2019年4月に、カースティンが私に言った一言を思い出しました。
個人レベルの私がやりたいとは思っていないこと(ある特定の行動)を、私自身「それは、するべきだ」と感じたし
カースティンもそれについて「そうだね」と思っていて
愛ゆえに、私を突き放すような状況でのことした。
(自我的な犠牲者感覚や、しなければダメだよ、みたいなことではなくて単なる強い抵抗感が挟まれていた状況)
「のりこ!愛されていることを受け入れなさい!」
という一言だったと思います。
兄弟がどんなにおかしなことをしたり言ったりしているように見えたとしても
それでもその肉体を超えた兄弟の真の姿によって、今も愛されているのだと自分が自分に教えなさい。
そして、ガイドと感じるその物理的なファンクションをしなさい。という意味合いだと思います。
疑いや、疑心暗鬼で何もしない、動かない、という防衛の中にい続けるのではなく
もしそれがガイダンスだと感じるなら勇気を出して信頼しなさい。
形がどうあれ、最終的にハッピーエンドじゃなくても、それでも自分を捧げなさい。
どの瞬間も、自分の決断にかかっているんだ。
というのはコースのコアの教えだと思いますが、本当にいついかなる瞬間も
心が何を決めているのか?が重要だということです。
例外なく、常に選択・決断の問題です。
窮地に追い込まれていると感じれば感じるほどに
この際、神様に自分の命も人生もあげてしまった方がましかもしれない。
と思えるかもしれません。
パラドックスですが、それが平安への扉です。