結局のところ、奇跡講座を学び実践するにつれて
逆に取り消されるために
ガンガン上がってくる(習慣・癖・信念・自己概念)のは
コース(悟りのためのあらゆるもの)を実践することを通して
・完璧な自分になろうとする
・正しくコース(その道)を歩むものになろうとする
・立派になろうとする
・間違わないようにする
・批判やツッコミされないことを重んじる
・プライドを保持する
・甘く見られないように頑張る
・正しくあろうとする
知らず知らずのうちに
これらをトッププライオリティにしながら実践する。。。
という、
ありえないような本末転倒が、逆にガンガン浮かび上がるものなんだ。
・・と、知っておくのは
とても助けになると思う。
そしてそれをやっている間はとにかく大変。どうにもこうにも大変なんだ。
だから、とにかくデイヴィッドが言ってたように
これは、ひたすらサレンダーすることになる道なんだ。
完璧になろうとする「私」は
「完璧ではない私が私である」という前提でなければ、完璧を目指せない。
しかも、そこからなりきるなら深刻にならざるを得ないし、決して到達することもない不毛な道をリアルに見せかけて自分を騙してしまう。
「完璧になる」のは不可能なのだ。
そもそもそれを目指すような者じゃないから。
実は、今までの動機の真逆の
「降参・降伏の中」に光の玉手箱があったんだと気がつく
でも、降参しようとして降参するんじゃない。ただそうなっている自然なとき
あろうことか
玉手箱は自分の手の中にあったと気がつく。
本当に、聖霊を主にする。
私は聖霊に連れていってもらうだけ、
そこに私のプライドや正しさ、尊大さは1ミクロンも引き連れてはいけない。