奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

とんでもない恐れや、死の魅力を感じた時にできること

2021年03月11日 17時48分59秒 | ACIM奇跡のコースという生き方




私たちは、何でこんなことになったのか
全くわからなくなってしまった状態まで陥っているのですが

本来の、完全な無条件の愛に溶け合った実在としての自分を見失うために
愛に惹かれるのとは反対の
憎悪・殺意・苦痛・死に惹かれてしまっています。

目覚めに向かうと、今まで希釈して心を麻痺させることができていた
死への魅力や、殺害の魅力、苦痛の魅力に私たちは触れていくことがあります。
相当な絶望感や、喪失感や、殺意に触れるかもしれません。


心の中では
・愛に惹かれる部分と
・恐れ(死、殺意、苦痛)に惹かれる部分とで
ものすごい葛藤・奮闘が起きています。


どうやってここから抜け出せばいいのか全くわからなくなるかもしれません。

でも、それでも忘れてはならないのは
「恐れは実在せず、永遠無限に拡がっている愛のみが実在する」
ということです。

恐れに直面したら、それを裁きも咎めもせず
「私が望むのは神の平安、神の愛のみだ」と
自分自身に声明する訓練に向かっていくことになると思います。

もちろん、それを知的にやってもほとんど意味はありませんが
もしも本当に苦しければ、全身全霊で声明するはずです。

生きるか死ぬか、生かすか殺すか、の崖っぷちに立っていればこそです。



肉体を、このイメージの中で作り出した理由は、攻撃を可能にさせるためでした。

しかし、攻撃は絶対に不可能です。

その、自我の魔術を無効にするかしないかは
私たちの認識・決断・願望にかかってきます。


肉体を攻撃・快楽・プライドのために使うことに価値がなく
肉体を神(実在・真理)の目的のために使うことに価値がある

というごく当たり前さを
自分に教えることがとても重要になってきます。


強く恐れに触れたり、絶望したときは
もはやいかなる選択の余地もないとわかります。

「天国を選ぶのか、地獄を選ぶのか」
これについて問いかける価値や意味はあるでしょうか?


そこに選択の余地はない。
ただ、神に求めて従うのみで良いのがわかります。

そこには何の損失もありえません。
損失を訴える言葉は、単なる捏造・でっち上げの声にすぎません。

神に求めて従うことには、利益しかありえません。






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