8月5日の、怒涛の無意味化体験、
すでに終わっている場所にいるんじゃん!!体験
これは、概念として
「世界はとうの昔に終わっている」ということを学んで理解しているレベルと
「え?!本当にそうなんだ。。本当に終わっている!!!」
という確信レベル・体験レベルとでは、圧倒的な歴然とした違いがあります。
2014年までは、おそらく私も概念としての理解だったのですが
様々なレッスンを経て、2015年に入ってからそれが段々と腑に落ちていって
確信になってきたのですが
8月5日、実際に「終わっているんだ。」ということを体験してからは
もう本当に、世界があるかのような言い訳ができない。
という状態になってきています。
けれども、それも今だからこそなんだな。と感じています。
共に学んでくださっている方たちが、そのあたりの理解がやって来ると
幻想世界に対する名残惜しさや、終わっていることに対する何とも言えない感覚を
感じる。ということを正直におっしゃってくださいます。(2015.09.18勉強会より)
「そりゃそうだよね。」と、思うのです。
私たちは、あり得ないことが実現したと信じることにしてきたし
その状態を、一分一秒でも長引かせることを意志してきたし
その仕掛けから脱するって、、、それはそれは、一筋縄ではないですね。
だから、何度も何度も決断しなおす意欲を持つことが必要になってきます。
果てしなく、何度も何度も何度も何度も。。。何度も何度も。
その意欲と、全身全霊の「私」が一致してゆけばゆくほどに
歓喜のまま、世界が終わっていることを歓迎できるのだと思います。
名残惜しさがあることを認めることと、そしてまたいつかの瞬間に、根本原因の手放しを再度決断すること。
それさえしていれば良いのだと思うのです。
大丈夫。絶対に、帰還できる。
それを諦めさえしなければ。
そう思うのです。
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