あらゆる思考が現れるのを「それは自分ではない。」
と、わかって ただ在る状態でいられるようになることを
覚醒と呼ぶらしいが
それは、意識の爆睡状態から一気に正気になりはじめた状態であって
覚醒そのものではないなあ。。
とても、しみじみ感じます。
その思考が、何億年かどのくらいの設定か定かでないけど
こんなに長期に渡り、この幻想世界で現れては消え続けているのか?
そこに疑問を持たなければ。
悟り系の説としては「神の戯れ」という言葉で決着がつくらしい。
「神が、この二元の世界で戯れたいと思っている。」
一時期、無理矢理そう思おうとしていたけれども
何度聞いても、どう考えても腑に落ちなかったです。 笑
神は完全な愛。
完全な愛は完全な愛以外を創造できないことを
本能的に知っていたからなんだな。。
この、現れては消えてゆく思考を、自動的に信じきって選択し続けてきたことに気がつかなければ。
良いものに見えるシナリオも、悪いものに見えるシナリオも
どちらも、真実ではないから信じない心を達成してゆく。。
ほんのちょっとでも、リアルに信じると
二元という分離の知覚へと転げ落ちる。
ある段階に来ると、そういうことが起きてくるんだなあ。と、感じています。
けれども、それはそこで踏みとどまれるからこそ、イエスさまが導いている。という信頼。
次の段階に進む手前って
ある程度、荒療治的な実践を超えてゆかないと
次の段階に進んでゆけないようだ。 笑
(恐くないですからね^^自分で作っている夢ですから)
けれども、大丈夫。絶対に超えられる。
「本当に夢から出たい」と意志していれば、多少右往左往しながらも
いつかは必ず、何よりも真の実践を最優先にできるはず。
自分を見ていてわかるんです。
意気揚々と、思考と同一化しようとする瞬間が見えるんです。
それが誘惑。
そうしたいんです。意識は。
なぜなら分離と罪を信じているから。。
この世界を保持したいんですね。
けどね、全部ただのデータなんですよね。
自分も、相手も、世界の状況も、テレビゲームの中に内蔵されているデータと全く同じ。
赦しによって、自我の信念を訂正し続けてゆくことで、本当に終わってゆける。
「無」であるデータを採用し続けるのをやめる意欲。
私たちは、それを求められています。
今も天国にいて、完全に愛されている。
これが本当の「在る」それしか起きていない。
あきらめないで~☆
※なるほど!もっと知りたい。と思った方は、神の使者という書籍を読みつつ
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