この世界は、宇宙劇場です。
もしも、この世界にたった一人の人間しかいなかったら
もしも、この世界が真っ白い光だけの世界だったら
どんなお芝居ができるでしょうか?
まっさらな純粋無垢なその人物は
そこで、どんな罪悪感や、恐怖を感じれるでしょうか?
どんなヒーロー・ヒロインを演じられるでしょうか?
だだっ広い 単一の空間なら、過去や未来という思考も感じにくいですね。
あまり臨場感が無いですね。
やっぱり、大勢の対象となる人々が必要だし、それぞれの役割が必要だし
風景も色々あった方がいいし
舞台演出、大道具、小道具、衣装もありとあらゆるものが必要。
更に、台本・時間設定・関係性などなど、様々な状況が必要ですね。
設定・設定・設定の世界です。
沢山~~~~~の設定が必要ですね。
わたしたちは、この世界で
エゴによる、ありとあらゆる設定の中で、
無意味な思考を、状況・相手などに照らし合わせ 辻褄を合わせてドラマを繰り返しています。
そのドラマの土台には「神から離れた。完璧な愛を裏切った。」という隠されたテーマがあります。
エゴは、言います。
今こういうことがあなたの身に起きましたよ。
そして相手はこうですよ。そこにあなたはこういう反応をしましたね。
ほら、だからこんな感情になってきますね。
と、黒子のようになって、耳元で囁き続けています。
わたしたちは、その、エゴの演出に踊らされて、その通りに動かされています。
無意味な思考が漂っているだけではダメなんですね^^
それらしい設定が必要です。設定の枠組みがあってこそ。
あたかも、あの時そういう状況が展開していて
自分はそれによってこういうことを感じているんだ。と信じるためです。
この数ヶ月 わたしが、どんな感じで日々過ごしてきたかと言いますと、、、
「この劇場で、どんな風に踊らされて、どんな風に動かされるのだろうか。」
ということに フォーカスするのを諦めて、
淡々と「自分の中からわき起る判断、思考、意味付け。感情。」にフォーカスしてみる。
そして、それらを一切信じない。(アホかと、つっこむ)そして聖霊に丸投げ。
文章にしてみると、多分そんな感じです。
そして、失敗を恐れることを諦めています。
どういう意味かというと、失敗を恐れることに、心配することに、(無意識に)魅力があるんですね。
だからそれはある意味、エゴの諦めなんです。
言葉での表現が難しいのですが、ほんとに、アホな状態。
アッパラパーな状態なのかも知れません。
何か失敗して、葛藤があったら 赦せば良いので、、、^^
わたしにとって 人生最大の赦しが、もう済んでいるのか、これからなのか全くわかりませんが
「多少の失敗をしても赦すだけだ~」という心を培ってゆきたいものだと思います。
そうすれば、聖霊も導きやすいでしょう。。と
「なんか、アッパラパーすぎないかな。。。」
を、明け渡しています^^
自分の投稿の
「映画 ザ・ウォーカーを観て」
何の差も無いという歓喜
そんな感覚が、色濃くなってゆきます。
(12/1 16:00追記)
愛と悦びという真実・実在以外の、
多種多様の感情・知覚を感じるためには
「神へ対する罪」
という一滴の思考が必要なんだな~♪
一滴あれば、無数のでっち上げができる。
もしも、この世界にたった一人の人間しかいなかったら
もしも、この世界が真っ白い光だけの世界だったら
どんなお芝居ができるでしょうか?
まっさらな純粋無垢なその人物は
そこで、どんな罪悪感や、恐怖を感じれるでしょうか?
どんなヒーロー・ヒロインを演じられるでしょうか?
だだっ広い 単一の空間なら、過去や未来という思考も感じにくいですね。
あまり臨場感が無いですね。
やっぱり、大勢の対象となる人々が必要だし、それぞれの役割が必要だし
風景も色々あった方がいいし
舞台演出、大道具、小道具、衣装もありとあらゆるものが必要。
更に、台本・時間設定・関係性などなど、様々な状況が必要ですね。
設定・設定・設定の世界です。
沢山~~~~~の設定が必要ですね。
わたしたちは、この世界で
エゴによる、ありとあらゆる設定の中で、
無意味な思考を、状況・相手などに照らし合わせ 辻褄を合わせてドラマを繰り返しています。
そのドラマの土台には「神から離れた。完璧な愛を裏切った。」という隠されたテーマがあります。
エゴは、言います。
今こういうことがあなたの身に起きましたよ。
そして相手はこうですよ。そこにあなたはこういう反応をしましたね。
ほら、だからこんな感情になってきますね。
と、黒子のようになって、耳元で囁き続けています。
わたしたちは、その、エゴの演出に踊らされて、その通りに動かされています。
無意味な思考が漂っているだけではダメなんですね^^
それらしい設定が必要です。設定の枠組みがあってこそ。
あたかも、あの時そういう状況が展開していて
自分はそれによってこういうことを感じているんだ。と信じるためです。
この数ヶ月 わたしが、どんな感じで日々過ごしてきたかと言いますと、、、
「この劇場で、どんな風に踊らされて、どんな風に動かされるのだろうか。」
ということに フォーカスするのを諦めて、
淡々と「自分の中からわき起る判断、思考、意味付け。感情。」にフォーカスしてみる。
そして、それらを一切信じない。(アホかと、つっこむ)そして聖霊に丸投げ。
文章にしてみると、多分そんな感じです。
そして、失敗を恐れることを諦めています。
どういう意味かというと、失敗を恐れることに、心配することに、(無意識に)魅力があるんですね。
だからそれはある意味、エゴの諦めなんです。
言葉での表現が難しいのですが、ほんとに、アホな状態。
アッパラパーな状態なのかも知れません。
何か失敗して、葛藤があったら 赦せば良いので、、、^^
わたしにとって 人生最大の赦しが、もう済んでいるのか、これからなのか全くわかりませんが
「多少の失敗をしても赦すだけだ~」という心を培ってゆきたいものだと思います。
そうすれば、聖霊も導きやすいでしょう。。と
「なんか、アッパラパーすぎないかな。。。」
を、明け渡しています^^
自分の投稿の
「映画 ザ・ウォーカーを観て」
何の差も無いという歓喜
そんな感覚が、色濃くなってゆきます。
(12/1 16:00追記)
愛と悦びという真実・実在以外の、
多種多様の感情・知覚を感じるためには
「神へ対する罪」
という一滴の思考が必要なんだな~♪
一滴あれば、無数のでっち上げができる。