あざみの気まぐれ日記

備忘録のつもりで書いています。

佐伯市の波当津海岸の砂紋

2015年06月15日 | 日記

 

写真愛好家の間で人気がある佐伯の波当津海岸の砂紋。

私も一度写真を撮りに行ってみたいとかねがね思っていた。

潮の状態が良い今日、友達と二人で行く約束をしていた。

ところが今朝、友達から電話があり「体調が悪くて行かれなくなった」と言う。

いつも明るく元気な彼女。

よくよくの事ではないかと気になったが深く訊かなかった。

一人で行くことにした。

初めてのところで場所がさっぱり分からないのでカーナビを設定。

10時に家を出ると11時45分到着と表示された。

そんなに遠いのか?

でも東九州自動車道が開通したので、それほどかからずに行けるのではなかろうか?

そういう気分で出発。

カーナビは佐伯インターで下りるように言う。でも従わず。

カーナビは到着時刻予測不明状態。

佐伯の次は佐伯堅田IC、その次が蒲江IC、そして波当津IC

インターを降りて分かれ道。いったい右に行けばよいのか左に行けばよいのか?

この開通した東九州自動車道の事を知らないカーナビはうんともすんとも言わない。

適当に左方面に進んでみた。

するとそこから2~3分の所にそれらしき海岸があった。

一人男性が砂浜で写真を撮っていた。

長靴を履いて私も潮の引いた砂浜に・・・。

遠浅の砂浜に潮が作った天然の模様がいたるところに広がる光景。

こんなの初めて!ワクワクしながらシャッターを押す。

まるで水墨画のように見えるもの・・・龍のように見えるもの・・・

鳥のように見えるもの・・・花のように見えるもの・・・

もう楽しくて仕方ない。

先に来ていた男性が話しかけてきた。

延岡から2~3ヶ月おきくらいに来て写真を撮っているとの事。

撮影スポットなど教えてくれた。

 

 

(↑右上方龍がいるように見えませんか?)

 

 

(↑極楽鳥のように私には見えるのですが・・・)

 

 

1時間近く砂浜をカメラを持ってウロウロ。長靴に穴があいていて水がしみ込んできた。

そしてその後、雨が降り始めた。しまった!傘を持って来ていない!

カメラが濡れてレンズにカビが入ったら大変だ。もう帰ろう。

 

車に行って長靴を脱いでいたら向こうから4人・・・

この人たちも写真愛好家だなと思っているとなんと知ってる人。

中学校の同級生の永ちゃんのお兄さん夫婦達。こんなところで会うなんて!

このお兄さんは県美協の招待会員という写真の腕前。

これから宮崎にジャカランダの花を撮りに行く途中立ち寄ったとの事。

奥さんにお菓子など頂いた。恐縮。

 

行きは初めての道で遠く感じたが帰りは意外と近く感じられた。

大体片道50分くらい。臼杵ICからだと40分くらいでいけるかな。

また行かなくちゃ。

 

今日、1枚気に入った写真が撮れた。それは鹿に似た砂紋。

何も言わず、娘に「これ何に似ている?」と尋ねたら「しし神」と言った。

「しし神って?」と尋ね返すと「もののけ姫のしし神」と言う。

ネットで調べてみたら、私がイメージした通りのものが出てきた。

これは写真展にいつか出展できるかな?

 

夕方、写真友達から電話がかかってきた。

「今、病院・・・入院したんよ」と言う。

検査の結果が良好で、すぐ退院できることを切に祈る。

「退院したら一緒に波当津に行きましょう」と約束した。

 

 


「お婆さん」

2015年06月15日 | 日記

 

一昨日のこのブログで「お婆さん」という言葉を使った。

変換しながらなんとなく好きな言葉ではないなと思った。

孫がいないせいか、まだ、一度も「お婆さん」「婆ちゃん」と言われたことが無い。

他人に「お婆ちゃん」など呼ばれた日にはきっとショックを受けるに違いない。

本人はまだまだ若いつもりだし80になっても90になっても

若いつもりでいるのではないかと思う。

一生涯、「お婆ちゃん」と孫以外のだれも言うべからず!

な~んて、誰からも、そういうことを言われていないのに一人勝手に息巻いたりしている。

 

お婆さんの『婆』という字はどうして『波』の『女』と書くのだろう。

『サーフィン女子』に使ったら良さそうな字だ。

そんなことを思いながら、ふと、一昨年四国の今治で聞いた話を思い出した。

瀬戸内の小島・・・

「昔々、食べ物にも困る貧しい時代、年をとると老人はあの島に

自ら進んで家族に船で送ってもらったそうです」とガイドの人が指さした。

満潮になるとすっぽりと海に隠れてしまうというその島・・・

衝撃だった。「姥捨て山」という言葉は聞いたことがあったが

「姥捨て島」という話は聞いたことが無かった。

そう言えば「爺捨て山」という言葉も聞いたことが無い。

年をとっても男性は一家の長として大事にされていたのか?

 

「波」の「女」・・・どうしてお婆さんにこの字があてられているのか?

その語源は私には分からないが

もしかして、今治で聞いた話と関係あるかも?(推測)

だったらあまりに切なすぎる当て字ではないか?

 

(空想癖のあるオバサンは、何の根拠もなく、こんなことを妄想したりしている)