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この記事を書いた頃から、塵も、床も、壁も、海も山も、沢山の人々も、テレビも、鍋も、お箸も、犬も猫も、空っぽな空間もブラックホールも宇宙も
何もかもが(その設定は無で、無は消え去り)本当は兄弟だった。それは天国だった。
という見方が、深く深く入った。
やっぱり、その時は思考していない。
兄弟たちは、祝福。
兄弟たちは、神の子で、祝福で、神の愛で、幸福で、歓喜で、エクスタシーなんだ。
分離を信じれば、とたんにレベルの差を見てしまう。
確かに見たそのレベルの差を、徹底的に赦してゆく。
それは大変なことではなく、正気に戻りたいという意欲。
レベルの差を見ないからいいのではなくて、
レベルの差を見ている自分を、発見してそれをやめてゆこうという意志を持つことが素晴らしいんだ。
分離から兄弟を見ると、それを獲得せねば!と思ってしまう。
それを持っていないと信じているからだ。
欠乏を信じているからだ。
見ているすべては、本当は自分自身を見ている。
兄弟たちは自分であり、兄弟と自分という分離なんて起きていなかった。
分離感は、ウソ。感じているのは一体感のみ。
そこに完全に気がつくための、今生のレッスン。
祝福である兄弟 じゃない部分なんて、この世界には存在していない。
ゆくゆくは、これが実相世界となるんだ。
この見え方を延長させてゆこう。
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