奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

幻想がない。からこそ

2015年09月28日 22時35分20秒 | ACIM奇跡のコースという生き方
奇跡講座(奇跡のコース・ACIM)を実践しつつ、最近は毎日楽しいのだけれど、

「なんか違う。」

そんな気がして聖霊にたずねた○○さん。

幻想があるレベルで日常を楽しく過ごすのではなく

幻想がない。ということを受け入れて楽しむといいのでは?」

というような答えがやって来たのだそうです。


そこで、ふとご質問をいただきました。

(質問)
それを受け入れた後はまた違った視点で幻想を楽しむ感じなんでしょうか?


(お返事)
もしも、(本当に)幻想がない。という認識で過ごすのであれば、

幻想「を」楽しむ。

という感じではないんですね。

そこには何もないので、、^^


夢の どの瞬間も「自我の意味付け」が生じない状態

(生じても、聖霊に捧げるだけ)と言えるかも知れません。


例えばですが、26日の夜、ガラスの器を2個(別々の時間に2回)割ったのですが

ただ 割った。割れた。という現象が現れ

それを拾い、掃除機をかけて処理する。

という行為をする。というシナリオが展開されて通り過ぎました。


そこに 自我の意味付けも、やって来ますが 全く信じないので

それは、消え去るだけで

割った。割れた。という幻想を目にしながら


ただただ、感謝の響き、愛の響きの中にいる。

という感じです。

そこには 楽しい。もあります。

ガラスが割れたのだけど 笑


ない世界の中で

世界が消え去るまでの間

感謝の響き 愛の響きの中で生きる

という感じ


することは、赦しと 降参 全託

ずっと 「参りました」 状態

祈りの状態ですね。


そして最初から、楽しい があるんですね。

楽しい。

を 今こんな象徴(幻想)を通してアートのようにただ表現しているような

楽しいから、踊る。ような

踊るから、楽しいのではなく

楽しいから、踊るけど、、

それは、表現した途端に消え去ってゆく

(表現方法によっては、物理的に残っている場合もありますが)

しかしながらそれも掴まず

ただただ通り過ぎる

すべての現象が ただただ通り過ぎる。


通り過ぎる 儚いあれこれ自体には

私を楽しませる源泉・原因がなくて

私が楽しいから、通り過ぎる儚いあれこれが

楽しいような「ものごと」として通り過ぎてゆく



しかし、もしも、、

世界が「ある」のであれば

これはひっくり返りますね。

もしも、世界があるのであれば

世界が原因のはずです。

そうならざるを得ないですね。


何かが実在しているなら

それは真理です。


真理においては

実在は、必ず結果を生み出します。


そして、それは必ず永遠のはずです。

実在ですから。


☆   ☆   ☆


お答えになっているのか、なんだかわかりませんが

こんな感じのお返事になりました。

「世界がない。」からこそ、

「それを作り、見ている私(意識)もいない。」からこそ、

平安で、愛で、幸せで、悦びあふれるんですね。


⚪︎⚪︎さんは、このお返事で何か納得が起きたようです。

よかったよかった(*^◯^*)

⚪︎⚪︎さん、聖霊ありがとうございます。



9月実践コースご参加中の皆さま、9/26の映像は、編集が終わりましたので

あとは、Youtubeアップロード作業のみとなります。

早ければ29日am1:00くらいに、遅くても29日am11:00くらいにはアップロード完了の予定です。








.

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。