あざみの気まぐれ日記

備忘録のつもりで書いています。

最初に考えた案内状

2018年05月03日 | 日記

自宅展をするにあたり最初に考えた案内状がある。

実際はこの案内状は使わなかったが今回自宅展をしようと

思い立った理由の中にこういう気持ちがあるのは確か。

それをここに記しておこう。

 

『古民家再生、夢の続き展(写真・切り絵)』のご案内

我が家は、夫の祖父が、昭和3年(1928年)に建てた家です。今年で築90年になります。長い年月の間に老朽化が進み、今から13年前は、雨漏り、床の軋み、襖の開け閉めも容易ではない状態になっていました。「建て替えるしかない」そう思っていた時に出会ったのが、A建築事務所の“棟梁”Aさん(社長と言うより“棟梁”という言葉が似合う人)でした。棟梁は「この家を壊すのはもったいない」と言って『古民家再生』を勧めてくれました。『古民家再生?!』当時は、あまり聞きなれない言葉でした。50歳になったばかりの棟梁は目をキラキラ輝かせ、熱く夢や抱負を語ってくれ、その人柄に惹かれて我が夫婦、『古民家再生』を決めました。平成16年(2004年)秋の事でした。棟梁はまず土台を強固にし、家の傾きを治すところから始めてくれました。雨漏り屋根も全面的に改修してくれました。 その一方で手斧の後が残った梁や間取りなど、昭和3年にこの家を建てた祖父の思い入れも、とても大事に活かしてくれ、平成17年(2005年)夏、再びこの家が蘇りました。その後、棟梁は、次々と素晴らしい業績をあげ、『現在の名工』に選ばれたり『黄綬褒章』を貰ったりしました。しかし、平成14年、59歳という若さで、突然、黄泉の国へ旅立ちました。この家の『再生』を検討する際、棟梁が「この家は、名前を付けて展示会やコンサートを開いたりすると良いですよ。」と熱く夢や希望を語ってくれたことがあります。あれ以来、あの時、棟梁と夢見た夢が、ずっと私の心の隅に棲みついていました。そういう経緯もあり、今回、私の趣味の写真と切り絵をこの家に展示して見て頂こうと思い立つに至りました。拙い作品で恐縮ですが、古民家再生の、この家と共にご覧頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。

 

実際出した案内状は以前も載せたことがあるがこれ↓

今回、棟梁のご家族にも案内状を差し上げている。