』となる
『締切』は、まこと不用意な言葉に思える
例えば、締切明けに訪れたシアターのドアに同じ『締切』と記されていれば
思わず、体当たりを食わしたくなる」…と「作家あるある」を披露なさっていて
我が家は、この記事を拝見してからしばらく
甲斐バンドの「デッドライン」と、「締切」のドアに、ニマニマが止まりませんでした(笑)