引き続き「出石伝統的建造物保存地区」を歩きます。そこには大きな時計台が見えてきた。次の写真でその説明書き。ちょっとした公園になっており、豊岡市役所出石庁舎があった。
廃城となった出石城の石垣を利用して、明治4年(1871)に建設。4階建ての楼閣の最上階から太鼓を鳴らして時を知らせていたという。その後明治14年(1881)に時計の寄贈をうけ、札幌の時計台とともの日本最古の時計台として親しまれている・・・と書かれている。
マンホールの絵柄はこの時計台と町の花「てっせん」
そして歩を進めた山裾の小高い丘に出石城跡が石垣も見えている。ここのお城も廃城令によってすべて取り壊されたといいますが、隅櫓、登城門などが復元されたといいますが、ここから眺めただけでお城へは行きませんでした。
有子橋を渡って先に進むと。
お城への登り口の横に奥深くまで朱色の鳥居37基。150段ほどの石段だという、もちろん上りません。
そしてお弁当の時間。出石そばは1人前五皿、「わんこそば」ってのは知っているけど、こんな食べ方もあるんだ。ふ~ん。つけ汁に大根おろし、生卵、ネギ、わさびを入れておいしくいただきました。
出石城下町保存地区から約1時間、香美町に所在する高野山真言宗の亀居山大乗寺にやってきた。歴史ありそうな立派な山門だ。なるほど聖武天皇の時代の745年がこの寺の歩き始めだと紹介されていた。
向かった正面にお侍の像が鎮座していた。お寺になぜ侍が? だったのですが、住職のお話でわかった。前日訪ねた金剛寺でも紹介のあった画家「円山応挙」その人が帯刀を許されていたときの姿だと教えられるのでした。
江戸中期に建築されたという客殿13室には円山応挙とその門弟12名の筆による障壁画が165面あり、そのすべてが国の重要文化財に指定されているという。
円山応挙は、画壇では円山派として仰がれているとのことですが、修行中の貧しい頃、この寺の住職がその才能を見込んで学資を援助したことが縁で、客殿の建築の時に、そのご恩返しとして弟子とともにこの障壁画を描いたという。応挙との繋がりはあの金剛寺と全く同じだ。