おぼろげなのですが、どこかの時代で、たぶん何度も
外側の映像・シナリオを意のままに動かしていた(TVのチャンネルを変えるような感じ)
ことを思い出してきています。
それこそ、山をも動かすし、川の流れを変えるし、、、意のままです。
「こうしたい。」と思うことは、シナリオ・設定の中で、したいようにすることができる。
それを思い出した今、、
「それは、ろくでもないこと。」という明らかな結論が
考える間もなくやってきます。
無限と思えるほど、広大
ということにしている宇宙次元の中は
実は、「私」の芝居小屋です。
この幻想宇宙には収まり切れないほどの、真の無限の自己が
燦然と輝く光の、神の王国を忘れて
セピア色に色あせて久しい宇宙の芝居小屋で
「偽りの意のまま」を、永遠と思えるくらい続けることは、想像を絶するほどに、、
ろくでもないことなんですね。。
長引かせることを さっさとやめて、おうちに帰らないと。
それが、正気の考えなのですね。
※「私」とは、見る者、宇宙意識、純粋意識、決断の主体、分裂した心のことです。
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外側の映像・シナリオを意のままに動かしていた(TVのチャンネルを変えるような感じ)
ことを思い出してきています。
それこそ、山をも動かすし、川の流れを変えるし、、、意のままです。
「こうしたい。」と思うことは、シナリオ・設定の中で、したいようにすることができる。
それを思い出した今、、
「それは、ろくでもないこと。」という明らかな結論が
考える間もなくやってきます。
無限と思えるほど、広大
ということにしている宇宙次元の中は
実は、「私」の芝居小屋です。
この幻想宇宙には収まり切れないほどの、真の無限の自己が
燦然と輝く光の、神の王国を忘れて
セピア色に色あせて久しい宇宙の芝居小屋で
「偽りの意のまま」を、永遠と思えるくらい続けることは、想像を絶するほどに、、
ろくでもないことなんですね。。
長引かせることを さっさとやめて、おうちに帰らないと。
それが、正気の考えなのですね。
※「私」とは、見る者、宇宙意識、純粋意識、決断の主体、分裂した心のことです。
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