最近、人間レベルでは「とうとうアタマがおかしくなったのかもしれないぞ」
と判断できそうなことが心の中で拡大してきている。
そのおかしな状態とは
起床前(布団の中での睡眠中)も、起床後もずっと単一の
ひとつながりの夢を見ている感覚で
どっちが夢で、どっちが現実とか、全然違いがない感覚。
どっちがより重要で、どっちがより重要ではない。
という見解の無意味さ(夢か現実かという比較による差異の無意味さ)
いやいや、寝ている間の夢は夢で、起床後のコレは少なくともそう言う類の夢じゃないんだから
ちゃんと違いを認識しなければダメだろう?
という感覚は浮き上がる。
でも、起きてる時の夢と
物理的なベッドに入ってからの夢との違いは、本当にあるのだろうか?
そしてそのような感覚がある反面、人間的なレベルからの反応が弱まっていて
今この瞬間に自分が平安な心(それが自然)でいることを意志するのか?
それとも、今までの古い習慣的なやり方で不幸な自分(とても不自然で茶番の演技)でいることを意志するのか?
という選択地点も強く感じる。
明らかに茶番を演じて自分を騙したい誘惑・中毒症状がそこに残されている。
しかし、茶番を演じにいって生け贄になりにいこうとする「私」をみるからこそ
その薬物中毒状態から解毒されていく、そのダイナミックスも感じる。
単なる机上の空論じゃなく、単なる形而上学じゃなく
この宇宙全部が自分の一人芝居起源だったのだと、自分が自分に思い出させる意欲は大切なんだと
自分自身である聖霊が自分に教えてくれていて、その教えを自分が素直に聞き入れ、素直に従うことなんだ。
自作自演をやめたいと望まない限り、ソレをやめることはできないけど
「ただそうしたい」と、心から望んでいれば必ずそこに引き上げてもらえる。
その当たり前さを信頼して、素直になることなんだなあ。