奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

世界の設定と、一致しなくなる

2013年12月01日 03時40分00秒 | ACIM奇跡のコースという生き方
この世界は、宇宙劇場です。


もしも、この世界にたった一人の人間しかいなかったら

もしも、この世界が真っ白い光だけの世界だったら

どんなお芝居ができるでしょうか?



まっさらな純粋無垢なその人物は

そこで、どんな罪悪感や、恐怖を感じれるでしょうか?

どんなヒーロー・ヒロインを演じられるでしょうか?


だだっ広い 単一の空間なら、過去や未来という思考も感じにくいですね。

あまり臨場感が無いですね。

やっぱり、大勢の対象となる人々が必要だし、それぞれの役割が必要だし

風景も色々あった方がいいし

舞台演出、大道具、小道具、衣装もありとあらゆるものが必要。

更に、台本・時間設定・関係性などなど、様々な状況が必要ですね。

設定・設定・設定の世界です。




沢山~~~~~の設定が必要ですね。

わたしたちは、この世界で

エゴによる、ありとあらゆる設定の中で、

無意味な思考を、状況・相手などに照らし合わせ 辻褄を合わせてドラマを繰り返しています。

そのドラマの土台には「神から離れた。完璧な愛を裏切った。」という隠されたテーマがあります。




エゴは、言います。

今こういうことがあなたの身に起きましたよ。

そして相手はこうですよ。そこにあなたはこういう反応をしましたね。

ほら、だからこんな感情になってきますね。

と、黒子のようになって、耳元で囁き続けています。



わたしたちは、その、エゴの演出に踊らされて、その通りに動かされています。



無意味な思考が漂っているだけではダメなんですね^^

それらしい設定が必要です。設定の枠組みがあってこそ。

あたかも、あの時そういう状況が展開していて

自分はそれによってこういうことを感じているんだ。と信じるためです。





この数ヶ月 わたしが、どんな感じで日々過ごしてきたかと言いますと、、、



「この劇場で、どんな風に踊らされて、どんな風に動かされるのだろうか。」

ということに フォーカスするのを諦めて、

淡々と「自分の中からわき起る判断、思考、意味付け。感情。」にフォーカスしてみる。

そして、それらを一切信じない。(アホかと、つっこむ)そして聖霊に丸投げ。



文章にしてみると、多分そんな感じです。



そして、失敗を恐れることを諦めています。

どういう意味かというと、失敗を恐れることに、心配することに、(無意識に)魅力があるんですね。


だからそれはある意味、エゴの諦めなんです。



言葉での表現が難しいのですが、ほんとに、アホな状態。

アッパラパーな状態なのかも知れません。


何か失敗して、葛藤があったら 赦せば良いので、、、^^



わたしにとって 人生最大の赦しが、もう済んでいるのか、これからなのか全くわかりませんが

「多少の失敗をしても赦すだけだ~」という心を培ってゆきたいものだと思います。

そうすれば、聖霊も導きやすいでしょう。。と





「なんか、アッパラパーすぎないかな。。。」

を、明け渡しています^^




自分の投稿の

「映画 ザ・ウォーカーを観て」

何の差も無いという歓喜

そんな感覚が、色濃くなってゆきます。




(12/1 16:00追記)

愛と悦びという真実・実在以外の、

多種多様の感情・知覚を感じるためには

「神へ対する罪」

という一滴の思考が必要なんだな~♪

一滴あれば、無数のでっち上げができる。

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