
これまでの、地球に住む人間として、他の惑星の住人として、
ありとあらゆるものとして生きてきたかのような、
記憶のようなものが心の奥底で思い起こされている感じ
それらは、今この瞬間の、オオハシ ノリコの人生と何ら大差はなくて
何が実在で、何が非実在であるかを自分に隠し忘れさせ続けるための錯覚劇場だった
実在するものが何なのかが自分の中でハッキリすればするほどに
この劇場は空っぽで、重大ではないということも
ハッキリしてくる
そうであれば、神に一切を与えない理由がないと思える。
聖霊に、このように問われている感じ
「あなたは、どこまで与えることを意志しますか?」
ここで言う「与える」何かとは、心のすべて
心のすべてとは、心が「願い、信じて、考えて、感じて、知覚して、言動を起こす」
その原因から結果に至る一連のすべてを指すのだろうな、と感じている。
大樹の、古い根の先端から、枝先の新芽のその先の息吹までのすべてを
自分のものとせず、神に返す
「私」を、「私の原因」とするのを、放棄して
「神」を、「私の原因」として再び受け入れる
全面的に与えなければ
全面的に受け取ることができない
もしも、神我一体を受け入れたいなら
最初に、全面的に与えなければならない
とてもとても、当たり前で、単純なことだった。
そして、単純な真理は全面的な幸せをもたらす。
その幸せ以外に、私たちにふさわしいものなどどこにもない。
いつ、それに気が付きたいだろうか?
それを先延ばしにする必要はない。