これまでの私が感じてきた「完全な自由」って
状況や、境遇や、ストーリーや、他者の目によって
絶対に、制限されるはずだ と
信じて疑ってこなかっただろうと思う。
日常で何が起きていて、何が起きていなくて、どんなことが展開するか、しないか?
そこに左右されるのが当たり前だと、確かに数年前までは強く強く信じていたなあ。
今思うと、なんで、そんなことを
そこまで信じ続けることが可能だったのだろうか???
と、不思議なくらいだ。
もちろん今、私は完全に覚醒しているわけじゃないので
一日の間に知覚が歪むことはいくらでもある。
けど、それも全然問題じゃない。
その知覚は、私独自の所有物でも、私自身でもないから。
今まで驚くほどに膨大な信念・思考・感情を押し殺し、抑圧してきたので
それが解けて消えてゆく間に「私」を通過するのは普通のことであって
そんなのは問題ではない。
そのプロセス中であっても、全くもって、この瞬間、常に、私たちは限りない幸福を感じることが可能だ。
なんで今まで、それを拒絶していたのだろう?
本当に不思議。
あ、でも、ここ数ヶ月間
私はずっと認識していた。
「私は、幸せを拒絶し続けている。愛を拒絶し続けている」ということを。。
与えてもらっていないのではなく
感じさせてもらっていないのではなく
今この瞬間も、それを拒絶しているのは自分自身以外の何ものでもないのだ。
なんて自由なのだろう!!と思う。
今このときを、幸せでいるか否かは、私の決断にかかっている。
その決断とは、パラドックスだけど
「決して私は自分だけで決断しない」という決断。
世界の始まりから終わりまでずーっと見渡している
聖霊に決断してもらわないなんて、、
その聖霊に従わないなんて、、、相当気が狂っている!!
今は、本気でそう思う!!!